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箍を外してあげようか?

 秋の夜長、読書に耽るのも良いが、遊蕩に浸るのも、また一興だろう。
 枷と箍をはずしてやろう。羞恥という、たわいない枷を。

 彼女―木崎美鈴は、どちらかといえば受動的だ。だが、内向的で消極的というわけでもない。適度に社交的で、人当たりも良い。見た目的にも浮ついたところがなく、さっぱりとした清潔感がある。
 仕事ぶりは、真面目そのものだ。地味な仕事を地道にこなす。ミスが皆無ということはないが、大きな失敗はしない。良くも悪くも、逸脱したところがない。
 社内での彼女は、目立つタイプでこそないが、かといって存在感が薄いということもない。
 少しばかり依存心が弱く、そのため自分ひとりで抱え込んでしまうところがあるが、それはさしたる欠点ではない。他人に対し不信感があるようでもなく、時と場合によっては人に頼ることもある。
 卓抜した能力はないが、堅実な仕事ぶりは好感が持てる。
 それが、派遣社員としての「木崎美鈴」の評価だ。むろん上司視点からの総評だが、若干私情が入っているのは否めない。
 彼女は、プライベートでは俺の恋人なのだから。

 上司の「僕」ではなく、個人である「俺」から見た彼女―美鈴は、少しだけ違う。

 美鈴は、受動的だ。その点に関しては、個人的見地からでも大差ない。美鈴の性格は、「受動的」という輪郭で縁取られている。
 事を起すのは大抵俺からで、今のこの状況も、俺から作った。口づけて押し倒し、逃がさぬように美鈴を組み敷いている。
 そういう時、美鈴は慌てふためいて、小さく奇声をあげたり、反射的に抵抗したりする。心底嫌がっての抵抗ではなく、羞恥がそうさせるのだろう。
「こっ、心の準備が……っ」
 心(と体)の準備をさせてくださいと困り顔で言う美鈴に、「それじゃぁ」と準備をする猶予を与えたことがあったが、美鈴にとっては失敗だっただろう。
 なかなか準備を完了できない美鈴に焦らされ、煽られ、結局俺は痺れを切らした。その後の“行為”が激しいものになったのは、しごく当然のことだ。
 おおよその場合受身の彼女だが、それがかえって、裏目に出る。彼女にとっては。
 受動的な彼女は、そういう意味で焦らすのが巧い、ともいえる。
「焦らしてなんかいませんっ」と、彼女は文句をつけるだろうが、焦らされては痺れを切らし、恋情を激しく燃え盛らせている俺としては、苦笑するしかない。
 そんな彼女も、時として能動的になる。能動的と言っていいかは微妙なところだが、“好き”という気持ちを、不器用な行動で示してくれることもある。
 例えば今、俺の左腕にある時計をはずそうとしているのが、それだ。

「ん……、あれ、はずれない……」
 美鈴の指の動きは、ぎこちない。あるいはわざと、ぎこちなく動かしているのかもしれない。
 その日の気分で付け替えている腕時計だが、最近は皮製のバンドのものはつけない。皮製に限らないが、取り外しの簡単なベルトタイプのものは避けるようにしている。穴にピンを差し込むタイプのベルトは、さして時間もかからずはずせてしまうため、美鈴は「あ、もうはずれちゃった」と言わんばかりに、物足りなげな顔をするのだ。バタフライバックルのタイプを好むのは、素早くはずせないからだろう。
 そうまでして、美鈴は俺の手に……手首に触れたがる。
 何か行動を起こす時、美鈴は理由をつけたがる。彼女はそうして自分の気持ちをごまかしている。ごまかす必要などないというのに、ごまかさねば、どうにも恥ずかしいらしい。
 俺は忍び笑いを口元に浮かべつつ、美鈴の所作を見守る。
 俺の手首を、美鈴はたどたどしく触る。そして指先で血管をなぞるようにして触れる。ずいぶんと官能的な仕草に感じるのは、美鈴の吐息が熱いせいもあるだろう。
 くすぐったいが、心地好い。美鈴なりの“愛撫”なのだろうと思うとさらに気分は高揚してくる。
 美鈴は、自ら語るところだが、「腕フェチ」であるらしい。
「腕、というか、手とか手首とか、そのあたりなんですけど……」
 つい触りたくなるのだと、照れくさそうに笑って言った。
 腕時計をはずすことが、手首に触るいい口実になっている。そして、腕時計を俺の手首からはずす行為は、意思表示でもあるのだろう。俺が美鈴を抱きたいと思っているのと同じ気持ちが、彼女にもある。
 だから俺は、自分では腕時計をはずさない。そうして美鈴に委ねる。美鈴の好きにさせている。

 美鈴が不慣れな手つきで腕時計をはずそうとしている間、俺のもう片方の手は如才なく動いている。ちなみに、口もだ。
 美鈴の熱くなっている耳たぶを噛んだり、こめかみにキスをしたり、首筋を舐めたり、美鈴の反応を愉しみつつ、緩慢な愛撫を繰り返す。空いているほうの手は、美鈴の腰を支えつつ、撫でることにも余念がない。美鈴は時折身体を捩らせながら、それでも俺の手首にはめられている時計から手を離さない。しげしげと時計の文字盤を見ることすらあった。
 腕時計はやがてはずされる。美鈴がはずし、少し離れたところに置く。置くところまでは、気遣う余裕がないらしい。というよりも、その頃には、俺の手に翻弄され、余裕を奪われている。
 俺はようやく解放され、自由になった手を美鈴の後頭部に回した。さらに顔を近づけ、ささやいた。
「……はずそうか?」
「え……?」
 美鈴の目が、瞬く。熱っぽい瞳を向けられ、俺は微笑みを返した。
「俺も、はずしてあげようか」
「な、な、に……?」
 もちろん、衣服や下着ではない。それらは、美鈴の許可を得もせず、勝手にしている。
 美鈴のやわらかい髪は、触れていると気持ちがいい。指の隙間をするりと抜けるときの感触は、快楽を誘うものだ。髪、というより頭皮は、美鈴の感じやすい部分でもある。後頭部を指先でカリカリと掻いてやると、反射的に身を縮こまらせ、眉をひそめる。
 美鈴は受け身だ。いつでも身を竦めて、俺を……俺の行動を待っている。
 それを、不満とまでは言わないが、物足りないと思うこともある。
 美鈴が心にかけている、恥じらいという枷をはずしてやりたくはなるのだが、それは腕の中で、時をかければゆるゆるとはずされていく。始めからはずされてはいないというだけで、いつまでもはずれない枷ではない。
 そう、外れはする……――
 俺はため息をつき、美鈴の顔の左横、額を肩に乗せるようにして、落とした。
「維、月さん……?」
「……うん」
「あの、…………」
 美鈴のとまどいがちな声が、何かを言った。耳元で言った美鈴のそれは、熱い吐息に絡められ、ひどく甘い香りを含ませていた。
 美鈴の両腕が、俺の首に巻きついてきた。
 ぎゅっと、美鈴の手に力がこもる。体がさらに密着し、お互いの心臓の音が肌から直接伝わって聴こえる。
「……はずして。今度は、維月さんが」
 何をと問うまでもない。
 だが、外されたのは、俺のほうだ。
 箍は外れ、理性は消し飛んだ。

「箍を外してあげようか」などと、墓穴を掘るだけの愚かな誘い文句だ。
 受け身でありながら、美鈴はやすやすと俺を攻め落とす。

 秋の夜、箍を外し、思う存分浸り、耽る。
 長いようで、ひどく短い、相愛を感じあえる喜悦の夜を。

* 終 *

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