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恋人宣言 2

 春うららかな休日。
 桜は散り始めてるけど、春はこれからが本番。
 そして、どうやらわたしの「社内恋愛」もこれからが本番……かも。

* * *

「ところで、木崎さん」
「はい?」
 高倉主任は腰をかがめ、淹れたての紅茶をわたしに差し出した。
 それはわたしが手土産に持ってきた、ストロベリー・ティーだ。甘酸っぱい香りが、部屋中にひろがってゆく。
 ところで、といえば、今わたしは、高倉主任のマンションにお邪魔している。
 初めての「お宅訪問」なんで、ドキドキしている……と言いたいところなんだけど、どうしてか、まったりゆったり、寛ぎきっている。
 1DKの部屋は、それなりに散らかっていて、それなりに整頓されている。インテリアにこだわっている風はないけど、アース・カラーに統一されているからか、目に優しい。引っ越し祝いに貰ったという幾つかの観葉植物がマイナスイオンを発しているせいかもしれない。
 少しだけ開けた窓から入り込んだ夕風が、白い紗のカーテンを揺らす。
 温かな夕餉の香りと子供達のはしゃぐ声、夕刊を配達してるバイクのエンジン音。川辺の雑木林を渡る風の音や忙しない鳥達のさえずりが、新鮮に聞こえる。
 紅茶も美味しい。
 しかも今夜はなんと、高倉主任が手料理……といってもお好み焼きらしいけど……を披露してくれるというのだ。
 恥ずかしくて絶対口に出しては言えないけど、すっごく……幸せ……かも。
「あのね、木崎さん。ニヤけてるところをなんだけど」
「……はっ、うっかり顔に出てました?」
 ぎょっとして、わたしは空いている方の手を、緩みまくってた頬に当てた。
「何が? って訊かない方がいい?」
 高倉主任はくすくす笑いながら、けれど少し困った風な目をしてる。
「訊かない方向でお願いします、高倉主任」
 でも困ってるのはわたしも同じ。
 わたしはソファーに腰かけてるんだけど、高倉主任は立ったままでいる。向かい側に座るなりしてくれればいいのに、わたしの目の前に立っていて、わたしのことを見下ろしている。
 高倉主任は中肉中背で、マッチョ体型でもなければ薄っぺらい痩せ体型でもない。
 けど、なんだか今日はいやに大きく感じてしまう。
 服装のせいかな? いつものスーツ姿じゃない、ラフなカットソーとジーンズ姿だから、そう見えるのかな?
 それに髪も、会社にいる時と違って自然に流してる。染めてはいないみたいだけど、ちょっと茶色っぽい。瞳の色も、そうだ。
 会社にいる時とは違う、プライベートな高倉主任。
 じかに高倉主任を見ている感じがして、だから「大きく」思えるのかもしれない。
「あのね、木崎さん」
「はい?」
 高倉主任は深く息をついた。
 わたしは小首を傾げる。
 なんだろう? 今ちょっと、わたしと高倉主任の距離が縮まったような?
 実際、高倉主任は一歩わたしに近づいてはきたんだけど……。
「なんですか、高倉主任?」
 さりげなく、おしりをちょっとだけ動かして、場所を移動した。ティーカップをテーブルに置いてから、再び高倉主任に視線を戻した。
 高倉主任はもう一度、ため息をついた。
「木崎さん、主任って呼ぶの、そろそろやめない?」
「はい?」
「会社の外では、名前で呼んでもらいたい。主任じゃなく、ね」
 高倉主任は目を細め、わたしをじっと見つめて言う。
 思わず、肩が竦む。……首筋がぞくぞくして、高倉主任から目を逸らせない。
 なんですか、これ? これが「オトナの男性」の眼力ってヤツですかっ?
 怖すぎですけどっ! いや、怖いっていうか、甘すぎっていうかっ!
「えぇっと、でも、主任」
「今ここに居る俺は、君の主任じゃないよ。…………美鈴(みすず)
「……――っ」
 さりげなく落とされた、爆弾。
 それはもう、直撃でしたっ!
 一瞬の間をおいてから、わたしは――……
「ちょっ、だわっ、くっ、はっ」
 意味不明な単語を連発した後、堪えきれず、笑いだした。


 止めようと思うのに、笑いはちっとも止まらない。
「ちょっ、もうっ、高倉しゅっ……主任、勘弁してっ、くださっ……っ」
 もうっ、横っ腹が痛すぎる。筋肉痛になったらどうしてくれるんですかっ。
 苦情を交えつつ、笑い続けているわたしを、高倉主任は呆れたような、失望したような顔で見下ろしている。眉間の皺は深く、ついたため息も同じくらいに深い。
「あのね、……美鈴?」
 苦虫をガリガリ噛んだみたいな顔を近づけて、高倉主任はわたしの腕を掴んだ。
 わたしはまだ笑いを止められない。すいません、と謝罪しつつ、抱腹絶倒している。
 たぶん、緊張して張り詰めていた神経がふっつりと切れてしまったんだと思う。
「しゅっ、主任っ、もしかしてっ、用意してませんでしたか、その台詞?」
「…………」
「なんかすごく気合い入ってる顔してましたけど」
 緊張とまではいかなかけれど、「キメてやる」って顔をしてた。それがもう、すごく……可愛くてっ! それに、なんだか嬉しかったのだ。
「高倉主任でもそんな顔するんですねっ」
「……あのね、美鈴」
 ――あ、あれ? ちょっと? なんですか、この体勢、いつの間に?
 高倉主任はわたしの腕を掴んだまま、ソファーに膝を乗せた。高倉主任の胸がわたしの上に迫り、のしかかってくる。
 高倉主任のもう片方の手が、わたしの顔の横に置かれ、あっという間に、高倉主任に閉じ込められてしまった。
「ちょっ……ちょっと、高倉主任っ」
「名前で呼ばないと、いつまでもこのままだよ?」
 うっ、嘘だっ! それ絶対嘘っ!
「それとね、美鈴。君は無防備すぎるよ。といっても、警戒されっぱなしよりはいいし」
「ぎょわわっ」
 耳元で囁かないでくださいってばっ! 全身鳥肌立ちましたけどっ!
「それに、無防備に笑う美鈴を見るのは好きだから、まぁ、いいんだけどね」
「しゅっ、にっ」
 頬に息がかかるほど近くに、高倉主任の顔がある。
 顔が、みるみる赤くなっていくのが自分でもわかる。
「笑いすぎの罰ってことで」
 高倉主任の瞳に、悪戯な微笑が浮かぶ。
「泣かせるから」
「……うっ、えぇっ?」
「嫌というほど泣かせるからね。今すぐ覚悟完了して?」
「って、ちょぉぉぉっ」
 わたしの奇声を、高倉主任はこともなげに押さえ込んだ。
 軽くついばむようなキスに、抵抗できる術はなく。
 わたしは硬直しつつも、抵抗を試みた。
「うっ…………やっ、そのっ、勘弁してくださいってば、……いっ、いつっ、維月(いつき)さ……」
 高倉主任は満足げに笑う。
「やだ」
 鎖骨を指先で撫ぜられ、わたしは情けない上に色気のない声をあげる。
「ぎゃわぁっ」
 やっぱ嘘つかれたっ! 名前呼んだのにっ! 高倉主……いや、えっと、維月さん、離れてくれないしっ!
「ちょっ、しゅっ、主任っ」
 わたしは手足をばたつかせていたのだけど、一旦、それを止めた。そして、高倉主任……じゃなくて……維月さんの眼前にこぶしを突き出した。
「ジャ、ジャンケンしましょう、しゅ……、い……維、月さんっ」
「ジャンケン?」
「そ、そうですっ。それでわたしが勝ったら、体、どかしてくださいっ」
 高倉主任……じゃなくて、ううっ、慣れないな、……維月さんはにこりと笑った。悪代官一歩手前の不敵な笑みで、そして「いいよ」と受けた。


 わたしがバカでした。
 ええ、それはもう、浅慮でした。


 一発勝負、「ジャンケン、ホイッ」!
 わたしがグーで、維月さんがパー。
 うそ、なんで?!
 維月さん、わたしがジャンケンで何出すか分からないって言ってたのに、なんですか、最初から勝つこと分かってたみたいな顔してますけどっ?!
「気負ってると、分かるって言ったろ?」
「……っ」
「と、いうことなんで」
 維月さんは嬉々として、笑う。
「続行します」


「やぅっ、わぁぁっ!」
 抵抗も空しく、わたしは情けない声をあげるばかり。

 ――本格的な春の到来は、これから。
 そして、わたしの「恋愛」もこれから本格的に始まる、みたい。

 春の嵐の予感を、維月さんの抱擁の強さに感じて。

* 終 *

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