姿を、つい探してしまう。そして目で追ってしまう。
光の加減で栗色に見える髪や、長い睫の下の瞳がキレイだなぁって、見惚れてため息をついてしまう。
ほわほわ甘い気持ちになったり、そわそわ居たたまれない気分に陥ったり、ちくちく痛くて苦い思いをしたり。
これってかなり、重症なんじゃなかろうか……?
* * *
衝撃的な告白があったあの日から、数日後。
会社の階段の踊り場、偶然居合わせた高倉主任が、こそっと耳打ちをしてきた。もちろん、誰にも見られていないだろうことを、確認してから。
高倉主任の突然の行動に慌てふためいて、「ぎょえぇっ」と声が出かかった。
持っていた段ボールを落とさずにすんだものの、全身に無駄な力が入ってしまう。
「木崎さん、最近ちょっと挙動不審」
高倉主任はからかう風に笑う。
そしてワイシャツの袖をまくりながら、高倉主任は「それ、持とうか?」と訊いてきた。
わたしは首を横に振る。遠慮したのは、この段ボールを運ぶのが今のわたしの仕事で、それを高倉主任に手伝ってもらったら、……周りの人達に、「わたしと高倉主任」の事を勘ぐられちゃう気がしたからだ。
そんなわたしの気持ちを見透かしているとしか思えない高倉主任は、笑いをおさめず、さらりと言ってのけた。
「木崎さん、ここずっと、会社で僕のことばかり見てぼんやりしてるよね? そんなだと、僕との関係を疑われて噂になっちゃうよ?」
「……っ」
ぶわっと、音がしそうな勢いで赤くなったわたしを見る高倉主任は、何やら嬉しげだ。
「まあ、俺としては別段構わないけど?」
「ちょっ!!」
慌てて身を離した拍子に、ドンッと、壁に背をぶつけた。
「大丈夫。会社内では何もしないよ。セクハラになっちゃうからね」
「――っ」
高倉主任は余裕綽々、にっこりと笑う。
高倉主任め、「僕」と「俺」の使い分けが上手すぎる! それに、わたしの反応見て楽しんでるのが一目瞭然だ。
「セ、セクハラはともかくっ! わたしも気をつけますから、高倉主任も気にしてくださいっ」
臥して願いますヨ! もうホントに勘弁してくださいっ!
懇願の目を向けられ、高倉主任は微苦笑を浮かべた。
よもやの「社内恋愛」に踏み切ってしまった、わたしと高倉主任。
高倉主任は最初、「隠すことないのに」と言っていたけど、やっぱり「隠しておいた方が無難」だと思い至ったのか、「内緒の方向でお願いしますっ」というわたしの我侭を受けいれてくれた。
高倉主任はオトナだし、もともと腹を見せない人だから、会社での態度はまったくもって、以前と変わらない。
なんだかそれが口惜しいなんて。憎らしいなんて。…………ううっ、言えないけどっ。
うちの会社は表立って「社内恋愛禁止」というようなことは言ってない。けど、暗黙のルールというか、「やめといた方がいいんじゃない」的な雰囲気はある。もっともそれは、派遣社員や女子職員という限定された枠内での「ルール」ではあるのだけど。
だから、というか、やはり、というか。
「わたしなんかと噂になったら、高倉主任、困るでしょう?」
女子職員のネタになって困るのは、わたしなんかより、きっと高倉主任だと思うから。
「…………」
高倉主任は眉をひそめ、小さく息をついた。
「あのね、木崎さん」
「はい」
「…………いや」
高倉主任は肩を落とした。
「…………?」
表情を曇らせた高倉主任は、大きく息を吐き出したその流れのまま、淡々とした声を発した。
「木崎さんこそ、僕なんかとの仲を疑われて冷やかされたりしたら、迷惑だよね? 木崎さんの評判を落とさないためにも、気をつけるよ」
「え、あ」
高倉主任は「じゃ、また」と片手を上げて、踵を返した。
「まっ、待ってください、高倉主任っ!」
とっさに、高倉主任を引き止めた。
段ボールを両腕で抱えているせいで、腕を掴んで引き止めることが出来ない分、慌てた。
「違います、そうじゃなくて! わたしのことなんかはどうでもよくて! 高倉主任に迷惑がかかるのが嫌で!」
背中がヒヤリとする。
高倉主任は立ち止まり、振り返ってはくれたけど……。
もしかしてわたし、高倉主任を怒らせちゃった? それとも、傷つけてしまったのかもしれない。
だって、高倉主任の、こんな悲しそうな顔、見たことないもの!
「わたし、主任の負担になりたくなくて」
不安にかられ、しどろもどろに言い訳を始めた。
「…………」
「そ、そりゃ、自己防衛も、ちょっとはあるからなんですけど、嫌とかそういうんじゃないんですっ。むしろ光栄……ってゆーか、えぇっと、わたし……っ」
ああ、もうっ、わたし、何口走ってるんだろう!
言いたいことがちっともまとまらなくて、支離滅裂だ。
そんなわたしを、高倉主任はじっと見つめている。
ふと、苦いブラックコーヒーみたいな瞳に甘みがさした。
「木崎さん」
高倉主任は腕を伸ばし、そしてぽんっと軽く、わたしの頭に手を乗せた。
ひゃっと、思わず身を竦ませる。
ゆるい癖のあるわたしの髪を指先でくしゃくしゃと掻き、高倉主任は穏やかに笑って言った。
「うん、わかってる。わかってるから、「わたしなんか」っていうのは無しね、木崎さん?」
「え」
おずおずと、わたしは上目遣いに高倉主任を見やった。
高倉主任の目元には、もうやわらかな微笑が戻っていた。
「木崎さん「だから」付き合いたいと思った。木崎さんだからこそ、妙な噂を立てられたら迷惑だろうって、考えた。木崎さんも同じように思ってくれたんだよね?」
「…………」
……敵わない。
本当に、高倉主任には敵わないよ……。
どうしよう。
胸が痛い。きゅぅっと締まった胸の奥で、鼓動が高まってる。
目頭が熱くなる。頬も熱いし、頭も……というか全身が痺れるみたいに、熱い。
俯こうにも、涙がこぼれそうで俯けず、唇の端をきつくしめて、泣くのを堪える。
わたし、本来泣き上戸じゃないんだけどな。
高倉主任のせいだ。高倉主任が、わたし自身も知らないようなわたしの感情を引っ張り出したりするからだ。
口惜しいのか嬉しいのか、もどかしくて、思考がまとまらない。
「う〜ん、困ったな」
高倉主任が苦笑まじりに呟いた。
「そんな可愛い顔されると、抑えがきかなくなるんだけど? さて、どうしよう……?」
ニヤリと笑み、高倉主任は悪戯っぽく……というより、挑むように迫ってくる。
「えっ? ちょっ、あのっ、主任っ?」
思わず声が裏返る。退こうにも、もう後がない。
てゆーか、ここ会社だし! 会社じゃ何もしないって、さっき言ったのに!
いやいや、待ってよ、わたし?! 何ドキドキしてるの? 何を……期待してるの?
ダメだっていうのにっ!
そんなわたしの動揺を察してくれてのことだと思う。
「ハハ、なんちゃって」
おどけたように両肩を軽くあげ、高倉主任は目を細めて笑った。
それから素早くわたしの手から段ボールを奪い、歩き出した。まるで、何事もなかったかのように。
「さ、行こうか。これ、総務に持って行くんだろ?」
何もされなくて、ほっとしたのか、がっかりしたのか。どちらともつかず、複雑な気分だ。
……いや、だからね!
期待してたわけじゃなくて。……って、自分に言い訳してる時点で、やっぱり高倉主任に「してやられた」んだと思う。……いつかのように。
「急ごうか。あんまりゆっくりしてると、それこそ妙な具合に勘ぐられるだろうし」
「…………はい」
階段を昇り始める主任の後を、わたしは慌てて追う。けれど、横に並んだりはしない。二、三歩離れて歩く。これが、会社内でのわたしと高倉主任の距離だ。
だけど――……
わたしは一歩だけ、高倉主任に近づいた。
段二つ上に、主任はいる。
「あのですね」
息を整えてから視線を上げ、告げた。
「わたし、高倉主任のこと、……好きです」
さりげなく、さらり。――とは、いかなかったけれど。
高倉主任は少しだけ驚いたような顔を、こちらに向けた。
足を止め、肩越しに振り返った高倉主任と、目が合う。
気恥ずかしいんだけど、今さら目を逸らすなんてできない。
「ほんとに?」
高倉主任の笑顔が眩しい。
なんでそんな嬉しそうな顔ができるんですか、この人はっ!
おみくじで大吉が出たみたいな、福引で一等を獲得したみたいな。
「本心から言ってくれてる?」
「はいっ、もちろんですっ」
本気の告白がこんなに照れくさいものだとはっ!
眉間に力が入り、緊張のあまり顔が強張ってしまう。
「そっか」
淡白な言葉に反して、高倉主任は表情は和らいでいる。
春の陽射しのように温かく柔らかい笑顔だけど、瞳の奥に企み事を秘めている……気がする。
その直感は、大当たり。
こともなげに、高倉主任は言う。
「その言葉、ここでじゃなく、もう一度聞かせてほしいな。今夜」
「は、はいっ! って、えぇっ?!」
さり気に付け足された言葉に、わたしは困惑と仰天の声をあげる。
相変わらず、高倉主任だけが余裕たっぷりだ。
「上司の僕にじゃない、俺にね」
「……っ」
高倉主任の瞳の甘やかさには、本当に敵わない。
動揺をごまかすことすらできず、照れ顔を隠すこともできないわたしを、高倉主任は満足そうに見つめ、また笑う。
* * *
わたしと高倉主任の「秘密の社内恋愛」は、まだまだ始まったばかり……だというのに。
毎日が冷や冷やし通しで、落ち着かない。今まで以上に人目を気にして、行動が慎重になるかと思いきや。
わたしの目は、高倉主任ばかりを追ってる。わたしの心は、高倉主任でいっぱいになって、感情は制御不能になってる。
ほんとにこれはもうなんていうんですか……。
かなりの重症だと思うんですよ。高倉主任に翻弄されっぱなしで。
「願ったり叶ったり、だね」
高倉主任は笑いつつ、身を寄せて腰に手を回してくる。
会社では見せない艶めいた顔をして、高倉主任はそっと、わたしに囁いた。
「好きだよ、木崎さん」
きゃぁぁぁっ!!
不意打ちはダメだってば!
それに、明らかに誘導してるし! わたしにも、ソレを言わせようと!
言わないと放さないよと、高倉主任の目がいじわるく笑っている。
もののみごとに高倉主任の術中にハマったわたしは、今夜もまた情けない声をあげ、「勘弁してくださいっ」と泣き言をこぼす。
ほんとうにもう…………この先いったいどうなるの? わたしの明日は、どっちっ?!
――高倉主任はにこやかに、「こっち」と自分を指差してるけど。
* 終 *