晩春、ひどく悩ましげな香りが室内を満たしていた。
甘やかな香りを元は、今、俺の四肢でつくった檻の中にいる。
熱い息が、互いの口から漏れる。
美鈴が、無駄と分かっているだろうに、いつものごとく俺に要求してくる。
「明かり……消して」
荒い息を整えられず、美鈴は喘ぐように言う。
まだ、意識が羞恥のせいではっきりとしているようだ。
俺に組み敷かれた美鈴は涙目で訴えてくる。汗に濡れた前髪を指で払ってやると、いやいやと首を横に振る。「見ないで」と、眉をしかめて目を閉じる。
何度請われても、美鈴の願いは聞き入れられない。
――眺めずにはいられない。美鈴の、恥じらいながらゆるゆると咲き乱れてゆく様を。
これほどの悦楽はない。
美鈴の痴態は、憐れで美しい。
美鈴の裸体を隠しているのは、薄い生地のキャミソール一枚。ラベンダー色のキャミソールは、美鈴の白い素肌によく映える。捲くりあげるのも脱がせるのも容易い。しかし、たった一枚の薄い布地で官能への高まりを留めようとする美鈴を見るのもまた愉しかった。
俺もまだ衣服の全てを脱ぎ去ってはいない。
シャツだけを、脱ぎ捨てた。ベッドから床に滑り落ちたシャツを、美鈴の目が追う。
美鈴の髪を、後頭部から持ちあげるようにして、枕辺に流した。やや癖のある美鈴の髪は触り心地が良い。手櫛で梳くと、美鈴はびくりと身を強張らせた。
髪を撫ぜ、それから頬に手を戻し、顎から鎖骨へと指を這わせた。しっとりと濡れた肌から扇情的な匂いが立ち上ってくるようだった。今すぐにでも食らいつきたい衝動を抑え、美鈴の肢体の輪郭を指先でなぞった。布地越しの愛撫に美鈴は焦れたような吐息をこぼした。胸の先へはわざと触れず、脇へと流し、そのまま腰から腹部へと指を移動させた。少しだけキャミソールを捲くりあげ、鳩尾に手を置いた。
ひゅっと、美鈴は息を飲む。
「い、つき、さ……っ」
こわごわと、美鈴は閉じていた目を開けた。戸惑いが美鈴の瞳を潤ませて、俺を見つめる。濡れそぼった瞳は、さらなる快楽を待ち望んでいるようだった。それを美鈴自身は認めまいとしているようだが、抗いきれないこともまた知っている。
視姦に徹したかったが、それも限界に近かった。
熱い吐息をもらす唇を掠め取るようにして口づけ、それからまた愛撫を再開させた。片手だけの愛撫に、美鈴はもの足りげな顔をする。そのくせ、懲りもせずに訴えてきた。
「あの、維月さん、あの……明かり、…消して……っ」
そんなに見ないでと、両腕をあげて顔と胸元を隠した。
本心とも思えないその訴えに、俺は嘆息して体を起した。美鈴は「あ……」と小さく声を漏らし、淋しげな、そして追い縋るような目をして俺を見る。
「俺に見られるのが、……嫌?」
片手を美鈴の脇腹の横に付き、体を傾けた状態で美鈴を見つめ返して、問いかけた。意地の悪い質問だと我ながら思い、口元に苦笑いが滲んでくる。
「そ……んな、……嫌とかじゃなく、て……っ」
美鈴は困惑気味に言葉を紡ぐ。俺の刺すような視線に怯み、身を竦ませている。
「そうじゃなくて、その、だって、は……恥ずかしいから……!」
「それじゃぁ」
ふっと、緩んだ笑みを美鈴に返した。目の端に、都合のいいものが映っていた。それを、片手を伸ばして掴み取った。
今日、美鈴が首に巻いていた、シルクのスカーフだ。シルクなだけに生地は薄い。しかし黒地で、都合が良かった。
「これで、目隠しをしようか」
「えっ」
途端、美鈴は息を飲み、顔を強張らせた。
美鈴の素直すぎる反応に、思わず失笑した。
「……こうすれば、美鈴は安心できる?」
スカーフで、目隠しをした。美鈴の目ではなく、俺の目を。
そして上体を起こして、座り直した。
「これで、何も見えない」
「維月さん」
美鈴の戸惑う声が聞こえ、同時に衣擦れの音も聞こえた。美鈴も体を起したのが、気配で分かった。そちらに顔を向け、手を伸ばした。美鈴の頬に触れようとしたが虚空を掴んだ。
「……維月さん」
困惑し、けれど少し呆れたように美鈴はため息をつき、それから俺の手を掴んで、自分の頬へ導いてくれた。美鈴は俺の手を優しく握り、そして掌に口づけた。
「ずるいです、維月さん」
「そうだな」
含み笑って応えると、美鈴は「もうっ」と脱力しきったようなため息をこぼした。
今、美鈴はどんな表情をしているのだろう?
それを見られないのがひじょうに惜しかった。
だから、というわけでもないが、目隠しの代償を美鈴に求めた。いや、もともとそうした腹積もりはあったのだが。
「手探りで美鈴に触れるのもいいけど、それじゃぁ美鈴もつまらないだろう? だから、美鈴からして」
「えっ」
またしても美鈴は驚きの声をあげた。
「し、してって、何をすれば……っ」
美鈴は動揺のあまり、墓穴を掘る。
何をすればいいのか、具体的に語ればいいのか? それを言うと、美鈴はさらに動転したようだ。目に見えずとも、その様子がありありと思い浮かぶ。
美鈴が離した手をすぐさま掴み返して、体を引き寄せた。美鈴の細腰に片腕を回し、逃げられぬように拘束した。
「でっ、できません、わたし、そんな!」
「できるかできないか、試してみてからでも遅くはないと思うけど?」
「だって、そんな! 恥ずかしいし、わたしとてもそんな……っ」
「美鈴に、して欲しい」
「……っ」
もう、くどくどとかき口説くのももどかしかった。
俺の下腹部が疼き、美鈴を求めている。それは美鈴も同じのはずだ。中途半端に投げ出された官能をこのままにはしておけない。
お願いだと、美鈴を抱き寄せ、耳元で囁きかけた。もう待てないと。
美鈴がごくりと喉を鳴らした。
それが、答えとなった。
* 終 *