彼女は臆病だ。臆病だが、ひどく無防備だ。不安定に揺れている。
付き合い始め、恋人同士となった今でも、彼女は俺に対しどこか遠慮がちで、自分を顕わにはさらけださない。
無防備に笑うくせに、ふと怯えたようなまなざしを向けてくる。
「美鈴」
と、名を呼べば、びくりと肩を竦ませる。
「な、なんですか?」
その反応のぎこちなさは、可笑しいくらいだ。
美鈴は今俺のマンションにいて、まったり寛いだ姿勢でチューハイの缶を手にしている。小気味のいい音をたてて二本目の缶のプルタブを開けたはいいが、声をかけられ、中途半端なところで手をとめた。
美鈴は上目遣いに、俺を見つめる。
寛いでいるのか緊張しているのか、彼女はいつも揺らいでいる。
「二十四日と二十五日は、空いてる?」
俺が訊くと、美鈴は目を瞬かせた。
「え? ええ、それは、まぁ……空いてるっていうか、その日は普通に仕事ですよね?」
「まぁそうなんだけど」
美鈴のそっけないとも言える返事に、俺は苦笑を返すしかなかった。
本来ならば、もっと周到に予定を組んでおくべき冬のイベント日だ。
クリスマスだよね、と俺が言えば、美鈴は少しばかりとまどったような顔をし、そうですねと返してきた。
それから、申し訳なさそうな顔をして、美鈴は言葉の先を続けた。
「クリスマスっていっても、会社は休みじゃないし、それに年末ってことで、最近仕事忙しいですよね? 維月さん、このところ残業も多いし。だから、その……えぇっと……」
気を遣わなくてもいいです、というようなことを、どうやら美鈴は言いたいようだ。だが、言いあぐねている。遠慮の仕方も、美鈴は不器用だ。慌てている様子がたまらなく可愛い。
「わたし、クリスマスにはそれほど思いいれってなくて」
チューハイで喉を潤してから、美鈴は言葉を継いだ。グレープフルーツのチューハイは、思ったより苦味がきつかったのか、美鈴は一瞬眉をしかめ、一口飲んだだけでチューハイの缶をテーブルに戻した。
「クリスマスって、あんまり楽しい思い出ってなくて。あ、けど別に嫌な思い出があったとかいうんでもなくて、単に浮かれるようなことがなかったってだけで。だから……その、クリスマスが嫌いとかそういうんじゃないんです」
美鈴はしどろもどろに、言葉を紡ぐ。
美鈴は寂しがりやだ。それを彼女自身、気付いているのかいないのか。
美鈴は、自分の心をごまかそうとする時、おそらく無自覚なのだろうが、饒舌になる。「でも」や「けど」という語彙で不明瞭な言葉を繋ぐ。
「クリスマスの雰囲気自体は嫌いじゃないし、できれば楽しみたいなーとかは思うんですよ。でも……だから雰囲気につられて浮かれられない自分がちょっとなんだかなぁって思ったりして。あ……と、やだ、やだな、何言ってるんだろ、わたし。すみません、なんだか訳のわかんないこと言っちゃって!」
美鈴はアルコールのせいだけではなく赤くなっている頬に手をあて、きゅっと眉をひそませた。
首を小さく振ると、肩にかかっている髪が頼りなく揺れる。美鈴の髪はやわらかく、手触りがいい。
俺の手は、ほとんど無意識のうちに伸び、美鈴の髪に触れ、指を通していた。髪の流れにそって梳き、そのまま顎のラインに指を這わせた。
「あのっ、維月さん」
「うん?」
「……怒って、ませんか?」
「どうして?」
ふ、と笑うと、美鈴はさらに頬を赤らめた。
ソファーに座っている俺を、床にクッションを敷いて座っている美鈴は、困りきった顔をして見上げる。身体をにじらせて、俺の近くに寄ってくる。美鈴の手が、俺の膝の上に置かれた。
「クリスマスなのに……」
素直に楽しもうとしない自分が、もどかしく切ないのだろう。
「普通はもっと盛り上がるものですよね? でもわたし、どうしたらいいのか分からなくて」
美鈴は少し顔を背けた。俺の手を払いのけはしなかったが、居たたまれなさそうに目を泳がせている。
「分からなくて、そのせいで維月さんの気を悪くさせちゃったんじゃないかって」
美鈴はしょんぼりと肩を落とし、ため息をついた。
彼女は、ひどく臆病だ。
寂しいと思う気持ちを抑え込もうとし、かつ怯えている。
彼女のそうした怯えに気づいたのはいつだったか。
何がしかのきっかけがあったわけではない。ある時ふいに、気がついた。気がついて、そして……その時には既に俺は落ちていたのだろう。
その時からもうずっと、美鈴が恋しくて堪らない。
「美鈴は、ちょっと考えすぎなところがあるね。あれこれ考えすぎて、がんじがらめになってる。もう少し感情に流れてもいいと思うよ?」
「……え。あ、それは、その……」
美鈴は肩を竦ませて、顔をあげた。
「分からないなら分からないと言えばいい。どうして欲しいのかより、自分がどうしたいのかをもっと前面に出して。せめて、俺には」
「維月さん……」
「といっても、美鈴の性格じゃ、それを言うのは難しいかな。会社でもそうだけど、美鈴はいつも後手にまわりがちだから」
美鈴の頬から手を離し、一瞬の油断を与えた後に、俺は美鈴の腕を引っぱり、強引に抱き寄せた。
「いっ、いつ……っ!?」
「――美鈴。二十四日の夜は、他に予定を入れないで、俺のために体を空けておいて。会いに行くから、待っていて」
強い口調で、言った。美鈴に「でも」という言葉を出させないよう、端的に。
「美鈴と二人で過ごしたい」
「う、うん……」
美鈴は俺の胸に頬を摺り寄せ、か細い声で応えた。
遠慮がちな所作で、俺の背に腕を回してくる。
「わたしも維月さんと一緒にいられたらいいなって、ほんとは思ってて。だから……――」
ちょっと窮屈そうに体を寄せながら、それでも美鈴は照れくさそうな顔を俺に向け、微笑みを見せる。
「だから、すごく嬉しいです、維月さん」
「うん」
ありがとうと言い添えようとした美鈴の唇に己の唇を重ね、それから微笑みをも交し合った。
* * *
二人きりの、クリスマス前夜。
美鈴に、外気の冷たさなど感じさせないよう、そして寂しさなど忘れてしまえるよう、俺という存在の“熱”を、心にも体にも刻みつけてゆく。
美鈴は臆しながら、それでも俺の熱情を受け入れ、やがて融解していく。
赤いキャンドルがちろちろと燃え、艶やかな光と影を揺らめかしている。
そして今、俺の上で、焔のように鮮やかに燃えている美鈴がいる。
露わになった白い焔は、目を瞠るほどに美しい。
「美鈴も、俺を楽しめばいい」
とまどいがちに揺れ動く彼女の白い姿態を眺め、低くささやいた。そして指を絡ませ、握る。
羞恥と快楽に惑う美鈴の瞳は、まるで水面に映る半月のようだ。ゆらゆらとたゆたいながら、光を水の内にこもらせている。
美鈴の熱せられた身体を、腰を掴んで引き寄せた。
「もっと、深く……――」
美しい焔は、さらに熱く強く、燃え上がる。
俺を焦がすために。
* 終 *