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Coffee essence

 ――午前十時十分。
 小窓の、中途半端に閉められたカーテンの隙間から、淡い陽が射しこんでいた。どうやら曇天のようだ。日はもう高い所にあるだろうに、射し込んで来る陽は弱く、室内は相変わらず薄暗かった。
 ずいぶんゆっくりとした起床になってしまった。
 もそもそと毛布を手繰り寄せながら上半身を起こした。素肌に触れる空気が冷たい。夜ほどの冷たさはなく、それに毛布の中はとても暖かい。一人で目覚めた朝だったなら、きっともっと寒さを感じただろう。
 ふと、視線を落として横で眠る人を見やった。その人……維月さんは、うつ伏せて寝入っている。安らかで規則正しい寝息が聞こえ、目を覚ます気配はない。
 こんなのは珍しい。
 わたしは朝が弱いし、疲れきっているせいもあって、大抵は維月さんの方が先に起きて、わたしを起してくれる。起きかけているのにそのまままたベッドに縛り付けてくることも、たまにあるのだけど。
 それはさておき。
 今朝に限っては当然かもしれない。
 維月さんは昨夜、忘年会の後の二次会に(たぶん三次会も)顔を出し、マンションに戻ってこれたのは深夜二時ごろだ。お酒もずいぶん飲んできたことと思う。酔っている様子は見られなかったけれど、呼気にお酒の香りが混じっていて、唇を重ねられるたび、酔ってしまいそうになった。というか、維月さん自身の香気に当てられ、激しい抱擁に酔いつぶされてしまった。
 見た目には分からなかったけれど、維月さんも酔っていたのかもしれない。
 それほどの熱っぽさが、昨夜の維月さんにはあったから。
 ともあれ、今日は何の予定も入れてないと言っていたし、せっかくなのだから、ゆっくりと休ませてあげよう。忘年会だって、きっと気疲れしただろうから。
 脱ぎ散らかされた二人分の衣服を探し、拾い集めてベッドから降り、そのまま寝室を出た。足腰に力が入りきらなくて、ふらふらしてしまう。壁に手をつきつつ、どうにかこうにかバスルームに辿り着いた。

 シャワーを浴び終えてから、再び寝室に戻り、中の様子を窺った。維月さんはさっきと同じ姿勢で、まだ眠っている。
 よっぽと疲れてたんだなと思うと、少し気の毒でもあったし、可笑しくもあった。だけど数時間前までの、維月さんに組み敷かれていた自分の痴態を思いだし、ちょっと……ううん、かなり恥ずかしくなった。……あんなの、維月さんだって疲れるはずだよ……、もうっ。
 だって、昨夜の維月さんは、いつにもまして激しくて、わたしはもうずっと翻弄されっぱなしだったもの。加減なんてちっともしてくれなくて、何度か意識を失いかけたけど、維月さんに揺り起こされて、気絶するのもままならないくらいだった。バスルームで気づいたけど、体のそこかしこにキスマークが残ってて、昨夜の情事ことがいかに激しかったかを、証拠として突き付けられたみたいだった。
 怖くなんかはなかったし、維月さんの気持ちが伝わってきて、とても嬉しかったのだけど。それでもやっぱり思い起こすと恥ずかしい。
 維月さんの、ブランデーのように熱く強いまなざし、切なげで甘い囁き……――
 それを思いだすだけで、顔中が火照りだして紅くなってくるのが自分でもわかる。胸が高鳴りだし、気もそぞろになってしまう。
 ううっ、だめだめ……っ!
 もう朝なんだから、しゃっきり目を覚まさなくちゃ!
 いつまでも夜の余韻に浸ってちゃダメなんだから!
 ブラックコーヒーでも飲んで、気を落ち着かせよう。ともかく、ひとまず寝室から出よう! あと、深呼吸、深呼吸っ!
 それから、維月さんの着替えも持っていってあげよう。昨夜の夜着は、わたしのと一緒にもう洗濯かごの中だし。
 それにもう十一時近い。そろそろ起こしてあげなくちゃ。
 わたしは大急ぎで濃いめに淹れたブラックコーヒーを胃に流し込み、維月さんの着替えを用意して寝室へ戻った。
 枕頭に着替えを起き、声をかけた。
「維月さん」
「……」
 返事はない。維月さんは壁側に顔を向けているから、瞼が動いたかもわからない。
「維月さん、朝ですよ」
「……」
 揺り起そうかと迷ったけれど、もう一度だけ「維月さん」と名を呼んだ。
「……ん……」
 掠れた声がし、維月さんがこちらに顔を巡らせた。瞼がうっすらとあげられている。
「おはようございます、維月さん」
「……み、すず……?」
 維月さんはごろりと寝返りをうち、仰向けになって額に手をやった。
「はい、わたしです。もうそろそろ起きた方がいいかなぁと思うんですけど……」
「……」
 維月さんは一度深く息をついたけれど、起きあがる気配を見せない。額に手を当てたまま、瞼も閉じてしまったようだ。
「維月さん?」
「美鈴、……ちょっと、そこ、座って」
「はい?」
 ほとんど反射的に維月さんの言葉に従い、ベッドの端に腰をおろした。――その、途端!
「……っ、ひゃっ、わぁっ!」
 維月さんの上半身が起きあがったかと思うと、いきなりわたしの腰に両腕を回してきて、太ももの上に頭を落とした。
「いっ、いつ、きさんっ!?」
「……も、すこ、し……」
 寝かせてくれと言ったらしいけど、声がくぐもって聞きづらかった。
 というか、なんですか、なんなんですか、この体勢はっ!
 わたしは両腕を中途半端にあげたまま固まってしまった。
 維月さんは、わたしの腰をがっちりつかんだまま、もぞもぞと身体を動かし、さらに身を寄せてくる。布団がいざって、背中が丸見えの状態だ。
 何か着ていればいいのだけど、さっきのわたしと同じ状態で……つまり、素裸なわけなので、このままじゃ身体を冷やしてしまう。慌てて布団を引き寄せて維月さんにかけ、それからようやくほっと息をついた。
 いえ、ちっとも落ち着かないのだけど。
「あ、あの、維月さん……?」
「ん……」
「維月さん、風邪ひきます」
「美鈴があったかいから、へいき」
「でも……」
「あと、もう少し……」
「……」
 どっ、どうしようっ!?
 維月さんが……維月さんが、すごく可愛いんですけどっ!
 こんな風にわたしに甘えてきて、仔猫みたいに丸まってるなんて!
 寝乱れてる髪を撫でてあげても、わたしの腰に回された維月さんの腕は悪戯をしかけてこない。そのうちに、すやすやと寝息をたてはじめ、再び眠りについてしまったみたいだった。
 維月さんの柔らかい髪が、指に気持ちいい。肩とか背中とか、ほっそりとして見えるのに実は逞しくて、触れると存外硬い。
 こんな風に甘えてきてくれるなんて、なんだか嬉しい。恥ずかしいけど、維月さん、寝てるし。
 心も体も、ほこほこと温かくなってくる。
 後頭部を撫でてあげながら、ふと思いついて、ちゅっと軽く、髪にキスをした。維月さんが起きていたら恥ずかしくて絶対できなかった。維月さんは相変わらず寝息をたてていて、わたしはホッと安堵した。


 ――いい香りがする。コーヒーかな……?
 と思ったのと同時に、声がかかった。
「美鈴、そろそろ起きて」
「……っ!」
 思わずがばっと身を起した。
 わたしはいつの間にやらベッドに体を横たえて、うたた寝してしまったらしい。
「おはよう、美鈴」
 維月さんはマグカップを片手に持って、わたしの傍に佇んでいた。わたしは瞠目し、すっかり身支度を整えている維月さんを見やった。
「いっ、いつ……っ」
「大丈夫、まだ十二時前だから。十一時半をちょっと回ったところ」
「……」
 ということは、三十分くらい寝ちゃってた、ということか。
 それにしても、維月さんに膝枕をしてあげていたというのに、わたしの方が寝入っちゃって、維月さんに起こされるなんて……! 不覚というか、……いつも仕様というか。なんだかちょっぴり口惜しい。
 しかも維月さんときたら、もうシャワーを浴び終えているようだった。ということは、本当にあれから少しだけしか寝てないんだ。
 寝起きの悪いわたしと違って、すっきりと目覚めた様子でちっとも寝ぼけ眼じゃないし、それになんだか外の天気とは真逆に、晴れ晴れとした顔をしてる。
 もうっ、維月さんはずるいよ……!
 なんでそんな嬉しそうな顔してるの? 楽しそうに微笑んでるの?
 その甘やかな瞳が胸をどきどきさせるって、維月さん、分かってるのかな?
「うー……」
 つい恨みがましい目で維月さんを睨みつけてしまった。維月さんはというとまったく動ぜず、微笑みを深めるばかりだ。
「美鈴もコーヒー飲む?」
「……」
 わたしはこくりと頷いた。まだ立ち上がる気力もなくて、肩をすぼめてベッドに座っている。
 維月さんは距離を縮めてわたしの目の前に立ち、ちょっと腰を屈め、空いている方の手をわたしの頬に添えた。――温かな手。だけど、わたしの頬だって負けないくらいに熱くなってるはずだ。
「二杯目のコーヒーはカフェオレにしようか?」
 そう訊いてから、維月さんはわたしの答えを聞く声に、ちゅっと軽く、啄ばむようなキスをした。維月さんの手と唇はすぐに離れ、それを名残惜しく思いながら、リクエストした。
「……砂糖抜きのカフェオレでお願いします」

 甘いのはもう、維月さんでいっぱいいっぱいですから!

* 了 *

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