我慢しようとすればするほど、声は漏れてしまう。
手で押さえても、唇を噛んでも、喉元から、鼻から、零れてしまう。
くぐもった声がさらに身体を緊張させ、硬くさせてしまう。
枕に顔を埋めていたのだけど、息苦しくなって、横向けた。そんなわたしを気遣って、うつ伏せているわたしの身体の上から維月さんがそっとささやいた。
「痛むなら、言って。我慢することないから。……ね?」
「……っ」
身体が強張ってしまう。
維月さんの声は、少し掠れてた。疲れ気味なのは、わたしのせいかもしれない。
身構えていたとはいえ、やっぱり声はあがってしまう。
「……っ、ぃ、た……っ」
痛みが走ったのと同時に、足も跳ね上がった。維月さんを蹴り飛ばすにはいたらなかったけど、わたしの過剰な反応に維月さんは慌てて手を離した。
「ごめん、キツくしすぎた?」
「……ぅ、や、あの……すみません、大丈夫です」
大きく息を吐き出して、わたしは全身の力みを抜く。
額から汗が流れ落ち、維月さんがそれを指先で拭ってくれた。
「続けてもいい? それとも、もう止めようか?」
「ひゃっ、わっ」
もぉぉっ、耳元でささやくのは止めてほしいんですけど!
わたしの粟立った肌を見て、維月さんは小さく笑っている。
「どうする、美鈴?」
シャワーを浴びたばかりの維月さんの髪は、シトラス系の香りがする。だけど、その爽やかな香りさえ凌駕する濃厚な甘い香りが、維月さんの、少し掠れた低い声に含まれている。
「……も、もうちょっと……」
「ん?」
うぅっ、維月さんめ! ぜったいわたしの反応見て楽しんでるっ!
それを分かってるのに、抗えないよ。
だって、だって…………――
「つ、つづ……けて、ください」
維月さん、上手なんだもん。……気持ちいいんだもん。
恥ずかしげもなく、「続き」をせがんでしまう。
病みつきになったら……どうしよう。
熱に浮かされている頭のすみっこでそんな焦りを感じているわたしを、維月さんはきっと見透かしてる。
「じゃ、もう少しね」
「は、い…………お願いします」
わたしは顔を枕に埋め、小さく懇願した。
そういえば維月さん、学生の頃からテニスをずっと続けてるって言ってた。だから身体にだぶつきがないし、体力も筋力もある。
全体的に均整がとれていて、筋肉にも張りがある。とくに、腕、……手首なんか。一見しただけでは分からないけど、意外にごつくて、筋張ってて、見惚れてしまうくらい。
維月さんはどちらかといえば柔和で穏やかな顔立ちだけど、手や腕は(ついでに胸元も)見た目に反して逞しく、当たり前なのかもしれないけど、「男の人」って感じがすごくする。
わたしは、維月さんの力強い手と包容力のある腕が堪らなく好きなんだと、こんな時に改めて気づかされる。
「――ここ、気持ちいい?」
「んっ、は、ぅ……はい」
「素直だね、こういう時の美鈴は」
「うぅ……っ、そ、んなこと、な……、と思います、けどっ」
声をつっかからせながら、反論してみる。身体の揺れに合わせて声も揺れてしまい、滑らかに出てこない。
顔も髪も、くしゃくしゃになってるのに違いない。
「いつにもまして、……艶かしい」
「ちょっ、やっ、そ、な、はわっ」
ほこほこ温まり、ほぐれていた全身が一気に温度を上げ、火がついたみたいに熱くなる。
「恥ずかしい?」
維月さんは楽しそうに笑い、わたしのうなじに手を当てる。親指と人差し指を、ぼんのくぼへ這わせていく。
ぞわぞわして、痛いけど、不本意ながら……気持ちいい。
「はっ、恥ずかしいですからっ」
「けど、気持ちいいんだ?」
「もっ、もぉっ、維月さんっ、からかわ……な……っ」
じたばたと、両足をばたつかせてみた。維月さんを退けようとしてみたのだけど、本気で退けたいわけじゃないから、ちっとも力が入らない。
「ごめんごめん」
維月さんは笑いつつ、わたしの後頭部を軽く叩いて、それから髪を撫ぜる。
「他、してほしいところ、ある? 痛くない程度にするから、言って?」
「ん…………あ、の」
枕をそっとどけ、顔を横向けた。意地悪を言う維月さんに文句を返す余裕もない。息すら、苦しい。
……維月さんの手が、気持ち良すぎて。
「も、そろそろ、い……です」
「そう?」
「は、い。もう、……楽、に」
楽になったけど、……苦しいなんて。さすがに言えなかったけど。
速まってる脈拍が聞こえちゃうんじゃないかなと、それも、恥ずかしかった。
「それにしても」
うつ伏せたままの状態のわたしから、維月さんは身体を離した。ため息をついてから再びわたしの背骨から腰骨を、親指の付け根あたりで強くこすりつけるようにして、押し撫ぜる。
「ずいぶん凝ってるね、美鈴。……まぁ、うちの模様替えを手伝ってもらってこんなこと言うのはなんだけど」
入居してまだ一年にも満たない維月さんのマンションは、ほどよく整頓され、こざっぱりとしていつもきれいだ。
そう言ったら、「頻繁に模様替えをしているから必然的に整頓される」という返事が返ってきた。
梅雨の中休みの土曜の午後、維月さんの部屋の模様替えを手伝うことにしたのは、日ごろの感謝の気持ちを形にしたかったという、私的理由。
そして、
「ついでに、美鈴の私物入れの場所も作っておくから」
その一言にほだされちゃったなんて、…………維月さんにはバレちゃってるだろうけど、言えませんっ。
気遣わしげに、維月さんがわたしの顔を覗き込んでくる。
「身体、もう辛くない?」
「は、はい」
身体を起そうとしたのだけど、なにやら力が入らず、わたしは維月さんのベッドの上、うつ伏せた格好のままでいる。
こういう時って、脱力しきっているのか、すぐに身体を動かせない。
「維月さん、マッサージ上手ですね。すごいです、気持ちよかったです」
はぁぁっ、と大きく息を吐き出し、ついでに手を組んで腕を伸ばした。
「会社の上司に全身マッサージしてもらっちゃうなんて、すっごい果報で贅沢な部下ですよね。あ、でもこれって、もしかして逆セクハラ?」
「セクハラとは違うんじゃない? それに今の俺は、美鈴の上司じゃないよ」
「あ、そ、そうですね、ごめんなさい」
慌てて、訂正した。
維月さんは眉をしかめただけで、それ以上は何も言わなかったけど、セクハラなんて言われて、やっぱり気分を害しちゃったのかもしれない。
もうっ、わたしってなんでこう迂闊かな。
維月さんの役に立つどころか、疲れさせちゃうなんて。
ベッドの端に腰かけている維月さんが、またため息をついた。目線を上げ、維月さんの顔を見やると、なにやら眉尻を下げて、困ったよう顔をしていた。
「……維月さん?」
「あのね、美鈴?」
「はい?」
「前にも言ったけど」
「はぁ?」
維月さんの顔が近づいてくる。
途端、頭の中でシグナルが点灯した。目も、チカチカする。
しっとりと落ち着いた微笑は、『キケン』の前触れだ。甘くて熱い危ない罠に、わたしを誘う。
「美鈴は本当に無防備すぎる。そうやって俺を煽るの、……わざとじゃないよね?」
「え、えぇ? な、なんのこ……っ」
「無自覚というのがさらに性質が悪い」
「う、す、すみません」
何のことやら分からず、だけど「悪い」と言われて、つい条件反射的に謝ってしまった。
「本当に、まいった」
「…………え?」
いきなり視界が、狭くなった。
避ける間もなく、維月さんがわたしをその身体全部で、閉じ込める。
マッサージをしてもらっていた時と同じような姿勢のはずなのに、維月さんの表情から醸し出される雰囲気は、明らかに甘味成分を増している。さらに強く、激しく、躊躇なくなだれこんでくる。
「お誘いには、乗じないとね」
「はぇぇっ?」
誘ってなんかいませんてば〜っ! なんて、言い返してみたところで、維月さんは手を休めてはくれない。
苦しいんだか、気持ちいいんだか、もうわけが分からなくなって、自分のものだとは思いたくないような声が、堪えようとするわたしの意なんか無視して、零れ、喘いでる。
* * *
「…………落ちて、く」
ふと漏れた維月さんの声に、わたしも急転直下に、落ちてゆく。
不安にかられて握った手を、維月さんはきつく握り返してくれた。
怯えて震えるわたしの身体を、そうして
その、――大きく温かな手で。
* 終 *