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恋心の片付け方

 高倉維月さんという人は、突拍子もないことをする人だ。
 そういう人だって分かり始めてきたのに、それでも不意をつかれて、とまどわされる。
 わたしはいったい何度維月さんに焦らされ、ときめかされてきただろう。
 今年ももう残り僅か。
 その僅かな日数の中、また何度でもどきどきさせられてしまうんだろうなと、予感めいたもの……期待と言い換えてもいいものを、維月さんの瞳に感じて、もうすでに落ち着きを失いかけている。

* * *


 髪をシュシュで一つにまとめてエプロンを装着し、「やりますか!」と気合いを入れて腕まくりをする。
 準備は万端、片手に雑巾、片手に洗剤を持ってバスルームに入った。
「それじゃぁお風呂場と洗面所、こっちの掃除はわたしがやりますね」
「うん。悪いね、一番大変な所なのに」
「平気です。それに……――」
「それに?」
「いっ、いえ、別に何でもないです」
 それに。……その先は続けられなかった。
 ここのバスルームはわたしもよく使わせていただいてますから、なんて恥ずかしくてとても言えないもの。
 言いかけた自分が恥ずかしくて赤面してしまった。
 何でもないと言葉を濁したけれど、維月さんはわたしの心を読みとれちゃう不思議な人だから、もしかしてわたしの言いかけたこと察しちゃったかもしれない。
 意味ありげに笑って、「何かあったら呼んで」と言い残し、維月さんはバスルームから出て行った。

 年末の休みに入って二日目の今日、わたしは維月さんのマンションに大掃除のお手伝いをしに来ている。風は冷たいけれど天気は良くて陽射しが温かい。大掃除にはうってつけの日だ。
 維月さんはけっこう小まめに模様替えとかするタイプで片付け上手だから、部屋は整理整頓がなされている。だから大掃除といったって、そんなに大がかりなものじゃない。いつもは適当に済ませているところを丹念に掃除するくらい。
 わたしが浴室の掃除をしている頃、維月さんは雑誌や書類等の整理、シュレッダーにかけるものはかけて、掃除機をかけたりゴミをまとめたりしているようだった。
 お昼御飯は維月さんが手作り料理をごちそうしてくれた。手軽にすませてごめんと言ったけれど、維月さんが作ってくれたカルボナーラは絶品だった。
 維月さんは隙のない人だとつくづく思う。ごく自然にいろんな事を器用にこなせて、いつもすごいなって感心してしまう。そして自分を顧みて、少しだけ不安になってしまったりもする。
 わたしばかりがいつも維月さんに頼って、いろんなことをしてもらっているから。わたしが維月さんにできることってあるのかなって。
 何もできないとは思いたくない。必要とされたいから、わたしにできることがあれば、……維月さんが望むのならば、なんでもしようって思う。
 それが、たとえお風呂掃除でも!
 些細なことでもこうして維月さんのお手伝いができるなら嬉しい。
 もっとも、カルボナーラを食べさせてもらった時点で、わたしの方が「してもらってる」側って気もするけれど。それに、維月さんと少しでも一緒にいたくて押しかけちゃったわけだし。
 そんなことを考えながらも手はせっせと動かして、バスルーム掃除に精を出した。

 洗面所の照明カバーを取り外そうと、お風呂場から持ってきた椅子を踏み台にし、両腕を天井に向けて伸ばしたところで、背後から、「美鈴」と声がかかった。
 振り返ると、そこにちょっととまどったような顔の維月さんがいた。
「呼んでくれれば、俺が外したのに」
「これくらい平気です。うちでもやってますし」
「…………」
 ふっと、維月さんは力の抜けたような笑みを浮かべ、ため息をついた。それから身を屈ませると、何かを拾った。
 維月さんが拾ったそれは、いつの間にかはずれてしまっていたシュシュだった。髪がほどけていたのにようやく気づく。わたしが髪をおさえると、維月さんは黒レースのシュシュを差し出し、手渡してくれるかと思ったら、ぎゅっと握ってこぶしの中に隠してしまった。
「維月さん?」
 シュシュを握っていない方の手が、わたしの頬に触れた。わたしは椅子に乗ったままだったから、維月さんはわたしを見上げている格好になっている。
 維月さんに上目遣いで見つめられ、くすぐったいような気分になった。
 沈黙が狭い空間を浸している。気まずい沈黙ではなく、けれどなんとなく切迫したような空気にたじろいだ。――維月さんのせいだ。
 維月さんはわたしの髪の中に指を滑り込ませてきた。耳に触れ、髪の生え際をさわさわと指先で撫ぜてくる。反射的に、わたしはちょっとだけ前屈みになった。維月さんはもう片方の手をわたしの腰に回す。シュシュが、またぽとりと床に落ちた。
「い、つきさ、ん……」
「…………」
 まるであたりまえのように、わたし達は唇を重ねていた。
 わたしは不安定な格好を支えるように、維月さんの両肩に手を置いた。
 一度目のキスは軽く触れる程度だった。二度目のキスは深く、維月さんはわたしの腰に両腕を回し、ぐっと抱き寄せた。足が浮いて、次の瞬間には椅子からおろされていた。
「……んっ、……」
 噛みついてくるような激しいキスに焦り、とまどうわたしに構うことなく、維月さんは角度をかえて深いキスを求めてくる。舌先を吸い、絡ませ、息すら奪おうとする口づけにすっかり翻弄され、頭の芯がぼうっとしてくる。
 維月さんは後ろ手にバスルームの引き戸を閉めるや、わたしを抱きしめたまま体の向きを変え、わたしをそこに押しつけた。ガタッと引き戸が音をたてる。背中が冷たくて、息も苦しくて、苦情の声を漏らした。
「……っ、は……っ」
 ようやく解放され、息をついた。呼吸は乱れ、同じくらいに心臓も痛いくらいに高鳴っている。
 維月さんはキスをやめようとしない。頬からうなじ、そして耳、いささか乱暴に襟元を下へおろして鎖骨へも舌を這わせてくる。
「い、いつき、さ……っ、待って、まだ……」
「まだ、なに?」
 維月さんの手は如才なく動く。いつの間にか服の中に手を滑り込ませて腰を撫でていた。エプロンやロング丈のカットソーをたくしあげられ、デニムのレギンスもわずかにさげられていた。
 身じろいで維月さんの手をとめようとしても、無駄な抵抗だった。
 維月さんはいつになく強引で、性急だ。指先が敏感な所を攻めたて、ぞわりと肌が粟立った。嫌なんじゃなくて、くすぐったさと、――むしろその逆の感覚に羞恥がわきおこってくる。
 待ってと、喘ぎ喘ぎ言っても、維月さんはやめてくれない。
「ま、だ……お昼、で!」
「うん」
「あ、あかるいうちから、こんなの、は……っ」
「こんなの?」
 維月さんは意地悪く、クッと喉の奥で笑った。そして額と額を合わせて、わたしの顔を覗き込み、「こんなのって、なに?」と悪戯っぽく笑って問いかけてくる。わたしの羞恥を煽るように。
 維月さんの目はおそろしい程に艶っぽく官能的だった。獰猛な獣に睨めつけられたようで、視線を逸らすこともできない。
「美鈴」
 維月さんが熱っぽい呼気とともに、わたしの名を囁く。
「情けないこと、言おうか」
「……え?」
 維月さんの声がひどく切なげで、嘲笑的にも聞こえた。わたしは維月さんの胸元を掴み、その手を離すことも背に回すこともできずにいた。居たたまれず、熱った体を竦ませていた。
「こんなこと言えば美鈴は引くかもしれない。だけど、自分でも衝動を止められない。いつも美鈴が欲しくて、抱きたくて堪らない。どれだけサカってるんだと、我ながら呆れる」
 維月さんは細めた眼をわたしから逸らして、自嘲的に笑う。
「美鈴の体も心も、すべてが欲しい。そんなことばかり考えて、頭の中がぐちゃぐちゃに散らかってる。今も、そうだ」
「…………」
 維月さんは少し体を離して再びわたしを見つめる。わたしへの欲求を露わにし、隠したりごまかしたりはしない。
 求められていることにくらくらする。
 こんなにもまっすぐ、赤裸々に求められる。それを全身で感じ、わたしはうち震えるほどの歓喜すら覚えた。
「ベタなことを言うけど」
 くすっと維月さんは悪戯っぽく笑った。少し恥ずかしそうでもあったけれど、開き直ったのか、維月さんは臆面なく言ってのける。
「まずは、俺を片付けて」
「……っ」
 維月さんの少し伸びすぎた感のある前髪の向こう側、甘く艶めかしいまなざしに縛られて、もう身動きが取れない。維月さんの目が、もう我慢できないと訴えてくる。
 ――それはわたしも同じで……――
 こんな時間に、こんな所でっていう困惑も羞恥も、維月さんの直截的すぎる希求に拭い払われてしまった。
「……維月さん、ずるいです」
「うん?」
 そろりと腕を背中にまわし、維月さんの胸にこつんとおでこをぶつけた。
「維月さんばっかり、ずるい。……わたしだって、今こんなに心も……体も乱されてぐちゃぐちゃになって、どうしたらいいのかわからないくらいおかしくなってる。片付けてほしいの、わたしもなのに」
 我ながら大胆なことを言ってしまった。どうしよう……っ、恥ずかしくて顔をあげられない。
「乱すのは維月さんなんですから、ちゃんと、片付けてください」
 くぐもったわたしの小声は、維月さんに届いたようだ。
「……まいったな、とんだ逆襲だ」
 維月さんはわたしの髪に顔をうずめて、苦笑まじりに言った。「ごめん」と言葉を継いで、「片付けられそうもない」、と。

 ――それから小一時間は経っただろうか。
 維月さんはぐったりとしたわたしの体を支えるように抱いている。そして脱衣籠に濡れて汚れた二人の衣服を投げ入れて、耳元で甘く囁いた。
「美鈴がせっかく掃除してくれたけど……。シャワー浴びようか、一緒に」
「……もう……」
 わたしが拒まないと知って、そんな誘いをかけてくる。
 まだ足りないとでも言いたげに、額や眉や瞼にキスを落として。
「……維月さんの、……」
 ――ばか。
 ちっとも片付かないって、少しだけ拗ねて文句をつけた。

* 終 *

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