しゃらしゃら


 
 その日、空には分厚い雲が悠然と横たわり、ゆったりと流れていた。
 陽が射したかと思えば、また翳り、目まぐるしい天候だ。
 風は大量の水分を含ませ、緑の梢をさやさやと揺らしていた。


 魔法陣は、その内容によって、図形が変わる。描くのに大して時間をとらない単純な陣もあれば、複雑なものもある。
 少女が日ごろ魔法薬作りに使う魔法陣は、どれもわりあい簡単なものが多いため、さして苦労はかからない。
 ところが、今、舘の広間に描いている魔法陣は、たいそう複雑なものだった。
「〜〜っ!!」
 めんどくささのあまり、何度も途中で放棄しかけた。その度に眷属のリフレナスにはっぱをかけられた。
「しかたないだろう、描かないといつまでたっても結界魔術が施せない」
「でも、これってば複雑すぎる〜」
「お前の師匠が考案した結界魔術の陣だからな。文句があるのなら、師匠に言え」
「そんなムチャな〜っ」
「そろそろ限度なんだから、しかたないだろう」
「そうだけど」
 結界魔術とは、特定の場所を守る目に見えない防御壁を、魔術にて施す術だ。
 その結界魔術が、少女の住む森に施されているのだが、少女の師匠が亡くなって、もう二年以上が経つ。
 結界術は、施した者が死ねば、次第に薄れ、やがては消える。その限度がついにきたというので、二代目の森の魔女である少女が、結界を結び直さなくてはならなくなったというわけだ。
 結界がなくても、不都合は、さほどない。
 せいぜい盗賊が無作法に入り込みやすくなるとか、火災などの被害にも割合的に遭いやすくなる、という程度だ。
 昨今では害をなす魔物の存在は薄れてきているが、まったくいなくなったわけではない。魔力のある者の周りには集いやすいので、その点で少女の住む森には、結界がなければ、魔物は容易く姿を見せるだろう。
「それでも別にかまわないのならいいが」
 と、リフレナスにちくちくと背中をつつかれて、ようやく重い腰をあげたのだ。
「ちょ、ちょっと休憩〜」
 逃げ出したのは、魔法陣完成まであと半分、といったところでだった。
 おもての空気でも吸って、それからお茶でも飲んで、一息いれよう。
 舘を出ると、東からの強い風が少女の長い黒髪を掬い上げるようにして、乱した。
「わっぷ」
 春の午後、風は甘い蜜の匂いがする。
 心地好いが、湿度が上がってきているようで、少しむうっとする。
 風に気をとられたその瞬間だった。
 少女の頭上に、きらきら光りながら、小さな何かが、落ちてきた。

「リッ、リプ〜ッ!」
 捕まえたその「小さな何か」を持って、二代目の森の魔女は、眷属のもとへ急いだ。
「これっ、何ッ!?」
 リフレナスは台所で苺のジャムをつまみ食いしていたのだが、見つかっても叱られなかったのは幸いだった。
「何って、何がだ」
「これよ、これ! 今しがた捕まえたんだけど!」
 おそるおそる、少女は両手で覆ったその中身を、リフレナスに見せた。
 少女の小さな手の中、さらに小さなそれは人の形をしていた。そして、動いている。
「・・・・・・ああ」
 リフレナスは呟いた。少女の手の上で、小さなそれは、立ち上がり、伸びをした。身体全体が青白く、光を放っていて、夜光虫のようだ。
「力は弱いが、水属性の精霊だな」
「せ、精霊!? それってば、空から降ってくるものなの?」
「ちょうど今結界も弱まっているしな。それに魔力を解放しているだろう、おまえ。それに引き寄せられたんだろう」
「え、でも召喚なんてしてないのに」
「お前の魔力は光属性のものだ。水の精霊は光に引き寄せられやすいからな。それに」
 リフレナスは窓の外に視線を流す。
「通り雨だ」
 リフレナスの言うように、さっきまで晴れていた空には雨雲がかかり、強い雨が降り出した。
「こういう日は精霊界と繋がりやすい。・・・どうする。契約を結べば眷属にできるぞ?」
「眷属って、でもリプがいるのに」
「眷属は、別にどれだけいたって不都合はないだろう」
「・・・でも」
 手の上の小さな精霊は、女の子のような容貌をしている。この時点では、まだ確然とした性別はないはずだが、見た目だけならば、あどけない童女のようだ。
 捕らえたものの、どうしてよいやらわからず、腕を組み、思わずうなった少女だった。

 とりあえず、捕らえた水属性の精霊は、やはりもとは精霊だったリフレナスに預けて、少女は再び魔法陣を完成させるために広間に戻った。
 ところがすぐに、中断するはめになった。
「おい、ちょっと、そいつ捕まえてくれっ!」
 リフレナスの、珍しく慌てた声がし、少女は反射的に振り返った。
 と、同時に。
「きゃっ、わっ」
 しゃらん、と硝子の破片がぶつかり合うような音がし、それが少女の顔にぶつかったのだ。
「ちょっ、とっ」
 さっき捕まえた、精霊だった。
 どうやらリフレナスのことがお気に召さなかったようだ。ぴったりと少女にはりついて、離れようとしない。
「どうしたのよ、リプってば」
「知るか。ちっとも大人しくしてないから籠の中にでも入れておこうとしたら逃げ出したんだよ」
「怯えちゃってるじゃない。可哀相に」
 顔にはりついた小さな精霊をなんとかはがして、両手で軽く包んだ。
 手の中で、精霊は嬉しそうに青白い光を灯らせている。
「俺はもう知らん。お前が持ってろ」
「って、ちょっとリプってば」
 すっかり機嫌を損ねたリフレナスは、文字通り「尻尾を巻いて」逃げ出してしまった。
「もうっ」
 しかたなく、少女は精霊を片手に持って再び魔方陣を描き始めたのだが、その間中、水属性の精霊はきらきらと光の粉を振り撒いていた。
「こらこら。大人しく、じっとしていてね。これ描き終わったら、ちゃんと還してあげるから」
 還してあげる。と言ったものの、実はリフレナスの言葉が心に引っかかっていた。
 精霊と契約を結んで、眷属にする。
 リフレナスも、師匠に召喚され、契約を交わした精霊だ。属性は風だという。師匠の魔力の属性が風だったため、同じ属性の精霊を召喚したのだという。
 現在は、契約を少女が受け継ぎ、主となったが、リフレナスの本来の主は、やはり師匠なのだろう。
 そう思うと、少し・・・本当に少しだが、残念なような、寂しいような気がしていた。
 だから、自分が召喚して契約を交わす眷属、というものに興味はあった。
 師匠から、光属性の精霊は召喚が難しいと聞いていたこともあって、今まで試す機会がなかった。
 同じ属性の精霊を召喚しなければならないわけではない。ただ召喚しやすくなるというだけで、風でも火でも、自分の魔力とは別属性の精霊を召喚し、眷属にする魔女は多いらしい。
「う〜〜ん、どうしよう」
 楽しそうに光の粉を振り撒いてはしゃいでいる精霊は、時折何かを請うような目をして少女の顔を覗き込んでくる。
 一緒に遊んで。それは、無邪気な子供の要求だ。
「・・・・・・・・・」
 ふと、窓の外を見ると、いつの間にか雨はやみ、陽がさしていた。
 つかの間の晴れ間かもしれない。まだ雲は、青空を半分以上隠している。
「・・・小さいね、まだ」
 少女は、精霊を手の上に乗せた。
 精霊は、首を傾げる。人間の形をしてはいるが、その形もどうやらまだ不安定なようだ。体が伸びたり、縮んだり、はては透けてしまったり、一定の形を保っていられない。
「・・・まだ、だめ・・・だね」
 窓の縁に精霊を乗せると、少女は袖をまくり、魔方陣を再び描きだした。

* * *

 幼くて、あまりよくは憶えていない、リフレナスとの初対面の時。
 ただびっくりはしたことは、憶えている。そのはずだ。ネズミが口をきいたのだから。
 師匠は引き取ったばかりの幼い少女の頭を撫でつけ、「仲良くなさいね」そう言って笑った。
 頷いて、少女はさっそくネズミのリフレナスに「リプ」の愛称をつけたのだ。
「仲良し」になるための、命名。
 森の魔女は、いかにもうんざりとしたリフレナスを見て、また笑った。うんざりしたふりを、しているのだ。
 よく晴れた真昼の青空のように明るく澄んだ笑顔を見せる幼い弟子は、無自覚に契約を結んだのだ。契約を結ばれたリフレナスも、いずれそれに気がつくだろう。
 名前という、契約。
 それは縛りつけるものではない。
 名を呼び、応える。双方の意が通じていなければ、契約は成り立たないのだから。


 日が暮れる前までに魔方陣は完成した。まさに、ほうほうの態で仕上げた。
「あとは、貴石を置いて・・・と」
 魔方陣の四方、東西南北の場所に、その長方形の貴石を置く。東に蒼色の石、西に乳白色の石、南に紅色の石、北に黒色の石。
 そして、少女は丸い石を手にしている。無色透明の、水晶だ。
「リプ、準備できたよ?」
「ちょうど好い頃合だな、日暮れ前とは」
 リフレナスは素早く少女のもとに駆け寄り、肩の上に飛び乗った。
 師匠から聞いていたことだったが、夜明け前、そして日暮れ前は、魔力が高まりやすい時間帯なのだという。
「それはそうと、結局、その精霊はどうするんだ?」
「還すよ。でも結界をはってからの方が、きっと安全だから」
「眷属にしなくていいのか?」
「うん。リプがいるから」
 リフレナスの長い尻尾が、もの言いたげに揺れている。
「いつかは他の精霊とも契約を結ぶかもしれないけど、今は、まだいいの」
「・・・そうか」
 その精霊はというと、再び少女の頭の上に乗っかり、きらきらと光を弾かせている。リフレナスが近くに来ても、自分の方が高い場所にいるという優位感からか、嫌がったり怯えたりすることはない。
 二代目の森の魔女は、水晶を両手に持ち、魔方陣の中央に立った。
 日暮れが始まっている。太陽が沈みきってしまうまでに、術を施し、完成させねばならない。
「東の蒼石、西の白石、南の紅石、北の黒石、その光もちて、四方を照らし、力を示せ」
 呪文が鍵となり、魔方陣の力の扉が開かれる。
「始祖の光、始祖の闇、我を守り、我を助けよ。我が名は、キラ。この名において、結界陣を敷く。我を守る地、我を安らげる地を清め、祝福をたれたまえ」
 魔方陣の中央から、光と風が巻き起こり、それが渦となって四方に拡がっていく。少女の足元に黒い影が揺らめき、その影も螺旋を描いて魔方陣の外側へ伸び、やがては地に消えた。
 少女は水晶を片手で持ち、掲げた。
「守りの呪文よ、水晶に宿れ。開封者、我、キラ。封呪の鍵保持者は、眷属」
「我、リフレナス」
 水晶が閃光を放つ。
 少女は、目を閉じた。
 光となり、風となり、闇となり、解放された魔力は空間を駆け抜ける。
 たった、一瞬のことだが、まるで永遠のような体感だ。
 目を開け、水晶を両手で抱えると、少女は大きくため息をついた。
 リフレナスはぶるんと体を震わせて息を吐き出し、そして少女の肩から降りた。
「で、お次は?」
 窓の縁に飛び乗って、リフレナスは顎をしゃくった。少女の頭の上で、相変わらず無邪気に光を振り撒いている水の精霊を見やり、言った。
「うん、還して、あげなくちゃ、ね」
 少女は、息を整えた。
 結界魔術は、魔力の消費が激しい。
 少し頭がふらつくが、へたりこんではしまえなかった。
「・・・おいで」
 頭の上の精霊を、そっと下ろした。

 夕闇が、もう東の空に迫っていた。雨雲は遠ざかっていて、きっと別の場所で雨を降らせているのだろう。
「まだ眷属にはなれないだろうから、もう、お帰り」
 水の精霊は、もの言いたげに少女を見上げる。
「けれどせっかくこうして出逢えたのだから、・・・仮の契約を結ぶね?」
 やや意外そうに、リフレナスは主を見やる。あっさりと還してしまうとばかり思っていた。
「だから、遊びには、いつでも来ていいよ。お試し期間・・・というやつかな?」
 少女の言っている意味がわかったのかどうか、実は口にした少女も判然としない。けれど、精霊は笑い、それを承諾したものと受け取った。
「・・・そうね、・・・・・・名前、あなたの名前は、サラ」
 リフレナスは思わず吹き出しそうになった。単純思考の主らしい、名づけだ。
 おそらく、水の精霊のたてるしゃらしゃらと涼やかな音が、その名をつけさせた。自分の名とも似させたかったのかもしれないが。
「サラ。あなたの名は、サラ」
「・・・・・・サ・・・ラ」
 初めて、精霊は口をきいた。
 名を与えられたことによって姿を保つことができ、存在が固定されたものとなった。それが、つまり「契約」だ。
「そう、サラよ」
 仮の契約と少女は言ったが、命名した時点でもう眷属となりうる契約をかわしたも同然だ。
 サラと名づけられた水の精霊は、ふわりと浮いた。そして名づけ親となった少女の鼻先に、軽くキスをする。
 リフレナスは窓を開けた。雲間から差し込む夕日がちょうど窓辺にかかり、雫が光っている。
「じゃぁ、またね。サラ」
「・・・・・・」
 頷いて、水の精霊は少女の傍を離れた。名残惜しそうではあったが、窓の外へ出、そして何度も振り返っては、空へと昇っていき、やがてその姿は見えなくなった。
「・・・見ろよ」
 リフレナスが、空を指さした。
「・・・・・・きれいね」
 雨、ではなく幾粒もの小さな雫が空を待っていた。
 サラが降らせたのだろう。
 夕日に反射して、虹色に光っている。
「ご苦労だったな、・・・キラ」
「!」
 驚いて、少女はリフレナスを見やった。
 ずいぶんと久しぶりのことだ、リフレナスに名を呼ばれるのは。
 あまりにこともなげに言うものだから、かえって戸惑ってしまう。
「腹も空いてくる頃だ。そろそろ飯の支度でもしよう」
「う、うん」
 リフレナスは窓辺から降りると、さっさと広間から出て行く。慌ててその後を追いかけながら、少女はふと、気がついた。
 リプの主は、今はちゃんと、わたしなんだ・・・・・・。
 それを、リプは自覚していたのに、わたしだけが気づいていなかった。
「リプってば、待ってよ!」
 それでもきっと、意地っ張りなリフレナスは、そんなことを態度に表わしたりはしないだろう。
 だけど、「リプ」と呼ぶたび、ちゃんと振り返ってくれるのだ。
「リフレナスだと、何回言えばわかる」
 そう、憎まれ口をたたいて。

* 終 *