眷属の心、主は知らず。
嘆息とともに、ネズミのリフレナスはぼやく。
気苦労が絶えないと、最近とみに愚痴の多くなってきたリフレナスだった。
そのくせ主のことを放ってはおけない。
「お人好しで、損な性分だよね」
とは、主の言だ。
リフレナスの口の中では何匹も苦虫が跳ねていて、噛み潰すのも一苦労だった。
リフレナスは思いきり不機嫌な声で、主に文句をたれた。
「おい、何の嫌がらせだ、これは」
長い尻尾を忙しなく上下させ、機嫌の悪さを見せつけてみる。
主は困ったように笑うばかりだ。
「そんなことないってば、リプ。しょうがなかったんだもん。そんなに怒らないでよ」
リフレナスの主は、年若い魔女である。
長い黒髪がことに目を惹く森の魔女は、眷属の機嫌をどうにか直そうと、焼きたてのライ麦パンととっておきの杏のジャム、新鮮なハーブで淹れたお茶をテーブルに並べる。
もちろん食べ物でつられるリフレナスではない。
「だからといって猫はないだろう、猫は?」
「だって、可哀相じゃない」
「俺は可哀相じゃないのか?」
「だってリプなら大丈夫だと思ったんだもん」
「大丈夫じゃないとは言わないが、俺はネズミの形をとってるんだぞ? 少しは配慮しろ」
「だって」
森の魔女は口をとがらせる。じき二十歳になるはずだが、言動は少女のままだ。
リフレナスの不機嫌の原因は、何食わぬ顔をして窓辺に座っている。
にゃぁうと小さく鳴いて、前足で顔をこする。白い毛並みの体と、琥珀色の瞳の仔猫。
そして仔猫は、主である森の魔女の言葉を受け、言った。
「済んだことはもうしょうがないじゃない。今さらどうしようもないんだからさぁ」
新しく森の魔女の眷属に加わった仔猫は、つんと顔をあげる。いちいち煩いなぁといった具合だ。
リフレナスは長い尻尾をさらに激しくテーブルに打ち付ける。言い返そうとしたところを主に「まあまあ」と宥めすかされて、結局口を閉ざしてしまった。
――事の起こりは昨日のこと。
新たな眷属が加わったことに、少しだけ、問題があったのだ。
ほんの偶然から「眷属控え」になった、サラと名付けられた水属性の精霊は、気が向くと森の魔女のもとを訪れて、何日も居つくようになっていた。
そうしておよそ一年が経った頃、森の魔女はようやくサラと契約を結び、新たに眷属として迎えることにした。
リフレナスは前代の森の魔女が契約を交わした眷属だったから、これが初の契約となる。
そして、必然ともいえる出逢いがあった。森の魔女と、水属性の精霊サラにとっての。
昨日の朝のことだ。森の魔女は町の外れで一匹の仔猫を拾った。仔猫はすっかり衰弱しきっていて、放っておけばその日の晩を待たずに死んでしまっていただろう。
当然、森の魔女は猫を拾い、応急処置を施した。せめて、あと僅かの時間だけでも命を保てるように。
魔女や魔術師が眷属を作る時、大抵は召喚魔法によって各属性の精霊を招ぶ。
魔術によって招ばれた精霊は、動物の体内にその「精」を宿らせるのが定石だ。
人間界に存在を近づけ、馴染ませるためだ。
リフレナスもそうだった。風属性の精霊だったリフレナスは、元の主との契約時に、ネズミの体を提供された。
精霊を宿した生き物は次第に精霊の「精」に体を変成されていく。ゆえに長命になり、またその形を、主の魔力をもとにして変化させることもできるようになる。
死んだ生き物の体に精霊を宿すことはできないが、僅かにでも命があるのなら、「精」を宿すことで命を繋げることができる。
こうして、森の魔女は死にかけていた仔猫に、「眷属控え」だった水属性の精霊を宿した。
「サラが入ることによって助かるならと思ったんだもの」
主のしたことを、リフレナスは非難しきれない。ただ、少しばかり文句を言いたくなるというものだ。
自分はネズミで、新参者の眷属が「猫」だとは、あまりにも間が悪すぎる。
「あたし別にあんたのこととって食べたりはしないわよ? ほら、だって、一応先輩だもんね?」
今ではすっかり猫の体に馴染んだサラは、猫の体が雌だったこともあって、口調もそれ風になっている。もっとも、眷属になる以前の姿かたちも「童女」のようだったのだが。
「だからさ、せめて尻尾動かすの、ちょっとひかえてくれない? 気になってしかたないよね、猫的に」
「…………」
条件反射的に、リフレナスは尻尾の動きを止めた。自身の反応にリフレナスはさらに不機嫌になる。
「ね、二人とも、仲良くしてよね? サラも、リプのこと追いかけたりしちゃだめよ?」
森の魔女はリフレナスに気を遣っているようなことを口にするが、その実リフレナスに妥協を求めていた。
「リプ、サラのこと嫌いにならないであげてね。属性的には風と水は相性いいんだから、ね?」
などと、強引に同意を得ようとする。
「冗談じゃない! こんなやつ認めない」
などと、子供っぽく拗ねることはさすがにしないが、やはり釈然としない。
「あたしも気をつけるわ。その尻尾に、ついつい手を伸ばさないようにね」
白猫は悪戯っぽく言って、小首を傾げてみせる。
森の魔女はそんな白猫の頭を撫でつける。
「サラ、明日になったら会わせたい人がいるから、一緒に出かけようね」
「ああ、そういえばまだ会わせてもらった事なかったんだったわね? キラの恋人さんに」
森の魔女ははにかんで笑う。キラ、とは森の魔女の秘せられた名である。
長年の眷属であるリフレナスはもちろんのこと、サラももう知っている。
だが人間で森の魔女の名を知るのは、今では恋人である王子、ただ一人だけだ。
「じゃ、明日はその恋人さんのお屋敷に行くの?」
「うん。行くと言ってあるから。王子にもちゃんとサラのことを紹介したいし」
「うふふ、楽しみ。聞くところによると、大層な美男子なのよね?」
「というわけだから、リプ」
リフレナスは観念したように、すっかり冷めきっていたハーブティーをすすっていた。
「何が、とういわけだから、なのか」とはもう訊いたりはしない。予測はついていたから。
「留守番してりゃいいんだろ?」
主が言う前に、頼みごとを確認した。森の魔女は笑顔で頷き、リフレナスの頭を人差し指で撫ぜた。
「ありがと、リプ。お願いね」
「よせ、痛い」
「でね、ついでなんだけど」
「………………」
留守番のついで。そっちの方を言いたかったらしい。
薬草の選別、魔石の研磨、結界陣の綻び修復、その他諸々……。
それらを「済ませておいてね」と悪気のない口調で、主は言う。もちろん人間に姿に変じて行うよう、さりげなく付け足して。
先代の森の魔女から魔術や魔法薬作りの手ほどきを受けた二代目の森の魔女は、眷属使いの荒さも受け継いだようだ。
リフレナスはげんなりし、だが、それをはねつけるようなことはしない。
愚痴りながら、頼まれた事はどれも完璧に片付けてしまうだろう。
「ほんとにリプってば、損な性分だよね」
お気楽な口調で、主は笑う。その腕に抱きかかえられた白い猫も、笑っている。
リフレナスはがっくりうな垂れ、大きなため息をひとつ吐く。
気紛れな眷属を新たに加え、主はさらに天真爛漫さに磨きをかけていきそうだ。
――これから先も……
リフレナスの試練は、まだまだ続く。
「……勘弁してくれ……」
* 了 *