もしかして、牽制か?
リフレナスは苦笑して、主のもとへ行く王子の背を見送る。
心配性の裏側にあるのは、「やきもち」。
当人も、どうやらそれは自覚しているようだった。
それはよく晴れた、朝のこと。
「おかえり、リフレナス。ちょうどお茶を淹れたところだ。飲むかい?」
秘密の隠れ家からこっそり戻ったリフレナスを迎えたのは、とうに起きだしていた王子だった。思っていたとおり満足げな様子で、朝食の支度をしている。
昨日は人間の姿に変じていたリフレナスだが、今日はいつものネズミの姿に戻っている。
王子は慣れた手つきでリフレナス用の小さなカップに紅茶を注ぐ。
「・・・どーも」
そっけなく応えてから、リフレナスは香り立つカップを手元に寄せた。それから、ふと目線を台所の戸口の方に流すと、
「まだ眠っているよ、君の主は」
リフレナスが言葉にする前に、王子は笑んで答える。
「そうか。・・・疲れたんだろう、色々」
「そうだね、色々と」
そして王子はまた笑う。満足げな様子で。
こういう場合、照れるのは王子の方だろうに、気恥ずかしくなったのはリフレナスの方だった。
リフレナスは言葉を上手く繋げられず、熱い紅茶をすすった。紅茶の熱さに、尻尾がぴんと立つ。
「リフレナスは、今までもああして人間の姿になっていたのかな?」
ふいに投げかけられた質問に、リフレナスはやや間をおいて、答えた。
「・・・いや? 前の森の魔女にはよく命ぜられていたが」
「そうか・・・たしかに、そういえば見たことはなかったな」
「魔力の消耗が激しいからな。あいつがもう少し魔力の制御ができるようになれば問題はないが」
「制御?」
リフレナスはカップを置き、ふうと小さく息をついた。
「あいつの魔力は大きすぎる。魔力を膨大に使うと、抑えている魔力が暴走しかねないからな」
「なるほど。君がその魔力を抑えているんだね?」
「・・・・・・・・・」
主の恋人は、主よりはるかに鋭い。言おうとすることを先回りして、言われてしまうほどに。楽でいいが、油断ができない。だが、鈍感な主に似合いの男には違いない。
「自分で魔力の制御ができるようになれば、昨日みたいに魔力を消耗しすぎて昏倒するようなことはなくなるさ」
「そうか。だが私としては・・・」
王子は、その先をあえて言わなかった。
リフレナスもあえて聞かなかった。
小窓から、まぶしいほどの朝日がさしこんで、リフレナスの金褐色の毛並みを光らせている。
暫時、沈黙が流れた。重くはないが、少々気まずい。
リフレナスは尻尾をたぐり寄せ、ほろ苦い笑みを口元に浮かばせているセレンを窺い、見る。
ふと窓の外の青空に目を向け、王子は嘆息した。
自分自身に呆れているのかもしれなかった。あるいは、自省しているのかもしれない。
言おうとしてやめた、そのことに。
王子はもう一度ため息をつくと、胡桃入りのパンとハーブのサラダ、チーズ入りのオムレツ、そして紅茶、それらを盆に乗せた。まだ眠っている恋人のためのものだ。
「そろそろ起きるだろう。・・・リフレナス、君も来るかい?」
「いや、遠慮しとく」
リフレナスは即答した。野暮な真似だけはしたくない。
「ありがとう、リフレナス」
王子は艶然と笑いかけて、そう言う。
なんとまぁ、挑戦的な「ありがとう」もあったもんだ。
どういたしましてと応えてよいものか、一瞬リフレナスは窮した。だが一応は言葉を返しておいた。
「こちらこそ、だな。これからは王子も俺の主になるんだからな。王子は俺を正式な名で呼んでくれることだし」
まじめくさって応えてみたのだが、最後に付け足した一言が、王子を笑わせた。
「君の主になれるとは、光栄だな、リフレナス」
「そんなたいそうなものじゃないさ」
リフレナスは再びカップを手元に寄せる。
王子はもう一度礼を言うと、まだ眠っている恋人の元へと向かった。
人間に変じることは、当分なさそうだ。
リフレナスは苦笑する。
主は望むかもしれないが、「新しい主」がそれを望まない以上は。
キラは、私のものだ。
その一言がこめられた亜麻色の瞳を思いだして、リフレナスは小さく笑う。
キラは、魔力の消耗が激しかっただけではなく疲れきっていることだろう。
下世話な想像をした自分を笑い、そして初な少年のように気恥ずかしくなってしまったリフレナスは、やれやれとつぶやいて、すっかりぬるくなってしまった紅茶をすすった。
とりあえず、王子が用意してくれた朝食の一部を食べて、時間を過ごそう。
紅茶のおかわりを淹れてくれる人を、待ちながら。
誕生日おめでとう。
そういえば、その言葉を聞かなかったのは、今回が初めてだ。
言わせる余裕を与えなかったのは、自分なのだが。
――いや、むしろ・・・――
「余裕がないのは、私のほうだな」
セレンは苦笑した。
朝食を用意し、再び寝室に戻ったセレンは、ベッドの端に腰かけた。
さっきまで自分も横たわっていたベッドには、あどけない顔をして眠る少女がいる。
こうしていつまでも少女の寝顔を見つめていたい気もしたが、どうやら少女は朝日に促され、夢の国から戻ってきたようだ。
「おはよう、キラ」
目を覚ました黒髪の少女は、まだどこか夢心地のようで、覗き込んでくる端正な顔立ちの青年を、ぼんやりと見つめ返している。
「・・・キラ」
セレンは微笑んで、少女の額にかかる髪を指に巻きつけた。
「・・・・・・」
少女は、目をこすった。
そして、二、三度瞬きを繰り返して、改めて目前に迫っているセレンの顔を見つめ返した。
「――っ!!」
飛び起きはしなかったが、ぱくぱくと口を動かし、何か言いかけているが、声にならないようだ。
「おはよう、キラ。ようやく目が覚めたみたいだね? 身体は痛まない?」
「・・・っ」
熟れすぎた林檎のように真っ赤になっている少女を、セレンは愛しげに見つめる。
「朝食を用意してきたよ。起きられる?」
「・・・おっ、王子」
「ん?」
「・・・この体勢じゃ、体、起こせないんですけど」
「ああ、そうだね」
セレンは相槌をうちながら、一向に少女、キラから離れない。指に巻きつけていた髪を解くと、今度は頬に触れる。
「王子ってば」
「ん?」
「・・・・・・」
もう、朝から、勘弁してください。キラは口の中でつぶやく。
心臓が口から飛び出そうだ。
見慣れたはずの美貌だが、目前にあって、さらには艶然とした亜麻色の瞳でまっすぐに見つめられて、どうして平静でいられようか。
「お・・・セ、セレン、その、・・・放して」
キラの黒い双眸が潤み、頬は紅く染まり、身体も熱い。
セレンを煽っているとは微塵も思わず、キラは軽く抵抗してみせる。
まいったな・・・。
つぶやいて、セレンは背けたキラの顔の反対側に、顔をうずめた。だがすぐにため息とともに身体を起こした。
「・・・王子、・・・・・・大丈夫ですか? もしかして具合でも悪い、とか?」
「・・・・・・いや」
ようやく上半身を起こしたキラは、不安げにセレンの顔を見やる。
セレンは小さく笑い、肩を落とした。
大丈夫ではないよ、君のせいだ。
そう言えば、君はなんと応えるのだろうか。
想像は、つくけれどね。
「お茶、すっかり冷めてしまったね。お湯をもう一度沸かしてこよう」
「あ、の、王子」
腰を浮かせたセレンを、キラはとっさに上着の裾を掴んで引き止めた。しかし言葉は続かない。
セレンはいたずらっぽく、笑いかけた。
「ん、何? 食べさせてほしい?」
「ちっ、違いますっ」
キラはまた真っ赤になる。素直すぎる反応が、可笑しくて、愛しい。
「すぐに戻るよ。その間に服を着ておくといい。そのままじゃ風邪をひいてしまうからね」
「・・・っ」
キラは耳たぶまで赤くし、声を詰まらせる。
セレンは立ち上がり、名残惜しそうにキラから離れた。すぐに戻ると繰り返し告げて、部屋の扉を開けた。
「お、王子っ」
扉が閉まる直前に、やっと声を取り戻したキラは、セレンを呼び止めた。
「あの、お・・・セレン、あの、もう明けちゃったけど・・・おめでと、誕生日」
セレンは微笑をこぼした。昨夜言いそびれてしまったことを、覚えていたようだ。
「それとっ、えと、あのっ、ありがと」
口ごもりながら、キラは精一杯笑顔をつくる。
その笑顔がどれほどセレンを困らせているか、思いもしないのだろう。
罪作りな魔女だね―――セレンは苦笑し、応えた。
「それは私の台詞だね。・・・・・・最高の贈り物だったよ、キラ」
「もっ、もうっ!!」
照れ隠しすらままならず、キラは枕を投げつけた。
ははっと笑って、セレンは扉を閉める。枕は扉に当たって、床に落ちた。
扉の向こう側、背をもたれさせて、セレンは首を伸ばし、嘆息した。
無頓着すぎる恋人に、どう言えば男心を理解してもらえるのやら。
セレンは甘味のある苦笑をこぼした。
どうにも敵わないね、魔女殿には。
おかげで忍耐強くなりそうだ。
ぎりぎりの線で踏みとどまって、滾る想いを抑えているなどとは、言えない。口にしてしまったら、もう抑制はきかなくなってしまうだろうから。
もう少しだけ、待たなくてはね。
キラのあどけない寝顔を見ながら、それを自分に言い聞かせていた。
セレンは甘美な憂鬱を抱え、晴れた空を眺めやる。
もう少し、甘く熟すまで。
「・・・だけど、耐えられるかな」