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野辺の容花 1

 
 男が、恋しい女に衣服を贈る時、そこに巧妙な下心をひそませているものだろうか。
 そう問われれば、亜麻色の髪と瞳をもつ美貌の青年セレンは、「そうだね」とあっさり首肯するだろう。少なくとも自分はそうだ、と。
 ともすれば生々しい色情の浮いて出そうな「下心」を、セレンは別段隠すでもなくさらりと面に出し、それを穏やかな微笑で彩る。ひそませるどころかありありと表すことで、まるで下心など無きように感じとらせる。それはセレンの得意技といってもいいだろう。しかし意識的にそれをしている風ではなく、常よりの品行がセレンから生臭さを消しているようだ。
 セレンは典雅な微笑を湛えて、言い添えた。
「もちろん、その下心には、喜んでもらいたい、そして笑顔を見せてほしいというささやかな欲求も含まれているよ。愛しい人を喜ばせたいと思うのは、自然な気持ちだからね」

* * *


 セレンは王都から隔たった小領地の領主を務めている。が、出身地は王都だ。さらにいえば、父は 当代の“国王”だ。
 母は没落したとはいえ貴族の家の娘で、ほんの偶然から国王の寵愛を得ることになり、そうしてセレンは生まれた。国王にとっては六人目の男児だったが、庶子にすぎない身だった。後、様々な思惑があって、セレンとセレンの母は王都を出ることになった。放逐されたわけではない。国王の庇護を継続させるための苦肉の策と言えた。
 セレンは小領地に封ぜられ、いずれ領主の座を継ぐべく、英才教育を受けることとなった。
 セレンは出自を隠さなかった。現国王の庶子であることを大っぴらにひけらかしたりはしなかったが、隠匿工作もしなかった。隠したところでなんの益もない。
 セレンの身上は早い段階で領民達に知れ渡っていた。平和な領地で暮らす呑気な領民達は、新しい領主を好意的に迎え入れ、親しみをもって「王子」と呼ぶようになっていた。領民達は、別段侮蔑した風でもなく、愛称のような気軽さで「王子」と呼びかけてくる。
「別にどう呼ばれても構わないけれど、それにしてもなぜ“王子”なのかな?」
 領主様と呼ばれることが少ないのには、セレンも首を傾げていた。
 セレンは苦笑まじりにそうこぼしたりもした。
 その問いに、幼馴染みの少女がからりと笑って答えた。
「だって王子は、見るからに王子様って雰囲気なんだもの」
 それは、領民達の総意であるといっていいだろう。ことに若い娘達の目には“王子様”として映っていることは間違いない。とびきり美しい“王子様”だ。
 かく言う少女も、名で呼ばれることはなく、「森の魔女」と呼ばれている。セレンとは違った理由からだ。
 少女の名は、魔女であるがゆえに秘されている。魔力を持ち、それを生業にしている者は名を秘すのが常だという。
「君は、いかにも魔女といった雰囲気ではないけれど」
 セレンは揶揄を含んだ微笑を口元に滲ませてそう言い、少女の豊かな黒髪をその手に取った。しっとりと柔らかい髪を指に絡ませ、その質感を楽しんでいる。
 少女はぷいっと顔を横向けた。
「いかにも魔女らしくなくてすみません」
 どうせ子供っぽいですよ、と拗ねている。
 セレンはあどけない所作で拗ねている少女を優しく見つめ、途切れた言葉の先を続けた。
「野辺に咲く花の精霊のように思うよ、私の魔女殿」
 そして魔女らしからぬ魔女は、一瞬にして薄紅色に染まる。
「どっ、どうしてそう恥ずかしいことを、臆面もなくさらっと言えちゃうんですか、王子ってば!」
「私は心に思うことを素直に口にしているだけだよ? 君を愛しく思うこの気持ちに偽りもなければ、恥ずべきやましさもない」
「わたしが恥ずかしいんですってば!」
「魔女殿はずいぶんと恥ずかしがり屋だね。そういうところも愛しく思っているよ」
「……っ!」
 顔どころか耳まで真っ赤にして、少女は絶句する。この“王子様”の恥ずかしげもない気障具合は、いったいどういうことかと呆気にとられている風でもある。
 妖艶で謎めいた魔女という雰囲気はないが、初々しげな少女を大いに照れさせ、セレンは満足げに微笑んだ。

 さて、その「魔女らしくない」魔女は今、手作りの焼き菓子を携えてセレンの住まう屋敷へと訪ねてきていた。あらかじめ約束していた訪問だったこともあり、セレンの執事を務めているハディスに門前で迎えられた。ハディスはセレンの幼馴染みであり恋人でもある「森の魔女」に慇懃な挨拶を述べ、恐縮している少女をセレンの元へ案内した。
 少女は悠然と歩く老執事の後を、少し小走りになってついていく。衣服の裾がふわふわと揺れていた。
 セレンの屋敷へ赴く時、少女は多少なり着衣に気を遣う。しかし気を遣うと言っても、普段着よりは良い素材を使った衣服を選ぶという程度で、見た目にさほどの変化はない。もとより、いかにもよそゆきといった派手で、豪奢で、飾り立てた衣服を持っていない少女だ。
 今日着てきた服は、ヤマモモの樹脂で染めた黄みを帯びた黒茶色の衣服だ。それなりに良い品なのだが、地味といわれればそれまでの、質素な衣装だ。襟元や袖口に装飾が施されているわけでもない。膝より少し下という裾の長さだから、動きやすさを重視した衣服なのだろう。
 少女の長い黒髪がその綿服に流れ、さらに落ち着いた雰囲気にしてしまっている。年頃の娘が着るには、あまりに控えめすぎる衣装だ。初夏だというのに肌の露出も少なく、色の明度も低い。
 少女は、何も自分が魔女だから、という理由で地味な衣服を着ているわけではない。単に好みの問題だった。装飾性よりも機能性を重視するあたりはセレンも同様だ。服飾に関して、二人はこれといったこだわりを持たない。
 とはいえ、全く興味がないわけでもない。
 だから、時に少女は、地味になりすぎてしまう自分の格好を「つまらないかな」と落ち込んでしまう。セレンに会う時は、なおさらだった。

 ハディスに案内された部屋は、執務室ではなくセレンの私室だった。
「やぁ、魔女殿。いらっしゃい」
 セレンは笑顔で少女を迎えてくれた。しかしいつもなら声をかけると同時に少女に近づいてくるのだが、今日は大きな鏡の前に立ったまま動かない。どうやらちょうど着替えを済ませたところらしく、大きな姿見の前に立ち、仕立てたばかりであるらしい着衣に乱れがないかを確かめている。
 セレンの私室は広い。質素にしているせいで、殺風景な感じを受けるほどだ。本棚と机、長椅子と小卓、衣装掛け等、必要最低限の家具しか置いてない。隣の寝室もほぼ同様だ。絵画や花瓶くらいの物はあるが、それはセレンが好んで部屋に配置したものではないらしい。体裁を気にするハディスの指示で部屋に置かれたものも幾つかある。
 セレンの私室はいつもこぎれいで、程良く整理整頓が成され、物が散乱しているということがない。そう、……いつもなら。
「王子、どうしたんですか、これっ!?」
 少女は挨拶もそこそこに、声を上げてしまった。
 敷かれた毛氈の上に、何枚もの衣服が散らばっていた。衣服だけでなく、帽子や靴などもある。すべてセレンの物、あるいはこれからセレンの物になるらしい服飾品だ。
「ああ、驚かせてしまったね、魔女殿。……ロイナ、手間をかけるが、すべて衣装室に運びこんでおいてくれ」
 セレンは少女に笑みを向け、それからすぐに傍近くに控えていた中年の女に指示を与えた。女は「分かりました」と短く応え、それから床だけでなく長椅子や机にも放られていた衣服を拾い集めた。ハディスもそれを手伝い、あっという間に部屋は片づけられた。
「ロイナ、すまないが、服を片づけたらまたここに戻ってきてくれ。ちょうど魔女殿も来てくれたことだ。頼むよ」
「はい。ではまた後ほど」
 ロイナと呼ばれた恰幅のいい女は少女に軽く会釈をし、沢山の衣服を抱えて、一旦部屋を退いた。
 ロイナのことは、少女も見知っている。
 茶褐色の髪をきっちりと一つに束ね、いかにも身ぎれいにしているロイナは仕立屋だ。町で店を開いている。高級な品を扱っている店で、少女がロイナの店を訪れることはなく、セレンの屋敷で何度か会ううちに、顔見知りとなった。
「王子、服を選んでたんですか?」
「新しく仕立ててもらったのだが、どのような仕上がりか確認したくてね。ハディスの注文で作ってもらったのはよかったのだが、どうにも数が多くて、確認に手間取ってしまったな」
「そうですか……」
 選んでいたのかと訊いたのは間違いだったと少女は気付く。すべて衣装室に運ばせたのだから、すべてセレンの物になったということだ。
 セレンは既製品を着ない。ほとんどがセレンのために仕立てた一品物だ。セレンはそれを自慢げに語るでもなく、ごく当たり前のこととして受け入れている。このあたりの鷹揚さはさすがに「王子」らしい、と少女は思っている。
 今セレンが着用している物も、ロイナがセレンのために仕立てた品だ。全身鉛白色を基調にした衣服は、飾り色に藍鉄色や紫紺色がさしてある。蔦をあしらった刺繍が襟元と袖口に施され、ところどころに真珠と思しき珠が縫い付けられていた。夏用の衣装とはいえ、上着は長袖だ。総丈もゆったりと長めに作られている。よくよく見れば、布地、刺繍糸、ボタン、どれもが最高級品だと分かる。小さな金具一つとっても、美妙な細工が施してある。
 セレンの着る物に関しては、ハディスの意向が大きい。領主たるもの、安価な衣服を着るべきではない。贅を凝らした衣装を着る必要はないが、身分や立場に合った衣装を着るべきだとセレンを促した。セレンは苦笑しつつも、「そういうものかな」とあえて反駁しなかった。
 セレンは、美神の恩寵をありありと受けているため、派手やかな衣装に頼らずとも十分すぎるほどに麗しく華やかな雰囲気をその身から漂わせ、匂わせている。
 だからこそ、衣装選びは慎重になるのだろうなと少女はしみじみと思う。ハディスとは違った意味ではあるが、セレンの美を損なわせる衣装を着せたくないと思うのは当然の心理だ。
「王子ってば、服装にはあまりこだわらなそうだけど、気に入ったものはあったんですか?」
 ざっと見ただけだったが、普段着から礼服まで、種類も数も豊富だった。
 セレンは服装に関してさほど強いこだわりは持っていない。しかし趣味はいい。簡素な着方に落ち着いてしまうことも多いが、自分に合うものを選んで、きれいに着こなしている。
 少女が小首を傾げてそう問いかけると、セレンは曖昧な微笑を浮かべた。
「どれも良い品だったよ。ロイナの仕立てる服は、どれも着心地がいい」
 セレンの本心からでた回答だったが、あまりに無難すぎた。それに気付き、セレンはすぐに言葉を足した。
「ロイナが作ってくれる服は、色や素材の合わせ方が品良く、落ち着いている。派手になりすぎないところが好ましい。ロイナはそういう私の好みを分かってくれてるから、安心して依頼できるよ」
 セレンは物事に執着しない性質だ。衣服に限ったことではなく、物欲が薄い。
 求めることを許されず、ひそやかに育てられた幼少時の影響が多分にあるのだろう。そのせいで、今は執着心が強くなったと、セレンは己を省みている。ただ一つの想いに執心しきっているのだ。「森の魔女」と呼ばれる、黒髪の少女に。

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