みにくいアヒルの子―――それは、あたし。
「みにくいアヒル」の子、という風に区切ってね。
そう言われたのよ。あなたが醜いわけじゃないのだって。
何が醜くて、醜くないのかなんて、もう、こんな有様じゃぁ、わからないけれど。
「あなたはとても美しいのよ、本当よ。本当に、美しいのよ・・・」
あたしの肩を抱いて、「みにくいアヒルの子」という絵本を読んでくれた人が、あたしに言ったの。笑いながら、泣いて。
嬉しいとは思えなかったから、嘘でも喜んだ顔はできなかった。
だって、美しいってことがどんなものか、あたしは知らなかったから。
「あなたの美しい翼をもがれさえしなければ、こんなみにくいアヒル達の群れから飛び立って、逃げ出すこともできたでしょうに」
その人ははらはらと涙をこぼし、あたしを抱きしめた。
まるで懺悔をするように。赦しを請うように。
――そして、早く、あたしにもその瞬間が来るよう、祈るように。
あたしはアヒルの子じゃなく、白鳥の子だったの?
いいえ。
自分のことだもの、わかるわ。
あたしはやっぱりアヒルの子だと思うし、そうであってほしいと思う。
他の――もういないないけれど――、あたしの傍に居たのはみんなアヒルだったなら、あたしだってアヒルっていうのが道理よね。
第一、今さら「違う」なんて、嫌よ。
皆と毛色が違うと蔑まれ、嘲りを受けて育った挙句、実は単に「種」が違っただけで、「本当は美しい」のだと、突然現れた「同種」に迎えられるなんて、ばかげてるわ。
それってあんまり酷いことじゃない? それに滑稽だわ。惨めだわ。
あたしは醜くたって、皆と同じアヒルでいいって思った。
指差してからかわれたって、皆と同じ「種」でいれば、「違う」ということに悩まなくて済むもの。
その方がずっと気楽だわ。
そういう考えは良くないって、叱った人もいたけれど。
あたしにはちっとも解からない、小難しい話を長々と語っていた人が、最期にぽつりとこぼしたのを憶えてる。
その人は、こう言った。
「だからこんなことになったのだ」
沈痛な面持ちで頭を抱え込み、その人は何度もそれを繰り返した。
だけど反省している口ぶりには聞こえなかった。
見えない何かを責め立てて、少しだけ自分を傷つけている。そんな感じがした。
その人が言うには、―――
どの国も、競い合ってソレを保持することに躍起になり、技術者は性能を上げるため血眼になった。威信のため、牽制のため、あるいは―――口にして言うのははばかられる「何か」のため――・・・・・・
その人は、押し黙ってそこから先をあたしに教えてはくれなかった。
もっとも、教えてくれたとしても、あたしには理解できなかったと思う。
だって、「ソレ」そのものが、あたしには解からないモノだったから。
どうしてそんなものが必要なのか、ちっともわからない。ソレを持つことにどんな意味があるかなんて、想像もつかない。
しかたないわよね? あたしは愚かなアヒルの子供なのだし。
アヒルの子供達は、「知らないでいる」ことが当たり前なんだって、その人も言っていたもの。
だから、何もかもが全部、あたしには解からないことだらけ。
「火鉢の上から僅かに離した火掻き棒を素手で握り、それぞれ瞬きもせず対峙していた。しかし、やがて火掻き棒は熱くなり、持っていられなくなる」
何を揶揄してか、その人は嘲笑して言った。
あたしの頭を撫でながら。「だからこんなことになったのだ」と繰り返して。
「――そうしてついに、棒は落ちた。ここにも、別の場所にも、たくさんね」
アヒル達は、自分達と姿の違うその子を、苛み続けた。
羽根の色が違うから。不恰好に大きいから。鳴き声が汚いから。
そんな些細な理由で。
自分達とは「違う」、異種の存在だというだけで。
あたしにはちっともわからない。
だって、「みにくいアヒルの子」と呼ばれたその子は、白鳥だったのでしょう?
同じ鳥なのに、何が違うの?
ううん。
鳥じゃなくたって、いったい「違う」ことに何の罪があって、責められなければいけないの?
そりゃぁあたしだって、同じがいいと思ってる「アヒルの子」だけど。
時々ふっと、そんなことを思ったりはするのよ?
だから、あたしはそれを訊いてみたかった。
だけど答をくれる人はいない。
だって、もう誰もここには居やしないのだもの。問いかけることすらまったく無意味で無駄なことだった。
あの日、――正確な日にちなんて、もうどうでもよくて、憶えてもいない、あの日。
あたしは見ていないから知らないけれど、「太陽」が落ちてきたのだと、誰かが語った。
一瞬の閃光が、「世界」のあちらこちらを包んだのですって。
その時に生きていた人達にも、何がなんだか、全然わからなかったのですって。
それは、あまりに突然すぎて。
たった一瞬で「世界」は崩壊し、何もかもが無残に掻き消されてしまった。
太陽だと思ったソレは、「スイバク」とか「ゲンハク」とか「カクミサイル」と言うのだと、教えてもらった。そしてソレは「ゲンシリョクハツデンショ」という施設にも落ち、大爆発を起したんですって。
それで「ホウシャノウ」とかいう危険なモノが「世界」にばら撒かれてしまったという愚痴を、何度となく聞かされたわ。
そんな危険なモノを作ったのは、アヒル達。落としたのもアヒル達。嘆いたのも、当のアヒル達だったなんて、お笑い種よね?
アヒル達はガーガー喚き散らしながら、「世界」を踏みつけたのよ。
ヘタな慰めよね。
あなたは美しいのよ、みにくいアヒルの子なんかじゃなく、白鳥なのよ、だなんて。
そう言う事で、贖罪をしているのかしら。
だって。
あたしは、醜いはずだもの。
髪は頭皮ごと抜け落ちているし、肌はズル剥けになって爛れている。瞳は潰れたのか濁ったのか、光を失った。喋ろうにも喉が焼けて、嗄れた声で「ガーガー」言うのが精一杯。
どこにも行けず、惨めにうずくまってるだけ。
それだって仕方のないことだわ。
身体の感覚なんて、とうになくなってるんだもの。
一人、また一人と、皆、消えてゆく。腐って、とけて、そうしていなくなってしまう。
あたしがもし「みにくいアヒルの子」ではなく「白鳥」なら、「白鳥」の仲間が迎えに来ても良さそうなものでしょ?
でも迎えなんて来ないし、あたしだって美しく成長したりなんてできなくて、つまりは「白鳥」になんか、なれっこない。
だから、やっぱりあたしは「みにくいアヒルの子」のままでいる。
それでいいの。だから憐れむ必要もないわ。
あたしは空を仰いだ。
青かったという空は、もう、そこにはないのだという。
でも、何もかもがもう、「仕方ない」、・・・のよね?
生暖かい風は、さらされた地肌にはただ痛いだけ。
首を伸ばすのだって、折れそうなほどの痛みを伴う。
泣こうにも涙は出ないし、声はかすれるばかり。
不意に、空が見えたような気がした。
眩むほど、まぶしい。真っ白な、空。
それはもしかしたら「白鳥」の翼の色なのかしら?
・・・・・・とても、キレイだわ。
あの瞬間に、「世界」を包んだ色もこんなだったのかしら。
真っ白に輝いて、それはキレイだったでしょうね。
・・・身体が軽い。
背中に羽根でも生えたみたいに、ふんわりと浮き上がる。
あぁ、よかった。ようやく逝けるみたい。
あたしで、最期。
みにくいアヒルの子供達はいなくなり、むしられた白鳥の美しい羽根だけが、「世界」に残る。
―――あたしは心から安堵した。