七里の船旅に入る前に、宮の渡しの周辺をご紹介しよう。

江戸時代、桑名から熱田の宮の間は船で結ばれていた。この海上航路が七里あったので「七里の渡し」と呼ばれていた。
航路は直接桑名と宮を大型の船で、伊勢湾上を行く外廻りと呼ばれる航路と、各地を結び生活物資を運ぶ、たくさんの航路があった。この地は長島の青鷺川、木曽岬の白鷺川を経由する航路で、中廻りと呼ばれていた。上流の鰻江を経由して佐間川で行く内廻りなど各地を結び、たくさんの航路があった。

七里の渡し ⇒
熱田魚市場跡 旧魚屋さんの家

13時に出発して、内田橋から起左エ門橋をくぐり堀川から名古屋港へと南下していきます。この周辺には、小型船舶(レジャーボート)の造船所がありまた工場が立ち並んでいます。そして、名古屋港のシンボルのポートビルと名古屋港イタリア村が右手に見えてきました。そして、七里の渡しの江戸時代ははじまりです。

船は、名古屋港を南下して知多堤防(中央堤)をでて西に三重県の桑名へと向かいました。その距離はおよそ30kmでしぃうか。海は、大変穏やかで波もなくゆっくりと船長さんの説明を聞きながら初めてお会いする皆さんとも楽しくお話ができました。(1里=3927.2kmであるから、7里は、約28kmですが現在の名古屋港は埋め立てがされているためもう少し距離はあります。

船は、宮の渡しを午後1時に出発して桑名の七里の渡し跡には午後3時30分ごろ到着しました。  船長さんの説明では、当時の船賃は江戸時代のやじさん、きたさんは45文とか。現在に換算してもものの価値観が違いますね!  そして、航海時間は当時の帆船で4時間ぐらいだそうです。(風によって変わりますが)        

船は、名古屋港に入りました。そして、トリトンをくぐる
13時45分ごろ名港中央大橋(1170メートル)をくぐる。この橋と東大橋、西大橋を合わせた総称が名港トリトン。   今は伊勢湾岸自動車道で将来は第2名神となります。さらに、西の対岸に長島温泉レジャー施設が見えてきました。
桑名に入り、川口水門と蟠龍櫓です。
桑名・住吉神社に到着し長旅は終了となりました。

(10月28日 15時35分)

桑名市内を歩き、六華苑は、日本近代建築の父とも呼ばれたイギリス人建築家ジョサイア・コンドルの設計で、山林王として知られた諸戸清六邸として建てられました。和館、洋館、茶室、蔵などがあり和館には100M走が出来そうなくらいの長い廊下があるそうです。

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