教会月報「ともづな」 2016年7月号

「献 金 は 献 身」

                       熱田教会牧師 小林 光

 

 イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」

(ルカによる福音書 第21章1〜4節)

 

一、まなざし

 主イエスは見ておられました。神殿に設置された賽銭箱に、人々が献金を入れるのを見ておられました。多くの人々が来て、それぞれに献金をささげるのを見ておられました。主イエスは、誰が、いくらささげたのか、その献金の金額を見ておられたのでしょうか。「ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て」とありますから、やはり献金の金額を見ておられたのだと思ってしまいます。しかし、注意深く読みますと、主イエスが見ておられたのは、献金の金額ではなくて、献金をささげる人の「全生活」を見ておられたことが分かります。

 

二、すべての生活

 これは、人には分からないことです。主イエスにしか分からないことです。主イエスはその人の生活の一部ではなく、すべての生活を見ておられました。「有り余る中から」と、どうして分かるのでしょうか。また、「乏しい中から持っている生活費を全部入れた」と、どうして分かるのでしょうか。人には分かりません。しかし、主イエスだけは、それが分かるのです。ささげる人の生活すべてを知っておられるからです。

 金持ちか、貧しいかはその人の服装や態度で見当がつくこともあるでしょう。しかし、その献金が有り余る中からか、それともその人の生活費全部なのかは、その人の生活を、日々の暮らしを見て、知っていなければ言えないことです。

 

三、献身の思い

 私たちも礼拝の中で献金をささげます。その時に大切なことは、主イエスは私たちの全生活を見ておられる、ということです。そうであるならば、「主よ、私の生活を、今日から始まる一週間の生活をすべて、全部、お委ねいたします。おささげいたします。どうぞ御心のままに、私をお用いください」との祈りをもって、献金をささげましょう。

 有り余る中から、生活の一部をささげるのではなく、全生活をささげて生きるのです。その献身の思いを主イエスは見ておられるのです。「献身」とは、「身を献げる」と書きます。自分の身を、生活を、一週間の歩みをすべて主にささげて、委ねて生きることです。

 

四、十字架の愛

 貧しいやもめはレプトン銅貨を二枚、持っていたのですから、一枚をささげて、あとの一枚は自分のために取っておくことも出来たのです。しかし、彼女は二枚を、すなわち全部を、全生活を主にささげました。

私たちはどうでしょうか。日曜日は主のためにささげるけれども、残りの6日間は自分のために取っておくのでしょうか。礼拝のための約1時間は主にささげるけれども、残りの23時間は自分のために取っておくのでしょうか。そうではありません。すべての時間を、すべての日を、すなわち全生活を主にささげ、主に委ねて生きるのです。

私たちがささげる献金は、「今日から始まる全生活をもって、主に仕えてまいります」との献身のしるしです。また、「主よ、私の全生活を見て、知って、支え導いてください」との祈りです。まさに献金は献身です。

 レプトン銅貨二枚を入れるのを見て、「生活費を全部入れたのだ」と言われた主イエスご自身が、あの十字架の上で、ご自身の命までも惜しみなくささげ尽くして、私たちの罪を赦してくださいました。この主イエスの十字架の愛を私たちは無条件でいただきました。それ故に、感謝と喜びをもって、「主よ、私をお献げします」と祈りつつ、献金=献身いたしましょう。

 

ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。・・・そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。

(使徒言行録 第2章41〜47節)

 

 伝道は主の御業です。「地域」への伝道も主の御業です。「こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」と記されている通りです。では、ここで語られている「仲間に加え」とはどういう意味でしょうか。

 この「仲間」とはキリスト信者のことです。教会員のことです。

では、どのような仲間なのでしょうか。それは、「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心」な群れです。この群れに主が地域の人々を加えてくださるのです。

「使徒の教え」とは、使徒たちが主イエスから聞いた御言葉です。「相互の交わり」とは、その御言葉の実践、すなわち互いに愛し合うことです。「パンを裂くこと」とは、その愛が主イエスの十字架に基づく、罪の赦しの愛であることを「主の聖餐」に与ることによって何度でも確信することです。「祈ること」とは、心を合わせて主の御前にへりくだり、感謝と願いを打ち明けることです。

 これらのことが聖霊の働きによってなされていくのが教会です。従って、「主にある交わり」と言う時の「主にある」とは、聖霊なる主が共におられ、働かれる交わりのことです。この「交わり」に洗礼を受けて、人々が加えられて行きます。しかも「日々」です。主は日々、建物・人・礼拝・集会を通して働いておられるからです。


教会の主な歩み

2016年6月18日(土) あつたあそび塾
樹木剪定作業
19日(日) 「父の日」礼拝
 説教 「父なる神の愛」 ルカ15章11〜32節
求道者会・バザー委員会・伝道委員会
24日(金) 幼稚園創立119周年記念日
26日(日) 礼拝説教 「まことの人、まことの神」
 サムエル記下7章8〜13節、ルカ20章41〜44節
教会全体研修会 主題「主にある交わり〜地域への伝道〜」
 発題 小林 光牧師・I兄
夕礼拝説教 「幼子のように信じる」 マタイ11章20〜30節
7月2日(土) ワックス掛け(総務委員会)
3日(日) 聖餐礼拝
 説教 「まっすぐな生き方へ」 ルカ20章45〜47節
ワックス掛け
総務委員会・CSスタッフ会・イクスウス会
10日(日) 教会創立111周年記念礼拝
 説教 「献身」 ルカ21章1〜4節
定例役員会
11日(月) ともづな編集委員会

 

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