因果応報について教える

 さて、原因と結果の関係について見てきましたが、次に、他人に与えた言動の結果、人はどのような報いを受けなければならないかについて、コトワザの教えるところを取り上げましょう。いわゆる「因果応報」のコトワザです。


教訓 220. 言動にはそれ相応の報いがある。


As you sow, so shall you reap. [Galatians]《種を蒔いたように刈り取らなければならない》


 まず、何か言ったり行ったりすれば必ずそれ相応の報いがあり、それに対しては当然責任をとらなくてはならないと、コトワザはいいます。

(a) Whatsoever a man soweth, that shall he also reap.[Galatians]《蒔いたものは刈らねばならない》
(b) As you make your bed, so you must lie in it.《ベッドの作り方に応じて寝なければならない》


教訓 221. よい言動にはよい報いがある。


Good seed makes a good crop.《よき種はよき作物をつくる》


 そして、親切な言動は親切な言動を生みます。人に親切をつくせば、自分も親切にしてもらえるという意味で、「情けは人の為ならず」に相当するものです。ちなみに、この意味のコトワザはそれほど多くはありません。

(a) He who gives to another bestows on himself.《他人に施すものは自らに施すことになる》「情けは人の為ならず」
(b) One good turn deserves another.《一つの善行はもう一つの善行に値する》
(c) He that sows virtue, reaps fame.《徳の種を蒔くものは名声の収穫を得る》
(d) Virtue is its own reward.《徳はそれ自らが報いである》

(d) は徳の報いは徳自身であるから、徳をほどこして物質的報酬を期待してはならないという意味です。


教訓 222. 悪い言動には悪い報いがある。


Who spits against heaven (or the wind), it falls in his face.《天(風)に向かって唾する者は顔に唾を受ける》


 コトワザで圧倒的に多いのは、他人に悪いことをすれば悪い報いを受けるというものです。日本のコトワザにも「自業自得」「身から出た錆」「人を呪わば穴二つ」などの類義コトワザがいくつかあります。殺すものは殺される、他人に暴力をふるえば自分も暴力をふるわれる、他人へ悪意や怒りは自分に返る、人を酷評すれば自分も酷評される、などなどです。これらのコトワザの裏には、もちろんそのような行為をするなという意味合いがあります。次に挙げるものは、すべてその種の類義コトワザです。

(a) Harm set, harm get.《災いを仕掛けるものは災いに遭う》
(b) Evil be to him who evil thinks.《邪悪な考えをもつものに災いあれ》
(c) Shame take him that shame thinks.《他人に恥をかかせようとするものは恥をかくがいい》
(d) He that hurts another hurts himself.《他人を傷つけるものは己を傷つけることになる》
(e) He that mischief hatches mischief catches.《危害を企てるものは危害を身に受ける》
(f) With what measures ye mete, it shall be measured to you again.[Matthew]《他人に与える処罰は自分にも与えられるであろう》
(g) He who says what he likes shall hear what he does not like.《好きなことをいえば嫌なことを聞かされる》
(h) Eavesdroppers never hear any good of themselves.《立ち聞きすると自分のよい噂は決して聞かないもの》
(i) He who peeps through a hole may see what will vex him.《穴から覗くものは腹立たしいことを見ることになる》
(j) The biter is sometimes bit.《だますものはときにだまされる》
(k) One shrewd turn follows another.《意地悪な仕打ちをすれば意地悪な仕打ちを受ける》
(l) Curses, like chickens, come home to roost.《呪いはひな鳥のようにねぐらへもどってくる》
(m) Curses return upon the heads of those that curse.《呪いは呪うものの頭上にもどってくる》
(n) All they that take the sword shall perish with the sword.《すべて剣を取るものは剣にて滅ぶ》
(o) Live by the sword, die by the sword.《剣で生きれば剣で死ぬ》
(p) Blood will have blood.《血は血を呼ぶ》
(q) Anger punishes itself.《怒りは自らを罰する》
(r) Malice hurts itself most.《悪意は自らを最も罰する》
(s) He that sows thistles shall reap prickles.《アザミを蒔く者は刺を収穫することになる》
(t) The deed comes back upon the doer.《行為は行為者に戻る》
(u) The arrow shot upright falls on the shooter's head.《真上に向けて射た矢は射手の頭に突き刺さる》
(v) Sow the wind and reap the whirlwind.[Hosea]《風を蒔いてつむじ風を刈り取れ》(悪事を働けば何倍もの罰を受けることになろう)


教訓 223. 人を非難・攻撃するな。


Those who live in glass houses should never throw stones.《ガラスの家に住むものは石を投げてはいけない》


 さて、これだけ多くの因果応報のコトワザを見てくると、因果応報は人間にとって宿命のように思えてきますが、決してそうではありません。これらのコトワザは将来の災いを防ぐために、現在の言動に気をつけろという戒めの意味をもっているのです。見出しのコトワザは、さらに明快に、そのような報いを受けないために、まず他人を非難攻撃することをやめよと説いています。とくに、ガラスの家のような弱い家に住むものは、いっそう自戒しなければなりません。他人を攻撃すれば直ちに報復され、ガラスの家は一瞬にして破片となって飛び散ります。人を裁いてはいけないというのは、自分が裁かれないためなのです。

(a) Cast not the first stone.[John]《最初に石を投げるな》
(b) Judge not, that ye be not judged.[Matthew]《他人を裁くな、自分が裁かれないために》
(c) Know your own faults before blaming others for theirs.《他人の欠点を責める前に自分の欠点を知れ》

 また、おのれの力不足を知るものは、過剰防衛のあまり、他人に対してこけ脅しや空威張りに走りやすいのですが、それも避けなければなりません。非力が暴露されたとき、かえってひどい目に遭うからです。

(d) If you cannot bite never show your teeth.《噛みつく勇気がなければ、歯をむくな》
(e) Never make threats you cannot carry out.《実行できないような脅しはするな》

 コトワザがそのようなことをいましめるのは、とかく人間は自分を棚に上げて他人を非難したがるものであるし、また非難しようと思えば、いくらでも非難するための口実を見つけだすことができるからです。

(f) The pot calls (or called) the kettle black.《ナベがヤカンを黒いという》「目糞鼻糞を笑う」「五十歩百歩」
(g) A stick is quickly found to beat a dog with.《犬をたたく棒はすぐに見つかる》

 それだけに、人は他人を非難することを慎まなければなりません。


教訓 224. 悪を許さず、報復せよ。


An eye for an eye, and a tooth for a tooth.[Exodus]《目には目を、歯には歯を》


 しかし一方では、因果応報のコトワザは、被害を受けたものがその復讐を正当化する口実にも使えます。復讐は、悪に対する正義の鉄槌だからです。そこで、聖書にある有名な見出しのコトワザのように、悪への報復の論理が意味をもってくるのです。悪は、許してななりません。許せば、悪人は再び悪を犯し、善人はいっそう悪に苦しめられるからです。さらに、次のコトワザがあります。

(a) The first faults are theirs that commit them, the second theirs that permit them.《一回目の罪はそれを犯した者のもの、二回目はそれを許した者のもの》
(b) Pardoning the bad is injuring the good.《悪人を許すことは善人を害するに等しい》

 しかし、悪に対する処罰は一種の復讐であることには変わりありません。復讐は、悪に苦しめられたものの積年の恨みを晴らすことでもあります。その人間心理を、コトワザは見逃しません。

(c) Revenge is sweet.《復讐は甘美である》

しかし、これは悪魔のささやきにも似た言葉で、簡単に口にすべきことではないでしょう。


教訓 225. 敵を許し、過去を水に流せ。


Forgive and forget.《許して忘れよ》


 それゆえに、キリストは「目には目を、歯には歯を」の言葉を引用した上で、次のように復讐を禁じました。

(a) Whosoever shall smite thee on thy right cheek, turn to him the other also.[Matthew]《汝の右の頬を打つものあらば、左の頬も向けよ》
 = Turn the other cheek.

 見出しのコトワザのように、相手に対して寛恕をすすめるものがあります。たとえ他人からひどい仕打ちを受けたとしても、因果応報の論理をもって応えるのではなく、寛恕の精神をもって相手を許すことです。

(b) Let bygones be bygones.《過去をして過去たらしめよ》「既往は咎めず」
          別掲 → 教訓111 時間は過去を忘れさせてくれる。
(c) Pardon all but thyself.《自分以外の人はすべて許せ》「己を責めて人を責むるな」


教訓 226. 許すことも一種の報復である。


The noblest vengeance is to forgive.《最も崇高な復讐は許すことだ》


 しかし、許すことがなかなか困難であることは、人間が日ごろ経験するところです。だからといって、報復の挙にでたのでは、人間社会に争いの絶え間はなくなります。このジレンマを解決してくれるものに、見出しのコトワザがあります。相手の行為を許すことができず、復讐の情念に悶々としているのは、被害者としての自分の立場に固執しすぎているからです。自分を離れ、相手の立場に立つとすれば、相手は許されることによって自分より偉大な相手の存在に気づき、必ず自分の行為に恥ずかしさと自責の念をもつことになります。それによって許したものの自尊心が満足されたかどうかは、この際、問題にしないでおきましょう。いずれにしても、許すことによって、その人はもっとも効果的な報復を、しかも崇高な報復をしたことになるのです。


教訓 227. 自分にして欲しいことを人にもせよ。


Do unto others as you would have others do unto you.[Matthew]「己の欲する所を人に施せ」
 = Do to others what you would be done by.
 = Do as you would be done by.


 「言葉と行動」の最後を締めくくるものとして、見出しのコトワザがあります。それは自分が人にして欲しいように人にもせよというものです。有名な黄金律としてキリスト教文化の中心をなす道徳律ですが、この教えの根底には人間はみな同じであるとする考え方があります。自分のして欲しいことは人もして欲しいのですから、人にそれを要求する前にまず自分でそれを人にせよ、というのです。論語の「己の欲せざる所を人に施す勿れ」と同じ趣旨のコトワザです。

 しかし、皮肉屋のバーナード・ショーはこのコトワザを逆転させ、次の名言をつくりました。

(a) Do not do unto others as you would that they should do unto you. Their tastes may not be the same. [George Bernard Shaw]《自分のして欲しいように人にしてはいけない。人の好みは同じでないから》

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