意欲や願望の不利について教える


教訓 93. 求める心だけではことは成就しない。


Wishes never can fill a sack.《願望だけでは麻袋はいっぱいにならない》「祈るより稼げ」


 ただ、いくらやる気があってもうまくいかないことがあります。見出しのコトワザは、願望だけでは何ごとも成就しないと教えます。

 例えば体力がなければ、ことは成就しません。

(a) The spirit is willing, but the flesh is weak.[Matthew]《心は勇んでも肉体が弱ると何もできない》

 また、意欲や熱意は、激しさのあまり、ときに暴走することがあります。それを正しい方向に向けてくれるものが必要で、それが知識なのです。

(b) Zeal without knowledge is a runaway horse.《知識のない熱意は放れ駒も同然》
           別掲 → 教訓173 十分な知識と経験がないと危険である。

 そして、願望を達成する最大の要因は、やはり努力だといえます。努力せずに願望が実現するのなら、だれも苦労はしません。そこで次のコトワザがあります。

(c) If wishes were horses, beggars would ride.《もし願望が馬になるのなら、乞食も馬に乗る》
(d) If ifs and ans were pots and pans there'd be no work for tinkers.[Mother Goose]《「もしも」というだけで新しい壷や鍋になるのなら、いかけ屋の仕事はなくなるであろう》

いずれも、願望だけで目的が実現するのなら、人生に苦労はないという意味です。

 したがって、努力せずに僥倖を狙うのはよくありません。

(e) It is ill waiting for dead men's shoes.《死人の靴を待つのはよくない》(後釜をねらって人の死を待つな)

 次のコトワザは、実行をともなわない善意や意欲をさらに手厳しく批判しています。

(f) The road to hell is paved with good intentions.[J. Boswell]《地獄への道は善意で舗装されている》
= Hell is full of good intentions (or wishes).《地獄は善意で満ちている》

善意をもっていても、その行動が悪ければ、人間は地獄に堕ちるのです。地獄には悪の誘惑に負け、悪行を重ねた善意の人々で満ちあふれています。善なる意志は、善を実行して初めて価値あるものとなるのです。


教訓 94. 意欲や願望がすべてよいとはかぎらない。


Necessity has (or knows) no law.《必要の前に法律なし》「背に腹は代えられぬ」


 意欲や願望は、必ずしもすべてよいとはかぎりません。とくに人間の本能に根ざした願望には、むしろ悪いものが多いのです。何かを欲しいとか、是が非でもしたいとか思う気持ちが高じると、やがて法律さえ無視することになりかねません。悪いと知りながらも、してしまうのが人間です。

(a) Needs must when the devil drives.《悪魔に駆り立てられると、せずにはいられない》

 自分の願望のまま動くものを、我がままものといいます。やがては、不幸の原因をつくります。

(b) A willful man will have his own way.《わがままものは自分のしたいようにするもの》
(c) Will is the cause of woe.《願望は悲哀の原因である》

 また、欲望も度を超すと、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」となり、すべてを失うことになります。

(d) Kill not the goose that lays the golden eggs.[Aesop]《金の卵を生むガチョウを殺すな》

いうまでもなくこの話は、一日一個の金の卵以上を望んでガチョウの腹を割き、元も子も失ったというイソップ物語から出ています。すでに得ている利益以上を望むと、何も得ることができないという、貪欲のいましめです。

 だから、願望や欲望は少ない方が幸せだともいえます。日本でも、「足を知る者は富む」といいます。

(e) He is rich that has few wants.《欲しいものが少ないものこそ、豊かである》「足を知る者は富む」

 また、たとえ願望や意欲が崇高な善意のものであるとしても、世の中にはそれを利用しようとする人たちがいます。善意の当人はほかのものから過重に使われ、結果的に損をすることにもなるのです。

(f) All lay loads on a willing horse.《進んで働く馬には、だれでも重荷を背負わせる》


教訓 95. 願望が確信や理屈を生みだす。


The wish is father to the thought.《願望は思想の父である》


 正しい信念や理論は、本来は客観的なもので、人間の願望とは関係のないはずのものです。しかし、必ずしもそうでないところに、人間の人間たるゆえんがあります。人は正しいから信じるのでなく、そうなってほしいと願うことを信じるものです。

(a) We soon believe what we desire.《人は願うことを信じるものである》

だから、信念や思想がいくら立派なものであっても、無条件に信用してはなりません。それらのものを背後から支えている動機、願望、人間性などとの関連なしには、信念や思想を客観的に把握することはできないことを、これらのコトワザは教えているのです。

 次のコトワザはさらにハッキリと、その気があればどのような理屈でもつけることができるとして、タテマエの後ろに隠された私利私欲を指摘します。

(b) An ill payer never wants an excuse.《金を返そうとしないものは、口実に事欠かない》

 さらに、確信は盲信に変わる危険があります。おのれの正義のみを信じ、他人の価値観をすべて否定するところまで進むと、もはや狂信といってよいでしょう。

(c) Men are blind in their own cause.《人はおのれの正義のために盲目となる》

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