3 極端と中庸

 第1章の1「二項対立の論理」で見たように、コトワザは物事を対立的にとらえようとしますが、それは一つの見方に対してもう一つの見方を提出することで、いっそう公平な観点を確保しようとするからであるといえます。つまり、行きすぎには行きすぎをもって是正し、平衡を取り戻そうとするのです。ですから、内容には形式、精神には肉体という対立物を立て、その両者の調和の上に世界が成り立つと考えるのが、コトワザの知恵にほかなりません。
 ここでは、極端は調和を破るものとしてしりぞけ、万事に中庸を求めようとする、英米人の現実主義を見てみたいと思います。

 極端をいましめる


教訓 67. 自然は調和から成り立つ。


Nature hates all sudden changes.《自然は急激な変化を好まない》


 すべてのものは、内容に調和した形式を求めます。このコトワザも、神のつくった自然は調和の世界であり、自然はその調和を破ることを好まないといっているのです。次のものも、自然は調和を破るものがあれば、自らこれを改めるといいます。

(a) Nature abhors a vacuum.《自然は真空を嫌う》(自然は足らざるを補う)

 さらに次のコトワザは、自然には自然の理があり、人間はその理を破ることはできないし、また破るべきでないといいます。

(b) You cannot get a quart into a pint pot.《1パイントの壷に、1クオートは入らない》

小さい器には大きいものは入らないというのは、当たり前の理屈を述べたものですが、このコトワザはその背後では、とかく小さな器に大きなものを入れたがる人間の習性をいましめているのです。

 聖書起源の次のコトワザは、もっとはっきりと、ものはその内容にふさわしい器に入れよと説きます。また、ものはそれをもつに値しない人には与えるなともいいます。

(c) Don't put new wine into old bottles.[Matthew]《新しいぶどう酒を古い革袋へ入れるな》
(d) Cast not pearls before swine.[Matthew]《豚に真珠を投げるな》「豚に真珠」「猫に小判」

 新しい内容は新しい形式にという願望が人間精神にも及ぶとき、次のようなコトワザが生まれます。

(e) A sound mind in a sound body.[Juvenalis]《健全な身体に健全な精神》

(e) のコトワザはギリシャ詩人ユベナリスに起源をもつものですが、本来の意味は《健全な肉体に健全な精神が宿ることを祈る》という願望を表したものです。しかし、現在では《健全な肉体に健全な精神が宿る》という、一般的真理を述べたものとしても用います。17世紀イギリスの哲学者ジョン・ロックも、これを次のようにいいました。A sound mind in a sound body, is a short but full description of a happy state in the world. [John Locke; Some Thoughts Concerning Education]《健全な身体に健全な心という言葉は、この世の幸福についての簡潔にして十分な説明である》

 このような内容と形式との関係は、日常生活では、物とその置き場所という関係になります。物はそれがあるべき場所にあってこそ、役目を果たします。身のまわりの整頓を欠かしてはなりません。それはまた、ものごとを行う場合の秩序尊重の精神でもあります。

(f) A place for everything, and everything in its place.[Isabella Mary Beeton]《何物にも相応の場所があり、何物もその場所にあるべし》
(g) Don't put the cart before the horse.《馬の前に荷車をつなぐな》「本末転倒」


教訓 68. 極端は悪である。


Every extremity is a vice.《すべての極端は悪徳である》


 調和と秩序を愛するコトワザの精神は、極端に偏することは悪であるとする考えを生み出します。次のものはそれぞれ、大きすぎ、多すぎ、賢すぎ、強すぎなどの極端は、悪い結果を生みだすというコトワザです。

(a) Great happiness, great danger.《大きい幸福は大きい不幸である》
(b) Much meat, much malady (or disease).《大食らいをすると病気も多い》
(c) The more laws the more offenders.《法律が増えれば犯罪者が増える》
(d) Too many cooks spoil the broth.《料理人が多すぎるとスープの味がだめになる》「船頭多くして船山に上る」
          別掲 → 教訓86 一つの仕事を二人以上でするな。
          別掲 → 教訓133 多人数のグループはまとまりにくい。
          別掲 → 教訓142 指導者は一人がよい。
(e) A man at five may be a fool at fifteen.《5歳で大人並みの子は15歳では愚か者》「十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人」
          別掲 → 教訓180 腕白少年の方が立派に成長するもの。
           別 掲 → 教訓98 あせらずゆっくりが勝利への道。
(f) A little wind kindles, much puts out the fire.《微風は火を燃え立たせ、強風は火を消す》
(g) The fire which lights us at a distance will burn us when near.《離れたところにある火は光を与えるが、近くだと火傷させる》
(h) They love too much that die for love.《愛がもとで死ぬのは、愛が激しすぎるからである》


教訓 69. 極端な手段を取るな。


Burn not your house to fright the mouse away.《ハツカネズミを追い出すのに、家まで燃やしてはいけない》


 それゆえに、極端に走らず、中道を歩むことを是とする中庸の精神は、何かを達成しようとする場合の方法論についても、見出しのコトワザを始め、次のようないくつかのものとなって表れています。「角を矯めて牛を殺す」や「鶏を割くになんぞ牛刀を用いん」に相当するコトワザです。とくに、手段の不適切のために、肝心の目的まで台なしにする愚は避けなければなりません。対象にふさわしい手段が必要だという意味では、後述の「目的と方法について教えるコトワザ」とも関連があります。

(a) Never take a stone to break an egg, when you can do it with the back of your knife.《卵はナイフの背で割れるのに、石を持ち出すことはない》 
          別掲 → 教訓81 目的にふさわしい方法を用いよ。
(b) Take not a musket to kill a butterfly.《チョウを殺すのに、鉄砲を持ち出すな》「鶏を割くになんぞ牛刀を用いん」
           別掲 → 教訓81 目的にふさわしい方法を用いよ。
(c) Cure the disease and kill the patient.《病気を治して病人を殺せ》(そんな治療はするな)
(d) Don't cut off your nose to spite your face.《自分の顔を恨んで鼻を切り落とすな》(腹立ちまぎれにすることは損をすることが多い)

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