身近にあるものの不利について教える


教訓 6. 近くにあるものは軽んじられる。


Familiarity breeds contempt.《狎れ親しむと軽蔑心が生まれる》
「所の神は有り難くない」


 さて、人は身近なものに親近感をもつ一方で、見なれてくるとそれまでの魅力が次第に色あせ、むしろ嫌悪や疎ましささえ感じるものです。それに、遠くからは見えなかった欠点も、近くから見るといっそう目立ち、それまでの尊敬は軽蔑に変わります。英雄や予言者は、遠くから眺めるべきもので、接近すべきものではありません。

(a).No man is a hero to his valet.《召し使いに対し英雄であるものはいない》「所の神はありがたくない」
(b).A prophet is not without honor, save in his own country and in his own house.[Matthew]《予言者が尊敬されるのは、自分の国や郷里以外である》


 同様に、親しい友人や親戚でも、あまり慣れ親しむと自我が出て、お互いの親交に支障を来します。そのような経験から、長居や頻繁な訪問を避けるよういましめる、次のようなコトワザがあります。

(c).A constant guest is never welcome.《いつも来る客は歓迎されない》
(d).Do not wear out your welcome.《長居して飽きられるな》

 さて、近くのものが軽んじられるのは、なにも人間にかぎるわけではありません。ものについても同じです。目の前に多くあり、安価で簡単に手に入るものには、人間はあまり魅力を感じないものです。そのようなものは入手してもすぐ手放すというのが、次のコトワザです。

(e).What costs little is little esteemed.《値段の安いものは評価されない》「安かろう悪かろう」
(f).Lightly come, lightly go.《簡単に手に入るものはすぐに出ていく》
 = Easy come, easy go.
          別掲 → 教訓149 悪銭は身につかない。


教訓 7. 現在という時間には魅力がない。


The golden age was never the present age.《黄金時代が現代であったためしはない》


 距離的に近いことが尊敬の念を薄めたように、時間的にも、現在という「時」はあまり人の魅力の対象にはならないようです。見出しのコトワザは、たとえ現在が黄金時代だとしても、そこに生きるものにはその幸せが感じられず、過ぎ去って初めてあのときが一番よい時代であったと気づくという教えです。現在という「時」は、それほど魅力に乏しい時間なのです。

(a).Jam tomorrow and jam yesterday ー but never jam today.[Lewis Carroll]《明日もジャム、昨日もジャム、でも今日はジャムはない》
 = Jam tomorrow.《ジャムは明日だ》

このコトワザは、ルイス・キャロル「鏡の国のアリス」から引用されたコトワザですが、女王がアリスに約束させたことは「ジャムは一日おき」ということ、つまり「昨日と明日とはジャムがあるが、今日はない」ということでした。しかしこれは言葉のペテンで、「明日」になればその「明日」は「今日」となり、やはり「ジャムのない日」となるのです。したがって、このコトワザは原義通りに、明日と昨日との間にはさまれた今日という日は、永久に「楽しくない日」という意味で用いられるのです。また、Jam tomorrow.《ジャムは明日だ》は、永久に実現しない「空約束の明日の楽しみ」を皮肉るコトワザとして用いられます。


教訓 8. 近くにあるものは見えにくい。


You must go into the country to hear what news at London.《ロンドンにどんな新しいことが起こったかを知るには、田舎へ行かなければならない》
= Go into the country, to hear what news in town.


 「灯台もと暗し」というように、人は自分の身近にあるものはかえって見えにくく、少し距離をおいた方がよくわかるものです。外国へ行ってはじめて日本のことがわかるというようなものです。

 次のコトワザも、近くにあることのデメリットを具体的に指摘しています。

(a).Lookers-on see most of the game.《見物人の方がよく試合の全体を見ている》「岡目八目」
          別掲 → 教訓45 部分に気を取られると全体を見誤る。
(b).It is a wise father that knows his own child.《自分の子供を知っているのはよほど賢い父親》「親馬鹿」
          別掲 → 教訓255 親の愛も子に対しては盲目。
(c).Two dogs fight for a bone and a (or the) third runs away with it.《二匹の犬が一本の骨を取り合うと、第三の犬がそれを持ち逃げする》「漁夫の利」
(d).You can see a mote in another's eye but cannot see a beam in your own.[Matthew]《他人の目の中にある塵は見えても、自分の目の中の梁は見えない》

(c)は争いにばかり気を取られて肝心のものを第三者に奪われること、(d)は聖書起源で、人間は他人の小さな過失にはよく気がつくが、自分の大きな過失には気がつかないことを、それぞれ述べています。

 また次のものは、身近にあまり多くありすぎるものは有り難さがわからず、なくなって初めてその価値がわかるというものです。

(e).The worth of a thing is best known by the want of it.《ものの価値は無くなったときに一番よくわかる》
(f).You never miss the water till the well runs dry.《井戸が干上がるまではだれも水の有り難さを感じない》
(g).Health is not valued till sickness comes.《病気になるまで健康は評価されない》


教訓 9. 人間関係には距離をおけ。


Good fences make good neighbors.《よい垣根がよい隣人をつくる》
「親しき仲に垣をせよ」


 したがって、人は対象から適当な距離をおいた方がよいというのが、大方のコトワザがすすめる処世訓です。人間関係についても、その方が尊敬を増し、友情を長続きさせる秘訣です。

(a).Manners know distance.《行儀は距離を知っている》「親しき仲にも礼儀あり」
(b).A hedge between keeps friendship green.《間の垣根が友情を新鮮に保つ》
(c).Love your neighbor, yet pull not down your fence.《隣人を愛しても垣根を取り壊すな》

 これらのコトワザは、煎じつめれば、

(d).Friends agree best at a distance.《友人は離れているときが最も仲がよい》

が説くように、人には距離が必要であることを教えているのですが、これは日本のコトワザの「三尺下がって師の影を踏まず」「親しき仲にも礼儀あり」と同じ考え方といえるでしょう。車の衝突事故を防ぐために「車間距離」が必要なように、人間社会での衝突を回避するためには「人間距離」を置かなくてはならないと、外山滋比古氏は「英語ことわざ集」で書いています。

 ここまで見てくると、最後に、次のコトワザにたどり着くことになります。

(e).An Englishman's house is his castle.《イギリス人の家は城塞である》
 = A man's house is his castle.《人の家は城塞である》

隣人との間につくられた垣根の意味は、極言すれば、外敵から身を守る城壁に等しいといえます。そして城は、何人たりともそこに侵入することを許さないプライバシーの牙城です。プライバシーの確保こそ、共同生活を円滑にする用件であるとする個人主義思想の具象化を、このコトワザに見る思いがします。

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