| イ タ リ ア 旅 行 記 |
ベニス・ミラノ・フィレンツェ・アッシジ・ローマの旅
安藤 邦男
<平成7年3月20日(月)〜3月31日(金)まで12日間>
| 日 程 |
3月20日(月) 集合(07:00)(日航054便)名古屋発(09:05) 成田発(12:45)−
機内食 − 飛行時間(15:00)− 機内食 − ローマ着(19:45)
ローマ発(20:50)AZ-3886 − ベニス着(21:55)
ベニス「グランド ホテル
プリンチペ」泊
3月21日(火) ベニス市内観光(サンマルコ広場、サンマルコ寺院、ドゥ
カーレ宮殿) 夕刻、ゴンドラ遊覧、ゴンドラ・セレナーデ
ベニス「グランド ホテル
プリンチペ」泊
3月22日(水) 自由行動 (OP 3島巡り半日観光)
ベニス「グランド ホテル
プリンチペ」泊
3月23日(木) ベニス発(10:05)特急列車にてミラノへ ミラノ市内観光
(ドゥオモ広場、スカラ座等)
ミラノ「ロイヤル
ホテル」泊
3月24日(金) 自由行動
ミラノ「ロイヤル
ホテル」泊
3月25日(土) ミラノ発(09:00)特急列車にてフィレンツェへ
午後自由行動
フィレンツェ「ラファエロ
ホテル」泊
3月26日(日) フィレンツェ市内観光(ウフィッツィ美術館、ベッキオ橋、ドゥオモ等)
午後自由行動(OP ピサ半日観光)
フィレンツェ「ラファエロ
ホテル」泊
3月27日(月) フィレンツェ発(朝)専用バスにてアッシジへ
着後サンフランチェスコ教会へ
アッシジ「ウィンザー & サヴォイア
ホテル」泊
3月28日(火) アッシジ発(朝)専用バスにてローマへ
午後ローマ市内観光(コロッセオ、サンピエトロ寺院、トレビの泉等)
夕刻 カンツォーネ ローマ「フローラ
ホテル」泊
3月29日(水) 自由行動(OP ナポリ・ポンペイ終日観光)
ローマ「フローラ
ホテル」泊
3月30日(木) ローマ発(11:50)AZ-1790 ミラノ経由にて帰国の途へ
機内泊
3月31日(金) 成田着(09:55) 成田発(18:45)JL053 名古屋着(20:00)
<新日本トラベル・ヴィアッジオ・イタリア>利用
3月20日(月)(第1日) 名古屋から成田経由ローマへ
5時30分起床。6時30分、杉本夫人に見送られ、門前からタクシーで名古屋空港へ。手続きを済ませて、成田空港のアリタリア航空のゲートへ。約束の11時30分になっても添乗員が現れないため、われわれだけで手続きを済ませ搭乗。出発間際に添乗員の水谷嬢が現れ、自分の席を交替して離ればなれの2人の席を前後にくっつけてくれる。
機は少し遅れて12時45分に出発。途中ミラノとローマでの乗り換え時間を含めて、約15時間の飛行である。
午後2時頃昼食。パスタ、肉の蒸し焼き、寿司で、なかなかのご馳走だ。食後映画をやる。なが子は見るが、1列前の邦男の席からは見えないので、「地球の歩き方・イタリア」等を読んで時間をつぶす。
通路を隔てて隣に、可愛い子連れのイタリア人の夫と日本人妻の夫婦が乗っていたが、夫の行儀の悪さには閉口する。すぐ前のテレビのスクリーンの壁に自分の足を頭より高い位置でもたせかけ、ひっくり返ってテレビを見ながら、大声で話したり歌ったりしている。あれが典型的なイタリア人気質かと半ば呆れた。なが子によれば、声楽の勉強に行っていた奥さんはイタリア人と結婚したあと日本に帰り、夫は輸入商やイタリア語教師などしていたが、今度赤ちゃんを連れ、イタリアへ里帰りするところだという。
閉口したといえば、もう1つ、夕食が何時まで待っても出ないことであった。予定表では、成田発は12時20分、ローマ着は19時20分とあり、その間は7時間であるが、これに8時間の時差を加えれば、この日は32時間という長い1日なのだ。昼食は2時頃に出たが、夕食が深夜の12時近くで、その間約10時間。腹を空かせた乗客の何人かがジュースやサンドウィッチを貰いに行ったが、多くの乗客は我慢している様子。アメリカ人気質のなが子は、負けじとサンドやジュースを貰い、熱いコーヒーまで届けてもらったりした。要求しなければ損をするヨーロッパ社会を、あらためて思い知らされた。1.jpg)
夕食後、時計を8時間遅らせる。ミラノで乗り継ぎ、ローマ着が17時過ぎ。空港の待合室で小休止。ローマを出発した機は、22時頃ベニスに到着。
直ちにバスでホテルに向かう。途中のサンジェレミ広場でバスを降り、運河沿いに歩く。夜風が寒い。途中の商店は閉まり、街路には人通りも少なかった。23時ホテル着。ホテル プリンチペは、外観は古いが、床と壁は大理石で、内装は美しく、立派である。137号室。【写真左】
今日は、6時半に我が家を出てから異郷のこのホテルに着くまで、ちょうど24時間半、まるまる1昼夜の旅路は、老境の身にはこたえる強行軍だ。
24時近く就寝。
ベニス「グランド ホテル プリンチペ」泊
3月21日(火)(第2日) ベニス市内観光
時差のため、午前4時頃目覚める。それからも寝つかれない。耳を澄ますといろいろの物音が聞こえてくる。外は雨だろうか、雨垂れの音がする。ハトの鳴き声もする。正時を知らせる教会の鐘が聞こえる。6時だろうか。窓から見ると、外は晴れている模様。雨と聞こえたのは川の流れか。7時頃起床。8時半、ホテルレストランで朝食。
添乗員の水谷嬢によれば、東京の地下鉄でサリン事件が発生したことを今朝のイタリアテレビが大きく報じていたという。ちょうど我々が日本を発った日の朝のことだ。危ないところであった。この事件は我々がイタリアにいる間、毎朝のトップニュースとして報じられていた。ミラノを除いてイタリアでは英語のテレビ放送がまったくなかったので、詳しい状況は分からなかったが、画面の麻原教祖の顔写真から、オウム真理教に疑惑がかけられていると知れた。
ところで水谷嬢と話しているうちに分かったことだが、20年以上前にわが家が星ヶ丘団地にいた頃、彼女も同じ団地の近くの棟に母親と一緒に住んでいたという。直樹と同年であるが、直接には知らないらしい。しかし、なが子が彼女の母親を知っていたとは、まことに奇しき縁というべきか。
9時40分、ホテル出発。ベニス市内観光へ。イタリア人のガイドは日本語にも堪能だし、日本の事情にもなかなか詳しい。サンマルコ広場を通り、サンマルコ寺院、ドゥカーレ宮殿を見る。ベネチア帝国時代の美術品や絵画の数々は、目を見張るばかりに素晴らしい。
昼食は市内のリストランテ「アルアンジェロ」。なが子はイカ墨のスパゲッティが美味しいという。1.jpg)
午後は、ゴンドラ遊覧に出かける。【写真右】
数名ずつに別れて数隻のゴンドラに乗り、古いビルに挟まれた狭い水路をゆったりと通り抜ける。【写真左】
1.jpg)
水は淀み、ところどころで悪臭がする。ゴンドラの漕ぎ手は陽気なイタリア人だ。お互いどうし大声で話したり、歌ったりしている。大きな運河に出たところで、イタリア人の歌手を乗せたゴンドラで、ギターに合わせてセレナーデが始まった。よく響く声だ。ツアーの一行の分乗したゴンドラが数隻、それを取り囲むようにしている。
船は運河をぐるりと一周し、4時頃最初の乗船場に着いた。そこで自由解散。サンマルコ寺院近くの商店街を巡り、ベネチアグラスやムラノレースの店を見てまわる。その後リアルト橋まで往復。6時、サンマルコ広場の寺院前に集合、特別仕立ての水上バスで、ホテル裏の桟橋まで直行。
夕食は7時30分ホテルレストランで。
ベニス「グランド ホテル プリンチペ」泊
3月22日(水)(第3日) 3島巡り半日観光1.jpg)
起床7時。朝食8時30分。9時、ホテル前の乗船場からモーターボートに乗り、3島巡りへ。【写真右】
これはオプションで11人参加。ボートは教会や廃屋だけの残るいくつかの孤島の間を縫うように走り、まずムラノ島へ着く。質素な教会を1つ見学、美術館が休館のため、ベネチアグラスの工場を見学、なが子はここで3万9千円のネックレスを現金で買う。【写真左】1.jpg)
次いで、トルチェッロ島に寄る。ここはベニス発祥の地で、1時は4万人いたといわれる島人が今では100人ほどに減ったという島である。川沿いに古い教会の一つまで歩き、中を見学。
それからレースで有名なブラーノ島へ渡り、レースのショップを訪問、小さな人形を型取ったボビンレースを二つ、計12万フランで買う。約6千5百円。12時30分、頃ブラノ島を出発、ボートは全速力で帰途につく。快晴であるが、風は強く、寒いほどである。
1.jpg)
昼食は1時過ぎ、サンマルコ近くのシーフードレストランで、イカのフライ。
午後2時頃解散、以後は自由行動。再びサンマルコ寺院に入り、【写真右】 2階へ登ったが、目指す金の屏風がないので、どこにあるかと尋ねると、入場料を返してくれて、祭壇の裏手に行けという。
1.jpg)
言われたとおりに行くと、そこには教会にゆかりの牧師の絵姿が50枚くらい金屏風にはめ込まれてあった。【写真左】
それから向かい側にある鐘楼に登り、市内を一望する。降りてからまた昨日と同じ市街の狭い商店街を歩き、ブランデーグラスとコーヒーカップを2個ずつ買う。水谷嬢から聞いていたレストランを探して歩いたが、まだ6時前のためか店内には人がいなかったので入るのを止めにし、水上バスに乗ってホテルに帰ることにする。我々だけで乗ったことはいいが、帰り道の寄港場所が予定と違うように思われ、なが子が手真似で尋ねても周囲は英語の分かる人がいなくて要領を得ず、困っているとやっとホテル近くの乗船場に着く。反対周りのバスであったことが分かる。
夕食は、ホテル近くの、うまいという評判のトラットリア「ポヴォレード」へ行く。混雑していたのでもう一度出直すと、同様に出直してきたアメリカ人夫妻とまた一緒になったので、何となく話し合うようになり、テーブルを合わせて談笑する。主人はPHDの資格を持つ元米海軍軍人の教官で、72歳といい、日本にも行ったことがあるという。知っている日本語の単語をいくつか披露したりした。61歳になるという奥さんは、アメリカにおける黒人たちの救いようのない無教養さを嘆いていた。名刺を交換し、別れる。
10時頃帰り、入浴、11時就寝。
ベニス「グランド ホテル プリンチペ」泊
3月23日(木)(第4日) ミラノ市内観光
7時起床。8時15分、荷物を部屋の外へ出し、朝食に行く。
9時15分、ホテルを出発、サンタルチア駅まで歩く。列車にスーツケースを積み込み、4人掛けのシートに田中さん夫妻と同席する。
10時5分発特急列車IC−648は、ミラノへ向けて出発。同席の田中さんも元海軍将校で、海軍経理学校の教官をしていたという。年齢も昨夜の米海軍軍人と同じ72歳と聞くと、何か因縁めいたものを感じる。
13時20分、ミラノ中央駅に到着。荷物を棚から下ろし、下車。迎えのバスで市内レストラン「ピッコロ」へ行き、昼食。ハムのような薄いカツとポテトフライがうまい。
午後市内観光へ。途中でバスを降り、ミラノの有名なスカラ座に入り、中で舞台稽古をしているのをしばらく見学。そこからガラス張り天井の「ヴィットリオ・エマニュエル2世アーケード」を通り、ドゥオーモ広場に出る。1.jpg)
「ドゥオーモ」は尖塔の林立する見事なゴシック建築で、【写真右】 14世紀に建築が始まり19世紀に完成したというから、500年もかかっている勘定になる。寺院建設におけるイタリア人の気の遠くなるような執念と根気強さには、ただ呆れるばかりである。ドゥオーモの中は壮大な空間が広がり、15世紀から現代までのステンドグラスが美しい。
11.jpg)
アーケードを再び通り、バスまで歩く。【写真左】
途中、バスはミラノのショップ「セドラ」に寄る。ホテル着は6時。805号室。
2人とも入浴したので、7時30分からの夕食に15分遅れる。ホテルレストラン「パラバチョ」ではすでに食事が始まっており、席の余裕がなく、千葉さん姉妹のテーブルに、新たに我々の椅子を並べてくれる。姉はなが子の友人の松尾さんに似た美人、義妹は岸恵子に声までそっくりな美人、話が弾んで階下のBARに席を移し、カプティーノを呑みながら、嫁しゅうと問題やおしゃれの話しなど、1時間ほど談笑する。
ツアーの楽しみの一つは、このように道連れになった人たちと、楽しい時間を持つことの出来ることである。日常生活での付き合いは、仕事や義理によるものが殆どだ。嫌なこともある。しかし旅行先では、気の向いたとき、気の合うものと付き合えばいい。その場限りの、無責任な付き合いだからこそ、そこに本当のものが生まれるとも言える。
10時30分頃就寝。
ミラノ「ロイヤル ホテル」泊
3月24日(金)(第5日) 自由行動
6時半起床。朝食7時30分。ゆっくりと9時30分頃ホテルを出て、市内の自由観光に向かう。たまたまホテルの玄関で出会った田中さん夫妻と、途中まで1緒に歩く。
事件の起きたのは、その時だ。中央駅の裏を右折して、ビルの前の通路を歩いていたとき、奥さんが「ジプシーよ」と叫んだ。見ると2、3人の子供連れの女がこちらに向かって来る。邦男もなが子もさっと横にそれ、過ぎ去ると、その時「ノー、ノー」という大声が聞こえる。とっさに後ろを振り返ると、片手で新聞を突き出した子供が、田中さんの周りを取り囲んでいる。その子どもたちを、田中さんは手で振り払っている。子どもたちが逃げて行くのが見えた。危ないところであった。田中さんの話では、左手で新聞を売りつけるような振りをして、突き出した新聞の陰で右手を田中さんのポケットに突っ込んできたという。どうやらそれが子連れジプシーのスリの手口のようだ。
1.jpg)
田中さんとはそこで別れ、市立公園に入り、そこで少々休む。公園には幾組かの子連れのイタリア婦人がいたが、あんな事があった後では、何となく子供連れが薄気味悪く思えてきた。
公園を出てから、ミラノの有名ショップが軒を並べる街路を通る。ウィンドウショッピングを楽しむ。途中、BAR「モンテナッポ」【写真左】に入り、サンドウィッチとカプチーノの軽食を取る。とても美味しい。しばらく歩くと、日本人の若者に会う。一宮の出身という。写真を撮ってもらう。外国での日本人は誰でも親しみがわくものである。
通りかかった立派な教会に入る。地図で調べると、サンフェデレ教会だと分かる。広場でしばらく休み、ドゥオーモを目指して歩き始める。広場を右手に回ると、突然スカラ座前の広場へ出た。昨日きた場所だ。そこから再びドゥオーモに向かう。今度は横手
にあるリフト乗り場から、ドゥオーモの屋上に登る。【写真右】 1番高い尖塔のマリア像を間近に見ることが出来た。歩いて登ってきたという、新婚夫婦に出会う。何枚か写真を撮ってから、同じリフトで降りる。
再びスカラ座前にもどり、そこから北上、「ブラレ絵画館」に向かう。2時を過ぎていたので、昼食を取ることにする。角のBARに入り、サンドウィッチとエスプレッソを注文。勘定のとき、1万8千リラを請求されたが、1万5千リラしか無く、まけてもらう。鷹揚なイタリア人である。
近くの銀行で換金し、「ブラレ」を目指して出発。しかし、なかなか目指す場所が分からない。イタリア人に3回地図を見せながら道を尋ねたが、3回とも違う場所を教えられたのには驚いた。1人は中年の女性、1人は高校生、1人は元気な露天商人だったが、彼らは親切すぎて、知らないことでも知らないと言えないのだろうか。こちらとしては、間違った情報を教えるくらいなら、知らないと言ってくれた方がよほど親切だと思うのだが。
途中で迷った末入り込んだ教会では、ミサが始まっていて、ツアーの仲間が一人ビデオに収めていた。4度目はたまたま街頭で見かけた警官に尋ねたら、さすがすぐに所在が知れた。
1.jpg)
午後3時から4時まで、「ブラレ」で有名絵画を鑑賞。【写真左】
そこを出てから少々疲れたので、近くのBARに入り、ビールとジュースで渇を癒した。
疲れていたが、地下鉄で帰ることにし、「カイロリ駅」から乗車、「ドゥオーモ駅」で乗り換え、「セントラル駅」で降車、ホテルまで5分を歩いて帰った。途中、親切なドイツ人が英語で道案内をしてくれた。
5時半頃帰り、入浴。夕食は7時30分から、昨日と同じホテルのレストラン「パラバチョ」。8時頃、ホテルの自室に戻るとき、事件が発生した。
なが子が「805、はちまるこさん」と言いながら、部屋の側まで来ると、我々の部屋から見知らぬ人間が3人出て来るではないか。添乗員らしき女、ツアー客らしき女、それにホテルマンらしいイタリア人の男だ。添乗員らしき女が「済みません、805号室の方ですか。部屋に入ったら荷物があったので、フロントに電話をかけさせてもらいました」という。1瞬ぽかんとしていると、3人連れはそそくさと消えてしまった。
部屋に入って、始めて事の重大さに気づく。留守に無断で3人が部屋に入ったのだ。部屋の中を見回す。鍵をかけたスーツケースが整然と置かれ、異常は無さそうである。でも不問に付すわけにはいかない。早速、水谷嬢に電話し、事情を話す。「そういうことはよくあるのですよ」と事も無げにいう彼女に腹が立ってきた。「他人の部屋に無断で入るとは言語道断だ。それにあの添乗員の態度はなんだ。どうしてこんな事になったのか、直ぐ調べてくれ」と興奮しながら言う。
やがて例の添乗員から電話がかかり、ホテル側からお詫びの印として果物が差し入れられ、次いで水谷嬢がやって来た。なんでも森川さんというのが偶然3組いたのが、間違いのもとだったという。805号室は最初森川さんに割り当てられていたが、彼らの都合で急遽安藤に変更したが、コンピュータはそのままになっていたらしい。そこへ別のSNTのツアーの森川さんが部屋の変更を希望して外出し、帰ってきて「森川だが新しい部屋の鍵をくれ」と言って受け取ったのが我が部屋の鍵だというわけであった。それにしても確かめもせず合い鍵を勝手に渡すとは、「ロイヤル」のホテル管理もいい加減なものである。明日は早いので、それ以上は追求せず、就寝する。
ミラノ「ロイヤル ホテル」泊
3月25日(土)(第6日) フィレンツェへ
起床5時30分。荷物回収6時15分。
朝食を抜いたまま、7時にホテルを出発、バスでミラノ中央駅へ向かう。車内で、朝食用のパンとミルクを渡される。
プラットホームで荷物を列車に積むのを少し手伝ったが、腕が痛くなったので止める。ぎっくり腰にでもなったら大変である。しかし、このときすでに腰痛になっていたのを、帰国して数日後に発見することになる。1.jpg)
8時、特急列車IC535はフィレンツェへ出発。この列車はボックス形式で、田中夫妻、千葉姉妹と同室となる。動き出すと、早速朝食を食べ始める。
10時50分、フィレンツェ着。バスで丘を登り、まず「ミケランジェロ広場」まで行く。11時半、ミケランジェロのダビデ(コピー)が立っている丘の上から、市内を一望する。「花の聖母寺院」と呼ばれるドゥオーモが見える。【写真右】
1.jpg)
バスで丘を降り、そのドゥオーモの中に入る。この教会もまた13世紀末に建築が始まり、完成が19世紀という。ドゥオーモの横にはジョットの鐘楼が聳え、前には8角形の洗礼堂がある。【写真左】
昼食は市内レストランで、パスタ、豚肉の薄切り、フルーツなど。
11.jpg)
昼食後は荷物をバスに預け、自由行動となる。歩いて「アカデミア美術館」まで行き、ミケランジェロのダヴィデのオリジナルを見る。【写真右】
そこから再びドゥオーモ広場まで戻ると、疲れはてる。
ベッキオ宮殿まで歩く元気がないので、タクシーに乗る。乗るとすぐに着いたが、1万リラ請求される。
ベッキオ宮殿に入ると、中庭には噴水があり、イルカと戯れる幼児の像が立っている。階段を上がって宮殿の内部を見る。戦争の壁画や天井画が見事である。
疲れていたが、さすが土曜の午後はすごい人出である。タクシーを探したが見当たらず、人通りでごったがえすドゥオーモ界隈の街を中央駅に向かって歩く。ブランドものの店が並ぶ靴店で、なが子と邦男の靴を1足ずつ買う。これでやっと念願が叶った思い。
そこから駅まで、細い小路には夜店が並び、なかなか歩けないほどだ。なが子は皮の手袋を買う。
中央駅のタクシー乗り場にも長蛇の列だ。並んだすぐ前に椙山大学の女子学生たちが数人いた。30分ほど待ち、やっと乗車、郊外のホテルまでかなり遠い距離を1万2千リラとはまったく安い。昼間乗ったドゥオーモ前のタクシーには、ぼられたと知る。
夕食の7時半にかろうじて間にあった。「ホテルラファエロ」は514号室。
夕食はホテルレストラン。食後入浴し、すぐに就寝。
フィレンツェ「ラファエロ ホテル」泊
3月26日(日)(第7日) フィレンツェ市内観光
起床、6時
30分。6時30分といっても、昨日までの5時30分である。イタリアは毎年3月の最終土曜日の深夜からサマータイムに変わるという。昨夜のうちに時計を1時間進めたが、3月から夏時間とは、少々驚きである。
朝食、7時15分。8時、フィレンツェ市内観光へ出発。
途中までバスで行き、シニョリーア広場を通る。もう人だかりがしている。【写真左】
8時半頃ウフィッツイ美術館の前に並ぶ。

9時入場。この美術館にはボッティチェリーの「春」「ヴィーナスの誕生」【写真右】、レ
オナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」【写真左】など、有名絵画が目白押しに並んでいる。20年前、はじめてここを訪れたときの感激を思い出しながら鑑賞する。ガイドは海野さんといい、津田塾を出た後、ここの美術大学で彫刻を学んだというインテリの中年女性、説明が専門的である。
ベッキオ橋は遠くから眺めただけ、外へ出て、シニョリーア広場で解散。
午後は自由時間になるが、我々はオプションのピサ行きである。歩いて近
くのリストランテ「バルディーニ」まで行き、そこでオプション参加者のみの昼食を取る。オプションにはすべて昼食が含まれ、一人当たり1万5千円である。ピサの半日観光の参加者は10人ほどであった。
ピサの街へ入ると、斜塔が見えてくる。【写真右】
この斜塔はドゥオーモ付属の鐘楼塔であるが、1117年の着工時にすでに傾き始め、今も傾きつつあるという。城門の外で車を止め、歩いて中に入る。斜塔は今修理中とかで、ここ数年は登れないという。しかし下から眺めるだけでもその偉容は圧倒的である。
20年前、ここへ登ったとき、塔の各階のベランダには柵がなく、震える思いで下を見おろしながら、よく墜落事故が起きないものと感心したことを憶えている。そのときのガイドの話では、事故より自殺がよくあったという。
11.jpg)
ドゥオーモはミサの最中なので【写真左】、入り口から覗いただけで、その前にある洗礼塔の中へ入る。大理石で出来た8角堂は、ドアを閉じるとエコーが2重3重に響いて素晴らしいといい、太ったイタリア人がバスを聞かせてくれた。なるほどよく響く。続いて声楽の勉強をしているという娘さんの母親が歌う。アルトだ。邦男も大声を出してみる。
6時頃ホテル帰着。夕食は自由というので、2人だけでホテルで食べることにする。8時だが、客は1人もいない。メニューを見て子牛のテキを注文したが、その柔らかくてジューシーなこと、イタリアへ来て初めてのうまい肉だ。
食べ終わって出るところで、千葉さん姉妹や、勤続35年の主人(奥さんがまだ病気なので一人で食事に来た)が入ってきたので、子牛を薦める。10時頃就寝。
フィレンツェ「ラファエロ ホテル」泊
3月27日(月)(第8日) アッシジへ
7時起床。8時荷物をドアの外に出し、朝食。
9時ホテル出発、バスでアッシジへ。途中、10時過ぎバディアールピーノで休憩30分。店でチョコなど買う。
添乗員がフランチェスコ聖人の生涯を朗読する。アッシージの豪商の子として生まれたフランチェスコは、放蕩無頼の生活の後キリスト教に入信し、肉親とも別れ、貧者や病弱者のために一生を捧げたという。1.jpg)
11時、トラジメーノ湖を右手にして通過。続いて山岳都市「ペルージャ」の街を通る。この当たり山岳都市が多い。アッシージもその1つだ。山岳都市のつくられた由来は、外敵からの防御のためと、伝染病の予防のためと聞く。
12時、アッシージ着。【写真右】
1.jpg)
昼食は、12時30分から13時30分まで、アッシジ市内のホテル「フォンテベラ」のレストランで取る。
昼食後、ガイドの案内でアッシージの街を歩く。外は風が強く、猛烈に寒い。寒さに震えていた若い男の子に、なが子はスカーフを貸してやる。街の家並は、いずれも12、3世紀頃の古い煉瓦づくりの邸宅ばかりである。中には紀元前の城壁に10世紀頃の建物を積み重ねたものもある。【写真左】1.jpg)
街を一巡してから最後にサンフランチェスコ教会【写真右】に入り、日本人牧師さんの説明で中を見学。上下2階建ての教会で、階下は天井の低い荘厳な部屋で、周囲にはいくつかの有名なフレスコ画が並んでいる。その一枚を日本人画家が模写していた。階上の教会では、聖フランチェスコの生涯のエピソードを何枚かに描いたジョットの壁画を見る。
帰りはホテルまで、寒さのためと尿意のために、走るようにして帰る。
部屋は、2階の39号室。まだ3時頃で、時間も早いので、セーターにオーバーを着込んで、もう1度外出し、アッシージの街通りを歩くことにする。ところどころに古井戸や風呂の遺跡がある。人通りはほとんどなく、まるで中世にタイムスリップした感じである。
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大通りに並んだショップには、刺繍などの手工芸品が並べてある。老婦人の独り留守番する店に入り、写真を撮らせてもらう。お礼にチップを渡そうとすると、断られた。
サヴォイア ホテルに帰る。【写真右】
ちょうど時間がよいので、直樹に電話する。
夕食は7時半から、ホテルのレストランで取る。
夜半、雷鳴に驚き、目覚める。外は雨の様子。
アッシジ「ウィンザー & サヴォイア ホテル」泊
3月28日(火)(第9日) ローマへ
7時起床。外は吹雪である。7時40分荷物を外に置き、朝食へ。
9時ホテル出発。バスの停車場まで、2、3百メートルを風に舞うみぞれの中を傘をさして走る。バスは吹雪の中をローマへ向って走る。雪はやがて止む。沿道には色とりどりの花々が咲いている。バスはテベール川に沿って走る。
12時頃、バ
スはローマ市内に入り、デ・シーカの映画「終着駅」で名高いテルミニ駅の側を通る。
昼食は1時から2時まで、市内のレストラン「マングロビア」で、スパゲッティー、イカ、ポテト、アイスクリーム。
午後、バスでローマ市内観光へ。ガイドは恐ろしく早口の日本人女性で、笑わせながら説明する。
トレビの泉では、例によっておまじないよろしく、後ろ向きにコインを投げる。【写真左】
11.jpg)
次いでコロッセオを見学、ここはその昔、奴隷の剣闘士がお互い同士や猛獣たちと死闘を演じた巨大闘技場の跡だ。今は廃墟と化し、猫の住処になっているという。【写真右】
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最後はサンピエトロ寺院だ。寺院前の広場の中央には、エジプトから運ばれてきたという、高さ25、6メートルのオベリスクが聳え立っている。【写真左】
広場には折からの集会のために何千という椅子が並べられていたが、珍しいことにそれが強風のためにほとんど倒れていた。
寺院の中に入る。ものすごく広く、また高い。天井近くのローマ文字が小さく見えるが、実は人間の背よりも大きいという。入り口には、有名なミケランジェロの「ピエタ」像がある。【写真右】 キリストを抱いたマリアの姿が悲しいほど美しい。1.jpg)
少し行くと、右側に「聖ペテロ」のブロンズ像があり、その足は信者の手の接触や接吻のため、磨滅している。列に並んで触り、お祈りする。
【写真左】
真ん中の一番広い部分には聖ペテロの墓と法王の祭壇があり、その上には巨大な天蓋が覆いかぶさっている。壁面には彫刻や絵画が夥しい。一巡して外に出る。
5時、ホテルに帰る。夕食は、市内のレストランでカンツォーネを聞きながら取ることになっており、7時半出発。目指すレストランは30分ほどで行けるはずであったが、ドライバーは不案内で、途中で尋ねたイタリア人がどうやら間違った道を教えたらしく、迷った末1時間近くかかってやっと到着。ここでもイタリア人の情報がいい加減であることに呆れる。
カンツォーネは期待に反した。大きなホールは粗末だし、歌もそれほどでなく、料理と来たら肉が硬くて切り取れないほどであった。
10時半頃ホテルに帰る。そのまま入浴し、11時、就寝。
ローマ「フローラ ホテル」泊
3月29日(水)(第10日) ナポリ・ポンペイへ
6時起床。朝食6時45分。
今日は「ナポリ・ポンペイ行き」のオプションだ。参加者は少なく、9名のみ。なが子はこのオプションを申し込んだことをさかんに後悔し、予約を放棄したいという。バチカン美術館など見たいところが他に多くあるためだ。しかし、ポンペイは1日がかりの旅であるから、そんなに簡単には行けない所だとさとし、やっと行くことに同意させる。
7時15分出発。しかし、空は曇っていて雨模様であるし、バスは暖房装置が故障し、あまり着込んでこなかった我々はみな寒さに震えた。その上、ガイドは70歳前後のご老体の日本人婦人で、口数も少なくほとんど情報を与えてくれない。尋ねるとお義理で答えるという、お粗末さ。
1.jpg)
9時、トイレ休憩。
モンテカッシーノ・コンベント(教会)を通る。少し行くとアッピア・アンティーカという松並木が並んでいる。
10時、ポンペイに入る。バスを降りる頃から、小雨が降り出し、傘をさしてポンペイの遺跡を見る。【写真右】
説明はイタリア人のガイドで、通訳が例の老婦人、あまりにも簡単に通訳しすぎるので、詳しいことがよく分からない。不満であるが、雨の中で傘もささずに説明する二人にはいささか同情が湧く。雨の中でも、遺跡そのものは素晴らしい。古代都市がそのまま眼前に出現している。
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12時半から13時半まで昼食。「ホテル・ヴィットリオ」の大きなレストラン。各地から修学旅行の生徒たちが来るらしく、大変な混雑である。食後、同じホテルの中のカメオのショップを見る。【写真左】
16時、出発。ナポリの市内を通る。20年前に通った街通りを思い出す。雨で人通りはほとんどなく、通りを歩いても危険はなさそうであるが、ガイドによれば、ナポリはかっぱらいが多く、危険だか
らといい、眺めのいい丘の上でも降ろしてくれない。ナポリ湾はわずか窓から眺めただけであった。【写真右】
ナポリ大学、ナポリ王宮など、素晴らしい建物が続く。これが貧しいといわれるナポリなのかと目を疑う。サミットで村山首相が入院したという病院の前を通る。
雨は止んだり、降ったりしている。16時、トイレ休憩。草原には羊の群が多く、スコットランド地方を思い出させる。
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午後5時、ホテル着。バスを降りるとき、ドライバーとガイドにチップを渡す。
まだ早いので、部屋で小休止後、スペイン広場まで出かけることにする。水谷嬢の作った地図によれば、ピンチアーナ門の前の通りを馬術競技場添いに西に歩くと、10分ほどでスペイン広場だ。【写真左】
念のため、途中で若いイタリア女性に道を尋ねる。「2つ目の信号を右折すると、すぐスペイン広場<ピアッツァ・ディ・スパーニャ>です」と明快な英語で正確に答える。イタリア人の名誉挽回だ。道を聞くのは若い女性に限ることを痛感する。
広場前にはトリニタ・ディ・モンティ教会があり、そこから人々の間をかき分け、階段を下へ降りていく。「ローマの休日」でオードリーヘップバーンがアイスクリームを舐めながら降りてきた階段だ。下の通りへ降り、上を見上げる。外はまだ明るく、ものすごい人の群だ。旅行者もさることながら、地元のイタリア人の若者がたむろして楽しんでいる。
そこから有名ショップの並ぶ商店街にはいる。食料品店で、パルミジャールチーズ(パルミザンチーズ)やパスタを買う。帰り道、露店で買ったイタリアの栗をかじり、ペプシコーラを飲みながら、もと来た道をまた通ってホテルまで帰る。
7時半を過ぎており、ホテルにはレストランがないので、近くのピツァの店でスパゲッティーと子牛のテキを食べる。若いツアー仲間が数人食事している。テキは先日ほどにはうまくなかった。
9時部屋に帰り、荷造りをし、入浴をする。明日はいよいよ帰郷だ。10時半就寝。
ローマ「フローラ ホテル」泊
3月30日(木)(第11日) 帰国の途へ
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起床6時30分。7時15分朝食。
8時15分、ホテル出発、バスでレオナルド・ダ・ヴィンチ空港へ向かう。【写真右】
9時、検査を済ませて、構内に入る。1時間ほど自由時間があったので、免税店で買い物をする。チョコレート6箇、ワイン3本、それに麻綾と紗綾に「鉛筆立て」2箇を、急いでカードで買う。
11時30分、搭乗したが、強風のためか、機はなかなか出発せず、予定より1時間遅れ、やっと13時丁度に離陸。座席は来るときの埋め合わせか、水谷嬢は窓際の1番いいところに取ってくれる。
ミラノで1時間ほど乗り継ぎのため待機。15時20分ミラノ発。スイス上空から見おろすアルプスの山々、シベリア上空から眺める山脈や平原が、眼下にゆっくりとその雄姿を展開していく。
昼食を済ますと、やがてに夜になる。時計を7時間進め、日本時間にする。映画「マスク」を見るが、邦男は途中で眠ってしまった。
3月31日(金)(第12日) 成田から名古屋へ
日本時間午前6時頃明るくなる。7時、朝食。9時50分予定通りの時間に成田に到着。
荷物をもらい、税関を通り、再度荷物を預け直すと、12時近かったので、空港構内で昼食を取る。久しぶりの日本食は、胃の腑にしみる思いであった。11.jpg)
時間があるので、成田さんにお参りすることにする。【写真左】
JRの成田駅で下車、歩いて成田神社まで行き、参拝。神社裏には、梅が咲き、噴水や池のある閑静な公園がある。散歩してから、帰りは駅までバス、今度は私鉄電車に乗って成田空港まで帰る。まだ4時である。
待合室の椅子に腰を下ろす。ここは今までに何度も、名古屋空港行きを待って時間をつぶしたところだ。なが子は初老の婦人と話している。戦後、アメリカ人と国際結婚し、親子の縁を切ってアメリカに渡り、そこで長く生活していたが、今度久しぶりに日本へ帰るところだという。あの頃は誰も多かれ少なかれ、波乱の生涯を送ったものだ。
午後6時15分、搭乗。しかし、乗客の一人が時間通り搭乗しないので、しばらく待機。日航はなんと親切な飛行機よ。彼の搭乗を待ちやや遅れて、午後7時10分成田を発、午後8時10分名古屋空港に到着。
タクシーに乗り、途中でほかほか弁当を買い、帰宅したのが午後9時であった。
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