ヨーロッパとイギリスの旅

安藤 邦男

@平成5年7月16日(金)〜24日(土)まで
<ヨーロッパロイヤル紀行11日間> 新日本トラベルkk主催
A平成5年7月25日(日)〜28日(水)まで
<英国バスツアー:3泊4日> フレイムズツアー日本総代理店UTS主催
B平成5年7月29日(木)〜8月2日(月)
<英国自由旅行>


平成5年7月16日(金)〜8月2日(月)まで


日             程

7月16日(金) (第1日) 名古屋から成田経由フランクフルトへ
7月17日(土) (第2日) ライン川クルーズからボッパルトへ
7月18日(日) (第3日) ハイデルベルグ城と学生酒場へ
7月19日(月) (第4日) ローテンブルクからミュンヘンへ
7月20日(火) (第5日) ノイシュバンシュタイン城見学
7月21日(水) (第6日) ユングフラウからジュネーブへ
7月22日(木) (第7日) 新幹線でパリへ、セーヌ川遊覧へ
7月23日(金) (第8日) ベルサイユからノートルダム寺院へ
7月24日(土) (第9日) ヒースロウからバッキンガム宮殿へ
7月25日(日)(第10日) ツア−で、ヨ-クからダ-リングトンへ
7月26日(月)(第11日) ダーラムからエディンバラへ
7月27日(火)(第12日) グラスミアからチェスタ−へ
7月28日(水)(第13日) シェクスピアの生家からロンドンへ
7月29日(木)(第14日) ハイドパークからマダムタッソーズ
7月30日(金)(第15日) 聖ポール寺院、ナショナルギャラリ−
7月31日(土)(第16日) ツアーでバース、ストーンヘンジへ
8月 1日(日)(第17日) テムズ川クルーズから空港へ
8月 2日(月)(第18日) 成田から名古屋空港経由わが家へ



7月16日(金)(第1日) 名古屋から成田経由フランクフルトへ

05:00 起床、06:00 出発、藤が丘からタクシー高速経由、07:30 空港着。

09:15  JL054 にて名古屋発、成田空港へ。

13:00  JL407にて、成田発、2階座席、1時間後に添乗員田中さんに会う。

14:30  昼食。機内では14人のドイツ人の楽団と同じ座席。沖縄と琵琶湖での音楽演奏のツアーだという。

20:30 握り飯の軽食。シベリア上空では河川や山脈が鮮やかに見える。

23:00 2度目の食事。フランクフルト時間に合わせて、時計を7時間遅らせ、16:00時とする。すると、これは夕食というべきか。今日は1日が31時間ある。長い1日だ。やっとバルト海が見えた。

17:40 フランクフルト着。成田を出てから、11時間40分。日本時間では、すでに17日の午前0時40分になっている。

空港で換金。1マルク約68円。空港から外へでて、バスに乗る。陽射しは高く、暑い。26度だそうだ。昨日までは寒くてふるえていたという。ホテルまでのバス、運転手はリヒャード氏、ガイドは伊藤嬢。フランクフルト駅近辺は、夜は危険という。

19:00 ホテル着。「ノヴォテル・フランクフルト・メッセ・ホテル」。すぐ側に、鉛筆のようなのっぽビル、メッセタワーがある。このホテル、北欧に比べればいささか格調を欠くが、シンプルで清潔、おまけに広い。

20:15 夕食。ホテルのレストラン。Tさん親子と一緒になる。機内で、十分食べた後ではあったが、主食はピラフ、豊富な生野菜にチキンと茸のハヤシソース煮、日本人の味覚に合い、すっかり平らげる。22:00 就寝。


7月17日(土)(第2日)  ライン川クルーズからボッパルトへ

07:00 起床。朝曇り。07:30 朝食。

08:30 専用バスにてホテル発、市内観光へ。ドライバーはスイス生まれのロング・ブルノー氏。この人とは、ジュネーブを出るまで付き合うことになる。午前中、文豪ゲーテの生家であるゲーテハウス訪問。堂々たる4階建ての建物だ。各階を説明つきで見てまわる。その後、市内の「三越」に寄る。琥珀のペンダントとループタイを、記念に買う。
【写真左・ゲーテハウス】

昼食は、証券取引所の地下にあるレストラン「バルゼンケラー」で。

食後、バスでフランクフルトを発ち、リューデスハイムへ。小麦畑、とうもろこし畑がえんえんと続く丘陵地帯に、赤い屋根の集落がちらほらする風景は、まるで絵葉書だ。

そこから、遊覧船でライン川クルーズへ出発。

大型船でゆったりとしたラインの流れを下る。クルーズの最後、甲板に出て、ローレライの岩を眺める。ザンクトゴアで下船。再びバスに乗って、ボッパルドへ向かう。
【写真右下・ローレライの岩】


18:00 ボッパルドの修道院跡のホテル、「スポーツアンドクアホテル・クロスタグート・ジャコブスベルグ」に到着。バルコニー付きの2階の広い部屋から見おろすと、芝生の庭に何匹かの兎が戯れている。

19:00 夕食。ホテルの別館の2階レストランで、ローストビーフ。食後、2人で散歩。ホテルの庭内の正面には、ゆかりの人物の銅像が立ち、その付近はビアガーデンとなっていて、歌と踊りのショーがにぎやかに行われていた。周囲はゴルフ場やテニスコートがあって、静かな環境である。

22:00 就寝。


7月18日(日)(第3日)  ハイデルベルグ城と学生酒場へ

07:30 起床。午前、快晴。夕方、曇りのち小雨。

08:00 朝食。昨夜と同じレストランで、ライン川を眺めながらのバイキングは、最高である。たまたま同席のドイツ人と朝食を取りながら話した。フランクフルトの銀行員で、このボッパルトにいる母のところへ来たついでに、このホテルで朝食を食べに寄ったという。彼の話では、贅沢といえば、ホテルへやってきて朝食を食べるくらいであるらしい。趣味は自転車旅行で、この近辺はたいてい自転車で行くという。遠出の旅行といえば、せいぜいドイツ国内か、またはスイス、オーストリアあたりの旅行で、アメリカや日本へはとても行けないという。ドイツでの銀行員の生活は、とても大変のようである。「ドイツはますます貧富の差が大きくなりつつある」といって、彼は嘆いた。

09:00 ホテル出発。ガイドは北井さんという女性。バスはライン川沿いに、ちょうど昨日のコースを遡りながら、ハイデルベルクへ向かう。

北井さんの話では、ドイツの城には2種類あって、1つはベルグ、もう1つはシュロスで、前者は戦いのとき防衛の砦になり、後者は平素の住居として使われるという。

12:00 ハイデルベルク着。昼食は市内レストランで、牛肉フライ、スープ、サラダなど。

昼食後、市内見学。まず丘の上のハイデルベルク城へ行く。城を背景に、このツアー全員の写真を取る。
【写真左・ハイデルブルグ城】

城内からネッカー川沿いにハイデルブルグの街が見下ろせる。
【写真右下・ネッカー川とハイデルブルグの街】

また城内には、世界最大というワインの樽があった。その側で、ワインの試飲をし、グラスをもらう。

見学後、ネッカー川にかかるカールテオドール橋の上に立ち、いま降りてきたハイデルベルグ城を振り返る。

次いで市内を歩く。ここは、学生時代に読んだマイアー・フェルシュターの戯曲「アルト・ハイデルベルグ」で有名な街だ。ヨーロッパでも最も古い大学の1つハイデルベルグ大学は、学生数3万というが、街の中にあって、大学の特別な敷地はなく、教会や商店と並んで、いわば街そのものが大学のキャンパスになっている。
【写真左・人通りの多いハイデルベルグの街】

有名な「学生牢」の前を通る。ここは規律を犯した学生を閉じこめたところといい、中の壁には落書きが1杯という。残念ながら中を見ることができない。

16:30 ホテル着。ハイデルベルク「クアファルスト・ホテル」、401号室。何故か、エレベーターが故障し、動かない。4階まで歩いて登る。

19:00 ホテル前に集合して、近くのレストラン「DA MARIO」まで歩く。途中小雨。夕食は、ポテト、ピザ、魚のクリーム煮など。

夕食後、たまたま同席した若い人たちと意気投合、「アルト・ハイデルベルク」の舞台となったという居酒屋「オクセン」へ出かける。1行は小牧市T団地に住む新婚のS夫妻(堅実型のご主人に似合いの世話好き型の奥さん)、州の歯科医学生のK嬢(まだあどけさが残る学生さん)、それにわれわれ初老の夫婦の5人。半袖シャツで寒さにふるえながら、30分以上歩いてやっと探し当てた居酒屋は、あいにく休業中。しかし隣に同様の学生酒場「セペール」があり、入る。

薄暗い、古びた部屋は、驚いたことに、分厚い、1枚板のテーブルをはじめ、壁も、天井も、小刀でくりぬいたり、ペンキで書いたりした落書きが、所狭しと並んでいる。ソーセージをつまみ、ビールを飲みながら、ピアノの演奏を聞くと、心はすでに何世紀も昔の学生となる。
【写真右・学生酒場セペールにて

ライトアップされたハイデルベルク城を眺めながら、雨の中を帰途につく。

11:00 ホテル着。すぐ就寝。

●落書きで自己主張するヨーロッパ人
ヨーロッパ人は落書きの好きな国民であるらしい。それは1面では自己主張の強さを表しているのであろう。かつてイタリアへいったとき、ローマ市内は汚く、古いビルの壁や塀など、いたるところに落書きがあった。政治的なものが多いと聞いた。それにしても美観をそぐおびただしい落書きを、どうして消さないのか不思議に思ったものだが、これも国民性のためかもしれない。そういえば、ポンペイの遺跡にも落書きがあった。発掘された浴槽の煉瓦の上に書かれた文字は、「だれそれに投票せよ」という政治スローガンであった。


●イギリス人、ドイツ人、フランス人のものの考え方の違い
かつて笠信太郎は、「ものの見方について」の冒頭で、スペインの外交官マドリヤーガの言葉を紹介している。「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走り出す。そしてスペイン人は、走ってしまった後で考える。」 さらに加えて「ドイツ人は考えた後で歩きだす」とも書いている。今度、十7年ぶりに再度ヨーロッパを巡り、笠信太郎の挙げるそれぞれの国民性の相違を、あらためて思い知らされた。



7月19日(月)(第4日)  ローテンブルクからミュンヘンへ

07:00 起床。曇天。07:30 朝食。パンとハムとジュース。食後、旅行ケースの鍵が見あたらず、昨夜のレストランか、居酒屋かのいずれかに置き忘れたと思い、電話すれども、発見できず。1時はあきらめたが、翌々日、仕舞い忘れの名人である妻のハンドバッグから出てきた。

08:30 ホテル出発。バスはネッカー川沿いに「古城街道」を南下、美しいツインベルグ城を通り過ぎ、ヒトラーのつくったアウトバーンへ入る。小麦、トウモロコシ畑の果てしなくつづく中をばく進、次第に高い木立が目立ちはじめる。ときどき、ガスが立ちこめる。

10:45 ローテンブルク着。ローテンブルクは「赤い城」の意味だそうな。色とりどりの花で飾られた家並は、中世からの風習を今に伝えているようだ。市庁舎のあるマルクト広場で解散、自由行動。昨夜の若者たちと、犯罪資料館へ。罪人への拷問と苦役のひどさに、肝をつぶす。ヨーロッパ文明の暗黒面に触れる思い。
【写真左・窓に花を飾ったホテル】

12:30 昼食。市内のレストラン「ティルマン」で、ウィンナーソーセージ、フルーツサラダ、スープなどのドイツ地方料理。

食後、再び自由行動。佐野夫妻と人形の館、聖ヤコブ教会など回り、市街の一望できる城壁まで歩をのばす。
【写真右・ローテンブルグの街通り】

14:30 マルクト広場に集合し、ローテンブルクを出発、ロマンティック街道を西日を受けながら走り、ミュンヘンへ向かう。途中、隕石でできた町、ネルトリンゲンで下車。

17:50 雨が激しく降り始め、薄暗くなる。

18:30 ミュンヘンの街に入り、ミュンヘンブルグ宮殿で下車、雨の中を傘をさして庭園を散歩する。
【写真左・雨中のミュンヘンブルグ宮殿】


19:00 市内のビアホール「ハッカーケアー」で夕食。バンド演奏を聞きながら、ビールでビフテキを食べたが、肉は硬く、座席の場所も片隅。


22:00 ホテル着。「ノボテル・ミュンヘン・ホテル」437号室。バスは1度に皆が使ったせいか、水しか出てこない。そのまますぐに眠る。

●後世に残る建築物は、専制君主のおかげ
ヨーロッパでもっとも美しい城の1つ、といわれるノイシュバンシュタイン城へは、十7年前にも訪れた。今回は2度目である。この城を築いた王、ルートヴィヒ2世は、政治を嫌い、築城に熱中、この地に理想の城を築いたが、しかし膨大な建築費をまかないきれず、ついに時の政府は王を精神病者とし、城外に幽閉した。その数日後、王は湖で謎の死を遂げている。王の死は哀れであるが、いつの世も、民政を犠牲にしてはじめて、後世に文化遺産を残すことが出来るというのが、歴史の皮肉である。ヴェルサイユ宮殿を見ると、この思いはさらに激しくなる。何百という絵画彫刻の類に彩られた宮殿、粋を凝らした大庭園、その中には、ルイ十4世をはじめ歴代の王が美女たちと舟遊びをしたという大運河が、はるか彼方に霞んで見える。贅の限りを尽くした人民収奪の証拠を見ると、革命は起こるべくして起こったといえるかもしれない。



7月20日(火)(第5日)  ノイシュバンシュタイン城見学


05:30 起床。まだ暗い。06:00 朝食。コンチネンタルで、パン、コーヒー、オレンジジュースのみ。

07:00 ホテル発、世界で最も美しい城といわれる「ノイシュバンシュタイン城」の見学に向かう。空は曇っている。「ノイ」は「新」、「シュバン」は「白鳥」、「シュタイン」は「城」を意味する。バスはアウトバーンへ出たり、ロマンチック街道へ入ったりして、フュッセンを目指して走り続ける。牧草地がつづく。白い、小さな花が群生している。牛馬がしきりと草を食べている。空が厚い雲で覆われているのが残念。牧草地は、やがて山岳地帯に変わる。樹木はカラマツか。少々冷えてきた。サウルブルグの街は、窓の小花を飾った家々が多い。

09:40 ノイシュバンシタイン城の麓に着く。ついに雨である。麓から見上げる白鳥城は、靄の中に霞んで、かえって幽玄である。
【写真左・途中バスの中から写したノイシュバンシュタイン城】

バスに乗り換え、城門に降りると、すでに長蛇の列だ。1時間ほど待ち、やっと入場、マイクで日本語の説明を聞きながら、城内を見学。何百年もの風雪に絶えた内装の見事さは、絵はがきをはるかに上回る。1時間ほどで外へ出ると、城門に並んだ観光客の列はさらに長くなっていた。帰りは、城から麓まで歩く。

12:15 バスで城を後にして、市内のホテル「ヒルシュ」で昼食。日本びいきのレストランらしく、魚料理のほか、カレーライスなど用意してくれた。

13:20 レストラン出発、バスはインターラーケンへ向かう。眠気を催し、1時間ほどうとうと。目覚めれば、空は快晴。途中、給油のため、停車。

16:00 国境を越え、オーストリアへ入る。ドイツ、オーストリア、スイスにまたがるボーデン湖を通る。6、7キロという長いトンネルに入り、出るとアルプスが見える。

16:30 国境を越え、ついにスイスにはいる。ディアポイットの町である。

17:00 再び、国境を越え、人口3万という小国リヒテンシュタインに入り、首都ファドウーツに停車。

17:50 ファドウーツを出発。再度、スイスに入る。

18:45 右手に、チューリッヒ湖をのぞむ。シール川を横断。

20:30 激しい夕立に襲われる。ゴッタードを越える。

21:00 インターラーケンに着。「シャレー・ホテル・オーバーランド」に入る。新築間もないホテルで、山小屋風のつくりの木の香りも新しい。ロッジ式で、2階の屋根裏にもベッドが2つある。スイスフランに換金。1スイスフランは77円である。

21:30 夕食、ホテルのレストラン。22:30 就寝。明日もまた早い。


7月21日(水)(第6日)   ユングフラウからジュネーブへ

06:00 起床。曇りのち雨。06:30 朝食。

07:15 ホテル出発。ユングフラウヨッホ登頂へ。途中で雨が降り出す。

07:30 ラウターブルンネンに着く。ここでバスを降り、登山電車に乗り換える。
【写真左・登山電車】

08:10 ラウターブルンネン発。真ん中に歯車のレールをもつ3本線路の上を、電車はゆっくりと登り始める。電車が高度を上げるにつれ、寒さが身にしみる。

08:30 ヴェンゲンに1時停車。このころから雨は雪に変わる。途中の丘には、すでに2センチぐらいの積雪がある。

09:05 クライデンシャイデックで、別の登山電車に乗り換える。電車はトンネルにはいる。途中「アイガーヴァント」「アイスメール」で5分間ずつ2度停車、降りてトンネルの覗き窓から眺めたが、風に舞う猛烈な吹雪のほかは、何も見えない。

09:55 ユングフラウヨッホ駅に到着。「ヨッホ」とは「弓」という意味だそうな。頂上のアルペンハウスで出す予定の葉書を、忘れてきたことに気づく。ここの消印がぜひ欲しいので、妻はふたたび葉書を買い、急いで書いて出す。歩いて、氷の殿堂を見に行く。かなり息苦しい。
【写真右・ユングフラウ駅構内】

外は相変わらず吹雪である。それでも、写真のために、ちょっと出る。5メートル先なは何も見えない猛吹雪である。風が強く、吹き飛ばされそうになる。
【写真左・山頂は猛吹雪】


早々に、小屋に帰って、温かいコーヒーに一息つく。

11:00 ユングフラウヨッホから、登山電車で下山開始。

11:50 ふたたび、クライデンシャイデックで下車し、昼食。「シャイデック:ホテル」の食堂。

12:40 秀哉の電話番号を思い出せず、直樹に電話。やよいさんが出る。

13:00 クライデンシャイデック発。

13:40 グルント着、ここで電車からバスに乗り換え、ふたたびインターラーケンのホテルへ。近くの「Gucci」の店で、トイレ休憩。ハンカチなど買う。

15:00 インターラーケン発、ジュネーブへ向かう。途中、小雨。グルイア湖のトイレ前で20分休憩。

17:00頃 レマン湖が左に見える。ローザンヌを通過。ここは国際オリンピック本部があるところという。このあたり高速道路の防音壁が、珍しくガラス張りになっている。バスの中の誰かが、歓声を上げる。レマン湖の向こうに、うっすらと虹が見えたのだ。

18:10 ジュネーブに入る。免税店を探して、ドライバーは市内を右往左往。けっきょく探しあぐねて、そのまま夕食に向かう。

19:00 レマン湖の船上レストランに入る。遠くに噴水が上がるのが見える。
【写真右・レマン湖の大噴水】

フォンデュ料理を食べる。肉を金串にさして油であげる料理である。なかなかうまい。

食後、1行の年輩の1人が、免税店を省略したのは契約違反だと、添乗員をなじる。泣き出す田中嬢を慰める。彼女なりに精いっぱいしているようだが、なにせ若年、しかも大所帯ときているので、大変だ。ひとりだけに任せるSNTがけしからぬ。

20:00 食後、イギリス公園を見て、ジュネーブ空港近くのホテルへ。「ホリデイ・インクローネ・プラザ:ホテル」は、ロビーが広くて、部屋もダブルベッドが2つあり、これまでの最高。401号室。

22:00 就寝。


7月22日(木)(第7日)  新幹線でパリへ、セーヌ川遊覧へ

06:30 起床。07:30 朝食。コンチネンタルだが、雰囲気よい。

08:30 ホテル出発、新幹線に乗るため、中央駅に向かう。朝だけの短い時間だが、珍しくガイドがつく。東京で2年暮らしたという、日本語が上手なフランス人女性のマドレーヌさんだ。彼女の説明では、ジュネーブは3分の1がフランス領だそうな。ILOの元本部、国際知的所有権庁などを通り、ローザンヌ通り、アルプス通りをへて、中央駅に向かう。中央駅に着けば、これまで5日間付き合ってくれたドライバーのロングさんとも、お別れだ。年輩の人の音頭取りで、1人1、000円のチップを出し合う。

バスを降りてから、駅の近くの免税店にはいる。昨日中止した代わりの買い物である。マドレーヌさんはてきぱきと行動、われわれ4人を別の店まで案内してくれた。

09:30 中央駅改札口に集合。この駅には国境線があって、その向こうはフランスだ。税関を通って、列車に乗る。パスポート検閲は、形式だけ。

10:00 フランス新幹線列車TGV974発車。
【写真右・フランスの誇る新幹線】

ローヌ川を右手にして、一路パリに向かう。天気はよい。列車の座席は4人掛け、中央部で前半と後半とが相向きになる座席。そのあたり、6人組のポストマンたちに元気のよい女性たちが加わって、賑やかに騒いでいる。ベルガルドで1時停車。フランス南部は、広大な平野がつづいている。この国は農業国だとあらためて知る。

12:00頃 昼食は車内で幕の内弁当、「ホテルレストラン内野」の仕出しとある。久しぶりの和食に舌鼓、しかし妻は煮つけがやや古い感じで、おかしいという。

13:20 パリのリヨン駅に着く。551キロを3時間20分で走った。駅の構内やその付近をぶらつきながら、荷物がバスに来るまで、1時間ほど待つ。駅の構内で換金しようとしたが、時間不足で、そのままバスに乗る。

14:20 駅からひとまずホテルに向かい、部屋へは入らず、そのままふたたびベルサイユ宮殿へ出発。男性ガイドは、柳山さん。1スイス・フランは77円であったが、ここでは1フランス・フランは22円ぐらいという。

15:00 〜 17:00 ヴェルサイユ宮殿を見学。快晴で、外は暑く、汗がにじみでる。多い人出。黒人の物売りが目立つ。そういえば、パリの人口の2割は外国人という。宮殿内の見学は、説明抜きで、がっかり。42名の団体は、やはり多すぎて無理がある。運河や庭園の見学も、ほんのわずかで、不満が残る。
【写真右・ベルサイユ宮殿】


17:50 ホテル着。「プルマン・サンジャック・ホテル」の725号室に入る。ここで、2泊の予定。

18:50 ロビー集合。オプションの一行10数名が、ムーランルージュへ出発。われわれ残りは、市内のレストランでフランス料理。ステーキがなかなかうまかった。

夕食後、有志の12人が、セーヌ川遊覧に出発。メトロは道順がわかりにくく、仏文出身の娘さんを道案内役として、やっと船着き場まで出る。

10時半頃から約1時間、夜のセーヌを往復、エッフェル塔が夜空に輝き、素晴らしかった。帰宅12時過ぎ。00:30 就寝。
【写真左・夜のエッフェル塔】




7月23日(金)(第8日)  ベルサイユからノートルダム寺院へ


07:30 起床。昨夜、遅かったため、まだ眠い。08:00 ホテルのレストラン「パテオ」で朝食。

09:00 荷物はそのままにして、ホテルを出発、バスでパリ市内観光へ。今度は女性ガイド付きである。まず、ルーブル美術館を見学、10時から11時まで。20年前に来たとき無かったはずのガラス張りのピラミッドが出来ていた。これは館内の混雑を緩和するために、5年前に新しくつくったものという。ガイドの説明は懇切。「ミロのビーナス」「モナリザ」の前は、相変わらず混雑している。
【写真右・モナリザ】
【写真左・ミロのビーナス】

12:00 昼食は、ブローニュの森のレストランで、フランスの田舎料理。

13:10 出発。高級住宅地を通り抜け、トロカデロ広場でエッフェル塔の写真を取る。金箔ドームのナポレオンの墓が見える。

13:40 〜 14:20 リュクサンプール公園で下車、公園内を歩いて通り抜ける。快晴で、暑いほどだ。マロニエの木が青々と美しい。
【写真右下・マロニエの並木】

ふたたびバス。カルティエラタンローマのバースの遺跡ソルボンヌ大学などを通り過ぎる。

14:30 〜 15:20 ノートルダム寺院を見学。そこでT市のOさんの連れの友人が行方不明となったが、そのまま免税店「Miss Paris」に立ち寄る。後でOさんたちが探しに行くと、その友人ははぐれた場所におとなしく座っていたという。はぐれたときは、下手に動かないことだと知る。

16:40 昨日と同じホテルへ帰る。

18:30 夕食は市内レストラン「オルベイ・ジュ:ド・プレルイス」で、エスカルゴの料理、汚い店で、まずい。

22:00 疲れ、早々と就寝。しかし翌日聞いたことだが、この日の深夜、ツアーの1行のSさんがメトロでスリにあっていたのだ。

●フランスの地下鉄「メトロ」のスリ
昨夜、セーヌ川クルーズに出かけたわれわれが帰りに乗った深夜の「メトロ」は、乗客も少なく、何となく薄気味悪かった。翌日、案の定事件が起きた。ツアーの別の1行が、その夜もセーヌ川クルーズへ出かけた。その帰りのことである。1行の案内役をつとめたSさんは、中年の、堂々とした長身で、実業家タイプのひとであった。彼は十人ほどを引き連れ、「メトロ」に乗った。もう午前0時に近かったが、その日は金曜日で、車内はかなり混んでいたという。停車まぎわ、3人連れの皮膚の黒い男たちが(パリ人口の2割は外国人という)、側を通り抜けていった。はっとあることに思いついたSさん、ズボンの後ろポケットに手をやると、入れていた財布がない。3人連れはと見れば、ドアの近くまで移動し、降りようとしているではないか。Sさんはドアまですっ飛んでいき、思わず逃げようとするひとりの男の手を掴んだ。賊の誰かが目つぶしにスプレーをかけたが、力の強いSさんはひるまない。男はプラットホームに降り立ち、掴まれた手を振り切ろうともがいている。Sさんは車内にいて、男の手を離さない。やがてそのままの形でドアがしまり、賊の手はそのドアにはさまってしまった。これを見て賊の1人は危険を感じドアの隙間からすった財布を返してくれたので、Sさんも賊の手を離してやったという。翌日、この話をしたSさんの顔は、賊との格闘のショックのせいか、心なし青ざめて見え
た。


ガイドの話では、パリの失業率は1割を越え、スリや物乞いが増えたという。帰国後、新聞でパリの事情を報じる記事を見たが、その日本人特派員に、地下鉄に乗るたびに決まって金をせがむ女乞食がいるというのである。

●フランス人の気性の激しさ
ドイツやスイスを経てフランスに入ると、自動車のスピードがとたんに早くなるのを痛感する。ヨーロッパ中で、1日のうちにいちばん多くのパトカーのサイレンを聞いたのはフランスであった。耳をつんざくサイレンに思わず通りを眺めると、パトカーか白バイが疾走している。事故か、事件である。普通車もまた、超スピードで走る。道路の横断があぶなくてしようがない。「考えてから走る」というフランス人の習性は、たしかに運転にも表れている。しかし、人間走っているうちに、当初の思考を忘れてしまうのではないだろうか。合理的な理性の国民が同時に激し易い感情の国民でもあるのは、彼らの行動のスピードのせいかもしれない。

そこで思い出すのが、昭和51年の夏、はじめてヨーロッパ旅行をしたときのことである。その日はホテルでの夕食後、午後11時半発の夜行列車でパリからドイツへ向かうことになっていた。ホテルからパリの南駅まではバスで送ってくれるので、10時半頃、1行は乗車して出発を待っていた。そのとき予想もしない事件が起こったのである。われわれツアーの1行を乗せたバスの運転手が検挙されてしまった。バスはちょうどホテルの前で荷物を積んでいたのだが、そこはたまたま駐車禁止の場所であったらしい。違反を警告した警官に対して、ドライバーは「そうやかましいことは言うな」の態度で警告は無視しそのまま荷物を積んでいたようである。無視された警官はだんだん腹を立て、強い態度に出ると、ドライバーも負けてはいない。そのうちに口論をはじめ、ついに警官は運転手を検挙して連行して行ってしまった。反抗する運転手も運転手だが、運転手なしではツアーの出来ないことを知っての検挙とは、警官も警官である。午後11時半過ぎてもドライバーは戻らない。ついに、ドイツ行きの列車には乗り遅れてしまった。われわれは領事館へ訴えようかと息まいていると、12時近くになってやっと戻ってきたドライバー氏、「悪かったから、目的地のハイデルベルク駅まで全員送り届ける」という。結局、夜通し走り明け方ハイデルベルグに着いた。ドライバー氏の自己負担においてなされたことであろうが、そんなことまでして警官と喧嘩することの得失は、火を見るより明らかだが、感情が激すると見境がつかないらしい。



7月24日(土)(第9日)  ヒースロウからバッキンガム宮殿へ

05:00 起床。06:00 朝食はホテルのロビーで、ボックス・ランチ。外はまだ薄暗い。

06:30 ホテル出発、ド・ゴール空港へ。そのときはじめて知ったことだが、昨夜セーヌ川クルーズへ出発した1行の中のSさんという人が、帰途メトロで3人連れのスリに出会い、危うく財布を盗られそうになったという。

08:55 空港発、ロンドンへ向かう。約1時間機上。

09:05(イギリス時間)ロンドンのヒースロウ空港着。

バスで市内観光へ。ガイドは1見冷たそうな女性。まずウェストミンスター橋を通り、対岸から国会議事堂ビッグベンを望む。20年前、はじめてここを訪れたときの感動がよみがえる。次に、ロンドン塔前で下車、写真を取り、ふたたびバスに乗り、バッキンガム宮殿へ。
【写真左・国会議事堂を望む】

11:00 〜 12:00 バッキンガム宮殿で衛兵の交替を見る。赤い服に身を固めた衛兵たちが、宮殿の中に入っていく。20年前は、衛兵たちの出てくるのを見たことを思い出した。
【写真右・衛兵の交代】

12:30 市内の中華料理店「万富宮」で中華料理。食後、免税店へ。

14:30 バスで大英博物館へ。ロゼッタストーンをはじめ、大英帝国がかつての植民地から、略奪同様に集めた彫刻の類が、ところせましとばかり並んでいる。エジプトのミイラなども、すごい数だ。ここが入場料を取らないのは、過去の罪滅ぼしのせいか。所要時間、約1時間半。
【写真左・大英博物館の前】

18:00 ホテル着。「ケンジングトン・クローズ・ホテル」304号室。

19:00 夕食は、ホテルレストランでロースト:ビーフのサヨナラ・ディナー。はじめて、背広にネクタイの姿で出席。われわれともう1人Mさんという人とが、明日の朝、1足先に1行と別れることになる。食事の終盤、お別れの挨拶をする。明日からイギリスに1週間滞在し、2人だけの旅を続けることを披露。みんな別れを惜しんでくれる。Tさんに明日のタクシーを予約してもらう。

それにしても、42名の所帯では、名前を憶えることもままならず、親しくなる機会も少ない今回の、グループツアーではあった。

20:30 部屋に引き上げる。明日からの旅にそなえて、荷造り。22:00 就寝。

●入場無料の大英博物館
大英博物館には、ロゼッタストーンをはじめ、大英帝国がかつての植民地から、略奪同様に集めた彫刻の類が、ところせましとばかり並んでいる。エジプトのミイラなども、すごい数だ。ここは何故か入場料を取らない。無料といえば、ナショナルギャラリーもそうである。ひょっとすると、イギリスは無料にすることによって、植民地時代の過去の歴史の贖罪をしているのかもしれない。そして日本も、イギリスにその罪を思い出させ、それを償わせようとしているのかもしれない。なぜなら、本国で単に「イギリス博物館」(ブリティッシュ:ミュージアム)とへり下って呼ぶ建物を、日本ではわざわざ「大」なる形容詞をつけるということは、この国がかつて「大英帝国」であった事実を歴史にとどめようとすることになるからである。



7月25日(日)(第10日)  バスツア-でヨ-クからダ-リングトンへ


06:00 起床。06:30 ドアに掛けられてあったパンとミルクの朝食を、室内で食べる。

07:00 Tさんに連絡したが会えないままに、タクシーに乗って、フレームズ・バスツアーのコーチステーションまで直行。7.6ポンドのところ、10ポンド払う。
【写真右・コーチステーションのバス】

07:45 バスに乗車。ドライバーはノーマン氏、バスガイドはいない。そのうちにわかったことだが、ノーマン氏は運転はもちろん、ガイドとしての説明から、荷物の出し入れまで、すべて1人で行うという、日本ではとても考えられないような8面6臂の活躍。

08:00 コーチステーション出発。ロンドン市内を抜け、郊外へ出る。郊外には、戦後イギリス政府の建てた1家屋に2世帯が住むという、ディタッチトハウスが多く目立つ。

やがて、住宅地区を過ぎると、バスは高速道路に入り、スピードをあげる。なだらかな丘陵地帯、畑や牧草地が続いている。しかしフランスよりは、小規模という感じで、麦畑も木立も可愛らしく見える。それは畑や庭が生け垣で区切られているせいであろう、これがイギリスの風景の特徴の1つだという。
【写真左・美しい牧草地】

空は曇っている。ときどき青空が顔を見せても、すぐに曇る。そして雨だ。イギリスでは、雨具は片時も離せないことを実感として知る。バスは、ミルトン・ケインズ、ノーサンプトンを通り、一路ヨークへ。

09:30 〜 10:00 グラナーダでコーヒーブレイク。トイレを使い、売店でアイスクリーム。
参加者が各自の名前を書く用紙が回ってきた。後でコピーして配ってくれた名簿を見ると、総勢37名、イギリス人は1人もいなくて、アメリカ人、イスラエル人、アラビア人、アルゼンチン人などである。日本人はといえば、東京のTさん1家(2人の娘さんと奥さんを連れ、重役風なご主人)、東京のOさん親子(大学生の娘さんを連れたインテリ風奥さん)、福岡のOSさん親子(母親を連れた英会話の得意な奥さん)、それにわれわれ夫婦で、計4組10人である。

13:00 ヨーク到着。まず自由解散して昼食。2人だけで街を歩いて、B£Bのレストラン「ダブル・ダッチ」を発見。ロースト・ビーフ、プディング、ポテトなど、イギリス料理としては、なかなかおいしい。
【写真右・レストランで昼食と小休止】

14:15 〜 16:20 女性のガイドつきで、市内を散歩して観光。ここは紀元1世紀ローマの支配下にあった都市、街のいたるところにその遺跡が残っている。だから街路の多くは、昔ながらの狭さと不規則性を保持している。

とくにモンク・バーの南地区の都市城壁はすばらしい。街を展望しながら、その上をガイドともに歩く。
【写真左・建物に挟まれ狭くなった城壁の通路】

ヨーク・ミンスターはアルプス以北最大のゴシック様式の大聖堂という。その8角形の聖堂は、13世紀から15世紀にわたってつくられ、中世の建築デザインの粋だという。

16:30 ヨーク発、バスはダーリングトンへ向かう。

17:00 ダーリングトン「ブラックウエル・グレインジ・モウト・ハウス」に到着。このホテルは、17世紀の古城の跡で、ゴルフ場、テニスコート、屋内水泳プール・サウナ施設などをもち、広大な庭園の中に立っている。庭内を散策中、クリケットボールに興じる親子4人連れのメキシコ人の1家と知り合う。母親は日本へも行ったことがあるという。日本が大好きという。この旅行、いたるところで日本びいきに出会う。英語を外国語とする人たちとの会話の方がずっとしやすい。

19:00 夕食。ホテルのレストラン、年輩のイスラエル女性たちと同席する。いずれも結婚した若者夫婦の親同士で、ときどき仲良く旅行するという。食後、別室でコーヒー、これは何世紀も前からのこのホテルのしきたりという。
【写真右・格調高いホテルの部屋】

21:00 部屋へ帰る。広く清潔な感じのする部屋である。22:00 就寝。

●イギリスの観光バスのドライバー
イギリスでのバスツアーを経験する。そこでわかったことだが、バスにはガイドがいない。ドライバーが運転はもちろん、ガイドとしての説明から、荷物の出し入れまで、すべて1人でやってしまう。とくに運転しながら、同時に沿道の風景の説明から、各地の過去から現在に及ぶ歴史の解説など、ほとんど1日中しゃべり通しであるのには、ただただ驚嘆のほかはない。日本ではとても考えられない8面6臂の活躍である。日本の観光バスも少し見習ったがよいのでは。



7月26日(月)(第11日)  ダーラムからエディンバラへ

06:15 起床。07:00 朝食。07:45 ホテル出発。ダーリングトンからダーラムへ。

08:30 ダーラム市を通過。ダーラム城の周りには、川が流れ、風景絶佳。ダーラムを通り過ぎる頃から、羊の放牧場が目立ちはじめる。点在する家屋は、壁面や煙突が赤い煉瓦で出来ているのが多い。木々が風に搖れ、見上げれば空は灰色、映画「嵐が丘」の風情だ。ワシントン、ニューカースルを通過。ベルセイからオタバーンにかけて、はるか見渡す牧場に羊の群れが見える。10時過ぎ、スコットランド国境を越える。ときどき霧雨が降る。

10:40 スコットランドに入り、ジェッドバラー・アベーで30分休憩。クッキーを買う。ウールは明日買うことにする。
写真左・ジェッドバラー・アベー

11:10 出発。羊の群れの間には、菜の花だろうか、満開である。しかし空は低く垂れこめている。ドライバーはスコットランドとイングランドの角逐の歴史を語っている。うとうとしていると、突然眼前に丘が見えたかと思うと、右手に海が開けてきた。ノース・シーである。やがてエディンバラだ。

12:30 スコットランドの首都エディンバラに到着。

ここは、1707年にイングランドに統合されるまで、スコットランド王国の中心地として栄えてきた都市である。街全体が古色蒼然としている。

バスを降りて歩く。小高い岩山の上にそびえているのがエディンバラ城だ。
【写真右・エディンバラ城の雄姿】

年輩のスコットランド人男性のガイドに従って坂道を上っていくと、城の入り口に着いた。街が一望のうちに見渡せる。道路脇には、車輪のついた大砲が何台も並んでいる。
【写真左・高台に並んだ大砲】

エディンバラ城は、最も長い歴史を誇る古城のひとつ。7世紀に最初の王エドウィンが要塞の跡地に城を築いたのが始まりと言われている。

城の中に入る。スコットランド歴代の王室の宝石や王冠、武器などの歴史的遺品が、数多く展示されている。


18:00 繁華街にある格式高い「マウント・ロイアル・ホテル」に到着。立派な部屋に入って、ドレスアップする。

19:00 ホテルのフロント前に集合し、オプションの「スコットランドの夕べ」に参加するために出発する。代金は1人27ポンド、2人で54ポンドをカードで払う。ツアーの半数ぐらいが同行。ナイトショウの会場まで、みなで5分ほど歩く。入り口で、ウイスキー入りのミルクを渡されて飲む。中には150人分くらいの見物席があって、席に着くとさっそく壇上で歌や踊りが始まった。

男子1人、女子2人のいずれもタータンチェックのスカートをはいたダンサーが、軽妙なステップを踏んでいる。ほかに男性のアコーデオン奏者、女性のキーボード奏者、それに座長格のボーカリストたちである。赤と白の葡萄酒を飲みながら、ビーフを食べる。この料理もなかなかおいしい。前の席には、九州のOさんと東京在住のその母親がいて、わが妻としゃべっている。母親を連れての孝行旅行のようである。隣の席には、アメリカ人の男子高校生がいて、いま夏休み中で、母親と一緒の旅行という。国語が好きで、文学で身を立てたいといっている。座長格の歌手の司会は、手慣れたもの、国別に観客に呼びかける。呼びかけられると、スペイン人やアメリカ人がもっとも賑やかに応える。日本人も何人かはいるが、みな静かだ。ショウの最後は、全員が手をつなぎ、大合唱で終わった。東京のOさん一家と、ホテルまで歩いて帰る。

22:00 部屋に帰って、すぐ就寝。



●城壁の中から生まれたヨーロッパの都市
ドイツのハイデルベルグの語尾の「ベルグ(berg)」や、ローテンブルクの「ブルク(burg)」は、城塞を意味するドイツ語である。語源を同じくする英語では、それがエディンバラの「バラ(burgh)」や、アメリカのピッツバーグの「バーグ(burg)」となる。いずれも意味は同じで、城塞を表している。やがてそれらは、城郭や城下街全体を表す言葉となっていった。brug から変化した borough という現代英語は、中世の「城下都市」や現在の「自治都市」を意味する語として使われている。

語源的に考えても、ヨーロッパの街は城を囲む城壁の中で生まれたといってよい。今回も、そのような城壁のほぼ完全に残っているところ、半分残っているところ、跡しかないところなど、多くの街を見た。例えば、女性ガイドとともに歩きながら観光したヨークの街である。ここは、紀元1世紀ローマの支配下にあった街で、いたるところにその遺跡が残っている。だから街路の多くは、昔ながらの面影を残し、狭く、不規則である。とくにモンク・バーの南地区の都市城壁は、ほとんどそのまま残っていて、すばらしい。



7月27日(火)(第12日)  グラスミアからチェスタ−へ

06:15 起床。07:00 朝食。

08:00 ホテル出発。エディンバラからモファットへ向かう。ペニクイックを経て、ツウィード渓谷を通り、羊毛の産地モファットへ着く。ガイドの話では羊毛製品はここが最も安いという。

09:30 モファット・ウールミルで買い物。子供たちや孫たちのセーターなど大急ぎで買う。

10:30 モファットを出発。ロカビーカーライルを経て、イングランドで最も美しいといわれる湖水地方へ入る。イギリスにはヒルはあってもマウンテンはないといわれるのをよく聞くが、ここへ来て始めて山と呼んでいいものを見る。
【写真右・湖水地方の山々】

そして山を際だたせるのは渓谷だ。山と渓谷、その中間には雄大な牧場が続き、遠く、近く、群羊が点在する。このあたり、とくにビクトリア朝時代には、多くの詩人や画家の愛好した地方だ。

12:10 グラスミアに着く。ここで昼食、売店のレストランで、軽食を食べる。ピーターラビットの生みの親ビクトリクス・ポターにゆかりの町というので、兎の絵やマグネットを買う。近くにはまた、詩人ウィリアム・ワーズワースを記念するミュージアムがあるというが、時間がなくて寄ることができなかった。
【写真左・グラスミアの町】


13:20 グラスミア発。ウインダミアを経て、南下。小雨模様で、湖も、山も、靄がかかって薄暗いのが残念である。ケンダルランカスターを経て、チェスターに向かう。

15:10 トイレ休憩。ランコーンを通る。

16:10 チェスターへ着。外人ガイドにはつかずに、2人だけで町を歩く。ここは、5世紀までのローマ軍の占領時代や、10世紀のノルマン征服の時代は、軍事や貿易の中心地として栄えた町だ。その伝統が中世にも続いて、多くの遺跡が残っている。美しい商店街、建築物、見事な大聖堂などだ。大聖堂には歴代の僧正の墓石があり、彫刻の説明がほどこしてある。城壁の上も歩く。イーストゲートの上に大きな時計台がある。
【写真右・イーストゲートの時計台】

18:30 ホテル着。チェスター駅前にある「クイーン・ホテル」、年代もので、ロビー広く、庭、階段等、豪華であり、室内の天井も今までより、1メートルは高い。しかし、残念ながら、バスにはシャワーが付いていなかった。

19:30 夕食、ホテルのレストラン。チキン料理、うまい。Oさん一家と同席する。2人の娘さん連れの重役タイプのご夫婦である。海外旅行も、経験豊富の様子。20:30 就寝。

●イギリスの風土
スコットランドへの旅は、見渡す限りなだらかな丘陵地帯、畑や牧草地の連続である。しかし、新幹線でみた南フランスの平野よりは、小規模という感じで、麦畑も木立も可愛らしく見える。それは畑や庭が生け垣で区切られているせいであろう、これがイギリスの風景の特徴の1つだという。

笑い話だが、イギリスの天気は「曇り、時々雨、1時晴れ」とやればまず当たる。われわれのいたときも、空はたいてい曇っていた。青空が顔を見せてもすぐに曇る。そして雨だ。蝙蝠傘の紳士で有名なイギリスでは、雨具は片時も離せないことを実感として知る。


ダーラムを通り過ぎる頃から、羊の放牧場が目立ちはじめる。点在する家屋は、壁面や煙突が赤い煉瓦で出来ているのが多い。木々が風に搖れ、見上げれば空は灰色、映画「嵐が丘」の風情だ。ワシントン、ニューカースルを通過。ベルセイからオタバーンにかけてはるか見渡す牧場に羊の群れが見える。


7月28日(水)(第13日)  シェクスピアの生家からロンドンへ

06:15 起床。07:00 朝食。

08:00 チェスター「クイーン:ホテル」を出発。今日は、イギリスへ来てから初めて、朝から快晴である。

国境を越え、ウェールズに入るころ、牧場に待望のヒースを見つける。8月末になると紫の花を満開させるといううヒースは、まだところどころピンクの花をつけ始めたばかりのようだ。
【写真左・ヒースの花(絵葉書より)】

08:30頃、国境を越え、ウェールズに入る。ある牧場に待望のヒースを見つける。8月末になると紫の花を満開させるといううヒースは、まだところどころピンクの花をつけ始めたばかりのようだ。

08:50 途中、ドライバー氏はバスを止めて下車、ヒースを摘んできて、乗客に回してくれる。芥子粒のように小さい、ピンクの花をつけたヒースを、初めて目のあたりに見た。

09:00 昨日、妻がどこか羊の群れのところで止まって欲しいとドライバーに頼んだのが、聞き入れられたのか、ホースシュー峠でしばし停車、みんな外に出て羊と戯れたり、写真を取ったりする。
【写真左・ホースシューズ峠】

09:15 ディー河畔ランゴレン着、休憩。水鳥が群がって泳ぐディー川沿いに散歩、素晴らしい眺めだ。彼方の丘の上には、城の残骸が見える。妻、発車まぎわに、隣のアメリカ人のもつ赤づきんちゃんの人形を見て欲しくなり、突然下車、急いで買いに走る。バスに戻ると、一同拍手喝采してくれる。

10:05 ランゴレン発、ストラッドへ向かう。バスはすぐに国境を越え、ふたたびイングランドへ入る。シュルースベリーテレフォードなど、ミッドランド地方を通る。

11:40 ブラウンヒルズのサービスエリアで、10分トイレ休憩。

12:40 ストラットフォード・アポン・エイボンに着く。

ここは、シェークスピアの生誕地として有名。彼の生家を始め、妻アン・ハサウェーの家、シェークスピア記念館などがある。
【写真右・エイボン川の向こうにシェ−クスピアの生家などが見える】

アン・ハサウェイの家の近くで、1行全員の記念写真をとる。


そこからバスで街を通り、駐車場で下車、シェイクスピアの生家に全員入場して、そこで自由解散。
【写真左下・アン・ハサウェイの家の前で】


日本人の親子連れと途中まで一緒に見学しながら、そのうちに別れ、2人だけでエイボン川まで歩き、インフォメイションでチェンジしてから、マクドナルドで昼食。広場で曲芸を眺めながら、そこを一周した後、帰りは別の道を通ってバスまで帰る。

15:00 ストラットフォード・アポン・エイボン出発。ウッドストックから、チルタン・ヒルを経由。ロンドン市内にはいると、ラッシュアワーで渋滞、時間がかかる。

18:20 ロンドンのフレイムズ・コーチ・ステーションに着く。ドライバーにはチップを、5ポンドずつ、計10ポンド払う。知り合いになった日本人の親子たちや、アメリカ人、イスラエル人、メキシコ人たちと別れの挨拶をする。

18:30 すぐ横の「フォルテ・クレスト・ブラムズベリ」に入る。しかし、そのとき予期しない事態が起こった。ホテルが満室で泊まれないのである。結局、別のホテルに泊まることになったが、詳細は後述する。

19:00 着いたところは、ハイドパーク側の高級ホテル「グロブナー・ハウス」で、部屋の広さはこれまで泊まった1番大きなホテルの2倍はある。しかし腹の虫はおさまらないので、なにかうまいものを食いに出かける。
【写真右・ホテル・グロブナーハウス】

20:00 ホテルの近くの日本料理店へはいり、寿司を食べる。値段は高く、50ポンド近くしたが、うまかった。明日からはやっとツアーから解放され、ゆっくりと自由になれると思うと、うれしい。22:00 就寝。


●イギリス人の個人主義(ホテルの予約は、再確認しないと危険)
この個人主義に業を煮やした事件に、今回はからずも遭遇した。スコットランドを巡る英国バスツアーの後、宿泊ホテルを「フレームズ社」の日本代理店を通して「フォルテ・クレスト・ブラムズベリ」に予約してもらい、宿泊代金もすでに払い済みであった。金を払ったから大丈夫だろうと、確認の電話を入れることを怠ったのが、甘かったのである。

フロントに予約カードを見せると、「今日は満室で泊めることができないので、よそのホテルを紹介する」という。「そんな馬鹿なことはない、すでに宿泊金は全額払込済みだ」といって確認書を見せても、「今日は部屋がない」の1点張りである。ならば、日本の代理店に抗議するといって電話をかけたが、日本は深夜で誰も電話に出てこない。そのうち支配人らしき男がやってきて、こちらが予約した日時には、「このホテルはすでに満室であった」という。「それなら何故予約を引き受けたか」となじると、「ここと日本の間に何か連絡のトラブルがあったようだ」という。「そんな言い訳は聞き入れられない、自分はここに泊まる」と粘る。「とにかく悪いが、ここよりもっといい5つ星のホテルまでタクシーで送るから、どうかそちらで泊まってくれ。時計は6時半をまわっているので、向こうのホテルも部屋がなくなる恐れがある」という。やむを得ずタクシーに乗った。

着いたところは、ハイドパーク側の高級ホテル「グロブナー・ハウス」で、部屋の広さはこれまで泊まった一番大きなホテルの二倍はあった。翌朝、チェックアウトのとき、参考までにそのホテルの1泊料金を尋ねると200ポンドを越えるという。約4万円だ。払込の金額の約2倍、考えてみれば、日本支社が金まで取って受け付けた予約を、本店がまったく知らないというのがもし本当だとすれば、ホテルとしての能力も資格もないことになる。知っていて他の客を入れたというのなら、倍額のホテルを斡旋してまでも差額を埋め合わせするその損失より、予約をキャンセルされて失う損失の方が大きいためであろうか。つまり予約だけして実際やって来ない客が相当あるということなのか。いずれにしても、再確認の電話が必須であることを思い知らされた事件であった。


●イギリス人の個人主義(責任の所在は明確に)
昭和51年のイギリスのホテルでの話である。ある2流ホテルに泊まって、バスを使った。バスのドアは何故か立て付けが悪く、よく閉まらないのである。すると張り紙があるのに気づいた。「このバスは改築したらいっそう悪くなった。これは工事請負会社の責任であり、当ホテルのあずかり知らぬところである。」そしてその会社の名前が堂々と記してあるのには、驚いた。日本では考えられないことである。そんな会社に頼んだホテルの責任は、どうなったのかといいたいのだが、どうもそれはホテルの責任ではなく、あくまでも工事を行った会社の責任であるとするところが、いかにも個人主義の国イギリスらしい。


●イギリスの建物の古さ、美しさ
ヨーロッパの建物は、美しい。整備されたパリやロンドンの街は、4階建てないしは5階建ての大理石と煉瓦づくりの、装飾をほどこされたビルが整然と並び、1階はだいたい商店で、2階以上はアパートとなっている。電柱や電線はまったくなくて、広告の類もあまり見あたらない。建築以来、何世紀も経つビルはさすがに古く、かつての石炭時代の名残であろうか、すすけて真っ黒になったものもある。スコットランドの古都ダーラムやエディンバラでは、何世紀も風雪にたえてきた建物が、古色蒼然と立ち並び、歴史の重みで見る人を圧倒する。

しかし、石と煉瓦の建物は、堅牢で長持ちする代わりに、いったん古くなるとなにかと不便である。建て替えることはきわめて困難であるため、住人の多くは新しいアパートや新しい土地を求めて、近郊へ移っていく。ロンドンもこの例にもれず、郊外は発展していくが、市内は空き家が増えている。貸家の広告である「TO LET」の看板が、やたらと目立つ。ロンドンを初めて訪れる観光客は、ここはトイレの多い街だと、勘違いするという笑話があるほどだ。


●先進国の悲哀
イギリスには、古いホテルも多い。ロンドンの「グロブナーハウス」にしても、エディンバラの「マウント・ロイヤルホテル」にしても、広いホール、高い天井、広い室内、きらめくシャンデリア、格式高い家具・調度類、まるで宮殿のようである。しかしエレベーターやバスなどの新しい設備は、旧式で、あまり便利ではない。中にはシャワーのついていないバスや、手動に近いエレベーターなど、前世紀の設備のままのホテルすらある。おそらくそれが建てられた頃は、最先端の技術を駆使したホテルであったろうが、今となってはもう時代遅れになってしまっている。しかし、取り替えるにもなかなか工事が大変、というのが実状のようである。先進国の悲哀とでもいえようか。

同じことは、地下鉄にもいえる。世界最初で、世界最長を誇るロンドンのUNDERGROUND(地下鉄)は、駅構内の証明は暗いし、車両は古くて汚い。パリも同じであった。



7月29日(木)(第14日)  ハイドパークからマダムタッソーズ

08:00 起床。08:30 ホテルのレストランで朝食。パン、コーヒーのほか、オムレツ、マッシュルーム、ヨーグルトなど。

09:00 荷物をホテルにおいたまま、ハイドパークに散歩に出かける。スピーカーズ・コーナーあたりから入り、芝生を東へ横断していくと、池に出た。地図によれば、「サーペンタイン池」だ。文字どおり蛇のように細長く、S字状にくねった池を、途中の橋をわたって半周する。池のおびただしいあひるは、人間には馴れていると見えて、恐れもせず近寄ってくる。
【写真左と右・サーペンタイン池のアヒル】


11:30 ホテル帰着。チェックアウトでは、今日のホテルにかけた電話代だけ請求される。参考までに、このホテルの1泊料金を尋ねると200ポンドを越えるという。約4万円だ。気をよくし、そのままタクシーで、予約してある「マールボロー・ホテル」まで直行。

12:30 荷物をフロントに預け、ホテル・バーで軽食。

13:30 マダム・タソーズに行くことにする。オックスフォード・サーカスまで歩き、そこから地下鉄に乗り、グリーンパーク経由で、ベーカーストリート下車。混んでいるとは聞いていたが、さすがマダム・タッソーズは長蛇の列である。入る前、思いついて直樹に電話する。日本時間は午後10時過ぎ、直樹の話ではケンジントンホテル宛にポストカードを出した由、後でホテルに電話したが来ていないと聞いてがっかり。帰る日にも、もう一度ホテルのフロントから電話してもらったが、葉書はやはり着いていなかった。

14:30 30分ほど並んで待ち、「マダム・タソーズ」に入場。中はすごい混雑。過去から現代までのあらゆる国の有名人の蝋人形が並んでいる。とくに宮廷の王侯貴族を模した群像たちは、見事。日本人では、吉田茂と千代の富士がいる。
【写真左・千代の富士】
【写真右・エリザベス女王家】

最後は、2人乗りのゴンドラで、ロンドン大火や第2次世界大戦などのイギリスの歴史的事件を体験。

16:00 近くのリージェントパークに行く。ヨーク橋をわたり、クイーン・メアリー・ガーデンを散策。イスラム人が目立つ。リージェント・カレッジの前を通る。その大学への日本人の夏期留学生2、3人に会う。タクシーでホテルまで帰る。今日から3泊することになる「マールボロ・ホテル」だ。荷物を受け取って、部屋にはいる。部屋は狭くて、通りに面し、やかましい。

18:00 外で食事をしようと、ふたたび出かける。中華料理店を探すと、ホテルの近くに「福禄寿禧」があったので、そこで豆腐料理、ワンタン麺など、イギリス人もかなりいて、まずまずの味であった。その帰り、ホテルのすぐ前に、50人ほどの列ができているので、聞いてみると、日本食の店で、ラーメン、焼きそば、天丼などを食べさせるという。安くておいしいという。通り合わせた日本人女性が、ロンドンで日本料理店を出せば絶対はやるという。明日にでも、機会があったら入ろうと話ながら、通り過ぎる。20:00 ホテルに帰る。22:00 就寝。

●ヨーロッパでは小銭は必携品
ヨーロッパは、どこもチップのいるところだ。日本人には習慣がないので、うっかりすると持ち合わせがなく、困ることがある。朝、ホテルをでるとき、まくら銭がなくて、フロントへあわてて換金にいったこともある。ポーターはもちろん、ドライバー、ガイド、タクシーなど、個人旅行のときは必ず出さなくてはならない。ツアーのときでも、ドライバーやガイドには、最後にまとめて若干のチップを出した。

バスに乗るときも、小銭を忘れてはならない。イギリスで、ホウルボンからセントポール寺院まで、初めて2階バスに乗ったときである。車掌にキップを買おうとして、10ポンド紙幣を出すと、釣り銭がないから、小銭を出せという。持ち合わせがなく、困っていると、隣の親切な乗客がコインに換えてくれて、やっとキップを買った。バスに乗るときもコインを用意すべきことを初めて知る。



7月30日(金)(第15日)  聖ポール寺院、ナショナルギャラリ−

08:00 起床。案の定、妻は車の騒音で、深夜まで眠れなかったという。

09:00 ホテルのレストランで、ゆっくりとブリティッシュ・スタイルの朝食。フロントに、やかましいので静かな部屋に変えてもらうように交渉。OKを取り、部屋を移れるように荷物を纏める。

10:00 ホテルを出て、ラッセル・スクエアーを通り、フレイムズ・コーチ・ステーションまで歩く。そこで明日のストーンヘンジ行きの日帰りバスツアーの様子を聞いてみる。まだ18名の余裕があるといい、申込はホテルのポーターにするようにという。このとき、われわれはまだ、JTBの日本人向きツアーに参加のつもりでいた。

11:00 徒歩でホウルボンまで歩き、初めて2階バスに乗る。ところが、切符を買う段になって、コインのないことに気づく。バスはコインがないと乗れない(お釣りをくれない)ことを初めて知る。隣の親切な乗客に札をコインに替えてもらい、危機を乗りきる。

セントポール寺院前で下車。セントポール寺院にはいり、なかを見学する。
【写真左・セントポール寺院の遠景】


この寺院の設計者「クストファー・レン」と同じ名のパブ・レストランが、境内にあった。そこで昼食。イギリスの食事の典型というか、まずいうえにしかも9ポンドとは高い。
【写真右・クリストファー・レンというパブ】


食後、寺院の周辺の庭園を歩き、それからテムズ川に向かって歩く。途中、出会った日本人に道を聞き、歴代王家の紋章や、エリザベス女王の戴冠式の椅子などが飾ってある、カレッジ・オブ・アームズに立ち寄る。
【写真左・カレッジ・オブ・アームズのなかの壁にかけられた紋章の数々】

近くのブラックフライアーズ駅から地下鉄に乗り、テンプル駅で下車、テムズ川とは反対側へ出て、古いビルの谷間を通り抜け、ロイアル・コート・オブ・ジャスティスを見学。厳しいチェックを受け、カメラを持ち込むことができないので、妻と交代で中に入り、裁判の様子を廊下から覗き見る。かつらをかぶった裁判官の姿は、中世を彷彿させる。

すぐそばのトワイニングの店で、紅茶を少々買う。日本よりずっと安い。それから、タクシーでトラファルガー広場まで行き、ナショナルギャラリーに入る。ここも無料である。1時間ほど内外の名画を鑑賞。見おわって、トラファルガー広場を写真を取ったりしながら散策。アドミラルティ・アーチの向こうにバッキンガム宮殿が見える。

「エンバンクメント・ガーデンズ」まで歩き、地下鉄に乗って、トッテンハム・コート下車、そこからホテルまでは5分であった。

16:00 
ホテルに帰る前、昨日見た「ワガママ」には、列がまだそれほど出来ていなかったので、急いで並ぶ。しかし長い階段があるので、入り口までは遠い。待っていると、ウェイトレスがキリンビールを売りに来たので、買って飲む。30分ほどでやっと店内に入る。店には100人ほどの外人客がいて、賑やかにビールを飲み、ラーメンをすすっている。若者が多い。そういえば、このあたりはロンドン大学、大英博物館をもつ文教地区だ。ラーメンがうまかった。
【写真右・ラーメン店「わがまま」の前にできた行列】

19:30 ホテル着。午後4時頃、公衆電話からJTBに電話したが、明日は中止という返事なので、フレームズ社のツアーしかない。そこで、すぐにポーターに明日のストーンヘンジ行きの申込をする。カードで払い、キップをもらう。それから、フロントで鍵をもらい、昨日とは別の630号室にはいる。荷物がすでに届いている。窓が1つしかないが、通りの反対で、静かな部屋である。今日も、歩き疲れた。22:00 就寝。

●イギリス人は「味盲」か
イギリス料理は、まずいことで定評がある。なるほどまずいと思ったのは、セントポール寺院の近くのパブ・レストラン、「クリストファー・レン」で昼食を取ったときだ。ソーセージに米やサラダなどを添えた定食は、1食10ポンドもしたうえ、まずいときたらこのうえない。半分以上残す。

しかし1流ホテルの食事や、アメリカ資本のハンバーグ店などのファーストフードは、日本人の舌にあっている。でも、長く食べると、そのワンパタンの味にいや気がさして、しばしば中華料理店に行ったものだ。

イギリスの高級ホテル「グロブナーホテル」に泊まったときだ。夕食に、近くの日本料理店へはいり、寿司を食べた。値段は高く、1人前4000円したが、さすが上寿司で、うまかった。店内は半分以上はイギリス人のビジネスマンで占められていた。ロンドンの日本料理店は数こそ少ないが、店内にはたいていロンドンっ子が一杯いる。

「マールボロ・ホテル」の近くの「わがまま」の場合も、ピカデリー・サカスの近くのハンバーガーの店の場合も、うまい店にはすぐ行列ができる。そんな行列を見ると、それまでイギリス人は食べ物の味がわからないと思っていたが、実はそうでもなさそうだと思うようになった。いくら行列が好きだからといって、不味い店には行列は出来ない。だとすれば、彼らは決して根っからの味盲、味音痴ではない。ただ、彼らのつくるイギリス料理が不味いというのは、それほど苦労してまでも、彼らはうまいものをつくることに興味がないのかもしれない。食事のような形而下のことは、努力に値しないのかもしれない。彼らに出来る努力といえば、せいぜい外国人のつくったものを列をつくってでも、食べてみようとするぐらいのことであろう。



7月31日(土)(第16日)  ツアーでバース、ストーンヘンジへ

07:00 起床。07:30 朝食。

08:20 隣の「ケルウインホテル」のロビーに行き、そこでバスを待つ。そこから迎えのバスで、フレームズ・コーチ・ステーションまで行くと、スコットランド1周のツアーのときのドライバー氏に出会う。彼はわれわれを憶えていて、ストーンヘンジ行きのバスに乗るように指示してくれる。

08:50 バスは「バース・ストーンヘンジ」を目指して出発。ドライバーのほかに、専任のガイドがついている。5、60歳ぐらいの男性だが、声がよく、素晴らしいキングス・イングリッシュの発音だ。天気快晴。バスはロンドンのラッシュを通り抜け、郊外へ出る。

09:20 左手遠方に、ウィンザー城を見る。ガイドの話しはきれいな発音で分かりやすい。彼の話しているのは、イギリスの大ざっぱな歴史、ケルト族を放逐したアングロサクソン族、やがてローマ人に侵略され、11世紀にはノルマン人の征服、フランス語の普及、ふたたびアングロサクソン族と英語の復興などである。

途中、遥か彼方の山の中腹に、馬の姿が見える。白亜の山肌が自然に馬の形を取ったらしい。ホワイトホースというそうな。

11:45 バース着。バースの街の家並は、屋根の高さが揃っていて、整然としている。
【写真左・バースの街】


ここはローマ占領時代、ローマ人たちが浴場をつくって楽しんだ跡だ。ローマ時代そのままの廃屋の中のプールには、温かい温泉がたたえられ、彫刻の断片など、さまざまの遺物が展示されている。
【写真右・プールのような温泉】

昼食は、街なかのレストランで、サンドウィッチとジュース。

13:45 バース出発。ソールズベリへ。14:40 ソールズベリ着。ここはバースより家並が不規則で、変化に富んでいる。しかし、バースより静かで、この街の方を好む人が多いとドライバーはいう。大聖堂を見学。バスの止まったところに、エイボン川が流れている。エイボンとは古代英語で川を意味する語で、シェイクスピアのふる里にあったのも、別のエイボンである。

15:50 ソールズベリ発、ストーンヘンジへ。16:00 ストーンヘンジ着。見渡す限りの牧草地に、巨大な岩石がいくつか組合わさって立っている。周りに、バスや自家用車が何十台も並んでいる。
【写真左・ストーンヘンジの前に立つ】

有史以前の先住民がこれをつくったというが、はっきりした目的は不明。何か太陽崇拝の神殿とも、天文の観測のためとも、種々の説があるようだが、いずれにしても古代人の宗教的なことに関係していると推定される。入場料を払って、囲いの中に入る。巨石の周りを、写真を取りながら、1周する。日本人観光客もかなりいる。
【写真右・巨石の大群】



16:50 バスに乗って、ストーンヘンジを出発。ここからロンドンまでは80マイルで、約60分。ロンドン市内にはいる。

18:00 グリーンパークで、途中下車。ピカデリー・サーカスまで歩く。その近くに長蛇の列があるので、聞いてみると「プラネット・ハリウッド・ハンバーガー」という、ロンドンで有名な店だという。ロンドンっ子は食べ物の味がわからないかと思ったが、、ここの例といい、「わがまま」の例といい、うまい店に行列ができるということは、彼らが根っからの味盲、味音痴ではないということなのかもしれない。

ピカデリーからシャフツベリー通りを経て大英博物館の方へ向かう。途中、中華飯店の蝟集する中華街がある。いくつかの店を見て回り、安くてうまそうな「龍軒(ロンヒェン)」という店にはいる。鳥肉のスープ、酢豚、豚肉野菜炒め、カシューナッツと鳥肉炒め、チャーハンなど。2人で24ポンド。

19:30 中華街をでて、シャフツベリー・アヴェニューをホテルに向かって歩き始める。ウィンドウ・ショッピングをしたりして、ビールのほろ酔い加減に、夜風がここちよい。

20:00 ホテル着。ロビーでソファーにかけながら、2人連れのオーストリア人の中年女性と話す。アベイやカシードラル、カースルなど見て、17日間をたいへんお値打ちに過ごしているという。

22:00 疲れはて、入浴もせずに、就寝。

●エスカレーターの上を歩くイギリス人
習慣といえば、あわて者の日本人がエレベーターの上で、悠然と構えているのも、何となく身についた習慣であろう。エスカレーターに乗るとき、日本人とイギリス人とでは、大きな習慣上の相違がある。イギリスのエスカレーターには、「Stand on the right」という掲示がある。何故「右側で立ち止まれ」というのかといえば、左側は歩く人のために空けなさいという指示である。どのくらいの人がエスカレーターの上を歩くのかと、注意して見てみると、ほとんどの人が歩いていた。エスカレーターは歩くものだという習慣が出来ている。しかし、全員が歩くならば、「右側で立ち止まれ」という掲示は不要のはずである。掲示がある以上は、歩かずに立ち止まる人もいるはずだと、妙なことに気づき、以後気をつけていると、「エンバンクメントガーデン」から夕方のラッシュアワーの地下鉄に乗ったとき、登りのエスカレーターで半数ぐらいの人々が立っているのをようやく目撃した。いくら歩く習慣のイギリス人といえ、疲れれば歩けないと見える。それにしてもせっかちな日本人が朝のラッシュアワーのときでさえ、エスカレーターの上を悠然と立ったままでいるのは、何故だろうか。おそらく日本人には、エスカレーターという機械は歩く労力を省いてくれるもの、という意識がある。せっかく歩かないでもよくしてくれたのだから、ゆっくり休んでエネルギーの温存をしようというのである。それに反して、イギリス人には、休むよりもいっそう早く行くことの方に関心がるのであろう。それは、深いチューブ式の地下鉄のエスカレーターがあまりに長く、時間がかかり過ぎるので、少しでも早く行くには、エスカレーターの上を歩いた方がよいという事情から、きているのかもしれない。



8月1日(日)(第17日)  テムズ川クルーズからヒースロウ空港へ


07:00 起床。07:30 朝食。食後、直ちに荷造りを始める。

09:30 チェックアウト。荷物をフロントに預けて、テムズ川クルーズに出かける。ホテルを出てから、タクシーを拾う。テムズ川クルーズに行きたいというと、ウェストミンスター橋の船着き場まで連れて行ってくれる。何種類かのクルーズのキップを売っているが、1時間くらいで往復できる手ごろな船を選んでキップを買う。ひとり4ポンド。
【写真右・クルーズの乗船場】

11:40 〜 12:40 テムズ川クルーズ。船上の先頭にすわる。快晴で、陽射しがまぶしく、暑い。見渡せば、国会議事堂からビッグベン、セント・トマス・ホスピタルなど、見事な建物が並んでいる。写真を取ったが、残念なことに、途中でフィルムがなくなってしまった。
【写真右・船上から眺めるビッグベン】

13:00 セント・マーガレット・グラハム寺院の前で、ホットドッグとコーラを買って、寺院の庭の芝生のうえで食べる。寺院に入って中を見る。

13:20 ウェストミンスター寺院へ行く。歴代の王の戴冠式が行われたところだ。素晴らしく高い天井に、美しい窓が印象的。

13:40 セントジェームズ公園の池の前のベンチで、しばらく休憩。

14:00 ホース・ガーズ・ロードを歩き、ピカデリーサーカスを通り、昨日通ったシャフツベリー・アベニューをふたたび歩いて帰る。

14:50 ホテル着。ホテルから長男に電話。フロントに行くと、タクシーが2時から待っているという。急いで乗る。

15:00 タクシーで、ホテル出発、ヒースロウ空港へ向かう。

15:40 空港着。タクシー代、チップを含めて40ポンド。手持ちの金すべてをはたく。搭乗手続きをして、構内に入り、まず税金返還の手続きを済ませる。レストランで、ビールに軽食の夕食。それから、免税店で最後の買い物。ウイスキー、ペンダント、額皿など、カードで買う。

19:15 搭乗。JL−402(日本航空ノンストップ便)である。

19:45 出発。東京まで10時間50分の予定。時間を8時間進めて、日本時間に合わせる。日本時間では、すでに翌日の2日になっており、深夜の03:45 である。以下、カッコで日本時間を示す。

20:30(04:30)夕食。ビーフステーキを主体とする機内食。機内のテレビで、3週間ぶりに日本のニュースを見る。細川内閣が出来そうだという。自民党は河野総裁になっている。あまりの変化の激しさに、いささか浦島太郎の心境である。食後、映画を上映したが、2人とも、見ずに眠る。

●ヨーロッパのクルーズと日本のクルーズ
ライン川下りは2度目であるが、川風に吹かれ、左右に山々やその上に聳える古城を眺めながらの2時間を越える船旅は、まことに優雅である。ただ、歌にまで歌われたローレライの岸壁は、草におおわれ、やたらに大きく高いだけで、変化も雅趣も少なく、あまり感動を呼ばない。

イギリス最後の日に、テムズ川クルーズをした。天蓋のない船上の先頭にすわって、見晴らす沿岸の眺めは、まことに素晴らしいの一語につきる。この日は珍しく快晴で、陽ざしがまぶしく、焼けつくように暑い。見渡せば、国会議事堂からビッグベン、セント・マス・ホスピタルなど、見事な建物が、一望のもとに視野にはいる。テムズ川を下り、最下流のタワーブリッジあたりから引き返すころ、空はもう曇っていた。

フランスでは、夜、セーヌ川のクルーズをやった。川岸の建物はネオンや照明でくっきりとライトアップされ、絵はがきさながらである。夜空に映えるエッフェル塔は、全体に無数の電球を散りばめられ、仕掛花火のように豪華である。あるいはガラス細工のように繊細にも見えるともいえる。いずれにしても、光りの街ならではの光景である。

それにつけても思うのは、日本のことである。8月の終わり、赤坂の迎賓館を見にいった帰り、息子たちと一緒に隅田川のクルーズ観光をした。さすが都内を流れる川としては水量も豊かで、川面を渡る風は、頬に心地よい。しかし全体の印象はいまひとつである。すでにヨーロッパの有名な河川のクルーズを経験した後では、どうしても比較が先立つ。第一、汚染がひどい。これでも以前よりはずっとよくなったというが、まだところどころでヘドロの臭いがする。死の川といわれたテムズ川が結構きれいに澄んでいたからには、墨田川がもっときれいにならないわけはない。水質もさることながら、観光船から眺める沿岸の風景も、貧弱である。船の天井が展望を阻んでいるのも、大きなマイナスである。橋の数は多いが、機能的にできているせいか、あまり美しさを感じさせない。しかも、最大の欠点は、川岸の建物がみすぼらしいことだ。ところどころに夜具や洗濯物で満艦飾の集合住宅が見えるのには、閉口した。イタリアに行ったときの「ナポリの旗」のことを思い出していた。「ナポリを見て死ね」といわれるように、たしかにナポリ湾は美しいが、途中のナポリの下町は、狭い通りをはさんで立ち並ぶビルの窓から、通りを隔てて向かいの窓へと、ロープが何本も張られ、洗濯物がへんぽんとひるがえっていたのには驚いた。「ナポリの旗」とは、この洗濯物の群れのことであった。

しかし、これも習慣かもしれない。イギリスに洗濯物の氾濫がないのは、すぐ雨が降るせいで、外へ干しておけないという事情かもしれない。そこへいくと日本人やイタリア人は、天気になれていて、洗濯物を外へ干すことが長い間の習慣になったのかもしれない。



8月2日(月)(第18日)  成田から名古屋空港経由わが家へ

02:30(10:30) 起床。カッコ内は、日本時間。

03:00(11:00) 三船敏郎の「用心棒」を見る。

05:00(13:00) 機内食。イギリス時間では、2日の朝食だが、日本時間では2日の昼食である。後2時間で、成田に着く予定。

15:10(日本時間) 成田着。空港で待つこと、3時間。

18:25 名古屋行き日航機に搭乗。18:45 成田発。

19:40 名古屋空港着。荷物を受け取り、税関を出る。

20:20 タクシーに乗る。日本はずっと雨で、毎日30度以下の涼しい夏だという。道理で、ヨーロッパとはそれほど気温の差を感じないわけだ。

21:00 帰宅。タクシー代、チップを含めて6、000円。19日ぶりに見るわが家のたたずまいは、なんの変化もない。いっきょに懐かしさがよみがえる。明日からは、いつもの自分の生活が始まると思うと、どういうわけか、がんばらなくてはという気がした。  <終わり>


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