「いじめの今昔」
            ー東奔西走ー                 安藤 邦男

                     「たまみず」23号 愛知県立昭和高等学校 PTA会報
                                        昭和60年12月20日


▼今年は「いじめ」の年であった。「いじめ」による自殺、精神障害、登校拒否等の事件があいついで報道され、「いじめ」はもはや教育問題というより社会問題とさえなった感がある。とはいえ、世間もこの「いじめ」現象には、少々騒ぎすぎの気もする

▼評論家の屋山太郎さんは、子供の頃五回にわたる疎開や転居で、いじめられたり殴られたりして、自分の身を守るには暴力以外にはないとさえ思ったという。戦前のとくに農村では「よそもの」にたいする「いじめ」は、相当にきつかった。だが「いじめられっ子」も少しぐらいのことではへこたれなかったし、「いじめっ子」にもそれなりの正義感があった。「いじめ」は子供にとって、いわば自己形成のための通過儀礼であった

▼しかし最近のような、自殺にまで追いやる「いじめ」となると、また事情は異なる。各地の教育委員会の行った実態調査によれば、現代の「いじめっ子」には罪の意識や善悪の判断がなく、あるはただ「うっぷん晴らし」だけだという

▼臨教審が「いじめ」を「教育荒廃の病理現象」であると規定し、「現代社会の心の荒廃が子供の成長過程に生じている」と分析したのは、まことに当を得ている。子供の「いじめ」を生み出したものが、大人のつくりだしたマスコミ文化をはじめとする教育環境であるとするならば、そこで痛烈に問われているのは、実は現代社会のあり方とそこでの大人の生き方そのものであるということを、われわれはいま真剣に考えてみるべきであろう。(安藤)
 

                               教育関係目次へ