「外から内へー生徒指導の目指すものー」                 安藤 邦男

                                        「昭和高校新聞」第141号
                                          昭和52年12月22日


 昔から「服装は心の鏡」というように、服装を見れば心がわかる、例えば、いつもバッチをつけ忘れる人がいるとする。われわれは彼を不注意な性格の持ち主だと考える。「不注意ではない、わざとつけないのだ」という人もいるかもしれない。しかしそれはそれで、彼のバッジに対する考え方が表われているといえる。

 このように人間の性格や考え方は服装だけでなく、日常の態度や、言葉遣いとなって、表面にあらわれる。つまり、人間の内面的なものは外面的なものと不可分に結びついており、その二つは一体となって人格を形成する。

 人格におけるこの「内なるもの」と「外なるもの」は、教育の場において、人間形成の二つの方向としてあらわれる。
 一つは「内」から「外」への方向である。一般に、内面的な人間形成が行なわれれば、外面的な生活態度は自然に節度のある、立派なものになると考えられているが、確かにそこには一面の真理がある。われわれが学問や芸術を通して、先人の生き方を学んだり、道徳観を身につけたりできるのは、そのためである。

 しかし、この方向だけで人間形成が完全に行われるかといえば、決してそうではない。というのは、いくら内面が高められても、外面的行動がそれに平行していかないという、意識と行動の間の分裂現象が起るからである。「遅刻が悪い」というのは、誰にでもわかる。しかしそれを自覚しただけでは遅刻はなくならないのである。

 意識より遅れた行動を正すには、意識にだけ働きかけるのではなく、直接行動に働きかけなければならない。外部から行動を刺激したり、規制したりすることによって、はじめて行動は意識のレベルにまで引き上げられ、両者の調和のとれた発達が可能になる。同時に、行動をともなわない意識は無意味であるという認識を与えて、意識そのものの変革をもたらすことができる。

 これが「外」から「内」へという、もう一つの人間形成の方向であり、これこそが生活指導の目指すものである。

 もちろん、このような行動の規制は、最初は自分以外のもの、親や教師や一般社会などによって行なわれるであろう。しかし、そのような「他律的」なものは、生活習慣として定着するにつれて、次第にそれは自己の中に自己を規制するもう一つの自己の成長・確立を促し、やがては自分で自分を規制するという、「自律的」な生活態度が生まれるであろう。

 これはある意味では、自己確立の過程であるといえる。そのような諸君の自己確立の努力を側面的に援助するのが、生活指導であると私たちは思っている。

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