「卒業おめでとう」                          安藤 邦男
 
                             「とびら」愛知県立千種高等学校3年4組卒業文集
                                             昭和43年 3月 1日


 蛍雪の功なって卒業される諸君に、まずおめでとうと申しあげたい。ふりかえってみれば、この三年は諸君にとって、あるいは短い月日であったかも知れない。しかし、諸君がこの学校へ入学した三年前の自分を、現在の自分と比較してみると、大きな変化のあることに気づがないであろうか。勉強の面ではいうまでもなく、対人関係において、ものの考え方において、あるいは将来の希望についても、諸君は三年前とは大いに異なった現在の自分を発見するであろう。それが人間の成長というものである。

 高校時代は、人間が身体的にも、知識的にも、人格的にも、飛躍的な発展を遂げ、今後の人間完成の基礎をつちかう時期である。この時期をいかに過ごしたかによって、人間はその将来をほぼ決定されるとさえいわれる。無論、そのような成長や発展がもたらされるのは、人間の努力を通してである。諸君がこのように立派に成長したのは、この貴重な三年の時期を、精一杯努力した賜であるといえよう。

 この学び舎を去って、諸君のうちあるものは実社会へ出る。あるものは予備校へ行くかもしれない。しかし、大半のものは目指す大学でふたたび勉強を始めることになるだろう。いずれにせよ、この三年間に身につけた努力の習慣だけは、いつまでももちつづけてもらいたいものだ。

 ここで、進学する諸君にひとこと忠告を申しあげたい。大学は自由だといわれる。諸君がその自由を最大限に享受することは当然である。しかし自由は、人間の可能性を無限に開花させる力があると同時に、一つ間違えば人間を堕落さる魔力を持っている。自由のもつこのような陥せいにおちいらないためには、自由は自由のためにあるのではなく、目的のためにあることを知らなければならない。人間は目的を定めるに当たって自由でなければならないが、一度目的を定めれば、その目的によって自由を拘束されるのである。拘束された自由ーすなわち目的ーを持ち、それを実現する過程の中に真の自由がある。されば諸君に与えたい忠告の第一は、「目的を持て」ということである。

 第二の忠告は、「考えよ」ということだ。諸君は、入学試験準備のために考える暇がないとよく言ったし、ぼくも考える暇がったら公式や単語の一つでも覚えよ、といったものである。しかし、これからは違う。いくら考えてもよい。考えるためならば、いくら好きな書物を読んでもよいし、いくら夜を徹して語り合ってもよい。大学で学ぶものは、決して実用的な知識の断片ではなく、自分で納得のいくまで徹底的に考えるという習慣であるからだ。

 しかし、考えるといっても、今日の大学は、かつての象牙の塔とはちがって、大衆化した大学である。そこでは、独善的な孤高は許されない。いや、それだけでなく、大学自体が社会的な要請に応えなければならないのである。そこで、諸君に与えたい第三の忠告は、「社会的視野を持て」ということである。そのなかで、個人はいかに生きるべきかの問題に正しく答えるためには、諸君の判断の基盤に社会的視野がなければならないのは当然である。

 まだ、語りたいことは多くあるが、取りあえず以上の三つを、諸君を送るに際してのぼくのはなむけの言葉にしたい。
 諸君の健康と幸福を祈る次第である。

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