「集団と規律」                         安藤 邦男

                            「ちぐさ」No.10 愛知県立千種高等学校
                                        昭和42年 4月 5日


群衆と集団の相違

 1年生の諸君は、いま新しいクラスに入った。そして、これから始まる高校生活に大きな期待を寄せていることであろう。しかし、隣りをら見渡せば、いずれも知らない顔ばかりが、秀才然とすましており、これからの自己の地位についての不安を、少なからず感じているであろう。なぜ、そのような不安を覚えるのか。それは、クラスがまだお互いに何も知らない者同士の集まりだからである。たとえていえば、プラットホームや映画館の群衆と何ら変わることのない集まりに過ぎないからである。人間は一人でいるときよりも、ばらばらな群衆の中におかれた時の方が、より大きな孤独を味わうものである。

 ところが、このような孤独感はお互いを理解し合うようになるにしたがって、日々に薄れていき、やがて友愛と信頼にみちた人間関係が生まれる。そのとき、すでにクラスは知らない者同土の集りである「群衆」から、生活環境を同じくし、共通の目的をもつ「集団」へと発展しているのである。

 このように考えてくると、新入生の感じる不安や孤独は,結局、集団から切り離されていることから来る不安・孤独であり、その裏には早く集団の一員として、集団にとけ込みたいという願望がかくされているのである。このことはまた人間が一人だけでは生活することができず、人間として生きる喜びも集団の中にしかないということを意味しているといえよう。

目標のあるところに規律がなければならない

 このように、われわれの学校生活が集団として営まれているとすれば、われわれはいかにしてこの集団を理想的なものにまで高めていくことができるであろうか。ここに規律の問題が現れていくのである。集団が集団として成立するためには、秩序がなければならない。秩序は、その集団に属する一人一人が共通の目標をもち、その目標を実現する過程において、なかば自然にできあがるものである。そして、それが規律であるといえる。そのことは、群衆についても同じである。プラットホームや映画館の群衆には、それぞれ電車に乗るでとか、映画を見るとかいう共通の目的があり、そこにはそれ相応の秩序が自ずから形成される。ただ、学校生活では、集団のもっている目標は知的学習とか人格形成という、より高度な目標であり、したがっていっそう厳密な秩序や規律が要求される。それは「自然に」できあがるものではなく、「意識的に」つくられていくものでなけれぱならない。

規律はお互いの信頼感から

 規律は、このように集団の目標とは切り離すことはできないのである。だとすれば、目標さえあれば規律づくりができるかといえば、必ずしもそうではない。目標の自覚とともに、集団成員のすべてに信頼に満ちた人間関係がなければ、本当の規律は生まれない。先日、ある生徒に注意を促したところ、彼は「なせぼくだけ叱られなければならないのですか。ほかに規則を守らないものが大勢いるのに」と言葉を返してきた。碓かに、その生徒には規則を破ることは思いという意識はあるが、同時に「規則を破るものが大勢いるなかで自分だけ守っているのは損だ」という気持も、強くはたらいているようである。ここでいえることは、このように考える彼の心の中には、友人に対する信頼感が欠如しているということであり、お互いに信頼感のないところに、規律もまたありえないということである。

他律から自律へ

 さて、今度は別の角度から規律の問題を考えてみよう。それは集団としての規律を個人がどのように身につけ、発展させていくか、という問題である。人間の行動を便宜上、@「いやいやする行動」、A「しなければならぬと感じてする行動」、B「喜んでする行動」の三つに分類しよう。@は強御された行動であり、Aは義務づけられた行動であるが、Bは自発的な行動である。人間の行動に、もし発展があるとすれば、それは@からBへと進んでいく過程の中にあるだろう。集団が群衆に近い初期の段階から、質的に高度な集団に発展するにしたがって、規律は集団の構成員の中に内面化されていく。最初は,個人のそれぞれの考えや習慣と対立するような規律も、次第に同化され、自発的な規律に変っていく。そうして、自分の要求や意志がそのまま集団の規律と一体化するとき、その個人の人格は完成の域に達したといえる。論語にいう、「心の欲する所に従って矩を超えず」の境地である。これは、あまりに理想的すぎて現実性がないといえるかも知れない。しかし、規律の発展は「他律的」なものから「自律的」なものへ向かうところにあるということは否定できない事実である。

規律ある学園をつくろう

 「規則」は形式であり、それが守られなければ形骸にすぎない。規律が生きた「規律」として集団全員の中にみなぎるためには、各自が集団の目標を自覚すると同時に、規律の必要性と意義を認識し、お互いに助け合いながら、友愛と信頼に満ちた人間関係を、自分の属するクラスやクラブのみならず、全校的にも作り上げていかねばならない。

 本校の生活指導は、このように諸君自らが行う規則づくりをときには厳しく注意したりときには暖かく励ましたりしながら、側面から援助しようというものである。集団が発展するにつれ、その集団から落伍する人物も現れるかも知れない。自己の殻に閉じこもったり、反社会的な行動に走ったりする生徒が生じるかもしれない。そのような、集団に適応できずに苦しむ生徒のためには、カウンセリングという制度の用意してある。しかし、大事なのは、教師側の力だけではなく、集団の構成員である諸君一人一人の規律の必要性の自覚と規律づくりへ向けての努力なのである。教師と生徒が一体となって力を合わせるとき、新しい学園の伝統が築かれるのである。

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