ある教師の手紙                   安藤 邦男

                               「純」名古屋西高等学校3年B組卒業文集
                                        昭和38年 3月 1日


 A子さん、あなたの手紙を拝見しました。あなたがデスペレートな気持ちで訴えていることは、ある程度はぼくにもわかります。あなたは、教師も友人も、親でさえも信じることができず、「頼れるのは結局自分だけだ」といいます。人間がそのように絶望的になることは、長い人生にはときどきあることだといえば、それまでです。人を信じることのできないのは、考えてみれば、悲しいことだと思います。だが、まだあなたはよいといえます。それは、すべての人に不信をもっても、最後の自分だけは信じたいという気持ちがあるからです。あなたが自分を信じることができる限りは、あなたは救われると思うのです。自分を信じる限り、あなたはやがて肉親を信じ、友人を信じ、世間一般の人々を信じるようになり、失われた人間信頼を取り戻すことができると思います。

 ここで、ぼくの貧しい体験をお話ししましょうか。あなたの今後の生き方にとって、少しでも参考になれば、幸いだと思います。
 ぼくが旧制中学校に入学したのは、あなたのまだ生まれていない昭和十七年、太平洋戦争の始まった翌年でした。ぼくたちはそこで、毎日鉄砲の撃ち方や、人の殺し方を教えられ、たるんでいるといってはコンクリートの上に正座させられたり、敬礼をしなかったといっては耳が聞こえなくなるほど殴られたり、言語に絶するほどの軍隊式教育を受けました。でも、ぼくたちにとって、そのような中学時代は、あなたがいま思うほど暗いものではなかったように思います。それは、ぼくたちがそのようなものに批判の目を向けるには、あまりに幼かったためでもあり、また、そうするにはあまりにそのようなことに慣れすぎていたからともいえます。実際、当時のぼくたちの気持ちは国のためなら喜んで自分の一身を投げ捨ててもよいという、純粋なものでした。ぼくの友人も、軍人養成の諸機関に続々と志願していったものです。

 Aさん、このようなぼくたちにとって、日本の敗戦はまさに青天の霹靂でした。昭和二十年八月十五日を境にして、ぼくたちの人生は文字通り断絶したのです。中学校四年生の夏のことでした。それから、ぼくの混沌とした時間の空白の中に、初めはおぼろげに、そうして次第にハッキリした形を取って現れたものは、人間に対するーというより教師に対するー痛烈な不信の念でした。国のために一命を捨てるように教育した教師、もし日本が負ければ、日本という国も、日本人という民族も、すべて存在できないと教え、信じ込ませた教師。その教師が、敗戦後自殺もせずにノンノンと生きながらえ、のみならず前言をひるがえして、「あの戦争は間違っていた」とか「教え子の死は犬死にであった」といい出す始末です。それまでの私たちの人生は、何であったのでしょう。一途に信じ込んでいたものに裏切られたとき、人の心は深く傷つき、人間不信のニヒリズムが発生するのです。ぼくたちは教師の態度を通して、いわゆる世の中の大人たちを疑い、さらにはその大人たちによって動かされている社会や政治までも虚偽の固まりとして嫌悪し、次第に自己の殻に閉じこもる人間となりました。真実は、自分の目で見、耳で聞き、肌でじかに感じたものの中にしかない、信じられるものは自分だけだという、あなたが現にもっているような考え方に陥ったのです。

 このような自己中心主義的な考え方をもって、ぼくはやがて大学の門をくぐり、イギリス文学を勉強し始めました。その勉強の課程の中で、ぼくの自己中心的な考え方は、最初は少しずつ、しかし次第に大きく、変わっていきました。当時のぼくの興味と関心は、世紀末文学にありました。芸術のためには、家庭も、社会的地位も、すべてを犠牲にして悔いなかった世紀末の芸術至上主義者たちー彼らの生き方にぼくは自分の進むべき道を見いだしていたのです。自己をより深く知るために、ぼくは彼らの人間と文学を知ろうとしたのです。

 しかし、彼らがどうして生まれてきたかを考えているうちに、やがてぼくは、そのような文学と文学者を生み出したものは、その生活環境であり、時代であり、歴史社会であるという事実につき当たりました。自己を偽らず、自己に対してあまりにも誠実なるが故に、世俗的な常識を拒否しなければならなかった世紀末文学者たちーたしかに、彼らは自己の生き方を自己の自由と責任とにおいて選んだわけです。しかし、もし彼らの自己に対する誠実さとか人間らしい生き方をしたいという要求が、実社会に受け入れられていれば、彼らはいわゆるアウトサイダー(余計もの)にならなくてもよかったのです。ということは彼らの芸術至上主義も生まれなかったということができるでしょう。だから、彼らの文学を生み出したものは、一言でいえば、近代社会の矛盾です。近代社会が彼らの自由な個性を受け入れるには、あまりにも狭隘にすぎ、その結果彼らはこのような社会の束縛から逃避するか、さもなくばはかない抵抗を試みて、破滅するしかほかに道がなかったのです。ことごとく必然です。

 そこでぼくは改めて自分の生き方を振り返ってみました。社会に対する不信から、自由を求めて自意識の世界に沈潜していった過程は、敗戦という歴史的事実を、人間形成期の途上に受け取ったものたちの辿る、必然的な生き方でした。自らの責任において自由に選んだ生き方が、実は歴史的社会における必然的な生き方であるという認識は、ぼくのそれまでの自己中心主義的を根本的に改めさせるとともに、正直にいって、ぼくのちっぽけな誇りを傷つけました。傷つけられた誇りをもって、ぼくが歴史社会の勉強をし始めたのは、そのときからでした。
 国家中心主義の思想から自己中心主義の思想へ、というのがぼくの第一の思想転換であるとすれば、第二のそれは自己中心主義の意識から社会的意識への転換だといえるでしょう。これは、自己をそこから隔離した人間社会への復帰の道です。苦しい自己否定の道です。しかし、自己を否定することなしには、いかなる意味の自己実現もないとすれば、否定すべき自己の大なるものにとっては、実現すべき自己もまた大なるはずです。

 そしてぼくは、改めてかつて不信の念を抱いた教師を見直しました。彼らもまた時代の犠牲者であるという気持ちを、ぼくは持つようになっていました。社会から被害を受けたものが、ともするかそこから逃避しようとするのは、自己防衛の本能かもしれません。しかし、本当にその被害者をなくするためには、そこから逃避するのではなく、その中へ入り込み、その中で人間の幸福を二度と踏みにじらないような社会をつくるように努力しなければなりません。それが、ぼくたちに課された義務でもあると思うのです。

 このようにして、ぼくは学窓を去り、実社会に出ましたが、そこでぼくが職業として選んだものがかつて不信の念を抱いた教師であるということは、皮肉な巡り合わせかもしれません。だが、現在のぼくは、かつて自分の味わった苦い経験を、せめて諸君にだけは味わってもらいたくないという気持ちで一杯です。あなたが「頼れるのは自分だけ」という考え方を持っていることを手紙で知り、ぼくは自分の力の至らざるをいま反省するばかりです。

 A子さん、ぼくはここであまりにも自分のことを多く語りすぎたようです。でも、あなたの悩みも、ぼくのかつての悩みも、結局は自分の殻に閉じこもることから生じてくる同じものではないでしょうか。もちろん、人間は自分の悩みを自分だけで解決しようとする強い決意と主体性が必要です。しかし、多くのものが同じような悩みをもっており、それは共通の問題としてみんなで話し合い、みんなで解決するのが一番有効であるのも事実です。あなたの健闘を祈って、擱筆します。

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