「教養七十選文庫ーその設定の意義についてー」

 
                            「図書館報」No.23  愛知県立名古屋西高校
                                        昭和35年 7月15日

 現代の社会においては知識や技能は極度に専門化され、個人がその一部門の蘊奥を極めるにさえ恐らく一生を要するであろう。社会は進歩すればするほど、複雑に分業化し、専門化する。ある職業にあるものはその職業の要求する能力のみを異常に発達ざせ、それ以外の能力を退化させていく。かつて、チャップリンは、その近代人の悩みを「モダン。タイムズ」の中に表現した。人間の失われたーあるいは失われようとするー全人性を回復するものは何か。それは、ここにいう教養である。

 教養とは全人性である。一方だけに偏しない調和のとれた人間性、広い知識と豊かな情操をもって現実の中で正しい行動のできる人格のことである。断片的な知識をいかに自己の中へ集積したとしても、それは教養にはならない。教養とは、集積ではなく、総合である。総合は、まずそれぞれの知識の横の統一からはじまる。しかも、統一した知識は現実の生活の中の自己の生き方と結びつけなければならない。この意味で、教養のための教養は真の教養とはいえない。教養は、それが生活の中に統一的に生かされたとき、はじめて真の教養になる。

 諸君が学校で教えられる学問は、それぞれの学問体系の必然性にしたがって、いわば断片的に諸君に与えられる。各教科の意味づけはまったく諸君みずからの能力にゆだねられる。一体、なぜ英語を勉強しなければならないか、英語と数学とは何の関係があるか。疑問は疑問を生み、諸君はともすれば、各教科の多岐の中に自己を見失いがちである。あまつさえ、激しさを加える受験勉強は、諸君から豊かな人間性を奪いとっていくようである。このようなとき、諸君は見失われんとする自己を、学園生活の中に再び取りもどそうと思わないだろうか。断片的な知識、分断的な行為を関連させ、意味づける原理を発見しようと思わないだろうか。自己の知識の断片性と人格のは行性を反省するところに、まず教養へいたる道が開けているのである。

 ここに選ばれた教養書七十冊は、なによりもまず広い知識の展望と全人的な人格の完成という、諸君の要求に応えるものでなくてはならない。この意味から、われわれが図書選択の基準としてまず第一に配慮したことは、それがあらゆみ部門にわたるということである。文学書が大半を占めているのは、選択の偏ぱではなく、むしろその公平を意味する。何故ならば、教養はすでに見たように、知識と行為の統一であり、かかる教養が知識と行為の統一的表現である文学と結びつくのは、必然なのである。第二に配慮したことは、諸君の読書段階に適合させるということである。いわゆる古典は必ずしも諸君の学習進度や生活経験に即しているとは限らない。そこで、古典であると新刊書であるとを問わず、なるべく諸君に身近かなもの、入りやすいものを選んだ。諸君がこれらのものを通して、より高次の段階に進み、現代のこの困難な時勢の中にあって、正しい生き方を追求されることを期待するものである。

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