「若き日の読書の思い出」

    ー想像の世界から自意識の世界へ、そして現実の世界へー
                                        教頭・英語科 安藤邦男
                        「としょかん」85号 愛知県立旭丘高等学校図書館
                                         昭和63年12月26日

 思い出をさかのぼると、そのさいはてにひとは誰しも、現実と空想とが結びついた混沌の世界を発見する。耳を澄ませば、子守歌のリズムに乗って母のおとぎ話が聞こえてくる。眼を凝らせば、紙芝居や絵本の中の得体の知れぬ魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈している。だが、彼らの姿は背景に溶け込み、輪郭も定かでない。

 その世界を少し下ると、ようやく彼らの目鼻立ちがはっきりしてくる。気がつくと、立川文庫や少年倶楽部の世界である。「猿飛佐助」、「霧隠才三」、「怪人二十面相」、「のらくろ」など、子供の夢と好奇心をかきたてることでは、まことに懲りない面々である。

 その群像たちのなかで、一際鮮やかに、そして懐かしく思い出される登場人物がある。巌谷小波(いわやさざなみ)の「こがね丸」である。小学校の教室で、今は亡き担任の先生から読んでもらった、親の仇を討つこの忠犬の物語に、子どもたちの血は沸き、肉は躍った。これが、改造社版「現代日本文学全集」いわゆる「円本」との出会いであった。そして、それは私の文学開眼でもあった。

 一円で買えることから、「円タク」になぞらえて出来たこの「円本」という言葉は、今ではすっかり死語になっているが、私の子供のころはまだ生きていた。その「円本」全50巻を、わが家に疎開させてあった叔父の蔵書のなかに、発見したときの驚きと喜びは、未だに忘れない。そのときから始まった「円本」の乱読は、戦後叔父がその蔵書を引き上げるまで続き、その大方を読み終えた。戦時の暗い少年期がなんとか救われたのは、この「円本」との付き合いのお蔭であった。ちなみに、その後筑摩書房から「現代日本文学全集」99巻が出版されたとき、いち早く購入したが、昔の感激はもはや戻らず、いまだに読み残している。

 中学四年生で迎えた敗戦体験は、私の価値観を一変させた。信じられるものは、自分以外にないという絶望感が、現実から逃避させ、ニヒリズムと自意識の世界にのめり込ませることになる。そこでは、気質も作風も違う二人の作家、芥川龍之介と太宰治に耽溺した。この、完璧さのなかに人工美を構築する古典主義者と、甘えのなかに純粋を演出する破滅型の作家とは、ともに現実逃避の姿勢が共通し、そこに自分の生き方の師を見いだした思いであった。

 大学では、アメリカの作家エドガー・アラン・ポウに傾倒した。推理小説の生みの親として、また近代文学批評の始祖として、明晰な論理を駆使したポウは、また同時に美と幽玄をうたう象徴詩人であり、神秘と超自然を愛する非合理主義者でもあった。そのような相反する二つのものが、この一人の作家のなかで、どのように融合し、一体化されているか、そのメカニズムを明らかにすることが、近代詩と近代文学の解明につながるのではないかと思って、卒論のテーマにした。

 しかし、ポウを始めとして、世紀末の芸術至上主義者たちの文学は、純粋で、洗練され、強烈な美的印象を与えるだけに、長らくそれに接していると、かえってある種の息苦しさと空しさを感じさせる。やがて、もっと広い社会や人生を描いたレアリズムの文学に、心惹かれるようになっていった。

 そのような変化をもたらしたもう一つのきっかけは、教えをうけた英文学者の工藤好美教授との出会いであった。先生の名著「文学論」(朝日新聞社刊)から学んだことは、文学を本当に理解するには、それを歴史社会のなかに置いて見なければならないということ、そして文学には叙事詩や叙情詩という類型のほかに、古典主義や浪漫主義という様式があり、一定の類型が一定の様式と結びつくということであった。それは土居光知の文芸学やヘーゲル美学の世界でもあった。このような壮大な世界を知った後では、もはや世紀末の狭い世界に閉じこもっていることは出来なかった。

 しかし、文学を歴史や時代のなかで捉えなければならないと知ることは、文学を生みだす作家やまた文学の鑑賞や研究に携わる者も、歴史や時代から超越することは出来ないと知ることであった。そして、このような認識は直接自分の生き方に返ってきた。これまで、世紀末芸術家たちを師と仰ぎ、自己の自由と純粋さを守るため時代から孤立してきた自分の生き方は、結局、時代がそうさせたのではなかったか。自己の責任で選んだはずの道は、人間形成期に敗戦という歴史的事件を経験したものの必然的に選ばされた道ではなかったか。このような反省が、若者の誇りを傷つけるのは当然である。私は傷つけられた誇りをもって、現実の社会へ降り立ち、そこで時代と歴史を直視しなければならなかった。

 おりしも、私は大学を出て教師の道を歩み始めていた。そこでは、戦後の教育改革の嵐が吹き荒れていた。私は芸術至上主義文学はおろか、レアリズム文学からさえも次第に遠ざかっていく自分を発見した。その頃、岩波書店から出ている月刊誌「文学」に「生活記録と文学」という論文を寄稿したが、これは虚構の上に成りたつ文学より、むしろ事実に基づく記録の方に、すでに私の興味が移っていたことを示している。
 だが、このように想像の世界から自意識を経て事実の世界へという、私がこれまで辿って来た興味の方向、一言でいうならば「文学的なもの」から「歴史的なもの」へという変化の方向が、果たして人間精神の発展を意味するのか、それとも感受性の枯渇を意味するのかは、今の私にはわからない。
  

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