「生徒指導におけるコンピュータ利用について」
        ー伊藤靖幸氏へ反論するー                   安藤邦男 

           「生徒指導」 第18巻 第4号 学事出版 1988年(昭和63年)3月号

【筆者注】  学事出版の月刊誌「生徒指導」に,前記論文「コンピュ−タを導入しての生徒指導」に対する批判論文が載った。それは、教育とくに生徒指導の現場にはコンピュ−タを導入すべきでない,何故なら管理教育に利用され,人権侵害が起るから,というものであった。筆者は、これに反論して,プライバシ−などの人権侵害は人間が起こすもので,大事なことはコンピュータ利用の目的や意図を明確にした上で,大いに利用すべきであると強調した。


はじめに

 本誌一二月号に掲載の伊藤靖幸氏の「学校におけるコンピュータ利用と人権保障」という論文を、興味深く読ませてもらった。伊藤氏によれば、学校におけるコンピュータ等の導入は、近年ますます盛んになっているが、その反面、個人情報保護への関心は薄く、したがってこの際、教育的見地だけでなく人権保障の面からも、問題点を検討しておく必要があるという。

 この点については、私もまったく異論はない。ただ、氏と違うと思われる点は、氏が指摘するように、私は「コンピュータの積極導入」派に属するのに、氏はむしろ逆の立場にあって、学校現場のコンピュー夕熱を冷ますことに関心があるらしいという点である。そのせいか、氏の論文のうち「生徒指導とコンピュータ」の箇所で取り上げられている記事、特に昭和高校およびその関係者に関する記事については、偏見と曲解に基づく誹謗中傷まがいのものが目立つ。それらの点については、以前昭和高校にあって実践研究に従事したものとして、ぜひ反論を加えておきたい。あわせて、生徒指導におけるコンピュータ利用の正しいあり方についても、一言しておきたいというのが、あえてこの小論を綴る意図である。

昭和高校のコンピュータ利用は「管理主義教育」とは関係がない

 さて、具体的に問題点を指摘しよう。伊藤氏は私の研究報告「コンピュータを利用しての生徒指導」([月刊高校教育』八一年五月号)を取りあげ、「論文の内容は、たんに生徒へのアンケート調査の結果をコンピュータを利用して因子分析してみたというだけのことであり、因子の解釈や、やたらと『反復練習』の重要性を強調する結論部分は恣意的と言わざるを得ないが、コンピュータの利用方法自体としては、とりたてて問題があるとは言えない」と言う。

 まず第一の疑問は、七年も前に書いたいわば試論にすぎないこの実践研究がなぜ、いま、問題にされなければならないのかという点である。それがこの種の実践研究を代表するほど、優れたものであるというのか。そうではあるまい。それは、内容に関して「恣意的」の一語で片付けられているのを見ても、明らかである。伊藤氏はただ、「管理主義教育」と結びついていると言われるコンピュータ導入校の実例が欲しかっただけである。当時、愛知県における「管理主義教育」批判がマスコミを賑わし、その中で昭和高校におけるコンピュータ利用についてもさまざまの論議があった。これがたまたま伊藤氏の目に触れ、コンピュータ批判の格好の材料とされたのであろう。

 私は少なくとも一校の実践研究の批判は、その報告を謙虚に読み、その意図にそって忠実に行わなければならないと考えている。しかし伊藤氏には、そのような気持ちは、最初からなかったであろう。そのことは、生徒の実態を因子分析するのが目的と断ってある小論を、わざわざ「因子分析しただけ」と述べているのを見でもわかる、おそらく、氏の期待はその中に「管理主義教育」の何らかの証拠を見つけ出すことであった。だが、生徒の学習意欲を喚起するために取り組んだ生徒指導の実践記録に、そのようなものがあるはずはない。さすがの伊藤氏も、「コンピュータの利用方法自体としては、とりたてて問題があるとは言えない」と認めざるを得なかったのである。

 しかしそれにもかかわらず、伊藤氏はさらに次のように続ける、「しかしながら、この論文がとりわけ生徒指導領域でのコンピュータ利用について、何の問題点も感じていないことは指摘されておかねばならない。それどころか、(中略)さらに『結果が悪用されるということは、教育の場では起こり得ないのである』という、あまりにも楽天的な見解を述べている」。

 ここで伊藤氏が持ち出したのが、昭和高校の別の研究報告「生徒指導にも生かすデータ分析」([学習コンピュータ』八一年一二月号)からの「結果が悪用されるということは、教育の場では起こり得ない」という言葉尻であったとは、これはもう言いがかり以外の何ものでもないであろう、だいたい、生み出された結果はよいが、その背後にある「楽天的な見解」が悪いというのは、立派な思想差別であることに、人権を云々する伊藤氏が気づかぬはずはないのである。しかも、その「楽天的見解」なるものも、およそ私達の意図しなかった方向にねじまげられたものである。

 紙面の都合で、問題の言葉を含む文脈を紹介する余裕はないが、私達がそこで言いたかったことは、昭和高校ではアンケート調査によるプライバシーの侵害など、事実としても可能性としても絶対にない、ということであった。伊藤氏はそれを文脈から切り離して一般化し、「教育界は善意のかたまりだから、プライバシーや人権の侵害はあり得ない」という意味に拡大・歪曲することによって、典型的な「楽天主義」の見解に仕立てあげるのである。

 さて、そうしておいてから伊藤氏は次に、教育界の体罰や人権侵害の実例を挙げ、私達の楽天主義がいかに事実に基づかないものであるかを、印象づけようとする、だが、ここにも問題がある。氏の挙げる実例は、愛知県での指紋押捺の事件にしても、生徒のブラックリストの市教委への報告の事件にしても、なぜか直接コンピュータとは関係がないものばかりである、そのような例を並べた後で、氏は「警察や市教委が得た情報をコンピュータにインプットしていたとすれば、さらに問題が多い」というように、仮定の上に成り立つ問題点を指摘する。このような記述の仕方は、事実を客観的に受けとめ、その対策を冷静に考えようとする態度からではなく、いたずらに危機感を煽って世論を一定の方向へ導こうとするアジテーターの態度から生まれると言えるのではないか。

 さらに伊藤氏は、城九章夫氏の『管理主義教育』(新日本新書)を援用しながら、コンピュータは「一般に事務管理のためにたいへん便利な道具である。それゆえに『管理主義教育』とコンピュータは容易に結びつく危険性が高い」と述べる。しかし、城丸氏が「管理主義」というとき、そこには「取り締まり主義的管理主義」と「事務主義的管理主義」との区別がある。伊藤氏自身もコンピュータが結びつくのは前者ではなく、後者であると書いているではないか。にもかかわらず、氏は「取り締まり主義的管理主義」に一言及しながら、それが「管理主義」全体に及ぶかの錯覚を与えようとする。巧みな用語のすり替えである。

 最後に、「少数の例を一般化するのは慎むべきであるが、管理主義に熱心な愛知県の校長がコンピュータの導入にたいへん積極的であったことはたんなる偶然ではあるまい」と締めくくる。ここにおいて、伊藤氏の意図は歴然としてくる。氏が「小数の例を一般化」してまでも主張したいことは、「コンピュータ導入に熱心な」ものは「管理主義教育に熱心な」ものであるという、まことに「懇意的」な結論である。

 断っておくが、このように伊藤氏のやり口を真似し、揚げ足取りをするのは、無論私の本意ではない。ただ、氏のようにあまりにも感情的な、そしてあまりにも後ろ向きな問題提起の仕方では、コンピュータ導入が急速に進んでいる現在、事態の積極的解決を図ることは不可能だと思うのである。いたずらに、偏見やそれのもたらす幻影に脅えることなく、問題を客観的に眺め、正しい対処の方法を発見しようとするのが、今一番必要なことではないだろうか。

生徒指導は正確な実態把握から

 ここで「コンピュータを利用しての生徒指導」(『月刊高校教育』八一年五月号)について触れておきたい。この研究発表が少なからず注目を浴びたのは、一つには編集者のすすめもあって名づけたその題名にもよるであろう。生徒指導という数量化の困難な領域に、あえてコンピュータで挑戦するという題名の与える印象が、賛否両論を引き起こしたようである。正しい題名をつけるならば、「因子分析による生徒の学習と生活の実態解明と、それに対する生徒指導の方法」とでも言うべきであろう。研究の目的は、生徒の行動や意識の背後にあってそれらのものを規定する要因を探り、それを生徒指導の参考にすることであった。

 「因子分析」とは、多変量解析による統計処理方法の一つであって、近年コンピュータの普及とともにさまざまなアンケート調査等にも使われるようになっている。従来のような、選択肢のパーセントによって各質間項目の傾向を知るのが目的ではなく、お互いに相関の高い質問項目のグループを因子として抽出し、それを解釈し、分析しようというのである。したがって、たとえば生活態度、学習態度、価値観など幅広い領域にわたる質問項目を持つアンケートから抽出された因子を吟味するならば、それぞれ学習習慣や生活習慣や意識の中にある相互の関連が明らかになり、これまで経験や勘にたよってなされてきた実態把握が、かなりの客観性をもつことができるようになるのである。

 さて、因子分析の結果、明らかにされたいくつかの実態を参考のため示しておこう。
・生活態度と学習態度とは、低学年では未分化で、一体となっているが、高学年になるにつれて、分離しそれぞれの態度として確立する。
・一年生男子では、積極的に学校行事や清掃に取り組む者の方が、授業の理解度が高い。
・女子は学年が進むにつれて、がり勉志向型と家庭生活志向型の二つに分かれる傾向がある。
・英語の好きな者が、もっとも良い学習態度を示す。

 これらのことは、だいたい私達の日常観察の結果と一致したが、なかには予想外の因子もあった。たとえば、
・学校生活に満足する者は、三年生は授業に満足する者だが、一年生は挨拶のできる者である。
・家庭を楽しく思う者の方が、友人の数が少ない。

 このような、やや意表をつく分析結果をどう解釈するかで、論議が沸騰した。生徒指導が正しい生徒理解の上になされなければならないということは、いつの時代にも真理であろう。しかし、多様化した、新人類と呼ばれる今日の若者達は、従来の感覚や価値基準からは律しきれないものを持っている。なんとかして彼らの意識と行動の実態に近づくことができないかというのが、多変量解析による実態分析を始めた意図であった。こうして、私達は、出された結果をさまざまな角度から分析し、討議し、そして生徒の学習意欲の向上に役立てる道を模索したのである。このような方向が、コンピュータの普及とともに今後ますます進められることを、私達は期待している。

おわりに

 生徒指導領域へのコンピュータ導入といっても、さまざまな方法がある。市販されている性格・心理・行動等の検査・診断等をはじめ、校内独自の意識調査や実態調査の集計から多変量解析に至るまで、多種多様である。これらのものを利用する場合には、生徒の個人情報が外部へ漏洩することを防止するために細心の注意を払わなければならないのは、言うまでもない。あるいはまた調査や統計処理がいかに便利になったとはいえ、やたらと実施すべきものではないのも当然である。ただ必要と判断された場合には、校内の合意を得たうえで、プライバシーや人権の保護をチェックしながら、実施に踏み切るべきである。問題が多いというだけで敬遠するのは、今日のこの情報化社会を生きる教師の取るべき態度ではないであろう。(愛知県立旭丘高校教頭)

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