【参考】

下記の論文について、朝日新聞から取材をうけ、その内容が平成19年10月8日(月)の朝日新聞朝刊「疑問解決モンジロー」に掲載されました。

そのとき記者に渡したレジメは、下記論文の要旨に若干触れるところがありますので、論文の予備知識として読んでいただければ有り難いです。

朝日新聞・取材記事のためのレジメ



「カタカナ英語と英語教育(1)」                     安藤邦男

                  名経大・市邨学園人文科学論集60号 1997年(平成9年)7月


はじめに

この論文の主旨  ー外来語を外国語として復活させ,発信の道具として使うためにー

 外来語は外国文化とともに輸入された借用語である。本来は外国語であったものが,その国の音韻体系に影響され,国語として同化・吸収されたものである。もともと外来語は外国語であり,外国文化を輸入する役を担っていた。それが外来語となるや,もっぱら国語圏の中でのみ意思伝達の役割を果たすようになった。しかし,今や国際化の時代をむかえ,文化は輸入するものだけではなくなり,輸出すべきものともなってきた。コミュニケーションは一国にとどまるべきでなく,国境を越えなければならない。国語辞典の1割を越えつつあるといわれる外来語を,生きた意思伝達の道具として使わないのは,文化財の死蔵に等しい。かつて海を渡って欧米文化を輸入したその海外伝達の役割を,今は形骸化して国語辞典に日本語として定着している外来語に,ふたたび担わせようというのである。それは外来語に,外国語としての復権を授けることである。

 外国語から外来語がつくられた。今度は外来語から外国語をつくるという発想に立って外来語問題を考える。英語教育の一つの新しい道がそこに見えてくるのではないか。受信から発信の英語へ,というのがこの論文の主旨である。

カタカナ英語の氾濫

 最近の日本におけるカタカナ語熱は,まことにすさまじいの一語につきる。新聞,雑誌,テレビなどのマスコミで使われる言葉はもちろん,デパートやブティックなどのおびただしい商品名,街頭に見られる看板や表示の文字,職場や家庭でかわされる話し言葉の中にさえ,外来語は入り乱れている。事実,誰にとっても耳慣れない,新しいカタカナ語の一つ二つに出くわさない日は,一日もないといってよい。

 このような外来語の氾濫現象に対しては,一般国民はどのように考えているか。最近ある新聞が読者の声としてカタカナ語問題を特集したが,その発言内容に見られる論点は外来語が今日抱えている問題のほとんどを網羅しているので,まずそれから取り上げてみよう。
*1

 読者の論点を整理すると,まず第1に外来語が氾濫する条件として,次の三つが指摘されている。
 @外的条件として国際化とコミュニケーションの発達,
 A言語的条件として漢字の難しさ(漢字制限問題を含む)と英語教育の普及,
 B心理的条件として欧米文化の崇拝と自国文化への蔑視である。

 Bの条件は決して望ましいものではなく,われわれの心がけ次第では防げるし,防がなければならないとする意見が多かったが,しかし@とAは今後もますます比重を増す条件であり,積極的に受け入れていかなければならないとする意見が大勢を占めた。

 第2に,外来語の氾濫のもつ問題点とその対応策についてであるが,大きくは二つに分かれるように思われる。

 一つは,外来語の持つ意味伝達における障害あるいは困難性である。これには,
 (ア)新聞・テレビ・官庁などの公共機関が送り手として国民に外来語を提供する場合と,
 (イ)個人として外来語に接したり,外来語を使ったりする場合とに分かれる。

 (ア)の場合は,出来るだけ過剰な外来語の使用を避けるとともに,やむを得ないときは解説や説明を付けるべきであるとする意見がほとんどである。(イ)の場合は,外来語の使用に際しては独りよがりではなく,相手への思いやりの気持ちをもつべきであるとする一方,国際化の時代である以上は個人として外来語や外国語学習の努力を怠ってはならないとする意見も多く見うけられる。

 もう一つは,国語の乱れについてである。これには
 (ア)外来語の必要以上の乱用は,漢字とひらがなの調和のとれた日本語体系を破壊するという意見と,
 (イ)外来語の表記の不統一や和製外来語の跋扈を何とかならないかという苦言とがある。いずれにしても,外来語とは外国語が国語化されたものである以上は,国語の範疇に入り,国語の枠組みの中でそのあり方を考えるべきであるというのである。これは,後述する国語審議会の考え方と軌を一にしている。

 ところで,この新聞の読者の声からも推測がつくように,カタカナ語に対する忌避,反感,排斥などの全面的反対は姿を消し,カタカナ語使用反対論の中にはせいぜいその乱用を戒める自重論が目立つ程度である。今や外来語は,カタカナ語として漢語とひらがな語の中にすっかり定着しているといって過言ではない。

 それを証拠立てる一つの興味ある投書があったので,紹介したい。それは市職員(61歳)の文章であるが,その中で彼は必要以上のカタカナ語の使用に反対し,「センスがあるとか,カッコいいとかいう理由で,日本語でよいのに,やたらカタカナ語を使うのは,どうかと思う」と述べている。ところで,ここで「センスがある」とか,「カッコいい」とか思っているのは,市職員が批判している外来語使用者なのだろうか。それとも投稿者である市職員自身なのだろうか。一見,いずれとも決めかねる表現である。しかし,引用のカッコがない以上は,投稿者自身の言葉と解するのが自然であろう。そうだとすれば,投稿者は,カタカナ語使用批判の論陣を張る言葉に,こともあろうにカタカナ語を使うという矛盾を無意識に犯してしまったのだ。この「語るに落ちた」カタカナ語の使用に,いかにカタカナ語が日本語の中に定着しているかということの,見事な見本がある。

今までの英語教育

 さて,カタカナ英語を氾濫させている条件の一つである英語教育についてであるが,これは近年ますます充実し,中学・高校・大学のカリキュラムの中では最も重要な科目の一つとして学ばれているだけでなく,最近は小学校での英語学習がいよいよ実現の運びになりつつある。
*2. しかも,英語学習熱は学校教育の現場だけではない。学校を終えて会社員や主婦となった後も,乱立する英会話学校へ通いながら英語の勉強を怠らない人の数が増えつつある。

 ところが,日本にやってくる外国人が不思議に思うことの一つは,日本におけるカタカナ英語の氾濫や英語教育の隆盛と,日本人の実際の英語の運用能力の低さとの間に横たわるギャップの大きさであるという。一体なぜ,そのようなことが起きたのか。

 しかし,われわれ日本人にはその理由がよく分かる。病根は明治以来の長い文化の伝統に由来するのである。明治政府のとった教育政策は,何はさておきヨーロッパの文化・技術を輸入し,自国の文化水準を欧米並に高めることであった。文化は高いところから低いところへ流れるというが,明治期の日本はまさに文化の低いところであり,欧米の文化はとうとうと日本へ流入した。文化の発信地は欧米で,日本は受信地であった。そして,文化を輸入するためには,言葉の障壁を取り除かなければならず,そのための急務として語学教育の振興が叫ばれた。

 日本の語学教育は,欧米文化・技術の輸入という大目的達成のために始まり,そのための手段として教育課程が編成された。明治に始まったこの方針は,大正から昭和を通じ終戦まで,そしてその後も一貫して続けられてきた。文化・技術の輸入である以上は,欧米の原典をいかに緻密に読み,いかに正確に翻訳するかが,語学教育のすべてであるといってもよかった。学校で学ぶ英語は使うための英語ではなく,読むための英語であり,授業の大半は,まるで古典語読解か暗号解読のように,英語の難解語句をいかに解釈するかに費やされたのである。だからテキストが正しく訳されれば英語学習の目的の大半が終わったと考えられ,英語を使って自分の思想や感情を伝達すること,つまり日本の文化を欧米に向けて発信するための語学教育という発想は,そもそも念頭になかったのである。

これからの発信型英語教育

 そしてこのような輸入型の英語教育はそれなりに成功した。というのは明治以来日本人は,欧米の科学・技術・思想・文学などを言葉の壁を乗り越え輸入・吸収し,日本の古来の文化に合体させ,新しい文化を作り上げたからである。それは,語学力の高さがなければとうてい出来ない相談である。文化の輸入に関する限り,日本の語学教育はその目的を達成しているといえる。

 そしてその結果,国語の中に今日の夥しいカタカナ英語の累積があるというわけである。それはただ一時の流行によるものではなく,戦前戦後を通じた長い文化政策と英語教育制度のもたらした結果である。

 しかし,時代は大きく変わっている。確かに,輸入型の英語教育は,遅れて出発した日本の近代化のもたらす必然的過程であり,それはそれで歴史的意味があったといえる。しかし今や日本は経済的には最大の輸出大国になった。さまざまの商品が世界に売られているし,それとともに日本の技術や文化も世界に向けて送り出されている。物だけではない。膨大な数の海外渡航者が商用や観光目的で海外に出かけているこの頃である。従来の受信型一本槍の英語教育に代わって,新たに発信型英語教育という観点が浮上してきたのは当然である。英語教育は今や再び改革期を迎えようとしている。それとともに,カタカナ英語も再び検討の対象にしなければならないであろう。

発信の手段としてのカタカナ英語

 言語はコミュニケーションの媒介手段であるが,今日の国際化時代においては,その活動の場は単に国内だけではない。その意味においては,外来語問題も国境や言語の壁を越えたコミュニケーションという視座から,新たに考え直す必要があるであろう。外来語とは,いうなれば外国の思想・文化・技術をその中に包み込んだ器であり,われわれは器とともにその中身を取り入れたのであるが,中身の文化や技術が日本文化に根付くと同時に,その器である外国語も新しい外来語として国語体系の中に定着した。外国文化の運び手であった外国語は,外来語となるに及んでその運び手としての役割を喪失し,いわば用済みの残骸として日本語圏の中でその余生を送っている。しかし,余生といってもこの舶来語は,舶来のブランド商品が日本の伝統的民芸品の一部を駆逐したように,在来の漢語や和語を凌ぐ勢いである。この勢いがあるなら,意思伝達における国内輸送にのみ安住させておくのはもったいない。いうなれば,海を渡ってきたこの帰化人に,文化の運び手としてもう一度海を渡ってもらえないだろうかというわけである。つまり,輸入語をカタカナ英語として日本語の中に語彙化すれば終わりというのではなく,さらにそれに自国の文化・技術を外国に輸出するための生きた器としての役割を担わせることが出来ないかということである。そのために,カタカナ英語はいかにあらなければならないか,という視点が必要であると思われる。

 このように考えれば,外来語の問題は,いかにして国語の純粋性を保つべきかというような,小さなそして保守的な観点からではなく,いかにしたら異文化間の意思を相互伝達できるかという,国際的なコミュニケーションの観点から検討しなければならないことになるであろう。


1.氾濫する外来語の表記の不統一

(1)表記の不統一をもたらすもの

外来語の氾濫と表記の乱れ


 昔から,国語を乱すものは若者言葉と外来語だとよくいわれるが,若者言葉はさておき,外来語はたしかに国語を乱す元凶と考えられるほどの氾濫ぶりである。しかしその氾濫という場合,そこに二つの側面があるということは,先に見た新聞の読者の意見が指摘するとおりである。一つはあまりにも外来語が使われすぎてコミュニケーションの障害になっているということと,もう一つは外来語の表記が甚だしく乱れ,これもやはり意志疎通上の問題を生じているということである。

 一般に外来語の氾濫という場合,第1の側面の方が大きく取り上げられているようであるが,実は第2の側面である表記がほとんど無政府状態と言ってよいほどバラバラであることの事実が外来語問題の核心ではないかと思われる。なぜなら,外来語が多すぎることから来る伝達の障害は,注や解説を付けるということで大体は解決されるであろうが,後者の表記の乱れは外国語をいかに国語化させるかという,借用語が本来持っている表記上の大きな問題であり,一朝一夕にして解決できる問題ではないからである。

 むろん本論は,外来語を国語としていかに表記するかの問題を論じるものではない。前述のように,外来語にいかにして外国語としての機能を回復させ,外国語としての意思伝達の可能性を取り戻させるかという,新しい視点から外来語表記の問題を考えてみたいのである。そのために,筆者はまず従来の外来語表記の乱れを概観し,次にそれに対する国語審議会の「表記の原則」を検討し,最後に発信に耐え得るカタカナ語の新しい表記の方法を探って見たい。

外国語と外来語との間の音のズレ

 外来語の氾濫から来る伝達面での障害は,むろんその対策が講じられなければならないが,今や外来語の多用そのものを阻止することは出来ない。ただ問題になるのは,外来語の表記の乱れをいかに考えるかということである。そもそも乱れを正した方がいいのかどうかという発問自体も問題である。放置して使用者の自由に任せた方が得策な場合もあり得るからだ。また,正した方がよいとすればどのように正すべきであるのかは,さらに大きな問題である。このような問題に対しては,最初に触れたように,発信の視点からこの外来語問題を考えるか考えないかで,別の答えが出てくる。

 一般に言語を借用する場合,音韻体系が違う言語を自国語の音韻体系で代用するのであるから,そこには当然一定のズレが生じる。表記に際してこのズレをなるべく小さくしようとするかしないかで,その結果もまた大きく違ってくる。creditを「クレディット」と書かずに「クレジット」と書けば,原音からのズレは大きくなる。大ざっぱにいえば,従来そこには二つの立場があった。ズレを無視して自国語の音韻体系に忠実になろうとする伝統主義と,ズレを小さくしようとする原音尊重主義とである。両者が相譲らないことから,「表記の不統一」という大きな問題が派生することになる。

伝統主義か原音主義かによる表記の「ゆれ」

      [筆者注] 半角カナ文字は使用を避けるため、以下カタカナはすべて倍角文字とした。

 外来語の表記において原語の発音に即した表記を採るか,それとも国語化した平易な表記を採るかについては,すでに昭和29年の国語審議会においてかなり論議が繰り返された問題であった。しかしその時の多数意見は,後者の平易な表記を採るというものであり,「表記の原則」もそのようになった。例えば,
ヴィタミンビタミンと,ティームチームと,シェパードセパードと書くのが望ましいとした。しかし平成3年の国語審議会の表記の原則では,それぞれヴィタミン,ティーム,シェパードと書くことを勧めている。*3. このことは,それだけ世間一般の表記法が原音尊重に近づいたことを示すものである。

 例えば,国語辞典や外来語辞典では伝統的なチケット,バイオリン,プリンなどが優勢であるが,最近はより原音に忠実なティケット,ヴァイオリン,プディングなども辞典には登場している。少しずつではあるが,平易な表記から原音に近い表記に変わりつつあるように思われる。

 いずれにしても,表記に「ゆれ」のある外来語は多い。国語審議会の報告から引用すれば,例えば次のようなものがある。*4. それぞれ前者が伝統主義的表記であり,後者が原音主義的表記である。

 
ネックレースとネックレス,  アッピールとアピール,  ネガチブとネガティブ,  アコーデオンとアコーディオン,  セロハンとセロファン,  セパードとシェパード,  スムースとスムーズ,  スイングとスウィング,  グローブとグラブ等。

原音尊重主義のもたらす表記の不統一

 それならば,伝統(慣用)尊重主義か原音尊重主義かのいずれかの立場に徹すれば表記の不統一の問題は生じないのか,といえば必ずしもそうではない。保守的な伝統主義者といえども,押し寄せる外来語の音のヴァリエーションには抗しきれず,原音に近い音の表記を考えざるを得ない。それは,伝統主義者の多い国語審議会の昭和29年の原則と平成3年の原則との二つを見比べてみても,明らかである。これについては後述する。

 また,原音尊重主義者も,原音に忠実になろうとすればするほどかえって表記の不統一が生じるものである。昔から引用される斉藤緑雨の川柳に「
ギョーテとは俺のことかとゲーテ言い」があるが,これは当時の学者や翻訳家が「ゲーテ」をさまざまに表記した事実を皮肉ったものである。ちなみに,「ゲーテ」の表記は,「ゴエテ」,「ギューテ」,「ギェーテ」,「ギョート」,「ギョーツ」・・・など,29通りあったという。*5.  これなどはGoethe における[φ]の音が日本語にないがために,それをいかに表記するかで悪戦苦闘した痕跡を示すものである。その他に,例えば「ビールス」の表記も,ラテン語,ドイツ語,英語が入り乱れ,さまざまである。「ビールス」「ビルス」「ヴィールス」「ヴィルス」「ウィールス」「ウィルス」「ウイルス」「ワイラス」「ヴァイラス」「バイラス」などの書き方がある。*6.  何とかして原音に近づけようとする翻訳者の苦心は多としたいが,しかしいかに努力しても,というより努力すればするほど,表記にバラつきが出るということは,原音が日本語の表記の音といかに遠いかを示すと同時に,翻訳者の習得した発音が個人ごとにいかに異なっているかも示している。それほど原音に忠実な表記は難しいのである。

綴り字尊重主義のもたらす表記の不統一

 一般に古く入った外来語は,耳で聞いたままを記録するという方法が取られたために,
プリン(pudding),ロース(roast),メリケン(American)などの例のように,綴り字の一部が欠落することがよく生じた。しかし,英語教育が進むにつれて,外来語の表記は次第に綴り字重視に傾いていった。それはある意味では望ましい変化であったが,ある意味では問題を残すことになった。後述するように,語尾の子音を忠実に外来語表記しようとすると,開音節しかない日本語では必ず語尾に母音が加わり,省略するよりさらに判りにくい音が再現されるからである。口頭伝達という点からは,綴り字に忠実な英語よりも,むしろ耳から聞き取った訛った英語の方がすぐれているとさえいえる。

 Hepburnという名前は,明治時代には
「ヘボン」と表記され,昭和時代には「ヘップバーン」と表記されている。*7. ヘボンヘップバーンとが同じ苗字 Hepburnであることは,綴りを見るまでは分からない。Hepburnの [p] 音を [pu] と開音化して発音する日本語の習慣が [p] 音を「呑み込む」という発音法のさまたげとなっている,と指摘する学者もいる。+8. いずれにしても,この例はカタカナ表記を耳で聞いたとおりの原音で書くか,発音を無視して綴りをローマ字式に読んで表記したかの違いである。そして前者の方が原音に近いのはいうまでもない。この例のように,発音を無視して綴り字をそのまま書くことから生じる表記の不統一も多い。

(2)表記の不統一の具体例

 次に,表記の不統一の例を分類して挙げる。

(a) 同じ原音に異なった表記をあてる。

@ [k] は現在は 「ク」 と表記するが,昔は 「キ」 とした。*9.
 ・「ク」とするもの: メイク(make),パーク(park),クラーク(clerk),ウイーク(week),ユニーク(unique),ハイク(hike),スパイク(spike)
 ・「キ」とするもの: エキストラ(extra),エキサイト(excite),ケーキ(cake),ステーキ(steak),ステッキ(stick),デッキ(deck),ブレーキ(brake)


A [t] は原則として 「ト」 と表記するが,「ツ」 もある。
 ・「ト」と表記するもの: トラクター(tractor),トラブル(trouble),トリオ(trio),トランジスター(transistor),スカート(skirt),デザート(dessert)
 ・「ツ」と表記するもの*10.: ツリー(tree),ツーピース(two piece),フルーツ(fruit),スーツ(suit),ブーツ(boot),スポーツ(sport),シャツ(shirt)
B [d] は原則として 「ド」 と表記するが,「ズ」 もある。
 ・「ド」と表記するもの: ドライブ(drive),ドラマ(drama),ドライ・フラワー(dry flower),ドラゴンズ(Dragons),ドラッグストア(drugstore)
 ・「ズ」と表記するもの: ズロース(drawers)
C [ti] は 「チ」,「ティ」,「テ」 の三通りの表記がある。*11.
 ・「チ」と表記するもの: チップ(tip),チーク(teak),スチール(still)
 ・「ティ」 と 「チ」 の両方に表記するもの: チンパニー(ティンパニー)(timpani),チケット(ティケット)(ticket),ティーム(チーム)(team)
 ・「ティ」 と表記するもの: ティー(tea),ティー(tee),ティーシャツ(T-shirt),ティーン エージャー(teen-ager)
 ・「テ」と表記するもの: サテン(satin),ラテン(Latin)
D [tu] は 「トゥ」 と 「ツ」 の両方の表記がある。
 ・トゥー(ツー)(two),トゥール(ツール)(tool),ツアー(トゥアー)(tour)
E [di] は 「ディ」,「デ」,「ジ」 の三通りの表記がある。
 ・「ディ」と表記するもの: オーディオ(audio),ディスカッション(discussion),ディスク(disk),ディナー(dinner),ディレクター(director)
 ・「ジ」と表記するもの: クレジット(credit),サージン(sardine),スタジアム(stadium),スタジオ(studio),ラジオ(radio),ラジカル(radical)
 ・「ディ」 と 「ジ」の両方に表記するもの: エジンバラ(エディンバラ)(Edinburgh), ディレンマ(ジレンマ)(dilemma)
 ・「ディ」と「デ」の両方に表記するもの: アコーディオン(アコーデオン)(accordion),ビルディング(ビルデング)
F shell における 「she」 は 「シェ」 と表記するが,一部には「セ」の表記もある。
 ・「シェ」と表記するもの: シェード(shade),シェーカー(shaker),シェーバー(shaver)
 ・「セ」と「シェ」の両方に表記するもの: セパード(シェパード)(shepherd)
 ・「セ」と表記するもの:: ミルクセーキ(milk shake)
G jelly における [je] は原則として「ジェ」と表記するが,「ゼ」という表記もある。
 ・「ジェ」と表記するもの: ジェット(jet),ジェンダー(gender),ジェンナー(Jenner),ダイジェスト(digest)
 ・「ジェ」と「ゼ」の両方に表記するもの: エンジェル(エンゼル)(angel),ジェスチャー(ゼスチャー(gesture),ジェネラル(ゼネラル)(general)
 ・「ゼ」と表記するもの: ゼネスト(general strike),ミゼット(midget)
H [fa]〜[fo] 行はだいたい 「ファ」〜「フォ」 行で表記するが,一部 「ハ」〜「ホ」 行で代用するものもある。
 ・「ファ」〜「フォ」行で表記するもの: ファイン・プレー(fine play),フェミニズム(feminism),ファクター(factor),フィーバー(fever),フィールド(field)
 ・「ハ」行で表記するもの: コーヒー(coffee),プラットホーム(platform),マイクロホン(microphone)
 ・「ファ」行と「ハ」行の両方で表記するもの: ハンブル(ファンブル)(fumble),ヒレ(フィレ)(filet),ヒューズ(フューズ)(fuse)
I [va]〜[vo] 行は原則的には 「バ」〜「ボ」 行で表記するが,一部 「ヴァ」〜「ヴォ」 行で代用するものもある。
 ・「バ」行で表記するもの: キャンバス(canvas),バイオリン(violin),ビクター(victor),ビザ(visa),ビジョン(vision),ビデオ(video),ベール(veil)
 ・両方の表記があるもの(固有名詞に多い): ヴァージニア(バージニア)(Virginia),ヴェニス(ベニス)(Venice),ヴァンクーヴァー(バンクーバー)(Vancouver)
J [kæ] は原則として 「キャ」 と表記されるが,次のような例外もある。
 ・アクセントのない [ka] [ca] を「キャ」と発音し,表記する: キャリア(career),キャパシティー(capacity),キャタストロフィー(catastrophe)
 ・アクセントのある [ka] [ca] を 「カ」 と表記する: カナダ(Canada),カメラ(キャメラ)(camera)
K [ei]は原則として 「エー」 と表記するが,一部 「エイ」,「エ」 の表記もある。
 ・「エー」と表記するもの: エージェント(agent),エース(ace),ケーキ(cake),ケース(case),ゲーム(game),セーフ(safe),テーブル(table),データ(data)
 ・「エイ」と表記するもの: エイズ(AIDS),エイト(eight),エイム(aim),エイリアン(alien),フェイント(feint),ペイント(paint)
  ・「エイ」と「エー」の両方に表記するもの: エイジ(エージ)(age),メイド(メード)(maid),メイン(メーン)(main, Main)
 ・「エ」と表記するもの:*12. レディー(lady),ベビー(baby),ステンレス(stainless),メジャー(major),メンテナンス(maintenance),エッチ(H)
L [ou] は原則として 「オー」 と表記するが,一部 「オウ」 「オ」 の表記もある。*13.
 ・「オー」と表記するもの: ポーカー(poker),ボート(boat),ソープ・オペラ(soap opera),オープン(open),オーケー(OK),オーシャン(ocean),オーナー(owner),オーバー(over)ほか多数。
 ・「オウ」と表記するもの:  ボウリング(bowling),ソウル・ミュージック(soul music),ポウ(Poe)
 ・「オ」と表記するもの:  オンリー(only),コルト拳銃(Colt),ポエム(poem),ソシアリズム(socialism)

(b) 綴り字の影響を受けて,原音とかなり違った読み方をする。

@ 二重母音(長母音)を短母音化して読む。
  ラジオ(radio [ei]),ラベル(label [ei]),ゼロ(zero [i:])
A 短母音を二重母音(長母音)化して読む。
  イメージ(image [i]),セパレーツ(separates [i]),ダメージ(damage [i]),プライベート(private [i]),メッセージ(message [i]),サーモン(salmon [æ]),セーター(sweater [e]),ページェント(pageant [æ])
B [e]を[i]と読み,[i] を [e] と読む。
  リクリエーション(recreation [e]),リファレンス(reference [e]),ヒロイン(heroine [e]),マネー(money [i]),ホッケー(hockey [i]),ハネー(honey [i])
C短母音かつ無強勢の [er], [ar] に強勢を置き,「アー」とのばして読む。*14.
  アナーキー(anarchy),インターバル(interval),パターン(pattern),ジェファーソ ン(Jefferson),フォワード(forward))
D 黙字を発音して,表記する。
  カップボード(cupboard),ヘップバーン(Hepburn),ボンバー(bomber)
E [mm] [nn]の重ね字を両方とも読む。
  シンナー(thinner),シンメトリー(symmetry),チャンネル(channel),トンネル(tunnel),ハンマー(hammer),ボンネット(bonnet),マンモス(mammoth)
Fその他
  セロ(cello)*15.

(c) 音声面での影響から訛り,訛ったまま表記する。

@ 音の同化現象によって訛ったもの *16.
  トロッコ(truck),ガラス(英<蘭 glas),コロッケ(英<仏 croquette),タラップ(蘭 trap ),ゴロ(grounder )
A耳から聞いて訛ったもの *17.
  ジルバ(jitterbug),プリン(pudding),メリケン(American),ヤール(yard),ロース(roast),パイラ(pilot),フラノ(flannnel),セメン(cement),コンクリ(concrete),ハンカチ(handkerchief),ペンチ(pincers),メンチ(mince)*18.
Bカナ表記の誤読から訛ったもの *19.
  フアンorフワン(fun),フイルム(film),フイリッピン(Philippines),フエルト(felt),マーク・トーエン(Mark Twain),ウオッカ(露 vodka) *20.
C清音・濁音・半濁音に関連する訛りあるいは誤記 *21.
  メタル(medal),ナフキン(napkin),ジャンバー(jumper) *22.,クローズアップ(close-up),スモークド・サーモン(smoked salmon),ルーズ(loose),スケート・リング(skate link),スムース(smooth),プロマイド(bromide),ニュース(news),ドッチ・ボール(dodge-ball),ブルドック(bulldog)
D以前は間違って表記されたが,最近は原音通り正しく表記されているもの
  テームズ(Thames<テムズ),ミズリー(Missouri<ミズーリ),アーカンザス(Arkansas<アーカンソー)

(d) 英語とカタカナ英語との間に,意味上1対1ではなく,1対2の対応関係をもつ。

@ 同じ英語を異なるカナ文字で表記し,異なる意味を持たせる。
  Hepburn(ヘボン,ヘップバーン),truck(トロッコ,トラック),strike(ストライキ,ストライク<球技>),iron(アイロン,ゴルフのアイアン)
A 同じカナ表記が異なる英語を意味する。
  チップ(心付け tip,<ポテト>チップス chip),ホーム(家庭 home,<プラット>ホ ーム platform),チーク(チーク材 teak,頬 cheek),ジュース(果汁類 juice,テニス のジュース deuce),ロック(錠 lock,岩 rock),オート(自動 auto,カラス麦 oat),トラック(競走路 track,貨物自動車 truck),メジャー(メジャー<リーグ>major,物差し measure), ポーズ(休止 pause,姿勢 pose),シート(座席 seat,<切手>シー ト sheet),エール(ビール ale,声援 yell,エール大学 Yale,アイルランド Eire)
(e) 動詞の語尾変化や名詞の複数形のSなどを落とす。*23.
  アイス・ティー(iced tea),コンデンス・ミルク(condensed milk),サラリー・マン(salaried man),フライ・パン(frying pan),ハッピー・エンド(happy ending),フォア・ボール(four balls),ストッキング(stockings),スリッパー(slippers)


2.国語審議会の外来語表記の原則

過去に行われた外来語表記統一への努力


 このような外来語の表記の不統一な状態に対して,その改善策を地道に検討してきた機関がある。時の文部大臣の諮問を受けた国語審議会は,外来語表記委員会を発足させ,昭和29年と平成3年と二度にわたって「外来語表記の原則」なるものをまとめて発表している。*24.

 昭和29年3月,外来語表記委員会が提出した「外来語の表記」の原則案は,国語審議会の総会においては異論が出て可決されるにはいたらなかったが,その趣旨はその後出された日本新聞協会の「外国の地名・人名の書き方」(昭和32年)や,文部省の「地名の呼び方と書き方(社会科手びき書)」(昭和33年)にも生かされ,教科書や新聞雑誌等を通して広く一般社会に普及し,戦後の外来語表記に大きな影響を及ぼしてきた。

 しかし,情報化と国際化が激しい勢いで進行するにつれ,外来語は増加の一途をたどり,「外来語の表記」の原則は必ずしも実状に適合しなくなった。新しい原則の樹立の必要性が痛感されるにいたり,国語審議会は昭和61年から5年間にわたる検討の末,平成3年2月新しく「外来語の表記の原則」を作成,これを答申した。

国語審議会の表記の原則に見る慣用尊重主義

 これら二度にわたって出された原則を見比べてみると,昭和29年の「原則」において見られた矛盾は,依然として平成3年の「原則」に持ち越されているといえるようである。

 昔から外国語の表記法については,二つの相反した考え方があった。@原語の発音・綴りをなるべく国語音化して書こうとする慣用尊重の考え方と,A原語の発音・綴りになるべく忠実に書き表そうとする原音尊重の考え方の対立である。昭和29年の「原則」ではその考え方は統一されないまま持ち越され,慣用尊重主義の立場に立ちながらも原音に近い新しい表記も認め,両案並記という形で妥協がはかられていた。

 平成3年の「原則」はどうかといえば,当時の新聞論調が示すように,慣用尊重主義からやや原音尊重主義に傾いてきたとはいえ,大筋ではやはり従来の慣用重視の方針が一貫して踏襲されているといえる。しかも,原音尊重に近づいただけ一層その矛盾が露呈されているともいえる。すなわち,一方では個々の表記について慣用の固定しているものはまずそれを認めようとし,もう一方では慣用の固定していないものについてなるべく原音を尊重しつつ表記しようとしている。これは矛盾以外の何ものでもない。慣用をそのままにして多様なカナ表記を認めれば,一層混迷の度を深めるに過ぎないからである。現在の外来語表記の混乱を正すには,間違った慣用を否定するもっと強力な対策が講じられなければならないのではないか,というのが「原則」を読んだ後の筆者の正直な感想である。

「外国語表記」の原則における問題点

 では,昭和29年の「表記の原則」(以下「S29」で示す)と平成3年の「表記の原則」(以下「H3」で示す)とを照らし合わせながら,問題点を列挙しつつ具体的に検討していきたい。

問題点1.「外来語表記に用いる仮名と符号の表」から「ヰ」「ヲ」「ヱ」「ヅ」「ヂ」などの旧カナが除外されている。
 まず,「外来語表記に用いる仮名と符号の表」についてであるが,「S29」においては,「外来語を書くときに用いるかなと符号の表」が別表として示されていたが,「H3」においても同じ表が掲げられている。ただ違う点は,「H3」ではその表が第1表と第2表に分かれていて,第1表は「一般的に用いる仮名」とし,第2表は「外来語や外国の地名・人名を原音や原つづりになるべく近く書き表そうとする場合に用いる仮名」としていることである。そして前回より多くの新しいカナを加えているが,その中には
イェ,クィ,クェ,クォ,ツィ,トゥ,ドゥ,テュ,フュ,ヴュの10個がある。また「S29」では一般の外来語の表記にはあまり使わないとしてカッコが付けられていた13個のカナ(キョ,ニャ,ニョ,ヒャ,ヒョ,ミャ,ミョ,リャ,リョ,ギョ,ツァ,ツェ,ツォ)について,そのカッコをはずし自由に使えるようにしている。使えるカナが増えたという意味では,確かに「H3」は一歩前進であった。原音に近いカナ表記が出来るようになったからである。

 しかし,例えば,
「スィ,ズィ,グィ,グェ,グォ,キェ,ニェ,ヒェ,フョ,ヴョ等の仮名」は,第1表からも第2表からも除外され,後記の「留意事項」の中で「特別な音」として「取り決めを行わず,自由とすることにした」のは,いささか残念であった。

 さらなる問題は,「S29」において「外来語を書き表わす場合には使わない」として,「仮名と符号の表」から除外した
「ヰ」「ヲ」「ヱ」「ヅ」「ヂ」のいわゆる旧字体のカナは,「H3」においても取り上げられていないことである。「ヰ」「ヲ」「ヱ」などは,まだ「ウィ」「ウォ」「ウェ」という組み合わせ文字で代用することは出来るが,「ヂ」を切り捨てるとなると,enjoyの[ j ] も vision の [ s ] も,どちらも「ジ」となり,区別のしようがないという点で,大きな痛手である。いずれにしても,せっかく日本語にある従来の音を切り捨てるのは,自ら国語音の貧困化を招いているという責めを帰せられても仕方がないであろう。

問題点2.二重母音と長母音の区別をせず,[ou] も [?:] も「オー」で表わしている。

 「長音を示すには,長音符号「ー」を添えて示し,母音を重ねたり,「ウ」を用いたりしない。なお,原音における二重母音の「エイ」「オウ」は長母音と見なす」という「S29」の原則はそのまま「H3」にも生かされているが,これも撤去して欲しい原則である。原則通りにすれば,ball  も bowl も「ボール」となってしまい,区別がつかない。従来も,発掘の boring と球技の bowling は,どちらも
「ボーリング」となって紛らわしかったが,さすが不便と見えて,最近では bowling を「ボウリング」として区別する表記も増えた。また,data の [ei] は「エー」と読んで「データ」となり,maker は「メイカー」ではなく「メーカー」となる。しかし,例外として eight は「エイト」,paint は「ペイント」としている。悪しき慣用主義のそしりをまぬかれまい。

問題点3.「トゥ」「ドゥ」の表記に対応する原音がはっきりしない。

 「S29」では「原音における
「トゥ」「ドゥ」の音は「ト」「ド」と書く」としていたが,「H3」ではそのまま「トゥ」「ドゥ」の表記を認めている。この点は進歩といえるが,「トゥ」「ドゥ」が [t] [d] を表すのか [tu] [du] を表すのか,ハッキリしていない。「S29」では,「原音における「トゥ」「ドゥ」「ト」「ド」と書く」として,その例にtrust,drive など [t] [d] の音をもつ語を挙げているが,これは問題である。一般に英語の子音の [t] [d] の原音は「トゥ」「ドゥ」となるという誤解があるが,母音と結びついた [tu] [du] が「トゥ」「ドゥ」であって,子音だけの [t] [d] はそうではない。カナ表記が難しいところで,やはり新しいカナを [t] [d] に対してはつくった方がよい。*25. 「H3」は「トゥ」「ドゥ」の例としてはいずれも後ろに母音のつくトゥールーズ(Toulouse),ヒンドゥー教(Hindu)などの例を挙げて,問題を巧みに回避している。なお,「S29」でも「H3」でも,「ツ」の慣用も認め,tree を「ツリー」,two piece を「ツーピース」などの例を挙げている。tree は「ツリー」でよいとしても,two piece は「トゥーピース」とすべきである。

問題点4.ファ〜フォ,ヴァ〜ヴォの原音に対する表記は,従来の「ハ」〜「ホ」,「バ」〜「ボ」より「ファ」〜「フォ」,「ヴァ」〜「ヴォ」の方を優先させたのは一歩前進である。

 「S29」では「原音における
「ファ」「フィ」「フェ」「フォ」・「ヴァ」「ヴィ」「ヴ」「ヴェ」「ヴォ」の音は,なるべく「ハ」「ヒ」「ヘ」「ホ」・「バ」「ビ」「ブ」「ベ」「ボ」と書く」としていたが,「H3」では原音通り「ファ」「フィ」「フェ」「フォ」と表記するよう勧めている。時代の推移を感じさせるものであるが,原音に近づいた表記として評価すべきであろう。

 「S29」の審議の過程では,発音なり表記なりを決定するとき「現実どおりにするか将来を考える」,「簡易化のほうに向かって考えるか,日本語の音を豊富にするほうに向かって考えるか」について,論議されたと記されている。26. 37年後のH3年,ようやく日本語の発音を豊富にする方向で,原音尊重表記が認められたといえよう。

問題点5.原音のティ,ディに対して「チ」「ジ」の表記より「ティ」「ディ」を優先させたのも一歩前進である。

 「原音における
「ティ」「ディ」の音は,なるべく「チ」「ジ」と書く」としていた「S29」の原則は,まさに暴挙であった。「H3」では,「「ティ」「ディ」は,外来音ティ,ディに対応する仮名である」とし,ティーパーティー,ビルディングなどの表記をあげている。「S29」の表記のように,「ディ」の原音に「ジ」の表記を当てるのは,ちょうど「ティ」「シ」と表記するくらいの差がある。やはり「チーム」「ティーム」と,「ジレンマ」「ディレンマ」と表記しなければ,国際社会の市民権は得られまい。「S29」のこの規定のおかげで心付けの「ティップ」「チップ」となり,外国では使えなくなってしまった。「ティ」「ディ」は使用すれば定着するものである。「H3」の原則が早く定着するのを期待したい。

問題点6.原音における[d?e]の音を「ゼ」から「ジェ」に改めたのは前進であるが,もう一歩進めて「ヂェ」とすべきであった。

 「S29」では,「原音における
「シェ」「ジェ」の音は,なるべく「セ」「ゼ」と書く」として,セパード(shepherd),ゼリー(jelly)の表記を原則としつつ,例外としてシェード,ページェントをあげている。この「S29」の規定も,カタカナ英語を国際的に通用しなくしている元凶の一つである。「ゼ」「ジェ」にしたのは一歩前進ではあるが,欲を言えば「ジェ」ではなく「ヂェ」とすべきであった。また,ついでながら pageant は原音に沿って「パジェント」とすべきである。いずれにしても,「H3」ではこれらが改められ,「シェ」「ジェ」は外来音シェ,ジェに対応する仮名として優先権を得た。

問題点7.「ウィ」を「ウイ」と書くなど,1音節を2音節に変えて綴るのもうなづけない。

 「S29」では,「原音における
「ウィ」「ウェ」「ウォ」の音は,なるべく「ウイ」「ウエ」「ウオ」と書く」(ウイスキー,ウオッチなど)とし,原音で1音節に当たる語を日本語の2拍語として表記させたのは問題であった。「H3」では「ウィ」「ウェ」「ウォ」の標記を原則として採り,ウィスキー,ウォッチをはじめ,とくにウィーンウェブスターなどの地名・人名など,小文字書きの表記を勧めているのは改善である。ただし,ウイスキーサンドイッチも慣用法として認めているが,これも「ウィ」に統一して欲しかった。

問題点8.「クァ」の原音に「クア」や「カ」を認めているのも問題である。

 「S29」では,「原音における
「クァ」「クィ」「クェ」「クォ」の音は,なるべく「カ」「クイ」「クエ」「コ」と書く」として,レモンスカッシ,クイズ,イコールなどを挙げている。もちろん,一部原音の意識が残っているものは,スリークォーターにおける「クォ」のような小文字書きの表記を用いてもよいとしたが,原則としては「クァ」における1音節を「クア」のように2拍で表記したり,さらには1拍の「カ」で表記するという「S29」の原則は,原音から大きく遠ざかる規定であった。これには,例えばの旧カナ表記「くわい」「ぐわい」を「か」「が」に改めた現代仮名遣いの影響もあるであろう。「H3」では,「クァ」「クィ」「クェ」「クォ」の表記を原則としたが,一般的には「クア」「クイ」「クエ」「クオ」の2音節表記や [w] をまったく省いた「カ」「キ」「ケ」「コ」の1音節表記を慣用として認めている(クアルテット,クエスチョンマークなど)のは,依然として問題を先送りしたにすぎないと言える。

問題点9.「カナと符号表」に「テュ」「デュ」を入れながら,「チュ」「ジュ」を認めているのも矛盾である。

 「S29」は「原音における「テュ」「デュ」の音は,「チュ」「ジュ」と書く」としているが,「H3」では「テュ」「デュ」は外来音「テュ」と「デュ」に対応する仮名として,原則的にはそのように綴ることを勧めている(テューバ,テュニジア,デュエット,プロデューサーなど)。ただ,一般的には従来の慣用に従ってスチュワーデスジュース(deuce)と表記してもよいとしているのも,「仏つくって魂入れず」である。「プロデューサー」を認めるとすれば,「ステュワーデス」(stewardess)「デュース」(deuce)も当然認めるべきでないのか。deuce を「ジュース」と書いたのでは,juice との区別はまったくつかない。なお,すでに述べたように,「ジュース」も原音主義からいえば,「ヂュース」と表記すべきである。

問題点10.「フュ」「ヴュ」の音を「ヒュ」「ビュ」と書くという[S29」の規定はやや改められたが,なお問題を残している。

 「S29」では「原音における
「フュ」「ヴュ」の音は「ヒュ」「ビュ」と書く」として,フューズヒューズと,レヴューレビューと書くように勧めている。この悪しき慣用主義は,「H3」ではやや改められ,「フュ」「ヴュ」は外来音「フュ」,「ヴュ」に対応する仮名として,フュージョン,ドレフュス,インタヴュー,レヴューと書くのを原則としている。しかしなおヒューズ,インタビューの慣用を認めているのは悪しき慣用主義である。

問題点11.「H3」では「S29」には無かった「チェ」「ツァ」などのカナが新しく加えられたのは歓迎すべき点である。


 「H3」では次のようなカナが新たに付け加えられた。
「チェ」(チェーン,チェス),「ツァ」「ツェ」「ツォ」(例:モーツァルト,フィレンツェ),「イェ」(例:イェルサレム,イェーツ),「グァ」(例:グァテマラ,パラグァイなど),「ツィ」(例:ソルジェニーツィン,ティツィアーノなど)である。ただ,これらについても注として,「イェ」「エ」(例:エルサレム,イエ一ツ)と,「グァ」「グア」または「ガ」例:グアテマラ,ガテマラ)と,「ツィ」「チ」(例:ライプチヒ,ティチアーノ)と綴ることが出来るとして従来の慣用を認めているのは問題である。

伝統を超えるには発想の転換が必要

 さて,昭和和28年の「表記の原則」と平成3年の「表記の原則」を比較しながら見てきたが,国際化の進行や英語教育の普及のせいで,当時のマスコミも報じたように,原音尊重の態度が随所に見られるといってよい。しかし大局的に見れば,平成3年案も慣用尊重,伝統寄りと言ってよかろう。というのは,外来語委員会は国語審議会の一部会にすぎず,外来語の表記はあくまで国語政策の一環として議論されたにすぎないからである。そもそも外来語とは国語化した外国語であり,国語化の程度により表記のゆれがあればこそ,これに何らかの原則的ガイドラインを設定しようというのが「外来語表記委員会」であることは,報告書にも明記されていることなのである。

 そのような意味で,表記委員会の原則は,従来の伝統的表記にぎりぎりの線まで新しい原音尊重の方向を取り入れたものとして,評価できるであろう。しかし伝統の壁は厚くて高い。これを超えることのできるのは,やはり視点と発想の転換しかない。これまで外来語は,氾濫の問題にしろ表記の問題にしろ,日本語を乱すとか,日本語の慣用に反するとか,あまりに日本語や日本文化のサイドからのみ考えられすぎていた。それはそれで,むろん必要なことであろう。言葉の借用はあくまで自国の文化を豊かにするために行う営みだからである。しかし自国語の圏内にとどまる限り,原音尊重といってもそれは絵に画いた餅で,掛け声だけに終わるのも確かである。

 表記法の見直しに当たっては,従来の慣用を思い切って無視し,別の観点から抜本的に考える必要があるであろう。繰り返すなら,それは外来語を単に日本語の枠組みの中で考えるのではなく,外来語を「国際通用語」としての枠組みの中で考えるということである。

 では,国際的に通用する外来語のためのカタカナ表記は,どのようにすれば理想的なものに近づくであろうか。次にその問題をめぐって考察したい。


3.外来語からカタカナ英語へいたる道

国際共通語の考え方

 外来語を国際的コミュニケーションの手段として考えた先覚者に,外来語辞典で有名な荒川惣兵衛がいる。借用語を「二重国籍者であり,言語界のコスモポリタンである」と見なす荒川は,さらにその考えを進めて次のようにいう。「翻訳語は一国にしか通用しない」が,「外来語は如何に少なく見ても二ヶ国の国際語である」から,「表現上・交通上,外来語は翻訳語よりまさっている」という。そして「もし世界の他の国々もそれを借用すれば,その語は世界共通の語,即ち国際語となり得る」として,外来語による世界語を提唱している。*27.

 戦前の昭和において,今日の国際化時代を先取りしたこのような荒川の意見は出色であり,しかも外来語に国際語成立の夢を託したことは驚嘆に値する。

 ただ,荒川の記述には,当然のこととして一種の理想主義がある。「各国が互いに借用し合って共通の語彙や文法を極力多くする」といっても,印欧語圏の場合ならいざ知らず,現在の日本語対英米語の関係から見れば,貸借関係は英米語からの借用が一方的である。英語からの借用語と日本語からの輸出語が対等でないまでも,ある程度の量にまで増えるならば,その日英相互の借用語の語彙と文法(あるとしても文法はごく少量)の集合体系が二国間の国際語になるであろう。しかし現実には,二国間の国際語として通用するのは英語であり,英語だけである。借用語である外来語は,荒川が期待したように,国際語としての意思伝達の手段にはならず,国語圏での意思伝達の域を出ない。

 例えば,「カメラ」という外来語がある。なるほど,「写真機」といったのでは日本語を知らない英米人にはその意味が分からないが,カメラといえばある程度はわかるであろう。[kæ]を「カ」と発音するという発音上の歪みはあるが,荒川のいうようにそれは「そのために,日本語とギリシャ語とが通じないほど,通じないものではない」からである。しかし,外人に対して発信しようとするとき,われわれは外来語の「カメラ」を意思伝達の道具としようとするであろうか。いや,われわれが意識して使用するのは「camera」という英語である。たとえその発音が日本式に[kamera]と訛っても,「camera」という英語のつもりで発音している。だとすれば,現実には「カメラ」という外来語も「写真機」という翻訳語と同じように,国内コミュニケーションだけの手段にしか過ぎない。

 外来語の権威である荒川がそれを知らぬはずはないので,結局,荒川は次のような現実路線を二段構えの論理として用意せざるを得ないのである。「語彙と文法において,世界共通の部分を極大的に多くしても,なお共通ならざる一小部分が残ることは免れ難いであろう。故に未だこれだけでは世界共通の通話は出来ない。けれどもこれだけでも,たとい必要に応じ外国語を学ぶにしても,共通ならざる一小部分を学べば事足るが故に,労力は極限に近く軽減するであろう」 *28. という。世界語は実現できなくても,借用語が増えれば少なくとも相手国の言語の学習は容易になるという,常識的な論理に落ち着くのである。

 言葉の二国間の貸借という場合,アルファベットを用いるヨーロッパの多くの国では,音の違いはあっても文字は大体同じなので,新しい借用語も大体は読める。それはちょうど日本語と中国語が発音と文法体系は違うが,文字が同じなので,ある程度まで意味が通じるのと同じである。しかし,日本語とヨーロッパ語の場合は事情が違う。日本語への借用は字義通りの音借用であり,しかも表記体系も音韻体系もまったく異なる英米語圏の人たちには,自国から日本へ貸した言葉が読めないだけでなく,聞いてもすぐにはわからないのである。

国際通用語としてのカタカナ英語

 外来語は「音訳借用語」といわれるように,音をそのまま借り,表記をアルファベットからカタカナに変えたものである。アルファベットとカタカナは表音文字というジャンルは同じだが,表記のための文字体系が違う。この文字体系も同一化しなければ,つまりカタカナ表記を捨て,ローマ字表記を採用しなければ,真の意味の国際語と呼ぶことは出来ないであろう。しかし,そのように表記をローマ字に変えることは,何千年来の伝統をもつ漢字国にとっては不可能である。

 そうであるとすれば,荒川の説く「国際語」にいたる道は一つしかない。それは綴りはカナに変えるが,その場合出来るだけ原音に近い,原音を生かしたカナで表記するということである。そうすれば,そのカナ綴りをローマ字綴りに変更したとき,ほぼ原音に近い音が復元でき,借用先の国でも通用するであろう。これは本来の意味の国際語ではない。しかし,ローマ字綴りに変えれば相手国でも通用するという意味では,たとえ「国際語」を僭称できないとしても,少なくとも「国際通用語」と呼ぶことはできるであろう。そしてこの資格は従来の外来語ではなく,新しい「カタカナ英語」が負うべきものである。

カタカナ英語とは何か

 これまで,主として欧米からの借用語のことは「外来語」という名称で呼ばれてきたが,最近は「カタカナ語」という呼び方が増えている。借用先が英語圏の場合は「カタカナ英語」という言い方もされている。外来語が字義通り「外から来た」という,その出所に重点を置いた表現であるのに,カタカナ語というのは表記が「カタカナ」であることを強調した言い方である。厳密にいえば,カタカナ語には外来語以外に動植物の名称,擬音・擬声語などの表記等も含まれるが,一般的には外来語とほぼ同じ意味に使用される。その限りでは,外来語と呼ぼうがカタカナ語と呼ぼうが,日本語の語彙体系に取り入れられた立派な日本語であることには変わりない。

 その「カタカナ語」に対して,「カタカナ英語」と呼ばれているものがある。一体それはどのようなものであろうか。果たして日本語なのか,それとも英語なのか。荒川惣兵衛氏がいうように,借用語が「二重国籍者であり,言語界のコスモポリタンである」とすれば,当然「カタカナ英語」は英語としての性格と日本語としての性格との両方を備えているであろう。しかし,そうだとしても,それはどちらに一層近いのだろうか。表記文字がカタカナである以上は,日本語と呼ぶのがふさわしいという理屈も成り立つ。しかし,語義も発音も元の英語と同じであるとすれば,表記にカタカナ文字だけを借りた英語の一種と呼んだ方がよいという理屈も成り立つ。

 この矛盾を解決するために、ある英語学者の考えたアイデアをここで見てみることにする。*29. 田辺洋二氏は「カタカナ英語」の中に夥しく存在する「和製英語」に注目し,まず,それを「カタカナ英語」から分離させる。 そして次に,「和製英語」を除外した「カタカナ英語」の中に,田辺氏はあるものを新しく含めるのである。それは,中浜万次郎(「英米対話捷径」,文政6年)や柳川春三(「洋学指針・英語部」,慶応3年)が記したような音声を聞いたとおりに記述した英語であり,また最近ではパソコン雑誌などでよく見かけるような,まだ外来語辞典などには載っていないカタカナ語である。要するに,田辺氏の提唱するカタカナ英語とは,外来語として「独立する前の段階のもの」ということになる。そして実は,このカタカナ英語から,意味と発音が日本的にゆがめられた「和製英語」が生まれてくるのである。「ワードプロセッサー」といえば「カタカナ英語」であり,「ワープロ」といえば「和製英語」である。

 さて,このような外来語として独立する前の段階の「カタカナ英語」という考え方は,田辺氏の場合,「和製カタカナ英語」を説明するための対立項としての概念であったが,筆者は自説を補強するためにこの概念を借り,それにさらに別の機能を付加しようと思う。それは発信のための英語という機能である。

 
田辺氏が外来語化される前段階の英語として「カタカナ英語」に割り付けた性格は,「借用前の英語」と「借用後の外来語」のいわば中間に位置する英語である。これをかりに「中間言語」と名付けるならば,筆者のいう「カタカナ英語」もそのような中間言語である。ただ違う点は,田辺氏が「カタカナ英語」をそこから外来語が生まれた素材であると見なし,和製外来語を説明するために比較の対象にしているのに対し,筆者はこの「カタカナ英語」を,それでもって意思伝達を行うための道具と考え,いかにしたらそのような「カタカナ英語」が可能であるかの考察の対象にしたい,という点である。つまり,「カタカナ英語」は外来語とは違って,日本語ではなく,英語の一種である。日本人の文字体系に適合させ,カタカナで表記されてはいるが,ローマ字表記に変換すれば,そのまま英語として通用するような英語であると考える。これが出発点である。

 これをわかりやすく図示すれば,次のようになるであろう。

カタカナ英語の位置づけ

受信的言語活動  外 来 語  カタカナ英語  英    語 言語活動な流れは、英語に源を発した言葉が,カタカナ英語を経て、外来語として定着するという方向である。
発信的言語活動  外 来 語  カタカナ英語  英    語 言語活動な流れは、外来語をカタカナ英語化し、さらにそれを本物の英語として使うという方向である。
機      能  国内通用
 (日本語)
 国際通用
 (中間言語)
 英米圏通用 
  (英語)
綴 り  ・  音 伝統的カタカナ  原音表記カナ  アルファベット
語      義 和製英語の意味  原義に近い  原     義


カナ発音記号とカタカナ英語の共通性

 さて,「カタカナ英語」をこのように英語の一種と位置づけたところで,果たしてそれが発信に堪え得るだけの資格を備えているかという問題がある。第一「和製カタカナ英語」では絶対に通じないし,たとえ日英間の意味が対応したとしても,radioをラジオと表記・発音したのではこれまた通じない。では,国際通用語としてのカタカナ英語はどうか。英語そのものを話しても,日本人の発音は通じにくい。ましてやカタカナ表記の外来語はたとえそれらしく発音しても,原語の音とは程遠く,コミュニケーションの任には堪え得ないとは,誰しも思うことである。しかし一方では,これだけの外来語の洪水の中にあって,折角覚えたこの外来語がもう少し英語圏で通用すればずいぶん助かるのにと思う人もまた多いはずである。そして,それは果たして不可能だろうか。ここに,カタカナ英語が正真の英語として通用できる可能性を示唆する英語教科書がある。

 最近,ある「高校英語T」の教科書30.を見て驚いた。なんと,各ページの新出語(高校1年で新しく習う語)に発音記号が一切使用されていなくて,
charity [チャリティ] のように,すべてカタカナで発音が記されているではないか。これが現在の教科書の大勢であるのかと思ってほかの教科書を調べてみると,そうでもないらしく,新出語が全部カナ発音になっているのはこの教科書だけで,あと3冊 *31.は ,発音記号とカナ発音とが並記されていた。それ以外はすべてれっきとした発音記号が載っているのに,やや安心した。それにしても,昔はじめて英語を習ったとき,先生に見つからないように密かに教科書に書きこんだのが,このカナ発音であった。それが今は,堂々と教科書に印刷されている。教科書の注によれば,これは「発音記号を覚えるまでの手がかり」であるという。

 確かに,昔はネイティブの英語を聞く機会は少なかったので,カナを振ればそのまま原音とは似ても似つかぬ日本語として読んでしまい,カナを使うことには大きな危険があった。しかし今はネイティブに接する機会も増え,テープの利用など手軽にできるので,便宜的手段としてカナを使っても,正しい原音を身につけることが出来るであろう。

 ところで,このカナ発音記号はアクセントの部分がゴシック体で印刷されているが,それを除けば,いくつかのカナ発音記号は外来語辞典に見出し語として載っている表記とまったく同じであるということに気づく。

 そこで,カナ発音を併記しているもう一冊の教科書 *32. を取り上げ,その新出語を調べてみると,教科書のカナ発音と辞典の外来語の表記が(ア)まったく同じもの,(イ)やや違うもの,(ウ)かなり違うもの,という3種類に分類できた。その一部を次に掲げる。(太字はアクセントを示す)

(ア)表記がまったく同じもの

  英語     教科書のカナ発音   辞典の外来語
  check      [チェック]         「チェック」
  gum       [ガム]           「ガム」
  placard     [プラカード]        「プラカード」
  New York    [ニューヨーク]      「ニューヨーク」
  sunrise     [サンライズ]       「サンライズ」
  toilet      [トイレット]         「トイレット」
  umpire     [アンパイア]       「アンパイア」
  weather    [ウェザー]         「ウェザー」


(イ)表記がやや違うもの

  ceremony      [セレモウニ]           「セレモニー」
  Melbourne      [メルバン]           「メルボルン」
  message       [メセッジ]           「メッセージ」
  New Zealand     [ニューズィーランド]    「ニュージーランド」
  superstar       [スーパスター]        「スーパースター」
  surfing        [サーフィング」         「サーフィン」

(ウ)表記がかなり違うもの
  kilometer       [キラミタ]           「キロメートル」
  Ethiopia       [イーシオウピア]      「エチオピア」
  dollar         [ダラー]            「ドル」
  stadium       [ステイディアム」      「スタジアム」

 (ア)はアクセントのある文字がゴシック体であるという点を除けば,そのまま外来語になる。(イ)は表記文字を少しかえれば外来語として通用する。(ウ)は外来語として通用させるには表記をかなり変えなければならない。いずれにしても,上記(ア)〜(ウ)のカナ発音は「外来語」として通用する。ということは逆に言えば,これらの外来語はかなりのところまで「英語」としても通用するということである。それならば,今日氾濫している外来語のいくつかも,英語として使うことが出来るはずである。

高校新出語と中学必須語のカタカナ英語化率

 そこで,さらに高校「英語T」の教科書 *33. の中に出てくる新出語に付けられたカナ発音のうち,いくつのものがカタカナ英語として外来語辞典に載っているのだろうかと考え,調べてみた。すると進出語が全部で310語あり,そのうちなんと201語(65%)が外来語辞典に載っているのである。*34. 外来語辞典の見出し語になっていない英語は,わずか109語にすぎない。ということは,高校1年で習う英語の語彙の約3分の2弱がカタカナ英語として日本語の中で使われていることになる。ついでながら,カタカナ語化された201語のうち165語(82.1%)が名詞(若干の代名詞を含む)であった。

 高校1年の新出語の3分の2が外来語化されていることがわかったが,しかしこれは偶然かも知れないと思い,今度は中学の必須語 *35.を調べることにした。調べてみると,中学の必須語507語のうち外来語化されている語数は336語(全体の割合は66.3%)で,約3分の2が外来語化されている。これは先ほどの高校「英語T」の教科書 *36. のパーセントと見事に一致する。

国語として扱われてきた外来語

 さて,このように中学や高校で習う多くの英語が外来語化され,日常生活で使われているのに,日本の英語教育はこれまで外来語をほとんど学習の対象としては扱ってこなかった。せいぜいその中の和製英語に注意を払い,それを正しい英語表現に置き換えさせるという形で取り上げるに過ぎなかった。むろん和製英語は英語教育上避けて通ることの出来ない大きな問題であるが,それはそれだけを切り離して教えるべき題材ではなく,外来語問題全体の中に位置づけ,外来語の表記法とからませて扱うべき問題である。ところが,すでに国語審議会の表記原則の章でも触れたように,これまでわが国では外来語表記の問題は国語の領域に属する問題として国語の専門家に任せ,英語関係者はこれをあまり取り上げてこなかった。

 外来語を発信の道具として使う観点からは,この表記法こそまず真っ先に取り上げるべき主題でなければならない。表記法が悪いため,外国語としての伝達力を失っている外来語があまりに多いからである。それらはカタカナ表記の方法を少し変え,原音に近づければかなり伝達可能な英語としての力を回復するだろう。しかし,今のままのカタカナ英語では,それは無理である。

 では,新しい「カタカナ英語」はどうあるべきであるか。次回には,「アクセント」や「和製カタカナ英語」などの問題を取り上げるとともに,新しい「カタカナ表記」の方法を試案として提言し,英語教育に生かす方法を考えたいと思う。                      以下次号


【注】

1.中日新聞は平成8年7月24日,31日,8月7日の三回に分けて,カタカナ語の是非について読者の声を特集をした。
2.平成8年5月,第5期中央教育審議会は従来の「特別教育活動の時間」や特設する「総合学習の時間」を利用して,小学校での英語学習の時間にあてるよう勧告した。
3.「国語審議会報告18」,文化庁,平成3年
4.「国語審議会報告17」,文化庁,平成元年,pp.252〜255
5. 矢崎源九郎「日本の外来語」,岩波新書,1964年,p.170
6.「文章表現辞典」,東京堂出版,昭和40年,p.48
7.
ヘボンはアメリカ人宣教師で,ヘボン式ローマ字綴り方を広めたJames Hepburnのこと,ヘップバーンは「ローマの休日」で可憐で気品のある王女を演じたAudrey Hepburn のこと。
8.楳垣実「外来語辞典」,東京堂出版,昭和56年,p.528
9. 明治期およびそれ以前に入った外来語は耳から表記が行われたので,子音 [k] のもつ鋭い呼気が「キ」のように聞こえたのであろう。逆にいえば,日本人は「キ」という気持ちで発音した方が,[k]の原音に近いといえる。
10. 語尾の「ツ」は複数形[ts]からの影響であろう。
11. [ti] は
「チ」,「ティ」,「テ」の三通りの表記があるが,それに対して [ch(i)] の表記はすべて「チ」となり,一定している。例:チーク(cheek),チーフ(chief),チーズ(cheese),チンパンジー(chimpanzee)など。ただ,問題は [ch(i)] の表記である「チ」と [ti] の表記である「チ」とが区別出来ないことである。「チップ」が「tip」なのか「chip」なのかは,カタカナ表記からは分からない。
12. 音借用において,
「エイ」「エ」となるのは,次の三つの場合である。@後ろに [n] ともう一つの子音がくる場合(例changeなど),A二音節で,後ろの母音が強勢のない [i] で終わる場合(例 Katyなど),B強勢のない音節にあたる場合(例cocktailなど)
13. [o:] の発音をもつものは,
オーガスト(august),オーダー(order),オートメーション(automation)のように,すべて「オー」と表記される。一方 [ou]も例文のように「オー」と表記されることが多いので,しばしば両者の区別がつかない。例えば「ボーリング」がbowling(球技)なのかboring(掘削)なのかわからない。最近見かける「ボウリング」の表記は,その識別を考えてのことであろう。[ou]は「オウ」と二重母音に表記してもらいたい。例えばPoeの表記は,0が圧倒的に多いが,原音は [pou] だから「ポウ」と表記するのがよい。「オウ」を「オー」と表記するようになったのは,日本語の影響も大きいと思われる。
14. 長音にするとアクセントも同時にその上に移動する。
15.
チェロの表記もある。セロハン<cellophane>と同じ綴りのための誤読か。
16. 古く入った外来語に多い。同化現象とは,
トロッコ「コ」が前の母音の「ロ」に引かれて「ク」から「コ」に変化したり,グラス「グ」が後続の「ラ」に惹かれて「ガ」になることをいう。前者を順行同化,後者を逆行同化という。新村出も次のように書いている。「葡語や蘭語から入った外来語のうちには,二重子音の接続する際に,中間に前後の母音と同じ母音を挟むことが普通であった。」新村出「外来語の話」,講談社文芸文庫, p.140
17. これも古い外来語に多い。アメリカ英語の [t] や [d] は [r] 音に聞こえる。またアクセントのない母音や,語尾の子音はよく聞こえないので,脱落する。
18. 綴りからは遠いようだが,[i] は
「エ」に近く,[n] の後ろの [s] は「ツ」に聞こえる。
19. [f]の音をもつカタカナ語に多い。これらのものは,発音の訛が表記の間違いを引き起こしたものである。例えば
「フィ」を「フイ」と誤って発音し,そのまま「フイ」と表記したものと考えられる。最近は正しい発音がかなり普及し,表記法も原音に近い形になってきた。しかし「カフェ」「ファン」などは,日常会話を聞くかぎり依然として「カフエ」「フアン」の発音が用いられている。昔に定着した発音の習慣はなかなか直らないようである。
20.
「ウォツカ」と表記した場合の「ツ」は,「ウォトカ」と表記した場合の「ト」と同様に,本来発音すべき「ツ」であるが,それを促音の「ッ」と誤って発音し,またそのように小文字で「ッ」と表記されるようになった。「カムチャッカ」などロシア語起源の外来語に多い。
21. 間違ったまま,辞書も認めている語には,
ルーズ ,ルース(loose),スムース,スムーズ(smooth),バンド ,バント(bunt)などがある。
22. 誤記には日本語からの影響もある。「布巾」からの影響から
「ナフキン」(napkin)「ナプキン」となり,「オーバー」からの影響から「ジャンパー」(jumper)「ジャンバー」となったといわれている。
23. この問題は単なる表記の問題ではなく,「和製英語」の領域に属する問題である。
24.「国語審議会報告17」,文化庁,平成元年
25.ちなみに「Go, English!」では,[t] の下に [ .]  を打つ表記を新しくつくっている。
26. 文化庁「国語審議会報告書17」,ぎょうせい,平成元年,p.262
27.荒川惣兵衛著・鈴木正編「外来語に学ぶ」,新泉社,1980,pp.31〜32
28.同上,p.37
29.岩崎春雄他編「英語の常識百科」,研究社,1987,pp.250〜257
30.高等学校「英語T」「English Now T」,開隆堂,1996
31.平成8年度の文部省検定済高校「英語T」49冊と,高校「リーダー」26冊を調べてみると,発音記号表を片仮名を用いて説明している教科書は,CREATIVE English Course「T」(第一学習社),New World「T」(三友社),COSMOS「Reading」(三友社,であり,新出語のすべてに,発音記号とカナ文字を併記している教科書は,English Now「T」,「U」(開隆堂),Go, English!「T」,「U」(東京書籍)である。
32.「Go, English!」「T」,東京書籍,1996
33.同上
34.このうち単独形として外来語辞典に載っている語は156語,またその変化形(例えば教科書には,
「スパイシー」<spicy>という単語があるが,外来語辞典には名詞形の「スパイス」)あるいは他の語との組み合わせた複合語(例えば教科書にはツース<tooth>と出ているが,外来語辞典はツース・エナメルを載せている)として載っているのが45語である。
35.「中学校学習指導要領」(大蔵省印刷局,平成元年3月)によれば,文部省は「学習指導要領」を改訂し,それまで「1000語程度まで」としていた中学基本語を,507語の必須語として設定した。
36.「Go English!」「T」,東京書籍,1996

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