「エドガー・アラン・ポオ 一時代と人と文学について一 」      安藤邦男

              「研究集録」第14集 愛知県立旭丘高等学校1988年6月15日発行

【筆者注】 旭丘高校の紀要「研究集録」は、毎年教職員の研究をまとめ、発行されていた。筆者は旭丘高校を辞める前年、この論文をその紀要に発表した。

 筆者はこの論文で、ポオ文学の全体像を,その時代と人間の関連を見すえながら記述し,彼の象徴詩的手法がどのようにして生まれたかを解明しようとした。ポオは詩の中に「天上美」を表現しようとしたが,彼はその完璧な表現には失敗した。しかし,そのとき期せずして象徴詩の可能性を発見したのである。何故なら,意識の網の眼を逃れた神秘の「天上美」は,意識下の深層の意味として,シンボルによって暗示する以外に方法がないからである。
                                     

はじめに

 アングロサクソン文学は著しく現実的であって生活の知恵をその根底に有している。美を表現の対象にしようとするときでさえ、それを生活と結びつけることを忘れない。それは芸術のための文学ではなく、人生のための文学である。このような文学の伝統の中にあって、あらゆるきょうざつ物を排除し、美をその純粋な形で表現しようとするポオの文学は、まるで突然変異によって生じた異教の文学のように思われる。そこには、生命に対する讃歌も、同胞への奉仕や協力による創造の喜びもなく、ただ人間の死滅と事物の崩壊をうたう衰亡と憂愁の美学があるだけである。

 しかしながら、文学史的に見ればいわば鬼子ともいうべきこのポオの文学は、母国アメリカでは近代批評の基礎を確立したのみならず、やがて海を渡ってフランスでは象徴主義運動をひき起こし、イギリスでは探偵小説のジャンルを打ち立てることになる。このような新しい文学が、一体なぜ、先進国ヨーロッパではなく、当時の後進国アメリカで生まれたのか。この小論では、時代と人との関連を見すえながら、ポオ文学の成立とその意味について、概観をこころみたい。


1 文学史におけるポオの位置

・アメリカ浪漫主義の誕生

 ポオの生きた19世紀前半のアメリカは、浪漫主義の時代であった。すでに18世紀中葉から独立の気運が高まっていたアメリカは、後半になると動乱の時代に突入していく。1775年の独立戦争、続いて1776年の独立宣言、1789年のジョージ・ワシントンの大統領就任等、重要な歴史的事件が相次ぎ、国中に革命精神がみなぎっていた。このような時代にあっては、人々の関心は必然的に外界の事象に向けられ、文学も独立と新国家の建設という政治目的に従属せざるを得なかった。

 しかし、19世紀に入り、1812年〜14年の英米戦争の終結とともに、アメリカ国家は政治的安定期を迎え、それまで政治に向けられていた人々の目は、個人の生活に向けられるようになる。彼等の眼前には、土地の開拓によって開かれた無尽蔵の富があった。人々は前世紀に独立を獲得するに費やしたのと同じ熱狂をもって、今度は富の獲得に狂奔していく。今や、新世界にみなぎるものは、平和と自由と開拓の賛美であった。前世紀の政治的、実用的文学は、それを必要とした事情の消滅とともに、その使命を終わり、その後に新しい個人の自由を描く新しい文学が生まれた。これがアメリカ浪漫主義文学である。

アメリカ浪漫主義文学の特徴 ー その1

 一般的にいえば、浪漫主義が一つの文学運動として生まれる場合は、前時代の権威である古典主義に対する反動として登場する。だが、アメリカ浪漫主義の不幸は、それに先立つ古典主義の伝統がないことである。前代の政治的、実用的文学は、伝統と呼ぶにはあまりにも脆弱であった。イギリスの浪漫主義がポープやジョンソン等を生んだ偉大な古典主義のアンチ・テーゼとして生まれたのと較べれば、アメリカ浪漫主義はせいぜい粗雑な政治的、実用的文学に対する反動として生まれたにすぎない。

 したがってそれは、ヨーロッパの浪漫主義運動に見られるように、伝統の重圧をはね返して噴出する生命力の激しさが希薄である。ヘーゲル流にいえば、それは前時代に対する反動の文学というよりは、社会が一定の安定段階に達し、叙事文学的関心が叙情文学的希求に変化するとき、自然発生的に生まれる種類の文学である。したがって、古き伝統を打ち破り、新しき原理を打ち立てようとする革命精神の強さの点からも、文学形式の洗練度の上からも、価値の低いものであるのは当然であった。

・アメリカ浪漫主義文学の特徴 ー その2

 さて、アメリカ浪漫主義のもう一つの弱点は、その中にイギリス的色彩を濃厚に留めていることであった。そのことは、一つには当時のアメリカ文学がイギリス文学に全面的に隷属していたという事情に基づくものであるが、もう一つには人々の浪漫主義への渇望が、彼等自身の文学の出現を待ちきれず、亜流にさえ飛びつかずにいられないほど激しかったという事情もあった。

 いずれにしても、アメリカ浪漫主義は浪漫主義本来の精神を忘れ、イギリスの文学を手本として受け入れ、模倣した。模倣する浪漫主義がその名に価しないのは、形式を尊重しない古典主義がその名に価しないのと同じである。

 しかし、アメリカ浪漫主義がイギリス的色彩を濃厚に持つといっても、そこにはアメリカ的特徴が無いわけではなかった。例えば、ヨーロッパの浪漫主義にあるMedievalism(中世趣味)は、アメリカには見られない。希望に燃える新大陸に、滅び行くものへの追慕、過去への愛着、異国趣味などがないのは、むしろ当然であろう。その代わりにあるものといえば、前時代の政治的、宗教的文学の名残である清教徒的教化主義や、センチメンタルなヒューマニズムであった。

 アメリカ浪漫主義のこのような傾向に真っ向から反対し、「芸術のための芸術」を標榜して戦ったのは、他ならぬポオであった。それはアメリカ文学の中にわずかに芽生えたアメリカ的なものに反対することであった。その意味では、ポオはアメリカにいながら、むしろイギリス浪漫派に属するといってさしつかえなかろう。事実、ポオはアメリカ文学の局地性と後進性に満足できず、身はアメリカにあって、心はイギリスに住んでいたのである。

・19世紀のイギリス

 それでは、当時のイギリス文学はどのような状況にあったのか。ワシントン・アービングの「スケッチブック」の出現で、アメリカ浪漫主義が夜明けを迎えたのは、1819年であったが、その頃イギリスではすでに浪漫主義は衰退期に入っていた。そしてアメリカ浪漫主義がピークに達する1830年代および40年代には、イギリスでは浪漫主義の時代はすでに終焉し、ビクトリア朝時代が始まっていた。全土を席巻した産業革命の嵐は、工業の発達と科学技術の進歩を促し、科学技術の進歩は科学的精神の普及と実証主義・主知主義の流行をもたらした。科学と理性の光が、浪漫主義の神秘と空想を白日のもとにさらし、夢幻の天上に住んでいた人々は、冷たい現実の世界に降り立たなくてはならなかった。ここで必要なのは、忘我の情熱ではなく、冷静な理性であった。イギリスはすでに、浪漫主義に続く現実主義の時代に入っていたのである。

 ここで注目すべきは、ポオが1815年から1820年にかけて、実際イギリスの土地を踏み、そこで小学校教育を受けたという事実である。彼はアメリカの多くの文学者に先んじて、イギリスの現実主義的な時代精神に直接触れたのである。

・浪漫主義と科学精神

 科学精神は、本来、反浪漫主義精神であり、それが浪漫主義の種々の側面を否定するとき、レアリスムが発生する。しかし、これをポオの場合に当てはめてみると、彼は科学精神の著しい影響を受けているにもかかわらず、いかなる意味でもレアリストではなかった。

 一つには、レアリストになるには、彼はあまりにもアメリカ浪漫主義の真っ只中にいすぎたし、またたとえそうでなくとも、彼は生まれながらの浪漫主義者であった。彼の中の浪漫主義は、彼の同化した科学精神によって抹殺されるほど虚弱なものではなかった。それは、彼の中の浪漫主義の勝利であったといえる。しかし、科学精神は彼の中の浪漫主義を変えることはなかったが、それを内に抱える勝利者自身の体質に大きな変化をもたらさずにはおかなかった。近代文学が多大の恩恵を蒙っている体質の変化をー。

 一般的な観点から見て、浪漫主義が科学精神の洗礼を受けながら、なおレアリズムへの変質を拒むとすれば、何が起こるだろうか。その浪漫主義は依然として、自然界の現象に驚異の念を抱き、幻想の中の神秘を憧憬するかもしれない。しかしそれはもはや素朴で、自然な、ありふれたものに対してではなく、異常な、複雑で、人工的なものに対する憧憬であり、驚異であろう。

 例えば、それまで感じられたような神秘は、冷たい科学の光によってベールをはがされ、白日のもとにその魅力の大半を失うであろう。その代わりまだ科学の光の達しないところに、新しい神秘がより深い、より微妙な相貌をもって現れる。このような神秘は、すでに人間の情緒だけでなく、人間の理性の対象でもある。その神秘や美に感動する心は、素朴な、天来のものではなく、反省や自覚の上に成り立つ意識の所産である。

 ポオの持っている浪漫的精神がこのようなものであるとすれば、それはもはや「浪漫主義」と呼ぶよりは、科学精神の後で蘇った「新浪漫主義」あるいは「象徴主義」と呼ぶにふさわしい。フランスで起こった象徴主義運動の旗手たちが、ポオを始祖と仰いだのは、彼の中のこのように変質した新しい浪漫主義のせいであった。


2 ポオ文学の世界

・夢と現実の交錯するボーダーランドの文学

 「私の精神生活には少なくとも二つの異なった状態 一透明な理性の状態と、陰影と疑惑の状態ー がある」とポオは、短編「エレオノーラ」の主人公に語らせている。透明な理性とは、明確な自己規定の意識、嚴密な分析と細部観察能力、すべてを計量し客観化する精神を意味する。これに反し、陰影と疑惑とは、現実を遊離して無限に抽象の世界に広がり、すべてを情緒と空想で着色し、陶酔する精神傾向を示す。前者は合理主義のメンタリティであり、後者は神秘主義のそれである。

 ここに、ポオ文学の特徴をなす二重性がある。まことにそれは数学のもつ学問的厳密さと、音楽芸術のもつ不定形の要素の、稀なる総合といえる。彼の芸術は合理的世界の明確な理性を描くときでさえ、神秘的雰囲気がつきまとい、反対に夢幻の世界の忘我の情熱を歌うときでも、知的自意識が顔を見せる。

During the whole of a dull, dark, and soundless day in the autumn of the year, when the clouds hung oppressively low in the heavens. I had been passing alone on horseback, through a singularly dreary tract of country: and at length found myself, as the shades of evening drew on, within view of the melancholy House of Usher. I knew not how it vas − but. with the first glimpse of the building, a sense of insufferable gloom pervade my spirit. (The Fall of the House of Usher)

「どんよりとした、暗い、もの音ひとつしない秋の日、空に雲がおさえつけるように低くたれこめる中を、わたしは独り馬にまたがり、終日、わびしい田園地帯を通りすぎて行った。そして夕闇の迫る頃、ようやく陰欝なアッシャー家の見えるところまで辿りついていた。何故かは知らないが、その邸宅を初めて見たとき、耐えがたい憂欝がわたしの心をおおったのである。」(アッシャー家の崩落)

 疑いもなく、これは現実の忠実な再現でもなければ、まったくの空想的夢物語でもない。場面とそれを取りまく雰囲気は、健康な人間のひしめき合う日常世界のそれとは異なるかもしれない。しかし、それは例えば人里離れた辺境の地の夕暮れ時には、実際に起こっても不思議はない出来事だといえる。うつつが夢に溶け込もうとする世界、いわば幽明相接するボーダーランドが、ポオの好んで描いた世界であった。

At midnight, in the month of June,
I stand beneath the mystic moon,
An opiate vapour, dewy, dim,
Exhales from out her golden rim,
And, softly dripping, drop by drop,
Upon the quiet mountain top,
Steals drowsily and musically
Into the universal valley. (The Sleeper)

水無月の真夜中のこと、
わたしは幽玄の月の光を浴びて立つ。
黄金色のその環からは、アヘンのような
蒸気がしっとりと、おぼろに立ち昇り、
しめやかにひとしずくまたひとしずく、
ひっそりと山の頂きに落ちて、
ものうげに、音楽の音色のごとく、
広い谷間にしみわたる。
(眠れる女)
 
 この詩では、現実感覚は確かさをもって迫るが、それほど押しつけがましくはない。それは不思議なべ一ルに包まれ、暗示性と象徴性を獲得しているからである。幻想的な雰囲気と情緒は、明瞭な形式、色彩、動きを与えられ、完全な具体性にまで高められている。ここにあるものは、現実であって現実でなく、幻想であって幻想でない、現実と幻想が微妙に交錯する世界 ー いってみれば詩と論理が融合する二重の世界 ー である。

・ポオの短編物語

 このような現実と幻想の二重の世界を、彼の短編物語を通して眺めてみよう。D・H・ロレンスが「エドガー・アラン・ポオ論」で彼を「芸術家でなく科学者だ」というとき、ロレンスの念頭には、短編物語におけるポオの創作方法の厳格さがあったことは確かである。しかし、同時にロレンスはポオの物語の主題における人間性の欠如をも指摘している。ロレンスは続けて「ポオは何事も決して人生の観点から見ない。ほとんど何時も宝石とか大理石とかいう物質の観点からしか、あるいは力学的観点からしか、見ない」という。まことに、ポオの表現の対象は、生命ではなく物質であり、彼の文学は「生の批評」ではなく、文字通り「死の批評」であった。

 ポオの短編物語は、@「幻想愛もの」、A「滑稽風刺もの」、B「推理と異常体験もの」の三つに大別されるが、そのいずれにおいても生身の人間特有の泥臭さやわい雑さ、平凡だが心温まる善良さなど、見事なほど皆無である。そして作品効果は首尾一貫し、印象は純粋にして強烈、完璧である。例えば「幻想愛もの」で、人里離れた谷間で愛を語らうエレオノーラは、天使のように美しく、透明である。ライン河畔の古都で純愛を捧げるリジイアは、「阿片の夢の光沢」さながらで、この世のものとは思えない。いうならば、彼女らの熱愛は官能を昇華されて聖霊となり、情念は肉体を離れて宇宙の意思となっている。

 「滑稽風刺もの」についても同じことがいえる。このアメリカ南部の「ほら話」の流れにつながるこれらのパロディは、彼の関心が空想の世界から現実の世界に向かったとき、生まれたものだ。しかしそれらの作品の価値は、あまり高いものとはいえない。途方もない作り話しをもっともらしいものに見せる細部描写の技巧は素晴らしいが、人間への共感に基づく大らかなユーモアに乏しく、あるのはただ理知から生じるウイットの冴えだけである。のみならず、彼には自分が風刺の対象とした人間社会のさまざまな側面に対する関心も理解も、不充分であった。

 彼の本領が発揮されるのは、やはり「推理と異常体験もの」であろう。推理小説というジャンルを文学史上打ち立てることになった暗号解読の傑作「黄金虫」をはじめ、デュパンの登場する「モルグ街の殺人」「マリー・ロジェの謎」「盗まれた手紙」等は、彼の頭脳の知的活動が最高に達する晩年近くに書かれただけあって、推理の妙、分析の冴え、着想の独創など、見事な出来ばえである。

 また、人間の異常体験や異常心理に分析のメスを入れる「メエルシュトレエムに呑まれて」や「黒猫」など、限られた舞台での限られた事件を大写しにするポオの描写力は、文字通り衝撃的ですらある。「メエルシュトレエムに呑まれて」を読んだある日本の高名な作家は、そのときのショックを分析して、それがまるで「鏡の向こう側の世界」のように奇妙なものとして感じられたといい、そしてそこに詩と論理の融合する世界を見たと述べている。


3 人間としてのポオ

・ポオに見られる二重人格

 さて、これまでポオの文学の特徴をその二重性の面から取り上げてきたのであるが、同じ観点から今度は彼の人物像を眺めてみたい。

 ポオの性格については、毀誉褒貶がまことに大きい。ポオを評して、「傲慢で、嫉妬深く、怒りっぽい」という人もあれば、「物静かで、勤勉で、子供のように素直だ」という人もいる。

 「エドガー・アラン・ポオの死」を書いたN.P.ウィリスは次のようにいう。
 「ポオについて聞く話しがすべて事実だとしたら、彼の身体には悪魔と天使が同時に住みつき、交互に彼の人格に乗り移っているようだ」と。
 この矛盾を解決するためにキリス・キャンベルは、「ポオの性格は両極端の中間にその真実があるだろう」と推察し、
 「彼は並み外れて気位が高く、感受性に富み、衝動的であった」と断定する。つまり、「気位が高く、感受性に富み、衝動的」という性格から、必然的に相反する二つの側面が表れたに過ぎないというのである。いずれにしてもこの性格の二重性が、彼の文学創造に深く入り込み、ポオ文学の二重性を背後から支える土壌となっていることを見逃してはならない.

 夢と理想を追求する詩人ポオが、一方では冷厳で計算高い有能な雑誌編集者であるということも彼の生い立ちから来る二重性である。わずか2歳で両親を失った、いわば生まれながらの孤児に等しいポオには、孤独感と現実逃避が生涯ついてまわった。リッチモンドの裕福な煙草商人に引き取られ、物質的には恵まれていたものの、肉親愛の不在は痛切であった。

 名詩「ヘレンに」を捧げられたポオの初恋の相手は、少年時代の友人の母で、ポオは彼女の中に亡き自分の母親を求めたという。生涯の伴侶として選んだ妻も、肉親の面影を宿す従妹であった。しかし、代替物で失われた肉親愛が取りもどせるはずはなく、彼は生涯孤独感にさいなまれ続けるのである。

 肉親愛を知らない孤独な魂は、アイルランド系の父親から受け継いだと思われる空想癖とあいまって、ポオを現実の世界から遠ざけ、幻想の世界に住まわせることになる。

 しかし、通常のロマンチスト ー 例えば先輩のコウルリッジなど ー は、過剰な肉親愛や隣人愛の煩わしさを避けるための現実逃避を試みたが故に、彼等は安んじて自己の殻に閉じこもることが出来た。だが、肉親愛や隣人愛の欠乏が原因で現実逃避を行なったポオは、幻想の世界がその寂しさを満たしてくれない限り、再び現実の社会へ戻らざるを得ないのである。

 逆説的だが、この世に確かなきずなを持たない者がかえってこの世を捨てることが難しい。こうして彼は、幻想と現実の二つの世界を心ならずも往復することになる。

・成功への野心

 ポオを孤独の世界から現実社会へ引き戻すもう一つのきっかけは、彼の文学的野心であった。

 伝記作者ハーベイ・アレンの指摘するように、「他人の家のパンを食べたという意識」が、ポオに消し難いコンプレックスを植え付けた。そのコンプレックスから自我を守るために、「ほとんど病的と思えるフライドの壁を張りめぐらし」、これが彼の性格を規定する大きな要素となった。

 「アモンティリヤアドの酒樽」の中で、主人公は「加えられる肉体的危害には限界まで耐えたが、侮辱されるにいたったとき私は復讐を誓った」という。ポオ自身のプライドも、この主人公と同様に、他人からの侮辱を許すことは出来なかった。

 さらに自己保存の防衛本能が、劣等感を回避しようとする守勢の姿勢から、積極的に優越感を満足させようとする攻勢の態度へと変化するとき、それは名誉と功名への激しい野心となって現れる。

 ポオを中傷したことで有名な遺作管理者のグリスウォルドは次ぎのようにいう。「ポオは俗に野心と呼ばれる出世欲を病的なほど持っていた。それは人間として優れたり、役に立ちたいという願望ではなく、自分のプライドを傷つけた世間の鼻をあかすために、とにかく出世したいという激しい願望である。」

 プライドを傷つける世間の大衆は、彼にとって無用の邪魔ものであるが、しかし同時にそのプライドを満足させるためには、足下にひれ伏してくれる大衆がどうしても必要となる。ここでも二律背反のドラマがポオを待ちうけるのである。

・演技志向と変身願望

 ポオはしばしば自分の過去を偽ったり、事実を歪曲したりしたといわれるが、それも彼のコンプレックスの一つの現れと見ることが出来る。

 ハーベイ・アレンはそれをポオのMystification(自己韜晦・じことうかい)と呼び、「自分の性格の欠けている部分あるいは不完全な部分を塗りつぶし、まったく新しい顔を自分の自画像として額縁に入れようとする試み」であったといっている。

 「マルジナリア」の中で書いているように、野心の実現のために努力するのは、「人より優れることが望ましいからではなく、人より優れる力があると確信するときに負けることが耐えられないから」である。優劣に異常な関心を示すポオにとって重要なのは、才能そのものよりそれを他人がどう評価しているか、つまり内容よりも外観、本質よりも現象の方であった。

 彼のこの気質が、作家としてもまた批評家としても、作品の読者に与えるEffect(効果)あるいはImpression(印象)を重視する作風へと彼を導くのは、容易に想像されるであろう。

 さて、実生活におけるこのMystificationは、やがて自己を自分以外の他人に変身させ、他人になり切ろうとする願望に変わる。この変身願望はポオの批評理論の上ではIdentification(一体化)という概念で登場する。

 自分以外の人物に自己をIdentify(一体化)させ、その人物になりきって感じ、考え、行動する能力は、彼が両親から受け継いだ俳優の素質であるが、これが創作に当たっては、人物創造のための大きな力として働くことになる。

 しかし注目すべきは、ポオが自己をMystifyし、他人にIdentifyするとき、ポオはすでにそうせざるを得なかった外的必要性から自由になり、そのことに大きな喜びを感じていることである。それはいうなれば、演技する俳優が自己の演技に感動するに似ている。俳優自身の感動があるからこそ、観客は彼の演じる人物と「一体化」し、その人物と感動を分かち合うことが出来る。

 芸術において重要なのは、「もっともらしさの魔術」ではなく、あらゆる人物、あらゆる対象になり切ろうとする芸術家の激しい情熱である。ポオはその情熱を天才シェイクスピアの中に見た。作家を単なるArtisan(職人)からArtist(芸術家)に変えるのは、如何に優れていようと技術ではなく、彼の燃えるような創造意欲であり、自己を否定し、自己を超え、より高いものへ達しようとする渇望である。

 この渇望は人間を超え、Supernal(天なるもの)に対する熱望であり、ポオが引用するシェリーの言葉を借りれば、「星を求める蛾の願い」である。かくして、この世に係累のないポオは、世俗を離れた天上の世界へ、魂の高揚を求める夢幻の詩人として、旅立つのである。


4 天上美を求める詩人

・詩で始まり、詩で終わったポオの生涯

 いよいよ、ポオの詩について語るときが来た。「自分の力では如何ともし難い出来事のために、もっと幸せな境遇であったなら自ら選んでいたであろう領域で、私はいつも真剣な努力をすることを妨げられてきた。」これはポオが自著の詩集「大鴉」の序文に書いた文章である。

 「もっと幸せな境遇であったなら選んでいたであろう領域」とは、いうまでもなく詩人としての仕事のことを指している。詩作に専念出来なかったことを嘆くこの言葉は、同時にポオの文学的使命が詩作活動にあるということの宣言でもあった。

 もっとも彼が詩に専念出来なかったおかげで、後世は優れた物語や批評を遺産として享受するのであるが、それはそれとしてポオの身上は彼の言葉通りやはり詩にあるといっていい。

 しかし、彼の嘆きにもかかわらず、18歳で処女詩集「タマレーンその他」を出版し文学活動を始めたポオは、その後雑誌編集者として、批評や散文小説に心ならずも多くの時間を割いたが、晩年再び詩作にかえり、彼の生涯の最後の年である1849年には、「アニーのために」「アナベル・リー」「エルドラトー」などの名品を書き上げている。22年にわたる作家活動を詩で始め、詩で終わったということは、詩への憧れを終生持ち続けた彼には本望であったろうし、またそれはポオ文学における詩の位置を象徴するものでもあった。

・結末から書いた「大鴉」の創作方法

 ようやく詩人としての名声を与えてくれた「大鴉」の発表後1年ほどたってから、ポオは「自己説明嗜好癖」に促されたのであろう、その創作過程を詳細に説明した「The Philosophy of Composition」(構成の原理)を書いた。これはポオの詩を理解する上では、避けて通ることの出来ない重要な評論であるので、少々その内容に触れておく。

 「大鴉」の作詩にあたって、ポオはまずその長さを100行に決めることから始める。「長詩という言葉は用語上の明白な矛盾である」とするポオにとっては、詩を読むことによって魂の高揚が持続される限度はせいぜい100行だからである。

 次ぎに、詩の最高の表現は哀調を帯びた美であると主張するポオは、詩の主題は美しい女性の死でなければならないとする。主題の決定の後は、技法上の効果として音楽的響きの最もよいNevermoreというリフレインを各連の終わりに使用することにする。そしてそのリフレインを、愛人の死を嘆く男の問いに対する大鴉の答えという形で、大鴉の口からいわせることにする。

 こうして構想の骨組みが出来上がると、次ぎの課題は男と大鴉との間の言葉のやりとりに必然性を持たせることである。ここでポオの行なったことは、問いを発する男と答える大鴉の間に、最大の悲嘆と絶望が醸し出されるような場面を、結末のクライマックスとして設定し、まずその部分を最初に書き上げたことである。

 次ぎには、最初の平凡な問いに対する答えが、次第に重大な意味を持ち、それにつれて男の悲哀が徐々に高まっていくように、配列を工夫した。背景を男の部屋にしたのも、時を嵐の夜としたのも、大鴉をパラスの彫像にとまらせたのも、すべて最大の効果を生むために計算したことであって、偶然は何一つないという。

 さすが、「作詩方法の問題の3分の1は形而上学に属するが、残りの3分の2は数学に属する」と豪語するポオだけあって、説明はすべて理詰めである。推理小説の謎解きを見るような、この明解な創作過程の詳述の書は、詩の創作をインスピレーションに帰して自己の才能を権威づけようとする詩人たちへの、いわば痛烈な風刺でもあった。

 その意味で、はたしてポオの実際の創作過程がこの論文の通りであるかどうかは、疑問の余地がある。しかし、少なくとも詩作が緻密な計算と無関係でないことを世人に知らしめた功績は大きい。

・調和の中にある天上美

 それでは、ポオが詩の中で追求しようとした美は何か。一言でいえば、それは天と地の共通の遺産であるSupernal Beautyである。それは、天の配剤を模して行われる地上の様々なる形の微妙な配列である。天上の美と地上の美の絶妙なる組合せである。

 彼の関心は、いかにしてその二つの美を調和させるかであった。「マルジナリア」の中の彼の言葉によれば、「調和こそ詩的効果の最大のものであり、美そのものである」。また、「奇形でさえ、それが相互に調和させられれば、美である」。

 それでは、人はどのようにしてこの調和に到達することが出来るか。そこに、真理が媒介として登場する。ポオはコウルリッジに倣って、「私の意見では詩は真理ではなく快楽をその直接の目的としている点で、科学的著作と異なる」と述べ、さらには「水と油のように相容れない詩と真理とを融和させようなどと主張し続けるものは、救いようのない理論狂である」と書いている。

 ここでポオの真意を誤解してはならない。もちろん科学は真理を追求し、詩は美を表現するという点で、両者は峻別されるべきである。しかしポオによれば、美は調和の中にあり、その調和は「真理に到達することによってそれまで見えなかったところに見えてくる」という種類のもので、そこに「詩的効果を経験する」ことになる。したがって真理は詩と直接的な関係は持たないかも知れないが、しかし詩人は真理に助けられて、調和の美を発見することが出来るという意味で、真理は詩と密接な関係を有するといえる。

・「均衡の中に若干の奇異を含まない美はない」

 ここでポオのいう「調和の美」について考えてみよう。ポオの詩や散文には、ときどき全体の流れにそぐわない異種な響きを持つ箇所があって、それがかえって不思議な美的感覚を与える。それはいわば交響楽における不協和音のようなものであるが、彼はその効果を充分知っていた。

 彼はしばしばベーコンの有名な次ぎの言葉を引用する。「絶妙の美というものは、均整のとれた全体の中に必ず若干のStrangeness(奇異)を持っている」。ポオはおそらくベーコン以上にこの金言の意味を理解していた。

 「この奇異の要素を取り除くなら、美の霊妙な部分はたちどころに失われる。未知なるもの、陰影に富むもの、理性を超えるもの、これらすべてを失う。いいかえれば、地上の美しさを天上の美しさと思しきものに融合させるものすべてを失う」。(マルジナリヤ)

 すなわち「奇異」とは、未知なるもの、捉えどころのないもの、理性を超えるものを指す。それはまた真理に助けられて到達した「調和」の世界をも超えている。このような「奇異」の考え方は、ポオのMystic(神秘)の考え方と対応する。人知の限界を超えるものを「奇異」と呼ぶならば、それは「神秘」と呼んでも差し支えないではないか。「神秘的」とは、ポオによれば「明白な表層の意味の下に、含蓄のある深層の意味を持つような表現」を指す。後代の詩人たちを象徴主義運動に導いたこの神秘についての定義は、陰影と暗示に富む彼の詩を理解する手掛かりとなる。

・天上の美と象徴詩

 ポオは「詩の原理」の中で、審美眼を持つはずの詩人が、時に詩人の称号を裏切ることがある事実に注目して、次ぎのようにいう。

 「何かがなければならない。単に眼前の美を鑑賞するだけでは充分でない。それは天上の美を入手しようとする激しい努力でなければならない。奥津城の彼方にある世界の栄光を無意識のうちにかいま見る喜びに刺激され、われわれは『時間』の中にあるさまざまの事象や思想を組み合わせることによって、おそらく『天界』にのみ属する『美』に達しようと努力するのである。」

 天界の美が地上の人間に分かるはずはないのであるが、その不可知性の故に人間は一層その世界に惹かれる。しかし、人間は直接天界の神を見ることは出来ない。人間はこの現世に起こる神秘な事件を通じて、神の存在を感じることが出来るだけである。したがって、詩人はその優れた感性で感じ取った天上の神秘の美を一部漠然と暗示させることが出来るだけである。

 ポオの作品の優れた暗示性や象徴性は、結局激しい憧れである天界を、完全に表現出来ないという人間一般の持つ宿命の認識に由来するのである。人知の限界が、結果的に象徴による表現手段を生み出したといえる。

 このように、人間が自己を超えるものに憧れを持ち、同時に自己を超えるものを完全に表現出来ないと悟るとき、象徴詩の可能性が生まれる。イギリスの批評家I・フレッチャーによれば、「象徴とは、それ以外の方法では表現出来ない真実を表現したもの」である。実際、カーライルのいうように、「『時』の狭間に『永遠』を見分け、神性をかいま見ることの出来るのは、シンボルという手段によってである。」

・象徴詩の限界と理性の悲劇

 ポオは同じ「詩の原理」の中で、「われわれは、今すぐ、ここで、天上の恍惚を手に入れることの出来ない悲しみに、いつのの間にか涙している」といっているが、このとき彼は神の前に人間の無力を知る敬虔な詩人であった。

 しかし、後年彼の知性はますます支配的になり、感情が入手出来ないと断じたものを、知性が入手しようとした。ポオは「奥津城の彼方にあるもの」を激しく渇望するあまり、宇宙の神秘を解く鍵までも得ようとしたのである。

 死の1年前に書いた「ユリイカ」の冒頭で、ポオは次ぎのように述べる。「私がこの『真理』の書を贈るのは、それが真理を啓示しているためではなく、真理の中に富む美のためである。」

 明らかに、ポオは真理の彼方にある美ではなく、真理そのものの中にある美を、描こうとした。シンボルの限界を超え、宇宙そのものをそのベールを剥ぎ取って描こうとした。彼が付けた「散文詩」という副題には、真理の領域を侵したポオのひそかな自己弁護が感じられる。

 いずれにしても、彼が知性を感情に従属させていた間はよかったが、知力が感性に打ち勝ったとき、彼の作品は暗示性と象徴性を失うことになる。この詩の中に、われわれは理性の悲劇ー合理主義精神が不遜にも超自然に挑戦し、あえなく敗れ去った悲劇ーを見る思いがする。


5 自意識の文学  ーむすびにかえてー

・詩と論理を結びつける抽象性

 ポオが次ぎの詩を書いたのは、20歳のときであった。

 科学よ!お前は「老いたる時間」の娘だ!
 お前の鋭いまなざしはすべてを変えてしまう。
 なぜお前は詩人の心をそんなに啄むのか?
 無味な現実で作られた翼を持つ禿鷹よ。
     (ソネットー科学によせる)

 このとき、ポオはまだ科学に反感を持つ若き浪漫派詩人のひとりであった。ところが、彼は多くの他の浪漫派の詩人と違って、科学を敵視して詩の古い領域を守ろうとしたのではなく、むしろ科学を味方にし、科学の光とともに新しい領域へと、さらには地上を離れて天上にまでも赴き、そこで象徴詩の可能性を探究したのである。

 さらに、ポオは詩のみならず物語においても、神韻縹渺たる音楽の不定形と、いかなる細部もおろそかにしない数学的厳密を見事に統一させたのであるが、そのことが可能であったのは、彼が現実の世界を描こうとはせず、人工的抽象美の世界を描いたからである。

 情緒を陶酔させる音楽と冷静な思考力を要求する数学とは、一見相容れない種類の文化に思われるが、形なき時間の芸術である音楽と、形なき論理の学問である数学とは、いずれも具体性を捨象して抽象の世界に成立するという点では、同一の構造を持つのである。

・自意識の文学とそれを超えるもの

 そして、ポオが詩と物語の創作において選んだ方法は、自意識の方法であった。彼が詩で表現しようとした魂の高揚をもたらす純粋美や、物語で描写しようとした異常体験による心理的効果の世界は、自然の肉眼を通して眺められたありのままの外界の風景ではなく、いわば内なる心の目に映じた心象風景である。それを眺める心は、単に事物を意識する心ではなく、物事を意識する心をさらに意識するもう一つの心、すなわち「自意識」である。

 形ある外なる事物を描写するには、それについての認識が正確であればこと足りるが、内なる意識の心象風景を描くには、それだけでは充分でなく、その客観性を確保するために幾重にも分析と検証を加える必要がある。それはいわば鏡の中の虚像を実像に仕上げ直すために必要な、意識による具象化の操作である。

 しかし、自意識の文学の陥りがちな陥穿は、すべての文学の創造が自意識によって可能となるという幻想である。たしかに、自意識の壁の中の世界に関する限り、自意識は万能であって、その世界を完全に描き尽くすことができる。

 だが、自意識は一般に外の世界に盲目である。それは外にもっと大きな世界があることにすら気づかないことが多い。だが、優れた知性と強い意志の力で自意識の世界を隅々まで探検したポオは、自意識の限界に突き当たり、それを破って外なる世界に出ようとした。しかし、ポオの知ったことは、自意識はその限界を超えることができないということ、自意識はそれによって創造出来る文学しか創造できないということであった。そこに生まれたものが、後世シンボリズムと呼ばれる新しい方法であったとしても、それは自意識の限界から生まれたことには変わりないのである。

 しかし、このことは必ずしもポオの敗北ではなく、まして自意識の敗北でもない。何故なら、芸術の創造は本来、作者の意図を越えるものだからである。ポオの作品が作者の意識の網の目から漏れたものの中に、作者の予想もしなかった美を読者が感ずるとすれば、それは美が作者の意図から独立して存在することを示すことであり、そのような美を作者が自らの意識を超えて創造できたということは、むしろ作者の勝利だからである。

 ポオの先見性は、芸術の王国において神の摂理を、人間の意識によって代行しようとしたことであった。ポオの試み以来、人類の夢は芸術の創造をミューズの神の手から奪い取り、人間の緻密な計量に基づく科学的方法の中に体系化することであった。それを途方もない、不可能な夢として、一笑に付すことは簡単である。しかし、それを不可能と断定するものも、結局は現在の人間の意識に過ぎないではないか。その試みの中から、また人間の思いもよらない結果が生まれないとは、誰が保証することが出来ようか。

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