《課題論文入選》
「生活記録と文学」                          安藤邦男

                            「文学」VOL.24 岩波書店 1956年3月

【筆者注】 当時、多くの人の関心が生活記録運動に集まっていたなかで、岩波書店の月刊誌「文学」は「生活記録と文学」という課題で、全国に論文を募集した。これは、そのとき応募し、第1席に選ばれた筆者の論文である。
 当時の文壇には,「国民文学論」が華々しく登場し,また大衆レベルでは,生活記録運動が全国的に隆盛を極めていた。筆者はここで,生活記録が機能的に持っている教育と文学との両側面を取り上げ,それを従来の文学と比較し,その特徴を明らかにした。そして新しい国民文学創造のために,既成文学の側も,生活記録の側も,相互に相手の長所を吸収することによって,一層の発展が期待できるとし,両者に対して問題提起を行った。


 【編集部評】
人選論文の発表に当って

 応募原稿は総計二十八点。これを地方別に分けると、関東九点、中部五点、近畿・北海道各四点、東北・四国各二点、九州・中国各一点となります。更に職業別にみると、教員(小、中、高、大学、かつて教員であった方も含む)一四名、会社員・公務員・現場関係の方が七名、学生四名、農業一名、主婦一名、職業の記されてない方一名となります。

 この二十八篇の中から第一次次選考で十五点を残し、更に慎重に審査した結果、安藤邦男氏、鈴木実氏、橋本二郎氏の三篇を入選と決定いたしました。

 安藤氏のものは、今日出されている意見をよく消化し、正確に理解して、その上に立ってオーソドックスの見方を示されたこと、また、多くの問題提起がなされている点を評価いたしました。鈴木氏のものは、実地の体験に則して書かれ、実例が上つていて抽象論でないことを評価します。しかし、生活記録の特徴である集団性を見逃しておられろ点が不充分といえましょう。橋本氏のものも、抽象論でなく意見も素直に出されていると考えます。

 以上の点から三篇を入選と決定いたしました。

 全体の傾向としては、「生活記録(綴方)と文学」という課題テーマに対して、一方では生活記録こそ文学であるとする意見と、他方では生活記録は文学ではないとする両極端の意見があり、その中間に、さまざまの折衷意見がありました。

 「生活記録(綴方)」には、文学としての問題と、教育としての問題の両側面があると考えますが、教育の場でのみ論じられているのがありました(山形・石川氏)。その限りではよい論文であっても、今回のテーマから云って採り得ませんでした。

 また、生活記録をルポルタージュと混同して、ルポルタージュ論を書いおられる方がありました。このほか、国分一太郎、木下順二、猪野謙二の意見をそのまま使っている論稿も若干ではあるが見うけられます。

 なお、編集部としてお詫びしなければならないのは、募集要綱の中の生活記録(綴方)を「戦後の新しい文学のジャンルの一つ」として、恰もすでに規定きれたかのように書いたことについてであります。この点については、東京・丹慶氏からその結論は性急であるとの抗議をうけました。募集要綱の言葉として不適当であったことを認め、掲載発表が二度にわたって遅れたことを併せて、お詫び申し上げます。       

                                                    編集部課題論文係


【本文】


一.
 数年来、国民文学の提唱が行われ、さまざまの論議がそれをめぐってなされています。しかし、いまだにはっきりした国民文学の理論が打ちだされていないのは、国民文学という言葉の概念規定すらあいまいであることからも明らかであります。このようなあいまいさは、国民文学なる概念が、けっきょく、わが国の文学の現状から要請された理念としてあるからでしょう。これこそ国民文学の典型であると指摘する作品がまだ存在していないときには、私たちは、いきおい、おのおのの主義や立場の上から、さまざまの文学理論をたよりにして、新しい文学のあり方を模索してゆかねばなりません。

 しかし、国民文学についての理論が紛糾を重ねていることは、それだけ問題の困難性を示すと同時に、またその重要性も意味しているのです。なぜなら、理論の混乱は、単に作家や批評家だけでなくいろいろの領域の人がそれぞれの立場から発言していることに原因し、このように発言が狭い文壇のワクを越えているということは、国民文学が既成文学の側よりも、むしろそれ以外の広い国民大衆の側から要求されていることにほかならないからです。

 ここで、国民文学論の発生の事情をふりかえってみると、「もしいまの場合、日本民族の滅亡がかけられているとしたら、それでも文学は局外中立を保てるだろうか」という竹内好氏の言葉が示しているように、激しい、ある意味では観念的な、民族的危機の意識が、危機脱出のための文学として、国民文学なる概念を呼びだしたといえましょう。しかし、このような「国民解放のための文学」という国民文学概念の一側面が意味をもつためには、「国民に解放された文学」という他の側面の実現が不可欠であるのはいうまでもありません。そこで、国民文学論はこの両側面を起点として発展してきているわけですが、はたして真の国民文学がそこから生まれてくるかどうか、私には疑問に思えます。

 いったい、わが国の文学の現状はどうでしょうか。民族的危機意識につらぬかれた文学は少いし、またあっても一部左翼主義者の話題にのぼる程度で、大部分の民衆には無縁の存在にしかすぎません。いわゆる純文学と大衆文学との分裂は依然として続いており、特定のインテリ階級を相手とする文壇文学が一方にあるかと思えば、他方にはコマーシャリズムによって毒された娯楽小説がはんらんしています。

  このような「奇形現象」を克服するには、純文学が「芸術」の名において閉めだし、その結果大衆文学の中に吸収されていったもろもろの文学要素を、いま一度、純文学がその領域の中に取りもどさなければならない、といわれます。このことは、純文学の狭いワクを打破するという意図に関するかぎり、正しいことでしょう。しかし、真の民衆の要求は純文学におけると同様に、大衆文学においても除外されているのです。してみれば、純文学と大衆文学との統一ということでは、民衆の要求は依然として文学に反映される機会がなく、したがって、文学を民衆のものにするという目標が見失われてしまいます。これは、けっきょく、国民文学の論者たちがあまりにも既成文学のワクにとらわれているためであろうと思われます。

 国民文学論についてのもう一つの不満は、そこに見られる危機意識の中に、インテリ特有の観念的な尖鋭さが感ぜられ、しかもそのような意識で民衆を啓蒙することによって、文学を民衆に解放しようとする考え方が根強く存在することです。だから、民衆に学び、民衆の要求を自己の要求とする困難な、それだけに重要な、方向が軽視されざるをえないのです。民衆は決して眠っているのではありません。ただ、民衆はインテリ批評家が生活を離れた場所でもつ危機意識を、生活そのものの中に感ずるのです。生活に密着した意識の中にこそ、真に危機を克服する力のひそんでいることを、まず批評家は気づくべきなのです。

 かくて、わが国の文学のあり方を批判するインテリ階級が、危機克服の国民文学を既成文学の側から設計していたとき、生活そのものの中に危機を感ずる民衆は、もっと具体的に、そのような危機を克服するため、民衆自身の生活を描いた文学を求めていたのです。そして、民衆はそのような文学の出現を待ちきれず、自らの手で自らの文学的要求を解決すべく、自らの生活を描きはじめました。これが、生活記録運動なのです。

二.
 生活記録運動の特徴は、一言でいえば、その未分化性にあるといえます。かつて、生活綴り方のあり方をめぐって、生活派と芸術派とが対立したように、生活記録運動全体についても、それが教育の手段であるとする考え方と、あくまで文学の立場から見ようとする考え方とが対立しているようですが、いずれも生活記録の正しい捉え方ではないと思われます。生活記録は機能的に未分化であり、教育としてのはたらきと文学としてのはたらきとを同時的に行っているのです。さらにその未分化は創作と享受にも及び、近代文学が両書の明確な分離の上に成り立っているのに反し、ここでは、あたかも桑原武夫氏が「第二芸術」と呼ぶ和歌や俳句のごとく、読み手が同時に書き手であり、書き手が同時に読み手であります。さらにまた、ここでは生活目的と表現目的とが同一であり、表現することが一つの薪しい世界の完成としてあるのでなく、どこまでも生活の続きとして、生活のためにあるのです。それゆえ、生活記録は表現された内容においても、さまざまの要素が生活目的と結びついたまま未分化に入りこんでいるのです。

 ところで、生活記録のもつこのような未分化性を、私たちはどう解釈したらよいでしょうか。もし分化という概念が発達ということを意味するとすれば、たしかに未分化は発達の幼稚な段階でしょう。しかし、分化を極限にまで押し進めると、今度は逆に、薪しい分化を準備するため綜合に向って進むのは、歴史の教えるところです。生活記録のもつ未分化性は、このような歴史の綜合化への一つの動きではないでしょうか。そして、かつて確立された分化を綜合するのは、新しい歴史の段階に応じた分化を再び確立してゆくためです。このように、現実がもはや既成の分化に満足していないということは、例えば文学がもはや文学自体の領域に留まっていることができないことからでも知られます。文学は進んで政治や教育の分野に進出しなければならないし、同時にそれらのものに侵入されざるを得ないのです。

 もし分化という概念がが文化を意味するとすれば、ではそのような文化を否定するものは何でしょうか。それは民族です。文化はつくられたものであり、つくられたものとしての固定性をもちますが、その対立概念である民族は絶えず成長してゆくものなのです。だから民族はおのおのの発展段階において自己に適した民族文化をつくってゆくのですが、薪しい文化の創造の場合は、古い文化をつくりかえねばならず、そのことが可能なのは、文化の既成のワクを取りはずして、その混沌の中から真に民族の要求するものを受けつぎ育てていくからです。したがって、生活記録の未分化性の中には民族的なものが本質的な契機として存在しているのです。鶴見和子氏が「泥くささ」と呼び、中野重治氏が「一般的地べた性」と規定しているものは、けっきょく、このような民族的概念と云えましょう。なるほど、それらは近代以前のものかも知れません。しかし、悪しき近代主義化を受けていないだけに、土と結びついた民衆が歴史とともに背負ってきた根強い民族性が、豊かに感ぜられます。

 さて、生活記録のもつ未分化性は、このように、私たちの時代が新しい段階にきたことを感じさせますが、ここで考えられるのは、新しい歴史社会の発生・成立にともなって現れると云われる叙事詩のことです。むろん、私は生活記録が叙事詩であると断ずる勇気はありません。が、生活記録について考えられるいろいろな事情、たとえば、読み手だけでなく書き手の量的増加、それにともなって文学に対する要求の質的変化、生活を通じて痛感される時代の危機、個人の無力感から集団主義的なものへの志向、このような事情の中には、たしかに叙事詩時代の到来を予感させるものがあります。けれども、問題は叙事詩への道が開かれたかいなかということではなく、生活記録が民衆の新しい文化創造の要求に根ざしている以上は、私たちはこれを評価するのに決して既成文学の古い概念にたよってはならないということなのです。それは、ちょうど、叙事詩を叙情詩の概念ではかることができないのと同じです。

三.
 これまでの概念でもってすれば、文学はまず作品として完成されたものでなければなりません。ところが生活記録においては、それを完成されたものとして眺め評価することは、全く無意味であるのみならず、有害ですらあります。例えば、『エンピツをにぎる主婦』に見られる感傷主義を、頭から意識のおくれとしてきめつけることはできません。封建的な家族制度の重圧を一身に感ずる婦人の生活環境を考えれば、そのような感傷主義は、彼女たちの具体的な生活改善や人間改造にとって、かえって必要なのではないでしょうか。しかし、同じ感傷主義でも『人生手帖』や『葦』などの生活記録専門の投稿雑誌に見られるそれは、十代のもつ力強い行動のエネルギーを阻害し、実践からの逃避という傾向を助長しているようです。

 だから、生活記録の正しい捉え方は、記録としてもつその内容をそれが書かれた生活環境に還元し、あくまで生活の一環としてとらえることでなければなりません。ところが、生活環境は、民衆全体を単位として見る場合は、各個人の間に相違があり、個人を単位として見る場合は、各発展時期において段階があるわけです。そのさまざまの単位と段階におけるそれぞれの問題意識が、全体とのつながりの上から正しいかどうか、あるいは正しい方向に解決されているかどうかをきめるのが、生活記録の正しい批評のあり方だといえます。ただ、しかしながら、このような批評を生活環境を異にする従来の批評家に求めるのは、ほとんど不可能であり、生活記録の書き手たちはそれを自分たちの集団による話し合に求めるか、または生活環境を同じくし同時に正しい理論を兼ねそなえた指導者に求めるかしなければなりません。組織の中で書かれる小中学生の綴り方や、地区・職場サークルの生活記録が、未組織的なジャーナリズムに現れる生活記録より、一般にすぐれた方向をもっているのは、つまりこのような集団的な話し合の機会とすぐれた指導者の有無によるものと思われます。

 生活記録をこのように生活の一環として捉えねばならないということは、前述のごとく、それが生活の手段としてあり、したがって、書かれた記録がそれ自身完成されたものとして生活から独立するということが行われないためです。ところで問題は、そのような生活記録が、個人経験のワクを越えて普遍的形象をかくとくし、国民文学として成立することができるかどうか、できるとすればどのような根拠によるか、であります。私はそれが可能であると信じ、その根拠を「生活のために書く」という行為の中に求めます。

 私たちが生活するということは、環境の中にあって行動するということであり、そこに発展があるのは、私たちが環鏡に従いつつ、しかも環境を克服してゆくからです。しかし、行動は、ほんらい、局所的であり、しばしばはじめの目標を見失いがちです。それを避けるために、私たちは一度行動の外に立って、その行動のもつ意味を考えねばなりません。これを反省といいます。つまり、行動と反省をくりかえすことによって、私たちの生き方は進歩し、生活は発展してゆくのです。このような行動における反省という役割を、生活記録が果たしているのはいうまでもありません。

 ところで、このような反省は、別の言葉でいえば、批判であり判断であります。正しい批判や判断をするために、私たちは自己を狭い個人経験の世界から解放して、もっと広い全体の場まで拡大することが必要です。そして、このことは書くという行為によって可能なのです。なぜなら、自己を描くということは、自己を客観化することであり、描かれる自己を描く自己から分離することです。そして主体として分離する自己が客体として分離された自己を書くことを通して綜合するとき、そこに新しい自己が、自己の拡大発展という結果をともなって生まれるのです。このように、自己と自己の経験を描くことにより、人間は自己の狭い経験のワクを破って、広い全体的な普遍的経験の世界へと発展してゆくことができるのです。

 ところがここで注意すべきは、このようにしてかくとくされる生活記録の普遍性は、既成文学に見られるような虚構による普遍性では決してないということです。現代資本主義め下では、社会は散文性の中に解体し、人間は分裂し疎外され人間的本質から切り離されています。その解体した現実の再建と、失われた人間の全体性の恢復とを、文学の領域で行おうとするとき、虚構による典型創造の必然性がでてきます。しかし、生活記録に民衆が求めたものは、そのような夢ではありません。民衆は疎外された自己の恢復を、文学の次元においてではなく、現実の生活の次元において、実現しようとしているのです。そのような疎外された自己の恢復のための各段階において生まれたすぐれた実践こそが、生活記録においては普遍的な典型になるのです。

 だから、生活記録が文学的洗練を求めて虚構を導入すれば、実践的解決を自ら封じてしまうことになり、まさに自殺行為にほかなりません。分裂し疎外されたありのままの現実を認識し、その上に正しい実践の方向を定め、個々の問題を具体的に解決してゆく過程に、次第に積み重ねられてゆく生活記録は、やがて新しい社会の実現のあかつきには、一つの叙事文学として綜合されるのではないか、と私はこのように美しい夢を生活記録について描いているのです。

四.
 生活記録の評価をめぐって針生一郎氏は次のように書いています。「一方では、専門作家がこの文学・芸術の素材としての鉱脈をゆたかにほりおこし、そこから典型的な形象をつくりだすコースとともに、もう一方では、この人びとじしんが書くことをとおして意識を社会化し、現実を全体的関連でとらえるよう、成長してゆくコースが考えられねばならぬだろう。」(七月十八日附「読書新聞) 針生氏が両コースの先端に、国民文学の成立を考えているかどうかはわかりませんが、このように生活記録をめぐって二つのコースのあることを指摘したのは、基本的に正しいことだと思います。どちらのコースにも、国民文学の生まれる可能性があるのですが、しかし最大の可能性は既成文学と生活記録との融合のなかに求められなければなりません。

 私たちのつくろうとする国民文学は、既成文学のワクの中で純文学と大衆文学との綜合という、安易な形で生まれるものではなく、じつにそれは既成文学と生活記録との統一という形で生まれなければなりません。文学の新しい発展の契機は、内部からでなく外部から来るのです。しかし、その場合統一といっても、主体はあくまで生活記録の側になければならず、既成文学が民衆の啓蒙という名の下に、かえって生活記録のもつ文学としての新しい質をゆがめるようなことは許されません。既成文学は、国民文学を生むための捨て石になる覚悟で、もっとけんきよに民衆の生活に直結する生活記録から学ばなければならないのです。文学が国民的規模で真に民衆のものになるのは、民衆を啓蒙することによって文学を民衆に与えるという形ではなく、民衆の中に芽生えたものを文学が摂取するという形において、はじめて可能になるのです。

 一方、生活記録の側にあっては、すでに明らかなように、それが発生的にもつ問題意識を追求し、生活記録本来の目的に徹することによって、国民文学の普遍的な形象を作りだすことが可能になるのです。ただ、そのような普遍的形象の実現にたっするまでには、それへのそれぞれの段階において、個人の特殊な経験がより広い経験へと拡大される経験の普遍化が行われます。ここで、生活記録は既成のレアリズム文学のもつ普遍化の方法に、学ばなければなりません。ただ、私達の既成文学においてはそのような普遍化の範囲が多くは家庭の中に留まっているか、せいぜい自己の所属する狭い社会的階級におわっており、国民全体にまで及んではいないのです。だから、生活記録の書き手たちは、既成文学から、そのような経験の普遍化の方法を学び、既成文学の普遍化の限界を破って、それを更に民衆の生活全体にまで広げるという、困難な道を選ばなければなりません。しかし、そのような道を進んでこそ、文学の「地下水」としての生活記録は、やがて真の国民文学として豊かな結実を示すことができるでありましょう。(名古屋、高等学校教諭)

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