教訓 95. 願望が確信や理屈を生みだす。


The wish is father to the thought.《願望は思想の父である》


 正しい信念や理論は、本来は客観的なもので、人間の願望とは関係のないはずのものです。しかし、必ずしもそうでないところに、人間の人間たるゆえんがあります。人は正しいから信じるのでなく、そうなってほしいと願うことを信じるものです。

(a) We soon believe what we desire.《人は願うことを信じるものである》

だから、信念や思想がいくら立派なものであっても、無条件に信用してはなりません。それらのものを背後から支えている動機、願望、人間性などとの関連なしには、信念や思想を客観的に把握することはできないことを、これらのコトワザは教えているのです。

 次のコトワザはさらにハッキリと、その気があればどのような理屈でもつけることができるとして、タテマエの後ろに隠された私利私欲を指摘します。

(b) An ill payer never wants an excuse.《金を返そうとしないものは、口実に事欠かない》

 さらに、確信は盲信に変わる危険があります。おのれの正義のみを信じ、他人の価値観をすべて否定するところまで進むと、もはや狂信といってよいでしょう。

(c) Men are blind in their own cause.《人はおのれの正義のために盲目となる》

                                 本文のトップに戻る