教訓 53. 人間も気まぐれである。


Danger past, God forgotten.《危険が過ぎると、神は忘れられる》「苦しいときの神頼み」


 神が気まぐれであるとすれば、まして神のつくった人間はなおさら気まぐれであるはずです。このコトワザは、平素神に祈ったことのないものも、困ったときだけは神にすがろうとすることをいいます。そして危険が過ぎ去るやいなや、神に祈ったことさえ忘れてしまうのが人間だというのです。次もその類義コトワザです。

(a) Vows made in storms are forgotten in calms.《嵐のとき立てた誓いは、凪になれば忘れるもの》「喉元過ぎれば熱さを忘れる」

 さらに、人間の気まぐれは、現在の自分さえよければ先のことはあずかり知らぬという、エゴイズムにまで発展することがあります。

(b) After us (or me) the deluge.[Madam de Pompadour]《わが後に洪水来たれ》「後は野となれ山となれ」

これは、自分の死んだ後はどうなろうと知ったことではないという意味で、一説にはルイ15世の愛人、ポンパドゥールの言葉と伝えられていますが、古くからあるフランスのコトワザが起源のようです。

 このような気まぐれや身勝手さは、人間の弱き性の表れでしょうが、しかしその弱き人間はまた、神の前におのれの過ちを悔い、さらなる努力を誓う善人でもあるのです。そんな人間に救いの手を差しのべてくれるのが神であるというのが、次の教訓54の教えです。

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