コトワザこぼれ話(5)

「己の欲する所を人に施せ」


Do to others what you would be done by.《己の欲する所を人に施せ》

 この聖書からの引用句は、肯定表現でいっていますが、日本では同じ主旨のことを「論語」の名言を引用して、「己の欲せざる所を人に施す勿れ」と否定形でいいます。つまり、「善いことをせよ」という道徳律が「悪いいことをするな」という道徳律に変わるのです。ここに、日本と英米の、というより東洋と西洋の、思想と認識の違いが見られます。

 このような肯定形と否定形の違いが表しているものは、一体何でしょうか。それは、それぞれの文化の土壌の中に育てられた人間関係に対する態度の相違ではないでしょうか。伊藤整は、その評論「近代日本における『愛』の虚偽」(「我が人生観」大和書房1972年)の中で、このコトワザに言及し、その違いを次のように説明しています。

「西洋の考え方では、他者との組み合わせの関係が安定した時に心の平安を見いだす傾向が強い」のに、「日本人は他者に害を及ぼさない状態をもって、心の平安を得る形と考えている」。

したがって、日本人は「他者を自己と全く同じには愛し得ないが故に、哀れみの気持ちをもって他者をいたわり、他者に対して本来自己が抱く冷酷さを緩和」せざるを得ないといいます。

 彼の言葉を敷延すれば、こういうことになると思います。他者志向の強い英米人は愛にしろ善意にしろ他人からの働きかけを快く思い、好意を持って受け取るのですが、他者からの隔たりに心の安定を見いだす日本人は、他人からの働きかけはたとえそれが愛や好意から出たものであれ、むしろ迷惑に思う傾向があるのです。

 つまり、好意を有り難く感じる英米人は、他人にも同じ有り難さを感じてほしいと思うから、「己の欲する所を人にも施せ」という考え方になるのでしょう。一方、他人からの迷惑を強く意識する日本人は、同じ迷惑を人におよぼさないように「己の欲せざる所を人に施す勿れ」と考えるようになるのでしょう。

 前者はキリスト教の「人間愛」にもとづく博愛精神であり、後者は儒教の「仁」にもとづく道徳観念であるといえます。人間愛や博愛の中に愛の押しつけとエゴイズムを感じる古き日本人は、自己抑制とその上に成立する慈しみや思いやりの方向に向かわざるを得ないのです。そこに、「己の欲せざる所を人に施す勿れ」というコトワザが生まれるゆえんがあります。

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