コトワザこぼれ話(2)
「自分の子供を知る父親は賢い」
「親馬鹿」を表す英語のコトワザに
a. It is a wise father that knows his own
child.
というのがあります。直訳すれば《自分の子供を知っているのは賢い父親である》という意味ですが、どうしてそれが「親は子供のことは知らないもの」とか「親馬鹿」とかになるのでしょう。
まず、この種のコトワザの取る構文は、It
is 〜 that・・・ であるということに注意してください。次に、このコトワザを[A][B][X][Y]の四つの要素に分解し、次図のように並べてみましょう。
@現実相 [A](普通の父親) → [X](子供をあまり知らない)
A理想相 [B](賢明な父親) → [Y](子供をよく知っている)
ここで、
@現実相の「[A]( 普通の父親)は、[X](自分の子供をあまり知らない)のである」
を主張したいとします。そして、そのまま言ったのではあまりに芸がないと感じたとします。
そこで、[X](自分の子供をあまり知らない)に対してはその反対概念である
[Y](自分の子供をよく知っている)を立て、[A](普通の父親)に対してはその理想型である
[B](賢明な父親)を立てます。
そして It 〜 that の構文を用いて、 [B](賢明な父親)を強調し、A理想相の「[Y](自分の子供をよく知っている)のは、[B](賢明な父親)である」という表現形式をつくります。このようにして、It
is a wise father that knows his own child.ができあがりました。
つまり、これはAの理想相を提出することによって、逆に@の現実相の不合理を暴き出そうとする、コトワザ特有の論理であります。その意味するところは、(自分の子供をよく知るのは、よほど賢明な父親といえる)
→ (実際の父親は普通の父親であって、そんなに賢くない)→(したがって普通の父親は自分の子供のことはほとんど知らない)ということになります。
なお、このコトワザは Shakespeare の The
Merchant of Venice [IIii83] にも出てきますが、シャイロッ
クの従僕であるランスロットが、息子である彼に気づかない目の悪い父親に対して口にする言葉の中にあります。今日の用法でも、子供が本当に自分の子であるのを知るのは母親だけで、父親にはわからないという意味で用いられることがあります。
同類のコトワザ
b. It is a wise child that knows his own
father.《父親のことを知っている子供はよほど賢い子供だ》
も、「親の心子知らず」の意味のほかに、親子の血統はだ
れにもわからないという意味で使われることもあります。
本書に収められた同類構文のコトワザには、次のようなものがあります。
c. It is a foolish (or an ill) bird that
soils (or fouls) its own nest.《自分の巣を汚すのは馬鹿な鳥》(そんな馬鹿な鳥はいないから、どんな鳥でも普通は自分の巣は汚さないもの)
d. It is a foolish sheep that makes the wolf
his confessor.《狼を贖罪師にするのは馬鹿な羊》(そんな馬
鹿な羊はいないから、どんな羊でも普通は狼を贖罪師にはしない)
e. It is a sad heart that never rejoices.《喜びを知らない心は、よほど悲しい心》(そんなに悲しむ心はこの世に存在しないから、普通の心であればどんなに悲しくてもいつかは喜ぶもの)
f. It is an ill wind that blows nobody any
good.《だれにも何らかの利益を運んでくれない風はよほど悪い風》(そんな風はないから、どんな風でもだれかに何がしかの幸運を運ぶもの)
g. It is a long lane that has no turning.《曲がり角のないのは、よほど長い道》(そんな道はないから、どんな道にも必ず曲がり角があるもの)
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