『いたどり記』を読んで      山田慶子
 
  ―『いたどり記』にグイグイ惹きつけられました。   


今「いたどり記」を読み終わりました。

一般に「自分史」と言われているものは、独りよがりな自己を美化したものが多いので、お借りした時はそんなに期待もしないで読み始めたのですが、数ページ読んでいくうちにグイグイひきつけられ一気に読んでしまいました。

自分史であることには違いはないのですが、優れたエッセイの集まりを読んでいるようで、全く飽きさせないのはすごい筆力だとおもいました。思いつくままに何点か記憶に残ったところを書いてみます。

思わず笑ってしまったのは、「サプリメント騒動記」、「男はサ行に生きる」。私はどちらかというと、サ行の女ですね。

「別れも楽し」にあった
「欧米人の挨拶がハグにしろキスにしろ、なぜ濃厚であるかということがわかった気がしている。それはたぶん、思い出を脳裏の中に秘めるだけでなく、肌の感覚として忘れずに留めおきたいという願いの表れであろう」
は、まさに納得、目からうろこが落ちた思いです。

また、「生活記録運動の頃」の章のところで、難解なヘーゲルの疎外の論理をとてもわかりやすく書いてくださり、大好きな箇所です。

創作「恋文のトレース」は、初期の村上春樹の作品をほうふつさせる気がしました。木村のセリフも魅力的ですし、ある作家の随筆に書いてあったという、
「事実をありのままに書いても、それは真実にはならない。真実というものには、人を納得させる仕掛けが必要である。それがフィクションである。フィクションは単なる嘘ではない。夢を見るからこの現実は美しくなる。フィクションがあればこそこの人生はいっそう真実味を増す」
という言葉、いいですね。私も書き写しました。18歳でこんな小説をかけるなんて、早熟だったのですね。

私も、学生時代、太宰治や坂口安吾にのめりこみ卒論も太宰をとりあげました。同じデカダンでも坂口の方が骨太ですね。彼の「青鬼の褌を洗ふ女」が好きです。

私は文を書くのが大嫌いなので、ほとんど書きませんが、今回はとてもすばらしい御本に出合い、感動しましたので、思わず書いてしまいました。

昨年亡くなった井上ひさしさんが座右の銘にしていたという、
「難しいことをやさしく やさしいことを深く 深いことを愉快に 愉快なことをまじめに」、
が大好きなのですが、まさに「いたどり記」はこれにぴったりですね。

なにやら色々失礼な事を書いてしまいましたが、どうぞお許しください。またパソコンも苦手で「行」をあけるつもりもないのに、あいてしまってなおせません。申し訳ありません。

いつもお世話になっている奥様によろしくお伝えください。 (山田慶子)

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