さらば、ペダラよ
「あれ? 靴がない!」
会合が終わり、部屋から出ようとしたとき、上がりがまちに揃えておいた自分の靴がないのに気づいた。
石畳の上には十足ほどの靴が並んで置かれており、そのなかに一足だけわたしの靴に形や色がそっくりなのがあったが、よく見るとサイズも小さいし、色つやも違う。
ウエイトレスに伝えると、何人かがあちこち探してくれたが出てこない。だれかが履き間違えて帰ったのは、明らかであった。
その日、藤が丘駅前のKレストランでは、妻とわたしがともに所属する或る団体の昼食会が開かれていた。妻とわたしが入ったときは、店は満員の盛況で、カギのかかる下駄箱には空きがなかった。やむを得ずわたしたちは店員の指示にしたがい、石畳の廊下に靴を脱いで座敷に上がった。そして食事と話し合いが終わり、出ようとしたときの事件だったのである。
「今日はひとまず、店のサンダルを履いてお帰りください。先にお帰りになった予約のお客様方は、電話番号が控えてありますから、こちらで尋ねてみます。それに、間違いに気づいた方が申し出られるかもしれません。分かり次第ご連絡します」
そのように言う若い店長に電話番号を伝えると、わたしはサンダルをつっかけ、木枯らしの吹きすさぶ午後の街通りに出た。
靴がなくなるというようなことは、初めての経験であった。歩きながら、わたしは妻に愚痴っていた。
「自分の靴を間違えるなんて、よほど無神経な人間だな。それとも彼、酔っぱらっていたのかな。いや、待てよ、ひょっとすると―」
突然、わたしはむかし読んだことのあるA・G・ガ―ディナ―の随筆『アンブレラ・モラル(雨傘道徳)』のことを思い出した。
場面は、雨傘がまだ高価な時代のロンドンである。床屋などの傘立てで、雨傘を取り違える男がいる。彼はきまって自分のものよりずっと立派な雨傘を持ち帰る。帰途、それに気づいて「大変!
間違えた」とつぶやくのだが、それは必ず現場からかなり遠ざかってからである。そして「仕方がない、もう戻っても間に合わないから」と、自らに言い聞かせる。それに、相手も自分の置いてきた傘を持ち帰っているはずだと考え、自らに免罪符を与える。こうして、自分の良心―〈雨傘良心〉とでもいうべきか、厳密にいえば似非良心だが―は少しも傷つくことなく、彼は高級雨傘を手に入れるのである―。だいたいそんなストーリーが、軽妙な筆致で描かれていた。
そういえば、残っていたのは安物を思わせるケミカル・シューズ、わたしの靴は、履き古されたとはいえ上等なペダラの革靴なのだ。人を疑うのは悪いと思いながらも、わたしの心には疑惑が渦巻いていた。
翌日、店長から電話があった。
「予約した団体の責任者の方にも電話で問い合わせたし、またその責任者の方もそれぞれの関係者に電話して尋ねてもらったのですが、わかりませんでした。でも、申し出があるかもしれませんので、もう少し待ってください」
二、三日待ってもいっこう連絡がないので、しびれを切らした妻が店長に電話すると、
「いろいろ当たったのですが、判りませんでした。申しわけないが、お好みの新しい靴を買ってください。一万円までは店でお金を出させて貰います。レシートをお忘れなく持参下さい」という。
それから一週間ほどがたったある日、妻がいった。
「あの靴はもう出てこないでしょうし、あまり遅くなると店も約束を忘れるかもしれませんから、新しい靴を買いに行きましょうか」
もっともだと思って、わたしは妻といっしょに出かけた。地下鉄に乗る前に、その店に立ち寄り、靴が戻ってきていないことを確かめた。そして、今から靴を買いに行く旨を店員に伝え、店を出た。
そのとき、やがて想定外の出来事が起ころうとは神ならぬ身の二人、つゆ知らぬことであった―。
星が丘の三越前にある靴専門店には、日ごろ欲しいと思っていたリーボックのウオーキング・シューズがいくつか並べられていた。わたしはあれこれ選び、やっと気に入ったのを見つけて買った。値段は一万円を少々超えていた。
Kレストランにもどり、レジ係に靴のレシートを出そうとした。そのとき、突如、店の奥から店長が現れた。それが〈偶然劇〉の幕開きであった。
なんと、店長は手にしたビニールの袋を差し出し、こう言ったのである。
「さっき靴を間違えたという人が来て、これを持ってきました。たしかめてください」
中には一週間ぶりに見るあの履きなれた、懐かしいわたしのペダラの靴があった。
「間違いありませんね。どうぞお持ち帰りください」
と言い残して、彼はそそくさと奥に引っ込んでいった。
運命を司る神様がたしかにいるのだと確信したのは、まさにそのときであった。でなければ、こんな偶然劇が起きるはずはない。呆然としたわたしの脳裏に、一瞬代金のことが浮かんだがすぐ消えた。自分の大事な靴がもどったことと、新しいリーボックを手に入れたことの喜びの方が強かったのだ。そのまま二足の靴を抱えてレストランを出た。
複雑な気持ちだった。届け出た人が〈雨傘良心〉の持ち主でなかったのは、救いであった。しかしそうであれば、どうしてもっと早く返してくれなかったのか。新しい靴を買い求めた直後に、しかも弁償代を受けとる寸前に返してよこすとは―。だが、思いなおすとしよう。ペダラも少々草臥れていたから、この際新しい靴を買い増したと考えればいいのではないか。そう思ってわたしは納得したが、納まらないのは妻であった。
「こちらはその日、靴が戻っていないのを確かめたうえで、今から買いに行くことを伝えたのよ。向うもそれを承知しているはずだから、靴の代金はちゃんと払ってもらわなくちゃあ―」
かくして、妻の闘いが始まった。友人に話を聞いてもらったり、消費者センターに電話したりした結果、誰からも妻の要求が正しいというお墨付きをもらった。
自信をもった妻は、そのレストランのチェーン店本部に電話で交渉した。本部の責任者との話し合いで、最終的に新しく購入した靴を店へ持っていけば買いもどしてくれるということになった。
「いやだね。長い時間かけて選んだリーボックだ。愛着があって、今さら渡したくない」
わたしは駄駄をこね、その申し出を断った。妻はさらに本部とかけ合った末、けっきょく、代価を弁償してもらうということで決着がついた。
レストランの店長にその旨を伝えると、
「分かりました。本部がそう言うなら、一万円を支払いますから、レシートとお貸したサンダルをもってきてください」
という返事である。内心ほっとした妻に、しかしながら次の言葉が追い打ちをかけた。
「そのかわり、戻ってきた古い靴は返してくださいよ」
店長の応答には、どこか底意地の悪さが感じられたという。意表をつかれた妻も、ひとこと返した。
「あなた、そんな古い靴をもらって、どうするんですか」
「むろん、どうするわけでもありません。でも、これはこういう事件の事後処理の前例になりますから、きちんとしておきたいだけです」
そっけない返答であった。
レストランに渡った靴には、たぶん可燃物としてごみ処理される運命が待っているだろう。そう思うと、短い期間ではあったが苦楽を共に歩いてきた愛靴に、可哀そうなことをしたという自責の念がこみ上げてきた。そして、そんな気持ちが晴れるまで、当分あの店で食事はしないでおこうと心に決めた。
翌日、新しい靴を履いて、恒例の散歩に出かけるとき、わたしはひそかにつぶやいた。
「リーボックよ、今日からよろしく頼む。お前はペダラの身代わりなんだから―」 (平成二十四年三月)
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