《ミニ私小説》
ヘビのとなりにイヌがいる
乱雑に並べてある書棚で、ある本を探していると、片隅から別の本がわたしの目を引いた。引っ張り出して奥付を見ると、それは二〇〇六年発行とある。五年前のことだ。
そうだったと、思い出した。愛知万博が終わった翌年だった。その頃、わたしは体調をくずし、病院通いをしていたが、その帰りであった。気晴らしに何気なく覗いた駅前の本屋で、一冊の本がわたしに呼び掛けた。中身をあらためることもなく、その本を衝動買いした。それはまるで、われわれ夫婦のために書かれた本のような気がしたからであった。表題に、『戌(がいると、なぜ巳(へびは幸せなのか』(三五館)とある。
わたしは巳(み)年、妻は戌(いぬ年なのだが、今まで読んだ占いの本などでは、干支(えと)の組み合わせは、かならずしもよくないとあったように記憶している。それに、二人の性格や行動パタ―ンはおよそ正反対である。であるのに、この本ではイヌがいるとヘビが幸せという。ほんとうか?
そんな思いに駆られて買ったのはいいが、可哀そうに積読(つんどくの運命にさらされたままだった。
前非を悔いて、さっそく読んでみることにした。干支(えと)による占いの本だから、ページのはじめに、時計の文字盤のような十二支図があって、十二時の位置には子(ね)が、その一直線下の六時の位置には午(うま)が描かれている。そして、自分が子(ね)で相手が午(うま)であるときは、相性が良いが、相手が午の前後、つまり巳(み)か未(ひつじ)であるときは相性が良くないと説明してある。
われわれ夫婦の場合でいえば、わたしが巳であるから、一直線に相対する干支亥(い)であり、この亥(い)イノシシとは相性がよいが、その隣の戌(いぬ)とは相性が悪いというのである。
しかし、そうだとしたら、この本の題名と矛盾するのではないか。そんな疑問を抱きながらさらに読み進むと、次の文章に出会った。
「ヘビとイヌの関係は本人たちが望むと望まざるとにかかわらず、なぜか離れがたく結びついていて、・・・それだけに宿命的因縁が深いことを思わせる。・・・具体的にはどういうものになるかといえば、ズバリ、本来は相性がよくないにもかかわらず、会ったとたんから妙に惹かれあい、なぜかズルズルと交際がつづいてしまう仲」とある。
そんな有名人の例としては、戌年生まれの黒沢明監督に巳年生まれの志村喬さん。外国では巳年の毛沢東と戌年の周恩来などが挙げられている。そして、ヘビとイヌのコンビは、師弟または主従の、一心同体ともいうべき深い同志的関係を続けると解説していた。
わたしは占いというものを信じていないが、しかしこれまでも、自分の都合のいいように解釈したり、受け入れたりはしてきた。だから、今回もその伝でいくことにした。
イヌがいると、なぜヘビは幸せなのか。どうやらそれは、両者の間に師弟または主従の一心同体の関係が生まれるから、というのが答えらしい。なるほどと感心した。「ズルズル」という擬態語は少々気になるが、「宿命的因縁」という比喩はわれわれ夫婦の絆を言い得て妙であった。
妻のイヌがいるかぎり、夫のヘビは幸せなのだ。それに、師弟関係といえば、元教師と元生徒という間柄のわが夫婦―、初めから結びつきは出来上がっており、盤石であった。ただ、主従の仲となると、力関係に左右されるので、夫唱婦随の関係もいつまでも続くとはかぎらない。だが、婦唱夫随に逆転したとしても、それはそれで幸せかもしれない―と、最近、とみに老いを意識する夫は思うのであった。 (平成二十三年十月)
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