親孝行か子供孝行か
むかし読んだ『塀の中の懲りない面々』(安部譲二著)の中に、いまだに記憶している言葉がある。著者によれば、子供が親にする孝行は、五歳までにほとんど済ませてしまっているという。親は、子供が五歳になるまでの間に、目に入れても痛くないほどの〈可愛さ〉という、素晴らしい贈り物をもらっているからである。
確かにこう考えれば、いまは亡き自分の親にもっと孝行しておけばよかったと、思い悩むことはないだろうし、また育ててやった子供に、老後の親孝行を期待するような愚かな真似はしなくてもすむであろう。
とはいうものの、なかなか悟りきれないのが人情というものだ。
わが家の長男と次男も、孫たちが小さいときはよく里帰りをして親を喜ばせてくれたものであるが、孫たちが成長し、中学から高校や大学へと進むにつれ、やれ塾だのクラブ活動だのといって、盆や暮れの里帰りも間引きするようになってきた。今年の夏も、両家族とも来られないという。いささか寂しいが、男親のメンツもあって、弱音を吐くわけにはいかぬ。
「忙しくて来られないというのなら、こちらから出かけましょうか」
と、ついに妻が降参した。
「そうだね。八月には次男の家に行き、九月には長男のところへ行くことにするか」
得たりとばかり、わたしは同意した。
そんなわけで、この八月、久しぶりの東京参りとなった。
JRの三鷹駅には、次男が車で迎えにきていた。
数年ぶりに訪れた次男の家は、わたしが前立腺手術を神奈川県のT病院で行い、予後の一ヶ月を世話になったときの状況とは、かなり変わっていた。次男の書斎は完備されていたし、孫たちもそれぞれ個室をもらっていた。次男はアメリカやアフリカの海外生活が長かったせいか、いわゆるDIY(Do it yourself)の精神が身についていて、日曜大工などはお手の物、購入した中古家はほとんど自分の手で改修している。
孫たちは、また一回り大きくなっていた。今年高一になった孫息子は毎日テニスクラブの活動で忙しいといい、小六の孫娘も塾通いという。
午後は、積もる話に花を咲かせ、夜は近くの焼き肉店で舌鼓。
翌日から、次男の運転するセダンで、われわれ夫婦はお上りさんよろしく、東京見物としゃれこんだ。嫁と、今日は塾が休みという孫娘も、同伴である。
まず、六本木へ直行、五代将軍綱吉の開いた学問所という〈湯島聖堂〉を見学、次に東京大空襲でも焼失を免れた鉄筋コンクリート造りの〈神田明神〉に参拝。それから墨田区方面へ向かって、新名所〈スカイツリ―〉を近くから眺める。引きかえして、ホテルや商業施設を収容した巨大施設の〈東京ミッドタウン〉を散策。築地の寿司屋で昼食を取った後、六本木界隈の〈乃木神社〉に参拝。次いでその一角に聳え立つ〈国立新美術館〉に入り、いくつかの展示絵画を鑑賞、開催中の〈ワシントン・ナショナルギャラリー展〉はすでに現地で見たのでパスした。最後に、その真向かいに位置する、次男の新しい職場に立ち寄り、彼の部屋を覗いたりした。
次の二日間は、飼い犬〈ホタル〉の散歩につきあったり、孫娘の通う小学校付近や深大寺公園などを散策したり、夜は夜でトランプ遊びなどして、一家団欒の時を過ごした。かくして、三泊四日の次男宅訪問は終わった。
「今度の訪問は、われわれが彼らにしてやった〈子供孝行〉と言えるかな?」
帰宅した夜、わたしは妻に語りかけた。
「そうですね。子供の方から来てくれるのが〈親孝行〉だとしたら、こちらから出かけたのだから〈子供孝行〉かもしれないわね。でも、子供は子供で、いろいろ世話をしてくれたのだから、〈親孝行〉をしたと思っているんでしょうね―」
孝行といえば、むかしは子供が親にするものと相場が決まっていたが、いまでは親が子供にするものだという記事を、週刊誌で読んだことがある。考えてみれば、いまの親はそれなりの年金暮らしだが、子供は無職か、せいぜいバイト暮らしというのでは、孝行したいと思ってもできないご時世かもしれないのである。
〈親孝行は五歳までに済んでいる〉というのは、親孝行を期待するなという、親への忠告としては意味があるかもしれない。でも、子供の立場からは、納得できる言葉ではなさそうだ。子供というものは、いくら諸般の事情で親孝行を実行できないとしても、その気持ちだけはいつまでたっても忘れないものだからだ。
「〈子供孝行〉というと、子供を物質的に援助してやることと思う人がいるかもしれないが、そうじゃあないんだな。子供が親に孝行をしたと思わせ、満足させてやるのが、本当の意味の〈子供孝行〉だろうね」
そう言いながら、わたしは三鷹の駅で別れぎわに見せた次男夫婦の笑顔と、寂しさに泣きだしそうになっていた孫娘の顔を思い出していた。(平成二十三年九月)
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