《ミニ私小説》
リンゴの実の落ちる先
長い間、わたしは息子たちが親とは別の生業で家族を養っていることに、一抹の寂しさを感じていた。そんなわたしは、よく妻と語り合ったものだ。
「二人とも、学校の先生にはならなかったなあー」
「そうですね。身近にお父さんの姿を見ていて、これは大変だと思ったのでしょうかー」
「同じ先生でも、医者の子どもはたいてい親の職業を継ぐが、学校の先生の子どもはあまり先生になりたがらないようだよ。そんなに魅力がないのかな?」
「そんなはずはないと思うわー。昔は先生一家というのがありましたからね。時代のせいでしょうか」
思い出せば、息子たちの口から学校の先生になりたいという言葉は聞いたことがなかった。それに、わたし自身も、彼らに教師になることを勧めたことは一度もなかった。大学を選ぶのも、就職先を決定するのも、すべて彼らの選択に任せてきたわたしである。
そんなわけで、二人とも学生時代に教職の単位をとることもなく、それぞれが社会へ飛び立っていった。そして長男は、化粧品会社の研究部門に籍を置いて、コツコツと皮膚の研究を続けてきたし、次男は国際援助機関のスタッフになって、海外を飛びまわってきた。その点、長男は父親譲りの書斎派であったし、次男は母親に似てアウトドア派であった。いずれにしても彼らは、教師という仕事とは縁もゆかりもなかった。
ところが、去年の末から今年にかけて、予想もしなかった知らせが飛び込んできた。それは、最初は次男から、つづいて長男からだった。なんと、二人とも期せずして、人に物を教える仕事に就くことになったというのである。寝耳に水であった。しかも驚いたことに、次男はこの一月から、長男はこの四月からだという。
長男は、勤めていた外資系の化粧品会社との契約がこの三月で切れるというので、以前から転職先を探していたところ、中国地方のある大学のバイオ学科に空席があり、運よく採用されることになった。また、この数年、国内勤務で激務をこなしてきた次男は、この一月に都内のある大学に出向することになり、国際開発関係の講義を受け持つことになったという。
「今年は、東北地方で〈想定外〉のことがおきましたが、わが家もそうでしたね。二人がほとんど同時にあなたと同じ仕事をすることになるなんてー、人生って、ほんとに不思議、何が起こるかわかりませんね。でも、よかったですよ」
「うん、やっぱりオレの子だったんだ」
これまで、息子たちは別世界にいた。親は彼らの語る話に相槌を打つだけで、その中に入り込んでいっしょに考えたり、助言したりすることはできなかった。しかし、これからはそれができるのだ。親として嬉しくないはずはない。
だが、同時に気がかりでもある。二人にとっては中年過ぎてからまったく新しい仕事につくわけだから、大変なことは目に見えている。とくに、妻の不安ときたら、半端でない。
「大丈夫かしら」
と、毎日繰りかえしている。その度にわたしは
「大丈夫、何とかなるさ」
と答えながら、思わず苦笑している自分に気づく。実は、その言葉はなにか事あるごとに長男の繰りかえす口癖だったからである。
長男は、その楽天主義でこれまでいくつかの紆余曲折を乗り越えてきたし、いっぽう次男は、体当たりの行動力でいろんな局面に挑戦してきた。〈何とかなるさ〉は、親のひいき目だとは思いたくない。
とはいうものの、人に物を教えることの難しさを、いやというほど感じてきたわたしである。彼らには、新しい門出へのはなむけの言葉とともに、老婆心ながら一応の心構えを説くことも忘れなかった。しかし、それで充分というわけではない。
二人には、たぶん、これから長い道のりが続く。途中には、いくたの困難があるだろう。そんなとき、この道の先輩格のわたしは、何らかの形で彼らの助けになってやりたい。むろん、専門的なことは解らないが、教えることのノウハウについてはそれなりの経験がある。
英語のことわざに、
〈リンゴの実は樹からあまり遠くないところに落ちる〉
というのがある。熟したリンゴは、たいていは樹の根元に落ちるもので、いくら風に吹かれてもそんなに遠くまで飛んでいくことはないというのだ。人間の子どもも、たとえ親許を離れてもいずれは親の後を継いだり、親と似たようなことをするものだという喩えである。
二人とも、いまは故郷を遠く離れているとはいえ、職業の観点から見れば、親なる樹の根元に落ちてくれたリンゴの実なのだ。それぞれの場所で、芽を出し、大きく育ち、やがてたわわな実を結んでほしいと願っている。
(平成23年6月)
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