ある日曜日の朝である。遅い朝食を済ませると、夫は新聞を広げた。
「さあ、親鸞を読むよ―」
中日新聞では、この一月から五木寛之の「親鸞・激動編」を掲載している。妻は滑舌のトレ―ニングと称して、掲載の始まった最初から音読している。夫も妻に勧められて、最近はときどき朗読することにしている。一人が読むと、一人が聞き役になるのである。
「ちょっと待って。いま、漢字の書き取りをしているから―」
日曜版には文字クイズが載っていて、それをお互いに競い合ってやるのも、日曜の日課になっている。パソコンばかり打っていると、どうしても漢字を書く力が衰える。それを防ぐには、漢字のテストは恰好の手段であると、夫は思っている。
しばらく待っていたが、妻はなかなか鉛筆を離さない。
「いいかね、読むよ」
しびれを切らして、夫は読みはじめた。だが、妻は相変わらず鉛筆を動かすことに余念がない。
「聞いてるか」
妻の姿を横目で見ながら、夫は問いただしたが、もうその頃はかなりイライラが募っていた。だが、妻はまるで《我関せず焉》だ。
「ちょっと待ってと、言ってるでしょ。慌てないでよー」
こうなっては、売り言葉に買い言葉だ。
「慌てるだと―? キミこそ、いつまで書き取りやってるんだ! 愚図!」
久しぶりの口論が始まった。
「ひどーい」
「どっちがひどい? せっかく読んでやっているのを無視しておいて! ヒトを怒らせたければ怒らせろよ。困るのはキミのほうだ。ゆうべのテレビ、憶えているだろう!」
とたんに、妻は笑いだした。
「ごめん、ごめん、やられたわ―。おとうさん、あなたの勝よ」
昨夜見たテレビは、認知症になりかけた夫を上手にあやしながら、献身的に介護する妻の姿を放映していた。
その解説にいわく、
「老人になると、少しのことで腹を立てるようになる。とくに認知症患者は、怒らせるとますます病状が進むから、用心しなければならない」
とあった。
これ以上、ボケてもらうと大変なのは、妻である。夫婦喧嘩を終わらせるのはこの手にかぎるナと、近頃とみにボケを意識しはじめた夫は、声高らかに「親鸞」の朗読を続けるのであった。
(注) 若干脚色があるので、ミニ私小説としましたが、わが家のことと考えていただいて結構です。
(平成23年3月)
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