3 腹腔鏡手術を決意

何回目かの診察日に、H医師は新しい情報を伝えた。

「最近、前立腺ガンにも新しい手術をやるところが出はじめましてネ。腹腔鏡を使うのです。お腹に6カ所ぐらい穴を開け、そこから腹腔鏡やメスなどを入れて前立腺を切除する方法です。いままでのお腹を切る開腹手術と違って、患者へのダメージが少なく、回復も早いので、1週間ぐらいで退院できるらしい。高年齢者やほかに病気のある人には、ふさわしい方法かもしれませんネ」

「その手術はこの病院でもやってもらえるのですか?」とわたし。

「いや、ここではまだやっていません。しかし、いずれここでもやることになると思います。この方法はこれから前立腺手術の主流になっていくでしょうから」

翌日、わたしは近所のW医院の医師に、腹腔鏡手術のことについて尋ねた。

「先生は腹腔鏡手術をどう思いますか?」

「その手術は実際に見たことはないが、患部を小さな鏡に映し、テレビを見ながら手術する方法ですから、常識的に考えても危険だと思いますよ。私はすすめませんね」

W医師は腹腔鏡手術には批判的であった。

腹腔鏡の手術をいろいろ調べているうちに、N大学付属病院がこの手術をかなり手広くやっていることを知った。そこで早速、H医師の紹介状を持って出かけた。担当のドクターは、親切に対応してくれた。

「この病院の前立腺ガンの手術は、腹腔鏡によるものが8割、開腹式によるものが2割です。ここでは、高度先進医療として手術料の半額を保険で認められています。よその病院でこの手術をすれば、手術費用が100万円ぐらいかかりますが、ここでは40万円で済みます。そのような病院は全国的にも数少ないはずです」

「危険はありませんか?」

「われわれは十分経験をつんでいるから、大丈夫です。私に任せなさい。あなたの手術は私がやって治してあげます」

医師の言葉は力強くひびいた。この先生にしようかと、そのときは一瞬こころが傾いた。

ホルモン療法をつづけてかれこれ8ヶ月になろうとしていた。H医師は悠長に構えているが、いつまでもこのままホルモンを続けていていいだろうかと思った。副作用はますます高じているようで、更年期様の障害のほかに貧血も進んで、脱力感が激しいのである。少し動くと息切れがする。あれやこれやで、決断を迫られる土壇場が近づいているのが自分でも分かった。

「やはり手術をしようか」

いつの間にか、手術に賭けてみたいという気持ちが強くなっていた。それにしても、やはり難題は残っている。開腹手術にするか、新しい腹腔鏡手術にするかである。それに、開腹手術ならがんセンターではなく、やはりこれまで世話になったH医師に頼むべきであるが、どうも先生は「わたしが手術してあげよう」とはいってくれない。わたしのかつての狭心症を恐れているのだろうか。いっそのこと、N大付属病院で腹腔鏡手術を受けようか。でも、H医師とは逆に、N大病院のドクターの患者へのなれなれしい言葉遣いや手術をはやる態度からは、患者のためというより、医師としての実績を上げようとする意図が見え隠れしていて、踏みきれないのである。

そのころ、勤務先はちょうど年度末が近づいていた。わたしは自分の属する科の科長に、今年度末で辞めさせてもらいたいと申し出た。公立高校退職後、私立短大の専任として10年勤め、その後非常勤として来年の3月で2年勤めることになるのだが、もういまとなっては自由な時間だけがほしかった。残された時間は多くない。身辺整理もしなければならないし、心の準備も要ると思った。

最終的に決断する日がきた。心配していた長男と次男が大阪と東京からやってきた。やはり持つべきはわが子であるという思いを噛みしめながら、妻を含めて3人の付添をしたがえ、わたしは土曜日の午後、わざわざ面会の時間をつくってくれたH医師のもとを訪れた。

医師はその席上、N市のさる病院にT医師という、前立腺ガン腹腔鏡手術に関しては日本でも1、2を争う医師がいるということを教えてくれた。

「私の同僚の先生が実際その手術を見てきたが、素晴らしい技量だと感嘆していました。もし腹腔鏡手術をするということになれば、その先生がいいのではないでしょうか」

それから息子たちも交え、話し合いは1時間ほど続いた。大阪の会社の研究所で皮膚や皮膚ガンの研究をしている長男は、素人よりは話がわかるのであろう、いろいろ質問していた。だが、結論はなかなか出なかった。最後に、わたしは思いきってH医師に尋ねた。

「先生のお父さんがかりにこの病気になられたとすれば、どの治療法を選ばれますか?」

暫く考えたすえ、医師はいった。

「私だったらやはり、身体に負担の少ない腹腔鏡手術を選びます」

この一言で、わたしは腹腔鏡手術を決意した。

しかしこのとき、わたしはまだ腹腔鏡の恐ろしさを知っていなかったのだ。つい先ごろ新聞をにぎわしているJ医大付属病院をはじめ、いくつかの病院で裁判沙汰になっている事故死のことは、まだ病院の密室のなかに閉じこめられ、世間の目には触れていなかった。「知らぬが仏」か「めくら蛇に怖じず」の蛮勇で、わたしは危険が待っているとはつゆ知らず、腹腔鏡手術を選んでいたのだ。
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