2 選択肢の狭間
わたしはもう最初のショックから立ち直っていた。こうしてはいられないという焦りも手伝って、気持ちはしゃんとしていた。というより、むしろ勇み立っていた。
「さあ、戦闘開始! なにはともあれまず敵を知ることだ」
こうして、前立腺ガンの勉強が始まった。雑誌や本を何冊か購入して読んだ。インターネットからは、いくつもの病院や研究所の出している最新情報を集めたりした。
それで知ったことだが、著名人でこの病気で亡くなった人はぞんがい多いのである。外国では、往年のスターのゲーリー・クーパー、周恩来元首相、ホメイニ師、ミッテラン元大統領など、日本では、古くは湯川秀樹博士、中谷宇吉郎博士、最近では、三波春夫歌手、深作欣二映画監督などである。しかし、手術や治療を受け元気になった人も少なくない。外国ではシアヌーク国王や俳優のロバート・デニーロなど、日本では読売ジャイアンツの渡辺恒雄オーナーなどがいる。
またインターネットには、前立腺を克服した多くの人たちの体験記や闘病記があった。大いに参考になるとともに、勇気づけられもした。
しばらく後のある診察日、H医師はいった。
「あなたの心臓は手術に耐えられないというほどではありませんよ。でも、既往歴から考えて、手術一辺倒ではなく、放射線治療も選択肢の一つに残しておいたほうがよいと思います。放射線では、ガンセンターが新しい機械を備えていますから、一度そこでセカンドオピニオンを聞くのもいいですね」
H医師はわたしが手術に乗り気でないことを察してか、そういった。
「先生は、放射線のほうがいいとおっしゃるのですか?」
「いや、そういうわけではありません。このまえ説明したように、それぞれ一長一短があります。どちらにするかは、あくまで安藤さん自身がきめる問題です」
H医師の診察はいつも懇切丁寧であった。あるときなどは、外には何人もの患者が待っているというのに、一時間近くかけて、わたしへの説明や相談に乗ってくれたこともある。そんなときは申し訳なくて、わたしのほうがハラハラしたほどであった。ただ、丁寧であるのはありがたいことであるが、H医師は患者の意向を尊重するためであろうか、ハッキリこうしなさいとはいわない。そこがわたしの少々もの足らない点ではあった。
H医師はさらに言葉を続けた。
「手術にせよ、放射線にせよ、いずれにしても事前にホルモン療法をして、ガンを縮小させておく必要があるので、早速、今日からホルモン療法を始めましょう」
こうしてA医大病院で、わたしはホルモン療法を始めることになった。毎朝、ホルモン内服薬カソデックスを1錠飲み、毎月1回、通院してホルモンLH―RHアナログを注射されるという治療がつづくのである。
ガンに関する知識や情報は、書籍やインターネットからだけでは十分でなく、不安であった。やはり専門医から直接、セカンドオピニオンを聞く必要があると思った。そこである日、H医師の紹介状とレントゲン写真を持って、愛知県ガンセンターを訪れた。
「わたしの場合、放射線治療のほうがいいのでしょうか?」
「そうですね、放射線は当センターでもやっているから、それでもいいですよ。ここの機械はほかの病院のよりずっと性能がいい。それで直った人も多くいます」
医師は、わたしのレントゲン写真を見ながらいった。
「先生は、手術と較べてどちらをすすめますか?」
わたしは単刀直入に尋ねた。ドクターは間髪を入れずに返した。
「あなたは何歳まで生きたいですか?」
逆に訊かれて、わたしは一瞬とまどった。こんな質問には答えようがないではないか。この前亡くなった叔父の生きた96歳まで、というのは少々おこがましいし、父の享年76歳まで、といったのでは短すぎる。
「まあ、平均寿命までは生きたいと思います」と、当たり障りのない答えである。
「じゃあ、手術しなさい。手術が一番いい。あなたは71歳ですね、まだ若い。75歳を過ぎたら、もう手術はすすめない」
医師の答えは明快であった。
それから少し経った診察日のことである。A医大病院でたまたま主治医のH医師が不在で、別のドクターに診てもらったことがあった。その医師も
「H先生がどういわれたか知りませんが、私は手術がいいと思いますよ」
と、きっぱり言い切った。
こうしているうちに、ずっと続けていたホルモン療法のおかげで、2、3ヶ月後には腫瘍マーカーPSAが最初の7.1から0.2まで下がった。
「薬がだいぶ効いて、よくなりましたね」とH医師はいった。
しかし、ホルモンがバランスを欠いたためか、その頃から身体がカーッと熱くなったり、頭がふらついたりした。妻のいう女性の更年期障害とはこのようなものであったかと思いながら、そんな症状に耐えていた。
セカンドオピニオンは、いずれも手術をすすめていた。しかし、わたしは依然として、手術をするか放射線にするかについて迷い、悩んでいた。このままホルモンで治るというのなら、少しぐらいの副作用は辛抱するが、しかし完治する保証はない。では、放射線にするか?それも、副作用があるというし、根治療法でないという。ならば、手術か?1ヶ月も入院しなければならないし、術後の苦痛も大きいと聞く。それだけなら我慢すればいいが、危険度がかなり高いらしい。H医師によれば、この手術では血栓が飛びやすく、A大付属病院でもつい最近、手術は成功したのに、退院まぎわに脳血栓で死亡した患者があるという。H医師が手術をそれほど強くすすめないのは、そのためかとも思ったりした。
悩みながらも、わたしはH医師を信頼し、ホルモン療法をつづけていた。
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