わが自分史の恩人たち
平成15年末、「名東自分史の会」に入会してから、もう6年が経つ。感無量である。
当初、正直言って、いつまで続くか自信はなかった。だが、毎月1編を欠かさず書き続けた結果、知らぬ間に結構な量になっていた。われながら驚きである。まことに「継続は力なり」だ。このあたりでひとまず区切りをつけ、1冊にまとめることにした。
この自分史の会、中町了先生の指導で始まったが、残念ながら途中で先生は身を引かれている。「もう独り立ちできる」というのが、そのときの先生の言葉であったように思う。船長を失い、海図もない船員だけの暗夜航路、それでも曲がりなりに目指す航海を続けることができた。会誌「なごやか」は64号を数え、わたし自身もこの小冊子を送り出すことができた。
むろん、それは中町先生のご指導の賜物であるが、同時にわれらが仲間の支えがあったればこその成果である。毎月、書いたものが仲間に読まれ、感想が送られる。読んでもらえたという手応えが嬉しかったし、激励はもちろん、きびしい批評も書き続ける力になった。自分史書きは、そんなに簡単なことでないと人は言う。なるほど、独りでは難行苦行であろう。だが、仲間がいればその苦労は半減するし、書く喜びは倍加する。
もうひとつ、わたしにこの苦行を可能にしてくれたものがあった。パソコンである。わたしは生来の怠け者、しかも無類の悪筆ときている。学生時代からノートを取ったり、手紙を書いたりするのが大の苦手であった。しかしパソコンは、この不得手な筆記具を不用にしてくれたのだ。
朝、仕事場に入ると、パソコンが待っている。手始めは占いのカードゲーム。幸運を射止めたときは、その後キーを叩く手は軽いし、音も冴えわたる。ゲーム感覚がそのまま、文章作りを快調にしてくれる。
だが、そんなときばかりではない。書きたいことがあってもまったく想が纏まらないときもある。そのようなとき、わたしは取りあえず1行を打ちこむことにしてきた。題名でも、登場人物名でも、エピソードでも、結びの文句でも、なんでもいい。1行書いたら、そこから思いつくままに、キーを叩く。連想ゲームと同じである。
むかし、アイデアを生み出すブレーンストーミングが流行したことがある。いつの頃からか、わたしはこれを文章作りに応用してきた。集団で行う自由奔放な議論の場を、個人のパソコン上に移したというわけである。
もっとも、この方法は書き出しが簡単であるが、その後の編集作業が大変ではある。関連のある項目をまとめて、段落にしていく。添削を繰りかえしながら、最終的には起承転結にメリハリを効かせて作品を完結させる。だがパソコンは、この作業過程を見事に簡易化してくれる。
いまわたしは、ご指導いただいた中町先生、自分を支えてくれた自分史仲間、さらにはさまざまな想念を文字化してくれたパソコンに対して、心から感謝を捧げている。そしていつの日か、この『いたどり記』の続編を書き上げる覚悟を新たにしている。
(平成21年2月)
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