無病息災?の日々

(1)高血圧

「きょうは馬鹿に虫の音がはげしいね。あれを聞くと田舎を思いだすなー」

久しぶりに聞く虫の音に、わたしは妻に話しかけた。

「あなた、いまは冬ですよ。虫が鳴くはずないでしょ」

と、妻はにべも無かった。

これが耳鳴りの始まりだった。まだ50歳代のことだ。それから耳鳴りは、片時も休まることはなかった。人によっては、苦になってしようがないという。しかしわたしは、いっこう平気であった。虫の声に四六時中耳を傾けるほど、暇人ではないと自らに言い聞かせていた。しかし、これが思い上がりだった。耳鳴りは高血圧の前兆だったのだ。

それから少したったある日、胸に異常な痛みを感じ、かかりつけの近医の紹介で心臓病の専門病院で診断を受けた。結果は軽い狭心症の発作。高血圧が原因だと告げられた。

    (2)通風

血圧降下剤は、そのとき以来飲み続けている。さいわい心臓は変調を来すこともなく、体調はまずまずで、晩酌のビールは欠かしたことはなかった。

 ところがある年、職場の健康診断で尿酸値がかなり高いと出た。放っておくと痛風になるという。いや、もうなっていたかもしれない。左足の親指の関節がときどき痛んだのだ。近医は尿酸値を減らす薬をくれ、なおかつプリン体を減らせと命じる。プリン体の元凶はビールだという。半生をともにしてきたビールともお別れかと、憂鬱な気分になっていたある日、スーパーでプリン体99%カットという発泡酒を見つけた。これはありがたいと試しに飲んでみたら、これがなか美味い。にがみが少なく、スカッとしている。以来、その銘柄に決め、万々歳と思っていたのが油断大敵であった。

    (3)慢性腎炎

 いつの間にか腎臓が冒されていたのだ。毎年、尿や血液の検査は怠らなかったが、ある時から尿に潜血反応がでるようになった。最初はプラス1だった。近医は心配はいらないと言っていたが、プラス2から3になると、さすが気になると見えて、A医大病院を紹介してくれた。そこで、クレアチニン・クリアランスなどの精密検査をした。

「慢性腎炎です。あなたの腎臓は7割死んでいて、3割しか働いていませんよ。これが1割になったら、透析です」

ショックだった。さらに腎臓の専門医は、腎臓には食事療法しかないので、塩分とタンパク質の取りすぎは厳禁だとつけ加えた。以来、ほそぼそと精進料理の毎日、今日までつづいている。

   (4)リンパ腫

 そんなとき、ある日風邪がもとで気管支炎になった。ひどくて、なかなか治らない。強い薬を飲み続けた。やっと治ったと思ったら、気管支と食道の間にある縦隔に2センチ大のリンパ腫があるという。細胞診を受けることになった。
 
 気管支鏡を口から差し込み、気管から縦隔に針を刺して細胞を採取してくるという。苦しいこと、胃カメラの比ではなかった。咳と嘔吐の発作で七転八倒、そのたびに操作は中断。にもかかわらず、針が縦隔まで届かず、けっきょく中止。
 
 CTで腫瘍の大きさを半年ごとに追跡することになった。2センチ以上に成長すれば悪性だという。今のところ腫瘍はそのままでいてくれるが、爆弾を抱えた心境である。

    (5)不整脈

血圧降下剤を飲みはじめて、もう20年はたつ。おかげで昼間の血圧は正常値を保っているが、朝起きたときが高い。早朝高血圧症だそうである。

2年ほど前、近医にS医大病院を紹介され、腎臓専門のF医師にかかった。腎臓が悪いと血圧が上がる。血圧が上がるとさらに腎臓が悪くなる。そこで、F医師は別の降圧剤を夕食後にも飲むように処方してくれた。

飲んだら見事にさがった。というより、下がりすぎた。朝は120―70になって喜んでいたら、昼間は100―50になってしまった。それに伴って不整脈が発生した。鼓動が一つ飛んだかと思うと、次は続けさまに二つ、三つと打つ。

早速病院へ行った。血圧降下剤を当分やめろという。止めると血圧はかなり元に戻ったが、不整脈はいまだに治らない。ひょっとするとこれが命取りになるかと、不安の毎日だ。

    (6)脳梗塞

「こんなに忘れっぽくなったんでは、身体より脳のほうが先に参るかな?」

「いちど脳の検査をしてもらったら?」

「うん、そうしよう」

1月ほど前の妻との会話である。そこで腎臓内科のF医師に頼んで、脳のMRI検査をしてもらった。

「認知症の心配はありませんが、ただ脳梗塞が見つかりましたよ。ほら、ここにー」

神経内科のM医師は、パソコン上の画像を指さした。なるほど、脳の左上に米粒大の白い斑点が見える。ここ半月ほどにできた新しい脳梗塞の痕だという。偶然の発見だった。

「血液がサラサラになる薬を出しましたから、当分は安静にしていてください」

F医師はこともなげに言ったが、わたしはしょげ返っていた。また一つ、病気が増えたのだ。

「あなたは、見た目には元気そうだから、人は無病息災だと思うかもね」

帰途、妻は慰めてくれたが、わたしの気は晴れなかった。

最近は「一病息災」といって、病気と共生するのが長生きの秘訣という。しかしわたしの場合、一病が二病になり、二病が三病にと次第に増え、数えてみたらいまや六つである。これぞ本当の「ムビョウソクサイ」(六病息災かと、開き直っているこのごろである。

                         (平成21年10月)

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