インターネット功罪談義
IT・リテラシーという言葉がある。情報技術を使いこなす能力のことである。この能力は、これからの情報社会でますます必要になっていくだろうといわれている。
かつて岩波茂雄は「知識は万人によって求められることを自ら欲する」と書き、岩波文庫を発刊した。そして、それまで一部の知識階級に独占されていた知識を、一般民衆に解放した。
文庫本の出版が第一次情報革命だとすれば、インターネットは第二次情報革命といえるだろう。ウェッブ・サイトは情報の大海であり、知識の宝庫である。調べものをするとき、わたしは以前よく本屋をあさったり図書館に通ったりしたものだが、いまはその必要はほとんどない。居ながらにしてたいていのことはわかるからだ。
もっとも、気をつけないと、ガセネタにひっかかることがある。とくにブログの情報にはろくなものはないから、要注意である。やはり公共のサイトや権威あるHPをえらんで、丁寧に調べなければならない。
情報の検索で有益なのは、英語圏のサイトである。日本の何倍も充実している。古典はもちろん辞書類も多数電子化されていて、すべて無料でアクセスできる。英語が不得意という人も、GOOGLEを利用すればたちどころに翻訳し、日本語で読ませてくれる。もっとも、かなりひどい翻訳だが、精度を問題にしなければそれなりに役立つ。
日本のサイトは遅れているといわれるが、それでも近年充実しつつある。無料百科事典のウィキペディアは日々作成途上にあり、内容的には今ひとつの感があるが、それでも収録項目の多さでは平凡社や小学館の電子百科の比ではない。一般書もずいぶん電子化され、読めるようになっている。明治・大正期の作品や資料についていえば、かなりのところ「青空文庫」で読めるし、国立国会図書館のデジタル画像でも読める。また「GOOGLEブックス」では、新しい本の中身が一部読めるようになっているが、これも便利である。
「英語ことわざ教訓辞典」のサイトを立ち上げたのも、そのような情報革命のうねりに身を投じ、わたし自身も一役買いたいというささやかな思いからであった。さいわい、「ヤフー」や「アスキー」などのパソコン雑誌で優良サイトに選ばれ、アクセス数は百万を突破した。最近はやや減ったが、それでも日に三百人ぐらいがこの辞典を利用していてくれる。Q&Aに寄せられる質問に答えるのも、楽しい仕事である。
こんなにアクセスがあるのだから、広告を載せてみてはどうかと、知人にすすめられた。いくら人気があるといって、出会い系やアダルト系を載せるわけにいかない。そこで堅いところを選んで、大手の書店や語学学校のバナー(細長い帯状のコマーシャル画像)を貼りつけた。訪問者がバナーを一回クリックすると一円が加算されるというし、ここから注文や契約がなされれば相当額の報酬があるという。しかし1年たち、2年たっても、いっこうに入金がない。しだいにバナーがうっとうしくなってきた。画面の美観もそこなわれる。思い切って削除してしまった。しばらくしたら、なにがしかの広告料を送ってきた。そんなに悪いビジネスではないと思ったが、もう一度バナーを貼りつける気は今のところない。
ビジネスといえば、インターネットには悪徳商法がまかり通っている。まだインターネットが始まったばかりのころ、もの珍しさも手伝って外国のサイトをあちこちブラウジングしたことがある。ところが翌月のこと、有名電話会社から国際電話の請求書が来た。何万円もの金額が請求されている。後でわかったことだが、インターネットのサイトを閉じて別の文書作成をしている間じゅう、国際電話はつなぎっぱなしになっていたのだ。クリックすると自然に有料サイトにつながるように仕組まれていたのである。その電話会社には支払いを拒否した。悪徳商法の片棒をかつぐとは何事かと言ってやると、内部で処理をするということでけりが付いた。
インターネットのデメリットに、迷惑メールがある。数年前のことだが、アダルトサイトやビジネスサイトから1日に200以上のメールが来るようになった。Q&Aに載せたメールアドレスに、それを見た怪しげなサイトが集中攻撃を仕掛けてきたのだ。そこでメールアドレスを変更し、公表を中止した。いまでは、自分史仲間のSさんに頼んで設定してもらった無料サイトの「掲示板」で、Q&Aへの質問を受けることにしている。迷惑メールは一通も来なくなった。うれしい驚きである。
驚くといえば、こんなサイトがあった。ある日、メールが届いた。わたしの公表している論文を使わせて欲しいというのである。OKの返事をした。後でそのサイトを調べてみると、なんと、これが卒業論文作成支援サイトと銘打ってある。申し込んで規定の料金を払うと、学生らに代わって卒業論文を書いてもらえるというサイトである。
少したったら、そのサイトは姿を消した。当然である。たのまなくても、自分でかんたんに盗作ができるからだ。むかし、本のコピーから要点をつまみ切りし、張り合わせ、論文に仕上げたという学生がいたが、いまではそんな面倒なことをせず、ネット文書からコピー&ペーストでかんたんに論文が書ける。卒論審査の教授を悩ませるのが、この剽窃・盗作まがいの論文だという。ひょっとするとわたしの論文も、そんなコピー&ペーストの被害に遭っているのかもしれない。しかしそれはそれで、人助けかもしれない。
学生ならまだ許されるだろうが、一般社会人だとそうはいかない。ある短大の外人教師は、インターネットから他人の論文をダウンロード、その大半を自分の論文に取りこんで紀要に発表、それがばれてクビになった。
新しい文化は新しい不徳を生む。IT・リテラシーが悪いわけではない。それを正しく生かす文化が、まだ未成熟なだけである。
(平成21年12月)
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