日暮れの蝉しぐれ
老い先が短くなると、だれしもこの世にあるうちに何か生きた証しを残したくなるものであろう。わたしがそのことを痛切に感じたのは、7年前、前立腺手術で死線をさまよい、幸い一命をとりとめたときである。
翌年の秋、名東区生涯学習センターへ妻の朗読の発表を聞きにいったとき、たまたま自分史の展示会を覗いたのが、その会に入るきっかけとなった。
初めての自分史に、わたしは次のように書いた。
「気づいてみれば、わたしも寡黙な父に似て、息子に何ひとつ語っていないのである。・・・・自分の祖父母について知りたいと思ったように、わたしの孫たちもきっとそう思うにちがいない」
同じころ、中日新聞の「発言」欄に投書した文章に、次の一節がある。
「自分が一生をかけて歩んだ道を、昭和という大きな時代の流れの中で語りたい。・・・・それは親の子供らへの義務であろう。・・・・いま老境を迎え、心の遺書としての自分史を書きたいと思っている」
以来6年、自分史書きは細々とつづいている。だが、近ごろわたしの書く自分史は身辺雑記や軽いエッセイが多く、今から思うと「昭和史」というのはおこがましいかぎりであるし、「心の遺書」というのも大袈裟の感がある。しかし、わたしの初志がそこにあったのは事実で、早くその原点に立ち返りたいという思いだけは、今なお強い。
顧みるに自分史だけでなく、先般出版した『テーマ別・ことわざ辞典』にも、わたしは自分の生きた証しとしての思いをこめた。
そんな辞典に対して、ある読者からは「カビ臭いことわざに味付けをして現代によみがえらせた」という賛辞もいただいた。しかしある読者からは「ことわざをダシにして、自分自身の人生観・価値観を語り過ぎているのでは?」という批判も受けた。
出版物の評価には毀誉褒貶が付き物であろうから,それらの評言は謙虚に受け入れるとして、どちらの読者もひとしく筆者のことわざへの強い感情移入だけは読みとってもらえて嬉しい。なお有り難いのは、教え子や友人・知人が200人ほどわが家を経由して、この辞典を手元に置いてくれたことである。
以前、教師の語る言葉は根づく当てもない「風に舞うタネ」と、自嘲の意味をこめて書いたことがある。いまは、印刷された文字なら少なくとも数言は読む人の心に残るのではないかと、淡い期待をいだくこの頃である。
この歳になると、もうインプットはいいから、アウトプットの作業だけは完成しておきたい。懸案のエドガー・アラン・ポー論は、去年英潮社から出版することができた。書きためた「ことわざ文化の東西比較論」と「カタカナ英語論」にも、日の目を見せてやりたいと思っている。
ー気持ちだけは先行しているが、果たして日の暮れぬうちにこれらを生きた証しとして世に出すことができるかどうか、覚束ないながらもわが生き甲斐のよすがにしたいと念じている。
(平成22年1月)
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