「今日は珍しく手さげバッグね」
「うん、読みかけの本を入れてるんだ―」
付き添ってくる妻と語りながら、まだ通勤者でにぎわう通りをわたしは駅へ急いだ。
その日、病院では血液検査とCT撮影が重なっていた。たぶん2時間は待たされるだろう。
日ごろ、わたしは外出にはたいていウエスト・ポーチを装着するが、時間つぶしに読む本を入れるには、やはり手さげバッグにするしかなかった。だが、本当は手さげバッグはあまり持ちたくないのだ。買い物袋など持つと、どちらかを忘れることがこれまでも再三あったからである。
「置き忘れないでね」
「だいじょうぶだ。それに、きみもついているからー」
案の定、病院では途中で昼食をはさんで、長時間待たされた。お陰で、キリスト教会で借りていた奇跡に関する本は、最後まで読み終えた。
病院を出ると、地下鉄で名古屋駅へ向かった。東急ハンズで製本用の表紙を買うためだ。
文房具のある9階は、年末の買い物客でごった返していた。ひと隅の棚に、さまざまのサイズと色の表紙が百種類ほど並んでいる。タテしわの入った赤表紙を選んで、両手で数えた。
レジで金を支払い、大型のビニール袋に入った表紙50枚を受け取った。
高島屋を出て、名古屋駅構内に入ったときである。
「ない!」わたしは思わず叫んだ。
「ないって、なにが?」
「バッグだよ! どこへ行ったんだ!」
「知らないわよ、そんなの」
「知らないと? 無責任な! 何のための付き添いだ!」
わたしの怒声も聞かばこそ、妻は脱兎のごとくエスカレータを駆け上がっていった。それを横目に見ながら、なす術もなく茫然とエレベータの前に立っているわたしだった。それでも、記憶をつかさどるわたしの海馬は、必死に忘却の淵であがいていたー。
バッグには、何が入れてあったか? そう、教会で借りた大事な本だ! どうしよう? でも、なくなったら買って返せばいいか。財布はどうだ? あった! 内ポケットだ! アイポッドは? ない! イヤフォンを耳から外したとき、カバンに入れたんだ! ああ、うん万円の損失か! うん万円? あれに入れた300曲や英語教材はそんなもんじゃないよ! 手帳は? あ、ない! しまった! アイポッドどころじゃないぞ! アドレスから銀行の暗証番号までそっくり載せてある! 命の次に大事なしろものだ! 人手に渡ったら、どうなる? え、どうなる!
待たされた挙句、乗り込んだエレベータのおそいこと、どうして各階に停まるんだ! やっぱり、エスカレータにすべきだった。でも、後悔先に立たずか。
やっと着いた! 飛び降りて、レジにすっ飛んだ。ない! そうだ、ここじゃあない。あそこだ!
記憶の回路がつながった。紙を数えるとき、バッグは棚の上に置いたのだ! 祈る気持ちで棚まで駆けつけた。やっぱりない! ああ、どうしよう。
どこからか。妻が現れた。
「おそいわねー、あなたーっ。いま、レジの人や店員の方に頼んで探してもらっているところよ」
そう言い残して、妻はどこかへ消えた。わたしはたまたま通りかかった店員をつかまえた。
「2、3分前、ここに男性用バッグを置き忘れたんですが、見かけませんでしたか?」
店員は「ちょっと待ってください」といって、すぐどこかへ電話しはじめた。だが、なかなかつながらないらしい。いらいらして待っていた。
そのとき、妻の声がした。
「あったわよ、あなた!」
見ると、妻の手にはバッグがある。助かった! いちどに足の力が抜け、天にも昇る気分だった。
聞けば、忘れ物預り所に届けられていたという。係の女性に何度も感謝の言葉を伝え、妻とわたしはその場をはなれた。
ところが翌日、スーパーに買い物に出かけるとき、いつも耳につけるアイポッドが見当たらない。
「アイポッドがないよ」
「バッグの中を見た?」
「バッグにもないよ」
「じゃあ、ジャケットやズボンのポケットは?」
「ない! ない!」
家のなかをくまなくさがしたが、どこにも見あたらない。
「あなた、バッグを受けとったとき、中身をしらべてみた?」
「調べた、調べた。たしかに手帳や本はあったがー。あっ! そうだ! 思い出してみると、あのときもうアイポッドはなかったよ!」
疑惑が頭をもたげた。むかし、財布を落として届けられたことがあったが、中にはびた一文の現金もなかったことを思い出したのだ。
そうだ、きっと誰かが、アイポッドだけ抜き取ったにちがいない。
「やられたよー。・・・でも、手帳だけでも戻れば、もっけの幸いかー」
わたしはあきらめ、それで一件落着かと思っていた。
しかし、その日の午後、妻の興奮した声が階下から聞こえてきた。
「おとうさん! アイポッドがあったわー」
「えー? どこに?」
「あなたのシャツのポケットよー。洗濯しようと思ってポケットをあらためていたら、見つかったの!」
「へー、でも、洗濯する前でよかったよ。もう少しでオシャカになるところだったのにー」
バツの悪さをそんな理屈でごまかしたわたしに、妻はいった。
「これから、人のせいにしないでね。それって、ボケの始まりというからー」
妻の言葉には、いたわりの響きがあった。聞きながら、ボケの始まりどころか、もうだいぶ進んでいるのではないかと、老いの行く末を案じながら、自戒することしきりであった。
(平成22年4月)
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