ワンス・イン・ナ・ブル―・ム―ン

 英語のイディオムには、興味深いものが多い。《ワンス・イン・ナ・ブル―・ム―ン》も、そんな表現のひとつである。《ごく稀に》という意味であるが、語源が面白い。

ひとつの説は、大気中のガスや塵の影響で、月が青く見えることがあるが、それはきわめて稀であるということからこの表現ができたという。また別の説では、ひと月のうちで満月が2回あることが数年の周期で廻ってくるが、このときの月をブルームーンというとある。文字通り青いかどうかは問題ではなく、いずれにしてもあまり多くない、珍しい現象ということから、そのフレーズが生まれたようである。

さて、今年の正月のことであるが、わが家はそんな滅多にない珍事に見舞われた。発端は、次男一家の年末の帰郷であった。

29日の早朝、深夜高速料金の恩恵をフルに活用して到着したかと思うと、嫁がそのまま寝込んでしまった。聞けば、つい2、3日前に小4の孫娘が風邪をひき、そのビールスをもらったらしいという。その日の夕方、嫁につづいて今度は中2の孫がとつぜん嘔吐して床につく。

翌々日の大晦日は、嫁と孫が寛解期に入ったのはよいが、その夜、妻が嘔吐と下痢に苦しみだす。

明けて元旦、次男がダウンし、39度の高熱。元旦とて近医は閉鎖、やむを得ず、嫁が病み上がりの身体を押して運転、近くの休日診療所へ運ぶ羽目となる。

翌2日、中2の孫が今度は全身ジンマシンに侵され、ふたたび休日診療所へと向かい、その足で一家はあわただしく去って行った。まるで台風一過であった。

一方、かく言うわたしはといえば微熱だけですんだが、それというのも胃腸の異常をいち早く察知、年末から元旦にかけて飲まず食わずの節制を続けたせいであろう。

3日目、長男夫婦が二人だけでやってきた。大学生と高校生の孫娘たちはそれぞれの予定で忙しいらしく、もうやってこない。

妻が一部始終を語る。

「お母さん、たぶんノロウイルスだと思いますよ」と、あるクリニックで薬剤師として働いている嫁はいう。

「うつるといけないから、早く帰って」という妻の言葉で、長男夫婦は孫らへのお年玉の包みを受け取ると、はやばやと引き揚げて行った。

こうして、年越し蕎麦やお屠蘇だけでなく、初詣でもパスする始末となった。

松の内の明けたころ、妻の英会話仲間が英文のメールをよこした。なんとそこには、

「今月は満月が2度あります。文字どおりOnce in a blue moonですよ」

とある。さっそくカレンダーを調べてみると、満月は元日と30日と2回ある。

「なるほど、そうだったんだ―。道理で変だと思ったよ。やはりお月様のせいだ」

と、わたしは冗談めかして言ったが、内心では今年は何かよくないことが起こらなければよいがと、先行きを案じていた。

 それから数日後のことである。昔の教え子から紅茶セットの贈り物が届いた。電話でお礼を述べ、ついでに正月の出来事を話した。彼女のいわく、

「おせちを食べなかったですか。よかったですよ、それ―。だって、おせちを食べないと歳を一つ取らないというではありませんか」

「いや―、ありがとう。元旦からくさっていたんだが、いいことを教えてもらった」

 わたしは声を弾ませてそう言った。そうだ、なにごとも悪いことだけではない。歳を取らないとは、これにまさる余慶はないのだから―。

(平成22年2月)

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